MISSION41 血戦東京湾
空は青い。
東京の空の下にいるクララの心も陰鬱な青だった。ソ連が臨時の航空基地にした羽田空港の第一ターミナルの屋上で思い出に浸るのが彼女の東京に転属されてからの習慣になっている。
「静かすぎるよ……」
彼女の第二の母語である日本語で胸の内を言葉にした。クララの知る東京はもっと明るく、活気にあふれている場所だった。なのに、今は人っ子一人路上にいない。
「オハヨウ」
「ひゃっ!!」
野太い声が突然クララの背後からして、驚きのあまり素っ頓狂な声を彼女は上げてしまった。
「驚いたか?クララよ」
野太い声にふさわしい体格の持ち主の巨漢――アンドレイ・ペペリヤノフだった。
「驚かさないでくださいよ。中佐……」
「ぐわははは!!驚いたか……今のは日本語の挨拶でな」
豪胆にペペリヤノフは笑う。笑い終わった彼にクララは少し頬を膨らませ問う。
「どうしたのですか中佐、こんな所に?」
「なぁに。任務だ」
「任務?」
「あぁ。悩みを抱えた部下のカウンセリングだ」
「え……?」
ぺぺりヤノフの言葉はクララの胸に衝撃を与えた。
「なら、私は大丈夫です」
「嘘言え。顔に書いてあるぞ『悩んでいます。話を聞いてください』と」
ペペリヤノフは意地悪くも優しい笑みをクララに浮かべる。その笑顔が彼女には申し訳なかった。敵国の血を引く自分に実の家族のように接してくれるカレの好意が。胸を締め付ける自責の念、それに耐えかね彼女は声を上げる。
「中佐っ」
「ん?」
「実は……」
私は日本人のハーフで、本名は山村クララ。敵エース風宮翔の友人である事、それをクララは洗いざらい言ってしまった。自分の居場所を失ってしまうかもしれないという恐怖。言い終わる頃には彼女は泣き始めてしまった。
「ほぉ、日本人のハーフか……それがどうした?」
涙にぼやける視界の中にいるペペリヤノは、いつも通りの厳つくも優しさを内包した瞳でクララを見ていた。
「え……私は敵国のハーフで……」
「だから、どうした?お前はセンカクで、トウキョウで――我らの仲間として戦ったじゃないか?」
意外な反応。ペペリヤノフは続けてクララに言う。
「わしは基本、アメ公が嫌いだ。奴らは人種みたいな小さな事で人を判断しやがるからな。そんな小さい男だとこのペペリヤノフを見ていたのかお前は?」
「い、いえ」
「クララよ、お前にたとえ悪魔の血が流れていようとも、お前はわしにとっての家族だ。お前だけではない。この隊にいるパイロット全員がわしの家族だ」
そう言って彼は、わしゃわしゃとクララの少し色素の薄い金髪を撫でた。自分の愛娘を励ます父親のように。
よけい涙が溢れた。つらい涙じゃない。優しく温かい涙。自分の居場所はここにある。そういった安堵がクララにそうさせたのだ。
「だから泣くのをやめろ。わしがが嫌いなモノはアメ公と女の涙を見ることだ」
「はい……っ!!」
『敵大編隊接近!!航空兵は至急迎撃せよ!!』
神経を逆なでするようなけたたましいサイレン。クララの涙はまだ乾いていないが、この音を聞いた途端に彼女の目の色は変わった。凛とした闘志の色。それを見たペペリヤノフは、にんまりと獰猛な笑みを浮かべる。
「さて行くか。宴に!!」
†
200機の制空戦闘機が翼を連ね、銀翼を茜の光が照らす。その姿は天使のように優美だが、彼らには人に希望を与えることはできない。与えるのは、確実な死だけ。
現在、東京湾ではF/A-18とA-6及びA-13の攻撃隊がソ連の駐留艦隊と激烈な戦闘を繰り広げていると、翔は報告を受けた。
「翔、どうやら敵がこっちに気づいたみたいだ」
後部座席で隼人はレーダーのスクリーンにおびただしい数の後転を発見、翔に報告した。
IFF照合――敵性反応。数は200近い。
「イーグルナイト1エンゲージ。全編隊ミサイル攻撃準備!!ぶっぱなし次第、回避運動を取れ!!」
そう翔は宣言して、マスターアームを解除。武装選択、中距離レーダー誘導のアムラームミサイルを発射体勢にした。
目標選別。
捕捉。
機内にターゲットロックを告げる電子音が鳴り響く。敵を殺せ。殺すんだ、と言わんばかりに。美しくてもF-28は殺人機械なのだから。
「イーグルナイト1……」
翔の手は自然と震えていた。百戦を超えたエースでもこの規模の戦いは恐ろしい。多くの人が死に、多くの人を殺さねばならない戦場が恐ろしい。だが、翔は
「フォックス3!!」
翔は慈悲の心を捨てるようにパイロンに携えられているアムラームを全て撃ち放った。
瞬間のタイムラグ。横一文字に並ぶ戦闘機はそれに続くようにミサイルを発射。
蒸気の尾を曳いてアムラームの群れは編隊を組み終えていない目標へと殺到した。
散開しようにも反応が遅れ、ミサイルの餌食になる者。旋回したものもミサイルに追いつかれ機体と運命を共にする者……この数票の時間で数十人近い人間の命の灯が消えた。
『爆撃隊、開いた穴から突っ込め!!』
「オーライ!!野郎共続け!!」
フランクは酸素マスクをはずし唇を舐め、降下を開始した。
「降下角度を付けすぎてるぞフランク!!」
「るせー。こうでもしないとミサイルに食われる」
気が狂ったかのように回り始めた高度計。
大抵のパイロットはすぐに操縦桿を引いてしまうが、フランクはそうではない。地面とキスする寸前で機首を上げる――それが彼のモットーでもあり対ミサイル攻撃の戦術なのだ。
敵艦の対空砲弾が虚空に炸裂しながらもフランクのワイバーンはひるむ事無く降下を続ける。目的の高度につくのが対空砲の餌食になるのが先か……この先は神しか知らないはずだが、彼は知っている。
「やられるわけねーだろ!!」
幾千も行ったチキンレースじみた急降下、彼はこれには誰にも負けない自負がある。それが彼に生存の二文字を与えたと言っても過言ではない。高度100メートルで機首を上げ、機体を水平に持ってった。
「アリス、ロジャー、グレッグ。生きてるか?」
『ヤー』
全員の声を確認した。
「よっしゃ!!ロジャーはアリスと組め。グレッグ、おめーは俺とだ」
『そんなー自分はアリス中尉が良いです』
「うっせー!!おめーは俺だ。A-4(スカイホーク)隊が沿岸部の対空砲を一掃したら俺らも陸に上がるぞ」
『スカイホーク1!!戦闘機に見つかっ……』
割り込まれた広域無線の声を最後まで聞く事は出来なかった。通信が途絶えるのと同時に数キロ前方で爆発。その爆発はA-4隊の物であることは分かりきってる事。
A-4スカイホークを屠った戦闘機。それは虎柄を模した塗装の施されたMIG39だった。この機体はMIG1.44と呼ばれる試作機を実戦使用に改修された制空戦闘機だ。
そのパイロットは『中華戦線の猛虎』の通り名を持つワン・シューペイ大尉。彼の操縦を一言でいうなれば「獰猛」の二文字に尽きる。狙った獲物は翼がもげても逃がさない執念が彼に91機の連合軍機を撃墜させたといっても過言ではない。
「鴨が沢山いやがる――最高だな、おい!!」
編隊が編隊の意味を成さない。そう比喩出来るように彼は猛り狂う虎のように敵の戦爆隊へ襲い掛かる。すれ違いざまにするあいさつの様に機銃砲弾を放ち、その餌食にした。
「ひゃっはー!!資本主義者にゃミサイルなんざもったいなさ過ぎるぜ!!機銃で十分よ!!」
コックピット内で狂乱の声を上げている最中だった。生意気な敵機がこちらへ向かってくるのを認識したのは。
「見ろよ隼人・・・・・・大阪のおばはんかよ。あの豹柄」
「でも、強いから気をつけてよ。なんせ相手は『猛虎』なんだから」
「わーってるって。危ない虎は駆除しないとな」
翔は軽口をたたいて旋回して暴れまわるMIG39に肉薄し始めたが、彼は内心では警戒の色を隠そうとしていた。血に飢えた虎がひよこ小屋に入れば、すぐに完食されてしまう……速く手を打たないといけない。
接近する目標がF-28だと分かったワンの興奮は一層高まった。そして、見覚えのあるカラーリング、尖閣沖で大暴れした赤線入りのF-28――風宮機だとわかった途端に理性の器が壊れるような興奮、血のたぎり、殺人衝動が体を突き抜けた。
「よう、リジーナ」
同じ戦隊に所属しているリジーナ・カリヤスキー大尉に無線を入れる。
『なんだよ?』
「お前さんの恋人を見つけた!!」
『そこで待ってな!!今すぐ・・・・・・』
彼女が言い終わる前にワンは闘争に酔ったかのように言い放つ。
「いや、来なくていいぞ。俺がやる」
回線を切って、機首を連合軍のエース機に向け加速。そのエンジン音はさながら虎の咆哮のように中空に響きわたる。
イーグルナイトの喉元に喰らい付けそうな距離まで肉薄し、すれ違いざまに機銃を叩き込んだ。
手ごたえ無し。獲物は翼を翻しその一撃を回避したらしい。
「なら――ドッグファイト!!」
回避機動のせいで相手は旋回のタイミングが遅れた。ワンはあっけなく思いつつ、連合軍最年少、最強のエースの背後をとる。背後をとられても何も反応もせず、ただまっすぐに飛んでいる。
「自殺か?人生辛くなったのか!?坊主!!」
引き金に指をかけた瞬間・・・・・・
「今だ!!」
翔は操縦桿を力いっぱい引いた。
機首の一秒もかからずに角度は90°になり、次の瞬間には180°そして真下に目標が見えた刹那とも呼べる瞬間を見逃す事無く翔は引き金を引き絞った。
「何!?」
反応する間も与えられずにワンの最期に見たもの。敵機の芸術的なクルピットだった。放たれた20ミリの機銃弾はボディーと彼の肉体を切り裂き、MIG39のキャノピーを血に染める。
「はは・・・・・・やるじゃねぇか・・・・・・どおりでリジーナがお熱になるもんだ・・・・・・」
その言葉を言い終わる頃には、穴をあけられた燃料タンクから漏れ出た燃料がエンジンに到達し、機体と彼を炎に包む。
「一機・・・・・・撃墜」
翔は誇ることも無く味方に報告した。状況と自分が一人の男を殺したと。