MISSION35 西の狩人
2015年 10月14日 午前10時23分
太平洋 第3人工島 駐機場
空は雲一つ無い日本晴れ。翔はする事もなく、愛機の上部装甲から寝そべって眺めていた。空では、甲高いエンジン音を立てながら訓練生達がジグザグに旋回を行う『シザース』と呼ばれる戦闘機動を行っている。
あまりキレの無い旋回を繰り返す彼らの初々しさが翔は懐かしかった。かつて自分はここで訓練を受けていたらだ。
ここに来るのは実に2年分ぶりだ。ここは彼らパイロットにとっての故郷のような場所である。
「翔、おい風宮翔!!」
機体の下から声がした。普段は無線でしか聞かない北条神海の声だ。翔は気だるそうに上体を起こし、要件を聞くことにした。
「んだよ?」
「野崎中将がお呼だ。早く来ないと、軍法会議だぞ」
「へーへーそら一大事で」
そう言って彼は気のない動作でF-28から降りた。だが、引っかかるところがある。それは野崎中将がなぜ自分を呼び出したかである。
神海は基地の司令所の中へ連れて行く。その道中は口を聞きもしなかった。棟内に入った廊下で、気まずい沈黙を神海は破り、翔に
「その――悪かった」
「何が?」
少し訝しい様子で翔は聞き返す。
「前回の戦闘だ――私達がもっと的確に指示を出したら、前線にいるお前達はもっと」
言葉に詰まった。彼の前ではなぜかうまく話せない。申し訳なくて。
「気にすんなって。お前の指示が悪かったんじゃない」
翔は優しく約140センチの高さにある神海の頭に手を置く。
「なっ!!子供扱いするな~」
どうやら彼女の逆鱗に触れてしまったようだ。彼女は翔の手を払い除け、翔の顔面にパンチを叩き込もうとしたが、彼に頭を押さえつけられ、無様に腕をぐるぐると回す結果となった。
「う~あと身長が30センチあれば――」
悔しそうに拳を握り締めたのであった。
†
質素な司令室だった。机に窓、資料を置くための本棚が一つある司令室。翔はその部屋の窓際にひとりの男を見つけた。その男はブラインドから外の風景を眺め、物思いにふけているようだ。
「よく来たね。風宮中尉」
その男は翔の存在に気づいたらしく、振り向き挨拶した。その雰囲気は軍人らしさは無く、ただの予備校の講師にしか見えないが、制服と階級章がその男を野崎進中将というアイデンティティを翔に示した。
「風宮中尉、参りました」
儀礼的な敬礼を翔はした。それに野崎は返礼。
「そんな硬くならないでくれよ。別に説教をするんじゃないんだから」
「はぁ――」
「君を呼んだのは他でもなく、頼み事をしたいんだ」
翔はきょとんとした。海軍のトップに近い階級の彼が一士官の自分に頼み事なんて――
「1ヶ月後に、反攻作戦を行うつもりだ。そこで、君に一個混中隊成隊の指揮を取ってもらいたい」
「え?」
一個中隊は戦闘機8機の戦闘単位の事である。それを野崎は翔に指揮しろと言っているのだ。
「何故自分が?」
「僕は君の東京での戦いを見て思ったんだ。君ならできるって」
「ですが――自分以外に良いパイロットがいますよ。望月中佐とか」
「彼はもう歳だと言って辞退した。184で指揮をとれるのは君だけだ」
ヘルハウンズはほぼ壊滅した。残ったのはイーグルナイトの4機だけだ。
「仮に了解したとして、自分は誰の指揮をとるんです?どこにパイロット達がいるんすか?」
その問いに野崎は苦虫を噛んだような表情を浮かべて答える。
「ここで……訓練している……兵士だ」
「そんな!?あいつらはまだ実戦のじの字も知らないような奴らですよ!?なのに」
「軍本部からの命令だ。彼らを戦線に出してでも東京を奪還しろ。との事さ」
「んなバカな!!」
「そう。馬鹿なことだよ。大人の始めた戦争に未来ある君たちを巻き込むなんて……だけど、いい事もある。今日の午後あたりに第83航空隊『黒薔薇隊』が増援で来てくれるらしい」
翔はその名に聞き覚えがある。いや、パイロットなら一度は聞いた事のある名前だ。第83航空隊シュワルツローザとはヨーロッパ戦線で多大な戦績を残すエリートパイロットが集まる飛行隊だ。
「彼らが来れば多少マシになる。これは本部からのせめてもの贈り物らしい――そんな事より、やるの?やらないの?」
翔は考える。自分に新兵の指揮を取れるのかを。彼が小隊長の役を担えたのは、隊員がある程度の練度と経験が有るのが理由としては大きい。だが、今度は新しく実戦を知らない新兵4人を率いなければならない。
考えること5分、翔は軽いため息をついた。
「解りました。やります」
「ありがとう。気休めかもしれないが……君ならできると僕は思う」
肩から荷が降ろせたような表情で野崎は翔に礼を述べた。
†
昼食を済ました翔は自分の機体の整備状況を確かめる為に駐機場へ向った。駐機場はさながら博物館のように旧式の戦闘機達が並べられ、来月行われるであろう作戦の為に整備されていた。
その一角、F-28の整備ブースでは那琥がC型の215号機、アリスの機体のエンジンをせっせと整備していた。
「前回の戦闘で大分痛んだね……ラインハルトのエンジン」
那琥はエンジンの脇で整備の様子を見守っているアリスに言う。ちなみに『ラインハルト』とは那琥が勝手にを与えた名前で、理由はアリスが西ドイツから来た故にドイツ系の名前のほうが好ましいとの事だ。
「ごめんなさい。無茶させ過ぎましたから――」
「良いのよ。あれは仕方ないし、アリスはいっつも機体を優しく扱ってるからね……どっかの変態の童○野郎の一番機とは大違いで――」
「あ、翔君です」
「い!?」
恐る恐る視線を、官舎の方角へ向ける。案の定翔はいた。殺人的な笑顔で。その距離約2メートルだった。腰を抜かし動けなくなった彼女に翔はつかつかと歩み寄る。
「弥生准尉……」
「はひ!!」
ドスの入った声に恐怖したか……那琥は声を上ずらせた。背筋を伝わる悪寒と冷や汗。恐怖の二文字しか感じられない。
「貴官は上官侮辱は厳罰である事を知って――あのような発言をしたのか?」
「え?何の事かな?」
とぼけた様子でそっぽを向く那琥の後ろへ電光石火の如く回り込み、彼女の両のこめかみを中指の第二関節でドリルのように穿ち始めた。
「痛い痛い!!」
「うるせえ!!本来なら軍法会議に掛けた後に射殺モンだぞ!!それに、俺の落とした女は撃墜した敵機より多いんだぞ」
もちろん嘘である。そして、悲鳴を上げもがき苦しむ那琥を見かねたアリスは翔に制止をかけた。
「乱暴は良くないですよ!!翔くん」
「うっせー教育じゃい!!俺の名誉に関わる問題で――」
「それは機体を優しく扱わない翔君がいけないんです。それに……貞操を守る事はむしろ誇りに思わなくては!!」
翔はドリルを止める。アリスの発言が彼の思考の遥か上を行ってしまったからだ。
「みだらな関係は主は赦しません。だから、翔君は正しいのです。なのにどうして怒るんですか?」
さすがは道徳の双璧……言うことが違う。翔は心の声帯を震わした。ちなみにもう一人は亜衣である。
「わーった。俺が悪かったよ」
「解ればいいの」
那琥は反省した生徒に言葉を掛けるような先生の口調で翔に言葉を掛けた。事の発端は自分にある事を忘れたかのように。
「あぁ……ってお前!!」
翔は報復攻撃を掛けようとしたが、それは中断された。遠くから響くエンジン音に。
「このエンジン音って……ユーロファイター3000『疾風』!?」
那琥はエンジン音を聞いただけで機体を判別した。
「何でわかんだよ?」
「28のエンジンはキーンでシュトゥルムのエンジンはもっとこう……キーンってしてんの。パイロットなら判るでしょ」
「判んねえよ!!」
「とりあえず見にいこう!!」
那琥はそそくさと機材を運搬したと思われるジープに乗り込みエンジンをかけた。翔はあまり乗り気ではなかったが、アリスは違った。急いでジープの助手席に乗ったのだ。
「しゃーない」
暇つぶしにちょうど良いと判断した翔は後部座席に乗り込んだ。
「いっくよ~!!」
早速フルスピードでぶっ飛ばした。普段は音速の世界でスピード慣れしているアリスと翔だが、さすがに体感速度が違いすぎて軽く恐怖する。
「那琥さん!!飛ばしすぎですぅ~!!」
「良いのよこれぐらいが!!おっとカーブか」
カーブがあるのにも関わらず彼女はスピードを落とさずに突っ込む。コースアウトする寸前で那琥はハンドルを切りがりながらブレーキし、ドリフト走行を敢行した。
「いっやほぉぉおおおぉお」
那琥は完全にイッてる。アリスは悲鳴を上げる。翔は声にならない悲鳴をあげた。
そして、五分間におよぶ地獄のドライブは滑走路に到達するのと同時に幕を閉じたのであった。
「ここからだったら着陸が見られるね――どったのお二人さん?」
那琥ダウンした二人のエースパイロットに声を掛けた。
「お前……パイロットの素質あるぜ」
「私もそう思います……」
海軍のトップクラスの戦闘力を持つ二人に、その操縦技術を評価された整備士だった。
「あ、着陸するみたい!!」
陽炎越しに見える漆黒の機影。一機、また一機と、その脚で人工の大地を踏みしめる。
その機影は、F-28より一回りほど小さく、双発のエンジンに、バラのマーキングが施された垂直尾翼に水平尾翼の無いデルタ翼が特徴の黒い機体だった。
EF-3000シュトゥルム。
この機体はEU勢が開発した軽戦闘機で、対空及び対地攻撃で高い性能を持つオールアラウンドファイターで、前線の兵士からは高い評判である。
「凄い……タイガーⅡやトムキャットだけじゃなくて、この基地にはこんなレアな機体が……感激ぃいいぃ!!」
那琥は異様なテンションで跳ね回る。戦闘機マニアの彼女にとってはこの基地は天国に近い場所なのであろう。
「お、パイロットがこっちに来てるぞ」
遠すぎて顔ははっきりと分からないが、パイロットスーツの男がこちらに歩み寄っているのが翔には確認できた。
「え……!?」
アリスは男の姿を見た途端、驚きで目を間開いた。普段は冷静な彼女がこんな表情を見せるのかと、翔も少し意外に思った。
そして、その男は3人の前で立ち止まる。
こちらに来た人物は、引き締まった肉体を持つ体つきが特徴的で、整端な顔立ちと短く刈りこんだ金髪、透き通るように鋭い青い眼を持つゲルマン系の男だった。
「第83航空隊隊長ヨアヒム・クルトマイヤー少佐だ。貴官らに聞きたいのだが司令官ははどこに?」
階級を聞くなり3人は敬礼した。上官の前で敬礼するのは軍人の最低限の礼儀作法である。クルトマイヤーと名乗った男は、3人の顔を流し見している途中、左端で敬礼するアリスの顔を見て、眉を吊り上げる。
「アリシア・フォン・フランベルク准尉か?」
「はい。お久しぶりです。クルトマイヤー少佐……あと、今は中尉です」
「すまない……教官時代の癖でな。そこの二人は?」
クルトマイヤーはアリスに問う。
「彼女は私の隊の整備士の弥生准尉にパイロットの風宮中尉です」
「カザミヤ……イーグルナイトの?」
「はい。第184航空隊所属、風宮翔であります」
答えたのはアリスではなく翔だった。その瞳には畏怖の念が宿っていた。
ヨアヒム・クルトマイヤー。通称『狩人』と呼ばれ、ソ連の白狼ことロアニアビッチと対比されるエースパイロット。その実力は連合随一で、撃墜数117機。
「貴官があの――会えて光栄だ。私の教え子がお世話になっている」
自分より下の階級のパイロットにクルトマイヤーは礼節を持って接した。彼はパイロットとしての技術だけではなく人間性も優れていると翔は感じ取れたが、同時に彼の周りを取り巻く冷たい何かも感じ取れた。
いくつもの戦場を越えた猛者の気迫。空の生態系の捕食者としての雰囲気。血を浴びた者にしか解らない臭い。そう――同族の臭いだ。
「どうした?」
理由も解らずに立ち尽くす翔にクルトマイヤーは問うた。
「え……あ、すみません。少しぼうっとしていました。司令所まで案内しますよ」
「あぁ。助かる」
そう言って、翔はクルトマイヤーにジープの席を勧めた。さっきの運転で那琥はまずいと判断した翔は、運転席に乗り込み、車を出した。




