MISSION39 戦士の余暇
2015年 11月4日 午前9時23分
太平洋 第3人工島 格納庫
「風宮中尉、大丈夫ですか?」
少し驚いた様子で、自機のコックピットに身を沈めて、操縦桿のセッティングをしていた冴木玲准尉は格納庫に現れた翔を見て問う。
「あぁ。細胞活性剤のおかげでな……奈々子と俊太は?」
包帯が外された翔の左腕にはただの一つ傷跡も無かった。細胞活性剤は、造血細胞などを活性化する事により自然治癒力を高める薬である。
「二人ならあちらで……」
玲の指差した方向には仲良さげに、弾薬箱を机のように囲んで談笑する二人の姿があった。
「何してんだ?」
「あ、中尉!!これ」
奈々子は弾薬箱の上に置いてあった紙切れを翔に見せる。その紙には、勇ましく羽ばたく鷲の上に乗る三頭身の騎士のイラストが描かれていた。
「上手いな……俊太が書いたのか?」
「え……まぁ、はい」
照れている様子で彼は鼻をこする。
「これ、イーグルナイト隊のエンブレムにしませんか?実は俊太君、漫画家志望なんです」
「やめて下さいよ。少尉」
翔は俊太が書いたイラストを翔はまじまじと眺める。
ヘルハウンズは解体され、自分達の尾翼に書かれた猟犬のマークはもう無用なのかもしれない、と彼は考えた。
「良いな、それ。那琥に頼んでみるわ。良いか?」
翔は俊太に訊く。俊太は虚空を数十秒眺め……
「解りました……良いですよ」
快諾からはほど遠いが承諾。なすようになれ、今の俊太の表情はまさにそれだ。
「じゃ、那琥に届けに行くな」
翔はそう言ってきびすを返し、格納庫を後にした。
日本晴れ。しかし、那琥の表情は曇っていた。エンジンのボルトを締める手を止め、彼女は空を見上げた。
「翔……大丈夫かな?」
不安が混じった彼女らしくない声色だった。こういう時は仕事に打ち込んでモヤモヤを消してしまおう、そう思って彼女は朝の5時からイーグルナイト中隊の戦闘機の整備を行っていた。だが、一向に心の雲はどくことは無い。
「俺がどうしたって?」
噂をすれば影。その言葉を具現化したように、翔は彼女の元に現れた。那琥は驚きのあまり、手に握っているスパナを滑り落とした。
「翔……?」
彼の顔を見た那琥の背筋を冷たいナイフが逆なでた。
鼓動が速くなる。
冷や汗が吹き出る。
申し訳なさで。
「ごめんね。翔」
那琥の心と身体が離れる。脳で考える前に言葉が出たから。
「何のことだよ?」
すっとぼけた返答が翔の口から発せられた。
「前回の戦闘で……私の整備が遅いせいで、翔を怪我させちゃって」
「あぁ。あの事か――気にすんな」
「え?何で?」
「何で?ってお前……俺の腕が奴を倒すのに充分じゃなかった。それだけだ」
この言葉を聞いた那琥の表情の雲から日が少し差し込んだ。彼は気にしていない。それだけでも救いになったかもしれない。でも、それは彼の本心なのか……彼女には分からない。
「んなことより特務だ、少尉。これを中隊全機の尾翼に張りってくれ」
翔は先ほど俊太が描いたイーグルナイト隊のエンブレムを那琥に手渡した。
「わかった。やっちゃうよ!!」
久々に那琥は自分のテンションが高くなったのを感じた。
「明日までに整備及び、エンブレムを終わらせろ。いいな?」
「あいあいさー」
整備バカ復活。腕をぶるんと一振りし、ジープに乗り込みエンジンをつけ
「じゃ、デカール作ってくるね!!」
エンジンの金切り声が聞こえそうな運転で翔の元から去った。
†
エドはブリフィーングルームで一枚の地図と格闘していた。来週行われる、日本奪還作戦――アサヒ作戦の際にイーグルナイト隊の航路を割り出しているのだ。彼は世界トップクラスの航行技術を持ち、地図さえあれば計器飛行だけで世界一周できるとも言われている。
「これだったら最低限の燃料消費ですむな」
第三人工島から東京湾までに引かれた一本の線。それを満足そうな様子で眺めた。
「お疲れ様です。エド君」
彼の作業している机の上にマグカップが載せられた。彼の好物アールグレイの香り。
「ありがとう。アリス」
「いえ」
片手にカップを持ったアリスは屈託のない笑顔をエドに見せた。
「どうですか?航路の方は」
「最短距離を割り出した。これで戦闘機動を通常の15分増しで行えるな」
「助かります。いつも」
「あぁ。俺はアリス達みたいに飛行機を飛ばせない。だから、これぐらいしか出来る事がないんだ。これぐらい当然さ」
「そんな事ないですよ。私達が真っ直ぐ目標地点まで飛べるのはエド君のおかげです。誇りに思ってください」
エドの仕事を正当に評価するのは、この隊では彼女だけかもしれない。いつもはフランクの後部座席で目標の位置を編隊に伝えているが、彼の本当の仕事は陸で行われているのだ。
「ありがとう。アリス」
「こちらこそ……いつも、ありがとうございます」
エドの眼に映ったアリスの頬はどことなく紅潮していた。白い肌のせいでより露骨に赤みが目立っている。
「どうした?顔が紅いぞ。熱があるのか?」
「えっ!?紅くないですよ!!では、ししし、失礼します」
ギクシャクした様子で言うなり、そそくさとアリスは部屋を出て行った。廊下に出た彼女はふと呟く。
「鈍感です」
と。