MISSION34 落日
同日 午後18時46分
東京湾沖 空母J・グラフトン 司令室
日本は確実に陥落する――野崎進はもう理解していた。戦略的な不利を戦術で塗り替えるのは不可能だと彼は解っているのだ。だが、その中でも出来る事があると信じ、戦い続けている。
「中将、本部から通信です」
「あぁ。今出る」
野崎は重い腰を上げ、通信士の青山准尉から通信機を受け取った。一瞬のノイズ。その後に聞こえたのはノイズより聞くに堪えない、海軍司令長官の声だった。
『戦況は?』
「はっ。極めて防衛が困難な状況であります。増援が来てくれれば話は別なのですが」
『増援』の語に彼は皮肉と力をこめて言った。
『増援は無理だ。現状の戦力で対処せよ』
ふざけるな。お前が無能なせいで何人のパイロットが命を落としたと思っているんだ?彼はそう心の中でつぶやく。
「敵は東京の89パーセントを占拠しました……陥落は目前です。増援が来れば巻き返せます。もし、送らないのなら、私は第三人工島まで後退します」
『撤退は許可できない。ここで食い止めなければ、我々軍部の威信が……』
その言葉は一種のゴーサインだった。自分より上の階級の人間だから、これまで理性の効く範囲で反抗してきた。だが、この一言でそれをしなくて良いと彼は判断した。
「お言葉ですが閣下……あなたの無能さにはもう、うんざりしました」
極めて穏やかな口調だった。穏やかすぎて、司令長官は言葉の真意を理解するのに数秒間はかかった。
『なっ……貴様!!上官侮辱罪だぞ』
「侮辱なんてめっそうも無い……私はただ事実を隠さずに述べたまでであります」
『何だと?』
「だって無能じゃないですか?初期段階で敵の作戦さえ看破すればこんな事にもならないし、主戦力を尖閣に総出させるなんて愚の骨頂。あと軍の威信?そんな誰も得しないエゴの為に最前線の年端も行かない少年たちが命を掛けて絶望的な戦局を覆そうと命をかけてるんですよ。あなたのような人を無能と呼ばず、誰を無能と呼べば良いのか自分には見当もつきません。以上であります」
『貴様ぁ……軍法会議に!!……』
再びノイズ。今度は通信を切った際の永遠のノイズだった。犯人は皆目見当がつく。
「北条少尉。また君か」
「はい。あのおっさんの声がどうしても好きになれなくて、というか生理的にムリだったので回線を眠らせました」
「全く以って同感だ――青山准尉。市民の避難はどれくらい完了した?」
「はい、沿岸部の一部住民以外はほぼ――」
「理由は?」
「空襲でレインボーブリッジや、高速道路、あとフェリーが破壊され3000人ほどが身動きが取れないとの事です」
報告を訊いた野崎はしばらく考え、指をパチンと鳴らし何かを合点した。
「わかった。准尉、艦長に伝達してくれ。東京湾に入港して残った市民を収容すると」
「はい」
そのまま未来は伝令の為に自分の座席に戻り、艦長に伝令をした。
「それと、北条少尉」
「はい」
「イーグルナイトや防空任務に上がった兵士たちに撤退命令を出してくれ」
「え!?ですが……」
「いいからしてくれ。ここで彼らを失えば、この艦隊の防空に誰がつく?」
声は至って冷静だった。だが、神海の瞳に映った野崎進は悔しさと怒りで震えていた。ここで取り乱しては、兵士に不安を与えてしまう。そういう考慮が神海には感じ取れた。そして彼女は……
同刻 東京上空
海軍最強は世界最強には勝てない。自分の目の前に立つ壁の大きさに翔は愕然とした。狼に刈られる哀れな子羊、それが今の自分だと理解した。
「畜生……吹っ切れねぇ」
鋭角の旋回。白狼は翔の動きを読んでいるかの如くそれを上回る鋭角さで旋回した。
Su39、ソ連がF-28と29に対抗するために製造した制空戦闘機。その格闘性能はF-29をはるかに上回り、この二機に対する勝率は90パーセント近い。そのため、前線の兵士からは『竜殺し』と呼ばれている。
それと世界最強が乗っているのだ。技能と性能が上回っている……これは一種の死亡宣告のようなものだ。
「その程度か?海軍最強のパイロットは」
ロアニアビッチは前方の獲物を見て冷笑した。
「どれ……高いおもちゃを見せびらかして、エースを気取る生意気な子供に灸でも据えてやるか」
彼は操縦桿の武装選択スイッチで機銃に設定。その照門を照星を翔のF-28に合わす。左右上下に動く目標。だが、彼は見失わない。照準もずらさない。そして引き金を絞る。
「機銃!!」
「くっそ!!」
翔は操縦桿を右に倒し、ロールで降りかかる雨のような火線をよけていく。当たらないでくれ、祈るような気持ちで回避運動を翔は続けた。
『現空域の航空部隊に告ぐ。直ちに撤退せよ』
突然の神海からの撤退命令が下された。翔は操縦に集中しているあまり聞き取れなかったが隼人は聞き取れ、驚愕した。
「撤退!?どういう事なんだよ。神海」
『聞こえなかったの?撤退命令が下されたの』
「そんな事したら……東京――いや、日本はどうなる!?」
翔は現状を把握し、隼人と神海の会話に割って入った。ここで退却したら日本で戦える航空機は事実ゼロになる。そうしたら確実に日本はソ連領になるのは目に見える。
『聞いてくれ。イーグルナイト1いや、風宮中尉』
聞き覚えのある声がスピーカーの向こうから聞こえた。隼人はその声を野崎進の物と知っていた。
「野崎中将?」
『あぁ。悔しいけど東京はもう敵の手に落ちたも同然なんだ……君ほどのパイロットがここで命を落とす意味は無いんだ』
「納得行かねぇ……俺たちは何のためにこんな事してきたんだ!?」
翔は怒りをあらわにした。多くの仲間がこの戦いで死んだ。ヘルハウンズの生き残りもほぼイーグルナイトだけ……その彼らの犠牲を無下にしなければならない。そう思うと内臓が煮え返るほど、悔しい。
『だから聞いてくれっ……こんな決断、僕自身納得いかない。でも、生きてば反撃する機会があるんだ。その機会を死んで失うつもりなら、残っても構わない。もし、帰ったら約束する。絶対に日本を取り戻すって』
悔しいのは皆同じ。負けて悔しくない人間なんていない。翔は冷静な心を取り戻し、野崎に答えた。
「了解……退却します」
悔しさが音になったような声だった。悔しさにつぶされる前に、翔にはやるべき事がまだ残っていた。後ろにいる、ロアニアビッチをどうにかすることだ。
「翔、5時方向から一機がこっちに来る」
「なんだ?」
「そこの機体、どうした?」
隼人は大編隊用の回線を開き、その機体に呼びかけた。
『ドラゴン1より、イーグルナイト1へ……撤退するんじゃて?』
かえって来た声から、そのパイロットは老兵だった。
「あぁ。あんたも早く逃げろ」
『抜かせ小僧。これからお前を援護する、その隙に逃げるんじゃ』
「何いってんだじいさん!?あんたに何が……」
翔はその老兵を制止しようと声を荒げた。だが、老兵は答える。
『わしはこの先が無い老人。お前さんは前途有望な若者……天秤はどっちに傾くか解るじゃろ?』
「だけど、じいさん相手は最強のエース……」
『わしとこのファントムとて幾度の死線を超えてきたんじゃ……白狼だが何だか知らんが、わしがやってやる』
その老兵は死を覚悟している。翔は薄々感じ取り、彼に告げる。
「幸運を……じいさん」
『閻魔さんに会うのはまだ早いからの……まぁ、頑張るわ。あと、小僧たち――死ぬな。行きてれば良い事があるからの。お前らの5倍は生きたじじぃの言葉じゃ、信じても損は無い』
「はい……」
「ロックオンだと?」
この電子音とは無縁だったロアニアビッチは少し驚く。どこからかと、彼は振り向いて敵機を探した。白狼に牙をむくのは空飛ぶ化石のようなF-4ファントム。ロアニアビッチは反転旋回。思い上がった敵機のパイロットを屠らんとする。
「翔!!今だ」
「あぁ」
老兵が作った隙に翔は左に旋回し、海――停留している空母J・グラフトンへ……海へ向う敗残兵はどんどん増えていく。残ったのはイーグルナイト隊とF-15が3機。
完全な敗北だった。
傷ついた翼たちが夕日を反射する。イーグルナイト隊の初の敗北。そして日本の初の占領……
この一時間後、空爆から生き延びた東京タワーにソ連の赤い旗が翻った。
西暦2015年 10月9日 午後9時01分
東京陥落
ソ連の電撃戦が功をなし、ソ連はアメリカ攻略の橋頭堡を確保したのであった。