MISSION45 狼の宴
クレイヴ様、レビュー感謝します。
30分の休息を取ったアリスは自機を対空装備に換装した後に発艦、戦闘空域に戻った。
「イーグルナイト2よりAWACSへ、イーグルナイト隊はどこにいますか?」
『ポイントE29だ。だが、大丈夫か?貴官は単機。敵の編隊に襲われたら一たまりも』
『その事は気にしなくてもいい』
「クルトマイヤ―少佐?」
AWACSとの通信に割り込んだ声は彼女のかつての上官、ヨアヒム・クルトマイヤ―少佐の声だった。
『彼女を我々でエスコートする。かつてのよしみでな』
『了解した』
『ローザ1、交信終了』
この通信の数分後、アリスの右後方から黒い編隊が現れ、彼女を守るように取り囲んだ。
「感謝します。少佐」
『なに、君の兄……カールへの借りだからな』
「カール兄さんの?どういう事ですか少佐?」
カーライル・フォン・フランベルク。アリスの兄であり、EF-3000のパイロット。しかし、彼は東部戦線で戦死した。そんな彼への借り?いまいちアリスは飲み込めずにいた。
『何でもない。気にしないでくれ』
「はい」
クルトマイヤ―少佐がそう言うなら仕方ない。アリスはそう割り切って操縦桿を握る事に集中する。
「こうして、一緒に飛んでいると訓練兵のころを思い出します」
『ふふ……確かにな。君は優秀な生徒だった。誰よりも上手く飛び、そして誰よりも優しかった……ゲホッ』
突然の咳。咳は5秒近く続いて、止まった後に彼はとても苦しそうに荒い呼吸をする。
「どうかしましたか?少佐」
『気管に異物が入ってな……気にする事は……ない』
「そうですか……良かったです」
アリスは、ほっと胸をなでおろす。どこか危なっかしい咳だが、ただの異物ならもう起きないであろう。
『ローザ10より1へ、敵編隊発見。2時方向、距離6000、12機です!!』
『解った。全機、フォーメーションを組んで迎撃するぞ。フランベルク中尉の退路を作るんだ』
『ヤ―』
統制のとれた動きで編隊は動き、迎撃フォーメーションを作り出す。アリスには彼らの高い錬度がうかがえた。
「すごい……」
一分もかからない間に、アブレストは方向転換しV字編隊へと変形した。
『10番機、敵機の特徴は?』
『Suタイプ。編隊の戦闘に白い戦闘機が見えます。多分、隊長機です』
「白い戦闘機?……まさか!!」
『白狼――ロアニアビッチ……』
クルトマイヤ―は曇った声で、その名を呻く。彼の声からは恐怖というより強い憎しみを感じさせた。
「私も援護します。ミサイルもありますし」
『いや、いい。奴は私が始末する』
「ですが!!」
『フランベルク准尉。これは、私だけの問題ではない。私と共に戦った戦友たちの魂の尊厳の問題なのだ』
「そんな……」
『行け。お前の戦うべき場所へ』
ロアニアビッチが捕捉したEF-3000の編隊は全員が漆黒のペイントをしており、彼の脳内にあるデータが示す限り、それはクルトマイヤ―少佐の率いる『黒薔薇』隊しか該当しなかった。
「ほぉ。どうやらツキが回ったようだ」
彼は嬉しそうに口元をマスクの下で歪め、喜びを噛みしめた。
この日、戦場へ出て自分と互角に渡り合えた敵機は未だおらず、クルトマイヤー位のレベルでないと己を満足させる事が出来ない。
「各機、お前らは雑魚をひきつけていろ。隊長機は俺が頂く」
『了解』
「各機、二身一体戦術。さぁ、狩りの時間だ」
クルトマイヤ―は基本的に僚機には生存を徹させるが、自分は単機で餌になるように突撃する。しかし、その餌は猛毒で、食らいついた獲物を確実に死に至らしめる。
EF-3000シュトゥルムはその名に恥じない疾風のような速さで加速。軽戦闘機らしい軽快な機動で狼の親玉――白狼を狩らんと接近を始めた。
「ワルシャワでの借りを返す時だ……ロアニアビッチ」
狼と狩人との距離――約5キロ。中空の森での死闘が始まった。狩るか狩られるかの死闘が。
数十秒の時間が経過した瞬間、すれ違いと呼ぶには速く、鋭い交差を両機はした。コックピットに衝撃が伝わるのを感じ、クルトマイヤ―は少したじろいだが、ひるむ事無く後ろへ旋回。目標を追撃する。
Su39とシュトゥルムの旋回性能は互角。火器管制や積載量の面などで相手が勝るが、この戦いはミサイルを使う事は無い。そう、クルトマイヤ―は予想している。互いに獲物を狩る者、ミサイルに頼るなどという無粋なまねは絶対にしない。一種の信用に近い何かが彼にはある。
早速、背後を取ったクルトマイヤーは機銃の距離まで肉薄。固定機銃と翼下に搭載した2門の20ミリガンポットが白い機影に向けられた。
発射。
クルトマイヤーにも解りきっていた事だが、ロアニアビッチが簡単にやられるはずは無い。その予想を裏切らなかった。素早く角度の鋭いループで回避し、一気に形勢を逆転。獲物を狩る狼の役になる。
「正確な射撃だ。反応が遅れたら間違いなく食われてたな」
ロアニアビッチはコックピットで独語、危機感と共に高揚感に胸を踊らした。
「海軍一の小僧はいまいちだった。……が、クルトマイヤー、貴様は最高だ。強敵と呼ぶに値するぞ!!」
強者を求め殺戮の日々へ身を投げいれて、10年近くになる。この日々で強敵や宿敵に呼ぶに値する男に未だめぐり逢う事は無かった。故に彼の渇きと飢えは癒され始めた。最高の敵――それに勝利する事こそ歪で狂っているが、彼の喜びなのだ。
感謝の言葉を述べるかのように、ロアニアビッチは30ミリ弾の嵐を動き回る『強敵』にプレゼントした。
放たれた火線。
クルトマイヤーはとっさの右ロールで回避し、その余剰エネルギーを利用して右へ旋回。推力偏向ノズルの助けで、通常以上の角度での旋回を行えたが、万全ではなかった。右エンジンと尾翼、カナード翼に被弾し、空戦機動のカードを何個か捨てる羽目になった。
「白狼め、やはり一筋縄ではいかないな……ごほっ」
クルトマイヤーは、言い終わるなりせき込んだ。口に広がる血の味。酸素マスクを外し、口の中の血痰を吐き捨てた。
「もう……ごっほ……少し……もって……くれ」
座席下にある吸飲器で薬を吸って咳を鎮めた。ぜぇぜぇ、と荒い呼吸をして操縦桿を握りなおし、回避運動を連続で行い始める。
「今しかないのだ。奴を殺るチャンスは!!」
交差しては離れ、打ちつけ合われる切っ先のように鋭いシザース運動を繰り返す事三十合目。クルトマイヤーの肺への酸素の供給が上手くならなくなってきた。脳にも。
このまま戦ったらまずい。そう判断した彼は間合いを取ることにした。
「はぁ……はぁ……時間が……無い」
視界がぼやける。頭のなかが円を描くように回る。倒れたい。しかし、彼は倒れる事は無かった。強靭なゲルマン人の血と心そうさせてはくれなかった。
「ふふ、仇を討たずに死んだら貴様らに合わす顔が無くなる」
仕切りなおそうとこちらへ近づくロアニアビッチに真正面から撃ち合う事にした。手負いの自機で怪物とドッグファイトなど勝ち目は無い。だから、全てをすれ違いざまにかける事にした。自分の命とロアニアビッチの命を張ったギャンブル――彼はそれをする事にした。
黒煙を吹かすEF-3000が真正面から来る。それだけでの事実だけでロアニアビッチは全てを察した。
「馬上試合のつもりか」
馬上試合、騎馬に乗った騎士たちがランスを突き立てぶつかり合う中世の行事。誇り高いドイツ人らしい選択だと彼は内心でほほ笑む。
「ギャンブルは好きだ。命懸けのギャンブルなど言うまでもない!!」
鼓動のボルテージが最大に、戦いの中で――いや、四十年近い人生でここまでに高まった事はただの一度もない。
この高揚感を永遠に……だが速く時の過ぎる音速の世界では、叶わぬ夢……。そう言わんばかりにクルトマイヤーの機体との距離は縮む一方だった。
ガンの射程に入り白と黒は混ざりあう。
引き金に力を両雄共に入れる。
互いに火を噴き、放たれた砲弾は装甲板を穿ちあう。
超音速のすれ違いを終えたロアニアビッチは後ろへ流れた、クルトマイヤーの機体のエンジンから火が出たのが目に入って勝利を確信した。
「俺の勝ちだ……狩人よ……ん?」」
勝利に踊っているであろう胸に虚無感に似た違和感を感じ、彼は自分の胸を見た。
「ほぉ?」
ロアニアビッチは驚いた事はこれまでに一度も無い。そして今回もそうだった。自分の左脇から肺の部分に二十ミリ弾による大穴が開いていても驚かなかった。
「どうやら……お前の勝ちのようだな……ありがとう……強敵よ」
そのままロアニアビッチは前にめりになり、Su39は終わる事の無い降下を始めた。
「教官!!」
賭けはクルトマイヤーの勝ちで終わった。アリスは傷ついた彼の機体のカバーに入るべく右翼へ着く。
『狩ったぞカール……白狼を』
満ち足りた声。しかしアリスはその声にどこか弱々しさを感じた。
「カールって、どういうことですか?」
『そうか……君は聞いてないのだな。カールはロアニアビッチに殺された……ワルシャワの戦いで殿を務め、多くの見方の盾となった、優秀で勇敢なパイロットだったよ……』
クルトマイヤーの声は重篤な患者が命を削るように出すものに似ていた。
「カール、私も君の元へいけるよ」
「ど……どういうことです?」
彼女にも解り来ていることだが、正直怖い。
『フランベルク准尉……君だけに言おう。私は、重度の肺ガンでな……余命があと三カ月しかないんだ』
この言葉でアリスの中で全てが繋がった。さっきの咳、この弱々しい声……何もかもが。確かにクルトマイヤーが愛煙家であるのはアリスも知っている。だが、重度の肺ガンなど知る由もなかった。
「そんな……なのにどうして戦闘なんて?」
『私は、ベッドの上で病人として死にたくない。空でパイロットとして死にたい……ただそれだけだ』
その口ぶりは教師が簡単な質問に答えるように優しく丁寧だった。
「ですが……」
『それに、どっちにしろもって三カ月……この作戦に出ても出なくても、私は死ぬ……だから、私のやりたいようにしてもいいだろう?』
『嫌です……いかないでください教官!!』
「解らない奴だな……私はもう」
『私はさっき部下を失いました。次はあなたを失うなんて……そんなの……』
言いたい事も理屈もわかる。
「俺だって……まだ生きたい」
クルトマイヤーは噛みしめるように言葉を出す。
「生きて故郷へ帰りたい。隊の皆で冷たいビールを飲みたい……妻と息子に会いたい」
悲しい声だった。一年以上の付き合いのアリスですら彼がこんな声を出すなんて知らなかった。
「故郷は今頃寒いだろう……。ミーシャの作るビーフシチューが一番旨い季節が来るのに……私は……」
エンジンの火災警報が鳴り響く。もう、この機体も自分も長くは無い。
「フランベルク中尉……いや、アリス。もし、生き残ってミュンヘンに行く事があったら、家族に伝えてくれ。愛していると」
ガクン、エンジンが止まった際に起きる衝撃がコックピットに伝わる。
『嫌です……いや!!機首を上げて下さい!!』
「そんな悲しい声出すな……せっかくの美人が台無しだ……」
エンジンは黒煙と炎を吹き出し、コックピットが炎に包まれる。普通のパイロットならパニックになって脱出ボタンを引く。しかし、彼は違った。胸のポケットから『ハイライト』の箱から一本の煙草を取り出して、辺りに立ち込める炎で火を灯した。
「うまい……」
死を直前にした顔にしては恐怖の色が無かった。満ち足りた様子で紫煙を吹き出し、煙と共に狩人は消えた。