MISSION36 第3混成飛行隊
2015年 10月17日 午後3時23分
太平洋 第3人工島 駐機場
甲高い音を立て回るコンプレッサーが、白と青のツートーンカラーリングのF-20Cタイガーシャークのコックピットに身を沈めた冴木玲准尉の腹の中をくすぐる。
F-20タイガーシャークは最高の軽戦闘機と呼んでも過言ではない。F-29には及ばないが、高い旋回性能にパワフルなエンジンを備え、火器管制システムの性能はそれなりに高い。F-16に比べると電子装備などの点で、劣るかもしれないが、この機体の最大の武器は生産性の高さともいえる。故に一度は不採用になったが、数年後に戦乱の長期化でこの機体の利点に目をつけられ、2011年まで現役だった。
『イーグルナイト1より6と5へ、エンジンの調子はどうだ?』
「イーグルナイト5肯定」
彼女の配属先の隊長であり、最年少のトップエースの風宮翔中尉からの通信に彼女は必要最低限の返事をした。
『6良好です』
と同期の村井俊太准尉が微量の緊張の色が混ざった声で応答した。
『じゃ、行くぞ。奈々子、先輩らしくしっかりついて来いよ』
『了解です』
『じゃ、ブリーフィング通り、ランニング・テイクオフの後に高度6000まで垂直上昇。そこから、コンバットマニューバの訓練を行う。良いな?』
『了解』
と3人は異口同音に言う。
――ギアブレーキ解除。
頚木から放たれた銀翼はのろのろと歩き出した。
ランニング・テイクオフは基地が襲撃された際に駐機場から滑走路までのタキシングと呼ばれる移動過程で、離陸の前に一度機を滑走路上で止めずに、そのままアフターバーナーを吹かし、緊急発進を行う離陸方法である。
玲はカーブを最小限の挙動で曲がり、滑走路へ到達。離陸する翔のF-28のジェット気流に巻き込まれないように軸線を少し右にずらす。ジェット気流に巻き込まれたら、翼に変な気流がかかり、コントロールを失い墜落するからだ。
――最大出力
彼女は始めてF-20のエンジンを最大限にする。訓練で乗ったT-38の倍の加速力やも知れないほどだった。
単発のエンジンは業火をたぎらせ、10トン近い金属の塊を加速させる。速く、速く、もっと速く――助走をつけて空に舞い上がる為に。
「V1、V2、VR、テイクオフ」
時速300キロ。離陸速度の臨界点に到達したタイガーシャークは澄み渡る蒼空へと舞い上がる。
『垂直上昇を開始するぞ』
ある程度の速度に到達した時に翔は編隊に指示を出すのと同時に、上昇を開始した。それを追うかのように3機は垂直に機首を上げた。
「ぐっ」
垂直上昇の際にかかる未体験のGが玲の矮躯を締め付ける。訓練機など目じゃない加速力とエンジン出力。今にも気絶しそうだが、呼吸を的確に行い彼女は必死にこらえる。
これが、実機……!!
驚愕のスピードに運動性能。これを1ヶ月で使いこなせるようになるのであろうか。薄れていく意識の中でその不安だけは脳裏に残って離れない。
4000
4500
5000!!
隊長機に合わせ、編隊は水平飛行に移行した。さっきまで狂乱していた三半規管は平常運行に戻り、玲は多少楽になった。だが、訓練はこれから始まる。
『まずインメルマンターンだ』
急角度のインメルマンターンだった。しかし、F-20でも性能的にはついて来られるほどの角度。それに玲は必死に喰らいつく。翔が描いた軌跡を一寸もずれずになぞった。
「おい、見ろよ。隼人」
翔はバックミラーに写ったF-20を感心そうな目で見た。健気にしっかりとついてきているのだ。
「うん、冴木准尉のだね。あ、奈々子と村井准尉が脱落した」
2機は翔の描いた軌跡からコースアウトした。
「かーっ、情けねー。後輩に遅れをとるとはな――奈々子」
『はい……』
「6連れて、基礎練習をポイントBでやって来い。良いな?」
『了解です』
しょんぼりと奈々子は命令に従って、左に大きく旋回。そのまま飛び去った。
『中尉、これは?』
「個人レッスンだよ。ついて来いよ!!バレルロール」
翔は4回転の螺旋旋回を行った。イーグルナイト5はこれもまた成功した。
「玲、聞こえるか?」
『何でしょうか?』
「お前はこんな事しないで良いや。模擬戦やるぞ」
玲は突然の教育放棄に言葉が出なかった。数秒の思考の後、言葉を発す。
『ですが、中尉――まだカリキュラムを……』
「教科書か……まぁ、否定はしないけどよ、一番良いのは実際に体験することだ」
『了解です。ヘッドオンにしますか?』
「いや、この状態でいいよ。こんな事もあろうかとペイント弾を装備させてる。行くぞ」
ドッグファイトが始まった。
「あの子って、翔とは間逆だね」
互いに急旋回を繰り返すシザース運動をしている時に翔は隼人に言う。
「あぁ、俺は教科書クソ喰らえ主義者だけど、アイツは教科書絶対主義者。だから、玲に教えてやらなきゃならないんだ。実戦に教科書はあんまり役に立たないって事――おっと」
F-20の連装式の機関砲から打ち出された、ペイント弾を翔はロールで回避。
「避けた……!?」
玲は驚愕した。距離400メートル。絶対に外してはならない距離からの銃撃を翔が回避したからだ。言うならば、後ろに目があるかのように。ロールを止めた刹那――彼女は再び引き金を絞る。
着弾――ならず。
翔の機体は、アフターバーナーを吹かしながら急上昇した。
「しまったっ」
翔の機体を追い越してしまった。形勢逆転。玲はまんまと翔の手に乗ってしまった。全て見抜かれたかのように。
†
夕日を翼が反射する。
駐機場は機体とバテたパイロット達で占拠されている。
「マジ死にますって。少尉」
アスファルトの上に大の字なって寝転がる俊太はその隣で横になっている奈々子に言った。
「私も……ごめんね。調子に乗りすぎた」
「てか、玲……お前良く立ってられるな」
夕日に照らされる少女に俊太は唖然と感心の目線を送った。彼女は何も言わない。ただ、汗にぬれたショートヘアを手で抄いて、夕日を眺めて考え事をするだけだった。
何で負けたのだろう?
それが堪らなく不思議に思えたから、彼女はF-28のギアを背もたれに休む翔のところへ向かう。
「中尉」
「どうした?」
翔は息一つ上がっていなかった。それどころか笑顔を見せてくる。
「私はどうして負けたのですか?」
翔は思い出す素振りも無く、答えをすぐ返す。
「簡単だよ。教科書に従順すぎるんだよ」
「え?」
「確かに20と28じゃ性能に差がありすぎるかもしれない。でも、あれはそれ以前の問題だ。機銃の撃つタイミング。反撃のための機動。お前のは全部、教科書通りだ。だから、俺はお前の行動が読めた。これは、敵も同じことだ。大体教科書なんてどこいっても同じなんだから」
「教科書を否定なさるのですか?」
「まぁ。そんな所だ。基本を覚えたら、自分で改良する。これが強くなる秘訣だ。覚えとけ」
彼女にとっては翔の思考は自分から離れすぎていた。教官は教科書の事項を徹底的に守るよう教育したが、ここにいる教官はその逆の論を述べたからだ。
「努力します。ありがとうございました」
敬礼。きびすを返し、その場を去ろうとしたが
「玲」
「なんでしょうか?」
翔に向きかえり、玲は問う。
「お前、将来いいパイロットになるぜ」
翔は笑顔で親指を立てている。
翔の言葉と彼の笑顔を玲は一生忘れないであろう。稀代のエースパイロットに認められた事を。そして自分の中にあった常識に新しい風を吹かした彼の言葉を。
†
同日 午後10時34分
この晩、爆撃隊の隊長に翔が任命したフランクとエドと翔はラウンジで話し合うことにした。
「どうだ?そっちは」
翔の問いにフランクは満面の笑みで答える。
「俺が一番だった。爆撃の正確さは」
「お前の事を聞いてるわけがあるか。バカ」
フランクの天然ボケをエドは通例のツッコミで制す。そして、フランクの代わりに話す。
「ニュージーランド出身のグレッグは技術は並だが度胸がある。それに対し、アリゾナのロジャーは慎重すぎる所に難点がある」
常に客観的で冷静のエドらしい見解だった。
グレッグ・マクファーソン准尉は陽気なニュージーランドの出身の白人で、成績はさほど良くないが、爆撃のセンスがあるとのことらしい。それに対し、アメリカのアリゾナ州から来た黒人のロジャー・アダムズ准尉は冷静で正確な爆撃を得意とすると、エドの報告書にはそう書いてあった。
「それで、お前らのセクションはどうだ?」
「ん?一人化けそうな奴がいて――もう一人は奈々子に聞いてくれ」
「職務の怠慢か?隊長殿」
おちょくる様な口調でフランクは翔をからかう。
「お前が言うな。俺に報告書まかせっきりにしてるくせに」
反撃したのは翔ではなくエドだった。本来は描く義務が無いのに彼はフランクの代わりに教養ある文で報告書をいつも書く。有能なデスクワーカーとしてはアリスといい勝負だ。
「明日は全体飛行の訓練でもするか?エド」
「そうだな。散会の訓練もしないとな」
「え~。俺は爆撃訓練したい」
「「黙れ」」
翔とエド連合艦隊が発した言葉の艦砲射撃にフランクは撃沈した。




