MISSION32 故郷の空で
2015年 10月9日 午前8時11分
東京湾沖 空母J・グラフトン
「まわせーっ!!」
飛行甲板にジェットエンジンの協奏曲が鳴り響く。高まるタービンの高音。アフターバーナーの低音。聞くものの耳潰さんばかりの演奏だった。その奏者達は持てる限りの対空武装をして、飛行甲板から次々と大空へと舞い上がった。
つい先ほど、日本の東北地方に設置されたレーダーサイトは200機を越す敵性反応を拾い上げた。光点のサイズは輸送機や戦略爆撃機がほとんどを占めており、これは本土攻撃を意味するとしか取れない。
『イーグルナイト隊、カタパルトへ』
航空管制の北条神海の透き通った声が、イーグルナイト隊の隊員全員の鼓膜を揺すった。
「那琥、もう時間だ。整備、ありがとう」
イーグルナイト1、風宮翔は整備を担当する弥生那琥に告げた。
「あいよ~今回もばっちし!!がんばってね」
翔に二本指の崩した敬礼をして、那琥はF-28Dのステップを身軽な様子で降りる。
「隼人、レーダーとFCS(火器管制システム)の調子は?」
「良好。何キロ先でも見えそうなくらいに」
「よっしゃ。行くか」
エンジン点火。胴震いのような振動が機内に走る。腹の中を揺るがすエンジンの咆哮、それは空に生きる男たちに安らぎを与える。
『イーグルナイト1、第一カタパルトへ』
「了解」
エンジンの回転数がある程度高くなると翔は出力を上げ、タキシングを始めた。右舷第一カタパルトへ火竜は空で出すスピードの500分の1のスピードで飛行甲板の上を這うように進む。
誘導員の停止サイン。
カタパルトに連結されるギア。
後は発艦サインを待つだけ。
「今回もヤバい戦いになりそうだね。200対43でしょ?テルモピレーノ戦いよりもこっちの方が不利だ」
テルモピレーの戦い。隼人の例えはあながち間違いでもなかった。
古代ギリシャで300人のスパルタ兵が数千人以上のペルシャ軍を相手に奮闘し、全員が討ち死にした戦い――それがテルモピレーの戦いだ。
前回の戦闘で、在日兵力と空母の兵力を総動員した結果、多大の損害が出た。そして、大体部を占める戦力は尖閣諸島で敵に包囲され、身動きがとれずにいる有様だ。
「そうだよな――敵がバカみたいに多い。でも、俺たちがやらないと市民が危ない……それだけは防がないといけない」
翔は脳裏に爆撃の記憶がよぎる。自分の故郷と第7人工島での様子――それが翔の脳内で交わり、ぐちゃぐちゃになった。しかし、翔は雑念を捨てて思考をクリアにするために頭を振り、忌々しいノイズたちを脳内から追い出す。
『イーグルナイト1、発艦を許可する』
「了解」
翔はエンジンの出力を最大にする。腹の中をくすぐるような振動が搭乗員の神経をくすぐる。早くしろ。早くサインを出せ。ワイバーンが訴えるかのようにアフターバーナーを赤々とたぎらせる。
そして……通例のサイン。通例の衝撃。
これは離陸と言うより、投擲だ。15トンの金属の塊を空高くぶん投げるのだ。
胃や肺を締め上げる加速はいつやっても慣れない物だが、翔はこの瞬間が一番高ぶる。
蒸気と炎を曳きながら大空へ翔と隼人を乗せたF-28Dは飛び立った。
†
鉛色の空。雲の下から見える都市街は壮観なものだった。避難勧告が出ているせいで、町はもぬけの殻になっていて、静寂が支配していた。町のいたる場所には陸戦用のバリケードや戦車が目に入り、これから起こる戦闘を示唆する。ここは戦争を放棄したはずだった国の首都。
『ヘルハウンズは豊島エリアの防衛を』
神海の通信が第184航空隊に入った。豊島エリアは経済の中心で人口密集地帯でもある。ここの陥落は、資本主義連合の経済システムに多大なダメージを与える事が計算される。
「第3人工島の増援は?」
『望めない。書類の手続きに手間取って』
翔の問いに神海は絶望的な返答をした。現在、日本の防空の任についているのは、F-28が16機、F/A-18が17機にF-15が10機の合計43機。彼らの唯一の希望は第3人工島の航空兵力だった。
第3人工島は硫黄島の近海に作られ、面積は東京23区と同じくらいだ。そこには訓練基地や航空基地、そして旧式の戦闘機が保存されている。この航空戦力が増援に来てくれれば何とかしのげそうだったが、その希望は泡のように消えた。
小国並みの航空兵力で、迫り来るソ連という大国の大編隊を相手に取るというのだ。文字通り一人一人が一騎当千をしないと勝ち目など無い。
『絶体絶命……逃げちゃだめですよね?』
後続の宮島奈々子は不安の色に満ちた声を出した。撃墜スコアが3機に増えても、彼女には自信がなかった。
『何言ってやがる日本人。テキサスのイカしたアメリカ人もこの国とこの町を守りたいって思ってんのに』
フランクだった。生まれた国が違っても、仲間の国を守りたいと思うその気持ちは翔や日本人系のパイロット達を喜ばしく感じさせてくれた。
『イカれたテキサス野郎の言うとおりだ、奈々子。俺達は命令だけでこの防空作戦に参加してるんじゃない。この国には世話になった人たちが沢山いる。これは俺達が出来るせめてもの恩返しだ』
エドは以外に義理堅い一面があることを、この瞬間にイーグルナイトの全員は知った。
『日本は私達――太平洋戦線部隊のメンバーにとっての第二の故郷です。故郷の為に戦わない兵士はいませんよ』
みんな同じだった。肌の色、国籍、何もかもが違うイーグルナイトのパイロット達は異国の大地を守る為に、その命を懸けようとしている。
『みなさん――ありがとうございます』
奈々子は涙声だった。翔はそんな奈々子に
「このせっかち、泣くのはまだ早いぞ。戦いが終わったら泣きすぎて脱水症状でぶっ倒れて良いけど、今されたら迷惑だ」
『はい。隊長』
「敵の大編隊が豊島エリアに侵入した!!数は……80」
平和な時間は終わりを告げた。隼人の報告を聞いた少年達はその瞳を戦士の物へと変え、臨戦態勢に己の精神を持っていった。これから、大空戦が始まる。
「訊いたな?各機、アブレストに移行した後にアムラームを撃て。そんで、敵の反撃を切り抜けたら各自散会して迎撃するぞ!!」
『了解』
皆、声をそろえて返答、そして横一文字編隊を組む。
「見えてきたぞ――」
空を覆うような編隊。これほど今の敵機の数を修飾するのにふさわしい語は無い。秒針が進むのにつれ、そのシルエットははっきりとし始めた。輸送機と戦略爆撃機の大編隊だ。この町に爆弾を落とした後に、パラシュート部隊を降下させる魂胆なのが見て取れる。
少ない航空戦力と地上部隊。確実に東京は落ちる。皆、うすうす感じたが誰も口に出さない。市民を逃がすための盾、敵を撃ち滅ぼす剣とならんと決意を固めているからだ。
しばらく後、運命の瞬間は訪れた。敵がこちらの射程に入ったのだ。翔は、己を奮い立たすように声を張る。
「イーグルナイト隊、エンゲージ!!敵に日本の土を踏ますなよ」
『2了解です』
『3ラジャー』
『4了解』
――ターゲットロック。
翔の眼前にあるHUDには8つのシンボルが投影される。距離は十分。増槽を装備していない故に、AIM-120は合計8発、AIM-10は4基と対空装備は充実していた。
「花火を上げるぞ――撃て!!」
翔の合図でイーグルナイト隊は計32発のミサイルを一斉発射。放たれたミサイルは殺意の軌跡を描き、目標の大型航空機の群れへと殺到した。
数十キロ先にまばらな死の閃光が東京の空に輝いた。燃え上がり、力なく落ちていく翼。それと共に死の淵へと落ちていく敵兵――東京は憎悪が渦巻く戦場へと変貌したのだ。
破壊と殺戮は、ソ連の攻撃隊だけが被害者だけではなかった。護衛の戦闘機が放ったミサイルを回避できずに連合軍の数少ない戦闘機は住宅街に墜落。多くの民間人を犠牲にした。
「ミサイル5基接近!!」
知ってる。翔は隼人の警告を聞き流す。翔は火竜の手綱を巧みに操りミサイルを振り切った。全員が一段落ついた事を確認した翔は無線で告げる。
「アリスと俺で戦闘機を落とす。フランク、お前は奈々子を連れて爆撃機と輸送機をやれ。各自攻撃!!風の導きがあらんことを」
翔はアリスと共に前衛を担う敵戦闘機隊の編隊に猛進。敵は20機に対しこちらはF-15を含め9機――明らかに不利だ。
「アリス、不安か?」
慎重論者のアリスに翔は問う。
『いえ』
返事はNOだった。彼女は恐れていない。いや、どこかその声には自信の色に満ちていた。
『翔君と一緒なら死ぬことはまず無いって――そう信じてます』
アリスは、翔に絶対的な信頼を置いている。深い理由は無いが、彼となら負ける気がしないと論理的な思考を無視して、そう思えてしまう。
『やりましょう。イーグルナイト1』
「あぁ。イーグルナイト2」
二騎のワイバーンは炎の軌跡を描き、迫り来る敵の編隊に猛だけしく突撃する。
「行くぞ!!」
翔は戦の前のときの声を上げんばかりに独語した。絶対に守る……自分を育ててくれたこの大地を。