MISSION30 列島の翳り
2015年 9月28日 午前6時23分
東シナ海
霞がかった東シナ海の海面を数多のスクリューが切り裂く。100を越すソビエト海軍の艦隊がその進路を東へ向け、悠然とその艦体を連ねていた。そ
その中の一隻、最新鋭の空母クトゥーゾフ級空母の二番艦『ウラディミル』の中では、アンドレイ・ペペリヤノフ中佐率いる第13航空隊のブリーフィングが行われていた。
「諸君、今度の作戦だが――我々が真の獲物を攻撃する。それに際し、攻撃部隊の編成の発表をする。これが、集まってもらった理由だ」
ペペリヤノフは勇猛かつ選りすぐられた猛者達に視線を移した。そこには、撃墜スコア72機の『シベリヤの雌豹』ことリジーナ・カリヤスキー大尉やソビエト最強とも言われる121機撃墜のミハエル・ロアニアビッチ少佐などの腕選りのエースが顔を連ねていた。
「第一小隊はこの俺だ。第二小隊ロアニアビッチ少佐、第三はカリヤスキー大尉、第四はワン大尉。以上だ。異論はあるか?」
ペペリヤノフは辺りを見回す。顔に生々しい傷を負った男、ワン大尉は不服な顔をして挙手をしていた。
「どうした?ワン大尉?」
「何で、あんなお嬢さんがいるんですか?」
彼の指先は、まだ幼さの残る金髪の女性パイロットに向けられていた。
「クララのことか?」
「はい。今回の作戦にこんなお嬢さんを出すなんて彼女のため――いや、俺たちのためになりませんよ」
「つまり……あんたは彼女の腕が未熟だと言いたいのかい?」
座っているリジーナが突っかかった。
「あぁ。スコア6のガキが戦場に出て足手まといになるって言いたいんだ」
「ふぅん。でも、良い事を教えてあげる。コイツは確かに経験が少ない――でもね……少なくとも経験とスコアのだけのあんたよりはよっぽど使えるよ」
「何だと?もう一度……」
「やめないか」
乾いた声がワンの声を遮った。顔に生々しい傷を負った男、ロアニアビッチの声だった。
「空じゃ、年齢にはクソの値もつかない。強いか弱い、ただそれだけだ。違うか?若いの」
ロアニアビッチはこの隊での最年長者の45歳だ。そんな彼からすれば、ワンもただの若造に見えてしまうのだ。
「少佐の言うとおりだ、ワン。クララは、あの尖閣海戦で生き延びた一人だ。腕なら俺が保障する。他には?」
その言葉を訊いてワンは引き下がった。
一方で、その言葉を訊いたクララ本人は嬉しさのあまり赤面してしまった。普段は鬼のように厳しいペペリヤノフ中佐が自分をそんな風に思ってくれていたことが嬉しかったのだ。
「以上だ。解散」
号令とともに隊員は起立。そして筋骨隆々の指揮官に敬愛の念をこめて敬礼し、解散した。
「中佐――」
子犬のような少女がペペリヤノフの名を呼ぶ。さっき話題にもなったクララ・ハリヤスキー少尉だ。
「どうしたクララ?」
「その……私はこの飛行隊のお荷物になっていないかって思えてしまうんです」
ソ連の偉大なエースに囲まれた一人の新米。彼女は周りの山の大きさのあまり自分が小さく見えてしまうのだ。
だが、彼女の抱いた小さな不安を山のような大男は笑い飛ばした。
「ぐわはっははは!!クララが荷物だと!?空飛ぶ荷物があの地獄のような尖閣の空を生き延びれるわけが無かろう。たとえそうだとしても、俺やリジーナがお前のことを担いで飛んでやる。それが仲間という奴だ!!」
「ですが……」
「ロアニアビッチの言葉のとおりだ。お前は若いし経験が少ない。だが、実力と神の加護を兼ね備えたパイロットだ。お前なら生き延びられる!!これはお前の人生の倍生きた人間の言葉だから、信じて損は無い」
「はぁ」
「返事はしっかりしろ!!」
「は、はい!!」
「よろしい。しっかり英気を養え、少尉!!」
「ありがとうございます」
一礼して、クララはペペリヤノフの前から去る。部屋に残ったのはペペリヤノフだけになった。
彼はおもむろに葉巻をくわえ、支給品のハンマーと鎌が交差されたマークを持つジッポライターで葉巻に火をつけた。
「日本攻略作戦か……胸が躍る」
煙を吐いて、彼は低く笑いを漏らした。
†
同日 午前11時43分
太平洋 空母J・グラフトン
「ん?どうしたんだい大佐?」
緊迫し、狼狽した状態でオフィスに駆け込んだ初老の副官とは正反対に野崎進中将は緑茶をのん気に飲んでいた。
「ソ連の大艦隊が尖閣諸島に航路を!!」
「それは本当か?」
「はっ!!軍事衛星が撮影しました」
証拠品の写真を彼は野崎中将のデスクにばら撒くように置いた。それを野崎は拾い上げ、5分くらい眺める。
「大佐、彼らの目的は尖閣かい?」
「はっ。軍本部からも至急尖閣に向えとの事であります」
「大佐、艦長に伝達してくれ。我が艦隊の進路を――横須賀に」
「何ですと!?ですが本部の命令は!?」
「命令?命令なんかの為に日本が落ちてもいいのか?」
野崎の瞳は真剣さ一色だった。普段はどこか抜けた男だが、こうなった彼の閃きは彼を『海原の天才』と言わしめている。
「どういうことですか?」
「見てくれ大佐」
一枚の写真に写る縦長の艦列を指差す。
「これが今朝の7時。台湾沖を通過しているね」
そしてもう一枚を置いて指摘する。
「これが現在だ。現在、敵の艦隊は台湾から約40キロ進んだ地点だ。明らかに遅すぎる」
「で、どういう事なのですか?」
「解からないのか?敵はわざと遅く進軍してるんだ。我々の目と艦隊と日本に駐屯する戦力を尖閣に送るために」
「なるほど。兵力が減少した日本に兵力を送り、占領すると……ですがなぜ今頃?」
「連中も焦りだしたんだ。唯一の戦略的なアドバンテージだったプロトニウムの所有権を奪われたから、急いで日本を占領してそこを基点にアメリカを落とす。これが奴らの戦略だ」
「解りました。本部にこの事を伝達します」
「頼んだ」
大佐は律儀に敬礼し、部屋をダッシュで後にした。
「忙しくなりそうだな。もっとも――忙しくなるのは兵士だけどな……」
野崎の脳裏に嫌な予感がよぎる。自分の進言を彼らは聞いてくれるのだろうか?もし、新資源を守るために日本を捨てるような結論を出したら――自分の最愛の娘と妻が危険にさらされてしまう。
「そうはさせないからな……絶対に日本は渡さない」
民族的な帰属意識などでは無い。ただ、家族を守りたい。それだけだった。
†
同日 午後6時21分
射撃場
新造艦の空母J・グラフトンには新たに射撃場が増設されたのだ。訓練で訪れる者、ストレス発散の為に訪れる者などが主な利用する理由だが、吉田光が来た理由は前者だった。
「私も撃ちかた覚えないとな――」
前回、自分の身を自分で守れなかった彼女は悔しさと反省の念で銃の練習を始めることにしたのだ。今日がその初日である。
慣れない手つきで、女性用でも扱える自動拳銃、シグザウアーP230を説明書を見ながら発砲可能な状態にする。カシャリ、小気味の良いスライドの音が無人の訓練場で鳴った。
「えい!!」
イヤープロテクターを着けて片手でグロックを握り、彼女は引き金を絞る。人型のターゲットに穴は開かず、代わりに後ろの壁に穴が開いた。
「外れたぁ。でも、もう一発!!」
手に鈍い衝撃が走るが、我慢する。結果は初弾と同じだった。
「何で当たんないの!?腹立つ!!」
光は苛立つ気持ちを銃弾に込め、撃ち放った。
どうして当たらないの?
何度撃っても的にかすりもしない。マガジンを3本変えたころだった。アイツが来たのは。
「何してんだ?」
翔は自分のコルト.45を片手に光の背後に現れた。その表情は、珍しい生物を見つけたような意外そうな様子だった。
「翔には関係ない。このっ!!」
彼との会話を遮るかのように銃声を響かした。自分が銃の練習をしている事は彼だけには知られたくなかった。物笑いの種になるし、何より恥ずかしいからだ。
「はずれー」
翔は光を茶化してやった。
「うるさい!!」
「あと、どうして片手で構えてんだ?」
「だって、映画のヒロインがこう構えてたから、あれが正しいと思ったからよ!!」
普段は翔にツッコミを入れてばかりの光だが、今回は翔がツッコミたくたってしまった。
「お前……アホか?現実世界じゃ普通は銃ってのはこういう風に両手で持つもんなんだよ」
翔は光のレーンに割り込み、コルトを握り、ターゲットに向けて発砲した。ズドン。38口径の弾より鈍い音がする。速然性火薬の量が違うからだ。
45ACP弾はターゲットの脇腹辺りを穿つ。風穴が開いた。
翔の弾丸の命中と自分の誤りを認めた光はぎこちない動作で光はP230を握り直す。
「解かったよ。こう?」
握り方、ひじの角度、全てに至って光の構え方は完璧だった。しかし、翔は構えられた拳銃をそっと下に押しやり、取り上げた。
「?」
翔の行動を光は一瞬何の事だか分からなかった。キョトンとした光に翔は
「もう良いよ。光」
翔の口調はさっきと取って代わって優しく、どこか寂しげだった。
「お前の手は銃を握るための手じゃない。自分でも解かってんだろ?」
見透かされていた。吉田光の心の中は、ガサツでデリカシーのかけらも持ち合わせていないパイロットの少年に。
「解かってるわよ―――でも」
光は、翔にもその音が聞こえるぐらいに強く歯ぎしりをした。
「銃を覚えればあいつらから自分の身を守れる。そうすれば、みんなに危険な目にあわせないで済む」
「自分の身を自分で守るかぁ―――別に他人任せで良いんじゃねぇの?例えば、俺とかにさ」
「え?」
言葉が唐突過ぎて光の処理速度が追いつけなくて、言葉が出なかった。立ち尽くす光に翔が頬を赤くしながら言う。
「だから……その……あれだ。俺がお前を奴らから守る」
「翔?」
「だから、俺がお前を守るんだ!!別にコクった訳じゃねぇからな。ただ、あんな奴らに訓練時代からの仲間を渡すってのが気に食わないだけだ」
「え……あ……ありがとう」
「だから、銃なんて必要ない。俺がお前を守るから。じゃ」
全て言い終えた翔は自分の光の拳銃にセーフティーを掛け、射撃場の台の上に置いてその場を去ろうと、後ろに一歩踏み出した
その瞬間―――
「のわ!!」
「へ?」
翔は足を薬莢に滑らせた。彼一人なら良い。反射的に光の手を掴んでしまい、彼女を巻き込みながら後ろから倒れてしまった。
「うっ――光!?」
受身を取れずに倒れた翔の頭に走ったノイズが消えた後、復活した視界を埋め尽くしたのは光の顔だった。顔に息がかかるほど二人の距離は近い。
「え……わっわ」
「あぁ。それより早く降りろよ」
翔は顔を熟れたトマトのように赤くなっている光に言う。
「解かってるわよ!!」
光が降りようとするのと同時に、射撃場の扉が開く。扉から現れた人物、それはフランクだった。彼はその光景をその両の目で収めた刹那、数秒間固まって、何かを理解したように手のひらを一発叩く。
「これが、日本人のプレイか……楽しんでくれよ」
そう言い残して、フランクはとんぼ返りのように射撃場から出て行った。
「誤解だ!!フラァアアァアァンク!!」
翔の叫び声が無情に射撃場の空気を振るわせたのであった。