MISSION37 混戦の空
2015年 10月24日 午前11時23分
太平洋 第3人工島 駐機場
この基地に移転してからの秋月亜衣と吉田光少尉の日課は子供のお守りと言っても過言ではないものだった。
肉親が怪我をして、彼らと離れ離れになった子供たちの遊び相手を主にしている。
今日も10人ばかりの子供たちと鬼ごっこをして遊んでいる。彼女達を子供たちは実の姉のように慕い、なついている。
そんな牧歌的な光景に翔と隼人は出くわした。
「おい、隼人――」
「なに?」
「亜衣ならこの光景は納得いく。なんでガサツさに定評がある光の奴があんなことしてやんだ?」
「さぁ?意外と光って面倒見良いからね」
翔は表情で『嘘だろ?』と言う。
あながち嘘ではない。光は案外子供好きな一面があるのだ。無邪気な笑顔で走り回る彼女の様子を見ればそう思えてしまう。
「あ、亜衣がこっち来る」
二人の存在に気付いたのか、亜衣がぱたぱたとこちらに走りよって来る。お目当て隼人だろう――核爆発しろリア充が、と翔は内心で呟く。
「……二人とも、今暇?」
呼吸を整え終えた亜衣は二人に問う。答えはNO。二人はこれから、F-28のオーバーホールされたエンジンの確認に第三格納庫に行かねばならないのだ。
「わりぃ――俺達」
「うん。暇だよ」
虚偽申告。翔の声を掻き消さんばかりに隼人は答えた。その一言を聞いた途端、亜衣は
「じゃぁ……みんなを集めてくるね」
嬉しそうに走り去った。彼女がいなくなったのと同時に翔は隼人に詰め寄った。
「てめ!!虚偽申告かよ!?」
「ゴメン……」
珍しく、翔に隼人は頭を下げる。翔はしばらく考え結論を出した。
「まぁ、まだ時間はあるし、いつもお前に迷惑かけっぱなしだから良いか」
これは彼の本心だった。空の上でもそうだし、陸でもデスクワークの手伝いをしてくれる彼の頼み聞いても罰は当たらないと思ったのだ。
「ありがとう!!」
彼の顔からは満面の嬉しさが太陽光のように放出され輝いていた。そうとう嬉しいのだろう……。
「お待たせ」
亜衣は子供を引き連れて二人の前に現れた。その光景は、小鴨を連れた親鴨のようだった。
「みんな、ここにいる二人はパイロットで私と光お姉ちゃんのお友達の隼人君と翔君だよ。で、二人も鬼ごっこの仲間になりました」
亜衣は彼女なりに明るく振舞う。翔は、普段は大人しい亜衣にこんな一面があるとは知らなかった。
一方、彼女の言葉を訊いた子供たちは目を輝かせ、異口同音に『かっこいい』『すごい』などと翔と隼人に友好的な眼差しを向けた。
「鬼はだれだ?」
「あんたよ。翔」
「俺かよ!!って、おい!!」
光の一方的な通告。小学校や幼稚園ならいじめに相当するものだ。その通告が発せられた途端、子供たちは楽しそうな声を上げて逃げ出した。
「逃がすか!!」
翔は逃げる獲物を追い回す。ドッグファイトと同じだ。でも、こっちの方が翔としては理想的だ。人を殺さなくてすむから。
熱くなる体。飛び散る汗。聞こえる笑い声。この空間に翔は永住したかった。悲鳴と、憎しみ、そして血しぶき……こんな物に満ちた戦場には戻りたくない。ずっとこのままでいたい。
17歳の翔は戦場なんて行かないで良かったはずだった。普通に遊び、普通に学校生活を送る――そんな年頃だ。だが、冷戦が権力者のエゴがそれを許してはくれなかった。
ゲーム開始から5分。空に異変が起きた。
†
高度20メートル。速度700キロ。冗談のような数値の状況にアンドレイ・ペペリヤノフは自分自身を置く。二人用のサイド・バイ・サイドのコックピットを一人で独占する巨漢は、後続の航空隊に通信。
「ツァーリ1より各機へ、目標の人工島に入り次第爆弾を落として即座に退散するぞ」
『2から4了解』
『5から8了解』
「では、楽しもう。生ある瞬間を」
敵の防空圏内に侵入しても、迎撃機がただの一機も飛んでこない。ペペリヤノフは口元を歪ませ、速度を上げる。
対空レーダーの網には抜け穴がある。高高度の索敵のため、ある程度の仰角を必要とするので、超低空進入する目標を捕捉する事が出来ない。
地上進入。攻撃開始。
翔の感じた空の異変。それは天候ではなく、『音』だった。海岸線から聞こえる無数のエンジン音。そして、その数秒後……自然のもではない、速い物体が通り過ぎたときの風。その風は轟音とともに基地に突風は吹きぬけた。
「敵襲だ!!」
隼人の声。それで、翔は確信できた。
「亜衣ちゃん、光。この子達を安全な場所に」
「わかった!!」
その瞬間、遠くで爆発が起きた。多分格納庫だろう。早く非難しなければ爆撃や機銃掃射の餌食となってしまう。そう危惧した光は子供たちを連れてこの場から逃げようとしたが、亜衣はその場に残っていた。
「亜衣!!何してるの!?」
「理沙ちゃんが。足をくじいたって!!」
倒れこんでいる女の子を亜衣は何とか抱き上げた。
だが、その遠く――約500メートル後方から、機銃の発射音が隼人の耳朶を打った。敵のSu36の機銃掃射の射線に二人が入っていることに彼は気付く。
「亜衣ちゃん!!」
砕かれるアスファルト。立ち込める砂煙。隼人は30ミリの鉛弾で出来た豪雨から二人をかばおうと駆け出す。
跳躍。
隼人は射線から二人を抱くように突き飛ばす。
滞空時間で彼女たちを傷つけないよう自分の背中で着地させる為に、空中で体を横にひねる。
着地。
「かっは」
背中を襲う強い衝撃で空気が肺から絞り上げられ、隼人は咳き込む。今のは痛かった。
「隼人君?」
「怪我は無い?」
「うん。でも、隼人君は?」
「僕は大丈夫だよ。それより、早く逃げて」
「うん」
亜衣は理沙を抱いたまま下敷きにしている隼人から降り、走り出した。それを見送った隼人は立ち上がり、翔に言う。
「行こう。みんなを守らなきゃ」
「あぁ」
二人は駐機場へと走り出した。あの小さな命を守るため。
†
駐機場には5分で到着したが、そこには衝撃的な光景が広がっていた。 自分たちのF-28が無いのだ。
「那琥、どういうことだ?」
近くにいた那琥に翔は問う。
「エンジンが間に合わなかったから、あれに乗って」
彼女が指差した先にあった機体。それはF-14トムキャットだった。40年近く前の海軍機で、速度によって後退する可変翼が特徴的な防空戦闘機だ。
機動性は近代の戦闘機には及ばないが、強力なレーダーが武器である。
翔はこの機体を練習機として、搭乗した事がある。それを考慮して那琥はトムキャットを用意したのだ。
「みんなもう上がってる!!急いで!!」
「わーった」
翔はF-14にステップを猿の様な身のこなしで乗り込み、急いでエンジンを始動した。
整備のかいあってか、わがままと評されたエンジンは機嫌よく回転し、ものの一分で離陸可能な状態になった。
身に染みた習慣にも似た作業を翔は難なくこなす。電源確認。零基点修正。動翼確認。
「いける……!!チョークを外せ!!」
巡航出力。F-14は操縦者の手綱捌きに従い、滑走路へ走る。先日行ったランニング・テイクオフの要領で。
最大出力!!
トムキャットのエンジンはアフターバーナーの輝きを発す。真紅の炎。それに押されるかのように、ぐんぐん加速する。
だが、敵はそれをも許してくれない。
基地襲撃の際に行われるスクランブルで最も危険な時間――それがこの離陸時の加速だ。
地べたを這う戦闘機などただの的に過ぎない。それを狙って、一機のSu36は正面から翔のF-14に向け30ミリの機銃を発砲した。
「翔、上!!」
翔は反射的に左のラダーペダルを蹴り、射線から機をずらした。回避成功、同時に離陸速度に到達した。
「テイクオフ」
離陸。ある程度の高度と速度に達したら、翔は後方へ抜けていったSu36を追撃の為に左へ旋回した。敵もこちらを仕留めようと旋回。ヘッドオンの状態だ。
騎士の馬上槍試合のように突進する2機。翔はその際に背面飛行に移行した。そして、敵機に機銃の照準を合わせ一閃。
弾丸は炎の軌跡を描き、正面から迫り来る敵機を火球へ変えた。簡単に。
「また一機……」
翔は戦勝に酔いしれること無く嘆息した。人を殺して喜ぶのは獣の所業――彼は獣ではなく人間だ。だから、翔は一機落とすたびに自分に戒める。『お前は人殺しだ』と。
「翔、後ろにいる!!」
隼人の警告。それの数秒後に神経を逆なでするようなロックオンアラートがコックピットに鳴り響いたので、回避機動を取ろうと彼は操縦桿を切ろうとする。
『イーグルナイト7援護します。イヤッホー!!』
突然の通信の主はイーグルナイト7――グレッグ・マクファーソン准尉だった。通信から数コンマ秒、翔のF-14の後方にいたMIG29が爆発。彼は危機から脱す事ができた。
「援護、感謝する」
『あれくらい余裕っす』
グレッグのF/A-18Eは翔の左翼に付いた。自信過剰とも言えるグレッグに翔は通信する。
「グレッグ、ロジャーと合流して二機で一機を叩け。良いな?」
『そんな……!!俺一人でも大丈夫っすよ』
「良いから言うとおりにしろ。作戦前に貴重な機体とパイロットを無くしたくないんだ」
『了解』
不服そうな様子でグレッグは左に散開。上方へ舞い上がる。
「良いの?」
「あぁ。もう、仲間は失いたくないからな」
「正直にそう言えば良いのに、ひねくれ者」
「うっせー。んなこと恥ずかしくて言えねぇよ」
翔は上昇反転。混戦の空へと向かった。