MISSION29 懺悔の道
シックベイに奈々子が担ぎこまれてから2時間が経過した。彼女の体温は39℃もあり、ただ事ではない事は確かだ。奈々子の眠るベッドの傍らで翔は亜衣に問う。
「奈々子に何が起きたんだ?風邪か何かか?」
「ううん。風邪の症状は出てないし、感染症でもなさそう。翔君、奈々子ちゃんに何か特別なこと無かった?」
翔は脳内で連想ゲームを始めた。今日の奈々子を思い出しながら。
初の任務。初めての実戦――初めての撃墜――初めての殺人。
「まさか……」
「何かある?」
「あぁ。あいつ、今日はじめて人を殺した」
亜衣は納得したように頷く。その顔には少し悲しみが混じっていた。
「そう――辛かったんだろうね……奈々子ちゃん優しいもの」
「それに、あの一件も応えたんだろうな」
あの一件――光が襲撃された事件の事だ。あの時、奈々子もまた銃撃戦の中にいた。フランクが言うには、あそこではイーグルナイト小隊は誰一人殺していないらしい。そのおかげもあって正当防衛が成立し、不問となった。色々な謎を残して。
「正確な診断はできないけど、ストレスだと思う。2、3日は安静にさせてね」
「わーった。奈々子を頼む」
「うん。まかせて」
「ありがとうな。亜衣」
そう言い残して翔は病室を後にした。
「翔君――」
「アリスか」
翔は部屋を出るのと同時にアリスと会った。アリスの表情はどこか落ち込んでいた。きっと彼女も奈々子のことを気にかけているのであろう。
「ななちゃんはどうでしたか?」
「大した病気じゃないってさ。2、3日で戻れる」
「良かったです」
アリスの不安の色が薄くなるが根本的には変わっていなかった。
「あぁ。だから、戻ろう。あいつ今、寝てるし、起こしたらまずいからな」
「はい」
翔はアリスを連れて隊の待機室に戻ることにした。道中、彼女は落ち込んだままだった。
「ななちゃん――大丈夫ですかね」
「お前は奈々子の姉貴かよ?」
「そんなつもりは無いです。でも――何だか放って置けなくて……」
放っておけない。翔にも同じ事だった。
「あぁ。奈々子にしなれたらアイツに合わす顔がなくなるもんな」
「竜也君――ですか」
「そう言えば、この半年でたくさんの仲間がいなくなったな。竜也、一条大尉――」
浮かんでは消える良き仲間たちの顔。全員、戦争の犠牲となりこの世の何処にもいない。
「はい」
「アリス、フランクやエドもそうだけどさ――死んでくれるなよ。お前が死んだら、この隊から花と有能な副官が無くなるからな」
冗談に聞こえるように翔は言うが、アリスはこれを翔の本音だと理解した。もう、誰も失いたくない――これはアリスも同じ事。いや、全員同じだ。
「隼人君はどうなんですか?リストに入ってないようですけど」
「あいつは死なねぇよ。だって俺の後部座席に座ってんだから」
「ふふふ、すごい自信です。でも、私もそう思いますよ――翔君はここ数ヶ月で強くなりましたから」
初めて翔とアリスが模擬戦をしたのは1月のことだった。結果はもちろんアリスの圧勝。翔の鼻柱は跡形も無く粉砕されたのであった。
「ですから翔君、守りましょう。ななちゃんを――自分達自身を」
「あぁ。イーグルナイトで戦死者は出させない。絶対に」
自分の無力さで死んでいった仲間達――彼らのような存在を作らない。翔はそれを自分自身に課した『交戦規定』としている。これは、軍本部や政府、神にも侵す事の出来ない彼だけのルールだ。
†
「う……ん?」
奈々子は目が覚めた。蛍光灯の光が起きたばかりの彼女の目を刺激した。
奈々子は上体を起こし辺りを見回すと、ここが病室であるということが判る。そして、整備士のツナギを身に纏った弥生那琥少尉が病室に備わった椅子に座っている事も。
「那琥さん?」
奈々子は少し驚いた。なぜなら、那琥の姿を始めて飛行甲板と格納庫以外で見たからだ。翔曰く、『あいつの家は格納庫』らしい。
「起こしちゃった?ゴメン、ゴメン」
「いえ、そんな事無いですよ」
「ほんとー?」
病室でもテンションの高い那琥は奈々子に問うた。
「誓って本当です」
「ならいいや。で、私がここに来た理由は解かる?」
那琥は突然真剣な表情を作って奈々子の瞳を凝視する。奈々子は少し引きながらも応える。
「いえ――」
「ただのお見舞い」
何か重大なことを告げに来たかと思ったらこれですか。と奈々子は声帯を震わさずに独語した。
「あ、ありがとうございます」
「うむ。お見舞いの品として――218号機の整備資料ね」
ぽんと整備資料を彼女は奈々子に手渡す。
「あとさ、良く生きて帰ってきたね」
突然だった。那琥が放った言葉は、奈々子に数時間前の戦闘を思い出させた。初めて戦った時の張り詰めた空気の肌触り。始めて人を殺したことを。
「ななっち。あたしはあんたを翔より立派だと思うよ」
その言葉は奈々子にとって無性に腹立たしかった。
「どこがです?翔中尉は始めて撃墜したときに――こんなうじうじしないはずですよ」
奈々子は悔しさで毛布を握りしめた。そんな、奈々子の姿を見た那琥は微笑む。
「そういう風にうじうじ出来る所だよ。悩める所だよ」
「え?」
「あんたさ、翔が最初から最強のパイロットだったと思うの?なら、それは間違いだよ」
那琥は遠くを見つめるような目で語りだす。偉大なエースパイロットの過去を。
「あいつはね――そんなに強いパイロットじゃなかった。初陣じゃ機体を穴だらけにして帰ってきた」
「本当ですか?」
「本当だよ。でさ、あたしったら頭来て翔と竜也に、竜也に――」
竜也――今はこの世の何処にもいない唯一無二の存在。那琥が好きだった、あの笑顔の持ち主。妹を思い続けた優しい奴。
彼のことを思うと何だか泣けて来た。解からない。戦闘機しか愛せなかった自分に何か違う感情を教えてくれた彼。
「あれれ?――何であたしってば泣いてんだろ?」
「那琥さん?」
「ごめん。話せないや――竜也のこと思い出すと今でも辛いんだ。あたしがもっと良くあの機体を整備してやったら生きていたかもしれないのになぁ――はは」
普段は明るい那琥が俯いてしまった。冷たい沈黙。それを打ち破ったのは那琥本人だった。
「だからさ、あたしは自分の担当する機体の整備は絶対に手を抜かない事にしたの。自分の整備で乗っている人の生存率が1パーセントでも上がるんなら、あたしの睡眠時間や食事の時間なんて全部くれてやるって感じでね」
那琥は必死に笑顔をこしらえた。だけど、その笑顔はすぐに壊れてしまいそうだった。
「那琥さんは兄の事が……」
「好きだったよ」
奈々子の問いに那琥は間髪いれずに答えた。
「言えなかったけどさ……あたしって後悔なんかとは無縁な人間だけど、この事はすごく後悔してるんだ……もっと早く言っておきゃ良かったって」
那琥は竜也が好きだった。これは誰も知らない事実であろう。何故なら、彼女がこの事を話したのは竜也の妹である奈々子だけだから。
「だから、ななっち!!こんなご時勢だから好きな男を見つけたら、速攻でモノにしなよ。あんたもいつ死ぬか解からない所にいるから」
「那琥さん……はい。わかりました」
「じゃね。早く戻ってきなよ!!」
那琥はそう言うと腰掛けた椅子から立ち上がり、行ってしまった。
行く先はきっと、格納庫だろう。彼女は決して整備バカではない。そう見えるだけであって、実際は搭乗員の身を案じて骨肉を削るような努力をする整備士の鏡である。と奈々子は理解した。
†
那琥が去った30分後、翔が病室に現れた。その手にはコーラとオレンジジュースの間が握られている。
「お、起きたか?ねぼすけ」
「はい」
「目覚ましに飲むか?」
「そんな……悪いですよ」
翔はオレンジジュースを奈々子に差し出したが、奈々子は首を横に振って受け取らなかった。
「強情な奴だな……上官命令だ。飲め」
「職権濫用ですよ。中尉」
「るせぇ。これが軍隊だ。学校で習わなかったのか?上官は神より偉いって」
「――わかりました。ありがとうございます」
奈々子はしぶしぶオレンジジュースを受け取り開封。そして飲む。オレンジジュースは程よく冷たく、なにより、甘いものを欲していた体にはうれしい味だった。
奈々子は舌を潤すと、今日の作戦で迷惑をかけた翔に詫びる事にした。
「中尉――今日はごめんなさい」
「何で謝るんだよ?俺に謝られても困るぞ。謝るんなら、アリスかお前のスコアになった敵に謝れ」
「……」
「パイロットってのは人が思うほどきれいな仕事じゃない。俺たちの人差し指一本で敵の命を奪えてしまう」
「わかってますよ!!」
奈々子の感情が爆発した。兄を失った悲しみ、人をはじめて殺した後ろめたさ、色々な感情が宮島奈々子という容器の中で混ざって化学反応を起こした。
「わかってましたよ。私は人殺しの道を行くんだって」
「でも――やっぱり辛いんです。私はついさっきまで戦争の被害者でした。お兄ちゃんを殺された――でも、今じゃ加害者です。殺された人の家族は、お兄ちゃんを殺された私と同じ気分のはずです。それが……」
「俺も、嫌だよ」
翔も同じだった。海軍最強の少年兵と呼ばれる彼も新人パイロットの少女と同じだった。
「お前の言いたい事はわかるよ。痛いほどにさ。俺はさ、パイロットに成りたての頃はさ『エースになる』とか言ってさ、殺人を楽しんでた。そっちの方が楽だった……」
確かに楽だった。奈々子のように罪悪感にさいなまれず、勝利に酔いしれるほうが明らかに楽だった。
「でもな、あいつ――竜也に死なせちまった後に気付いたんだ。人が死ぬってこういう事なんだってさ。それ以来、俺も空でこうやって右手の人差し指を曲げるたびに心が磨り減ってく気がするんだ――」
翔はトリガーを引く真似をした。この単純な動作で命が奪えてしまうのだと、自分と奈々子に示すかのように。
「だけど俺達は戦い続けなければならないんだ。俺達が奪ったモノのために――生きて、生きて、生き続けなきゃならない。生きて謝り続けなければならないんだ。この事を、お前のその平たい胸に刻みつけろ」
翔は奈々子の胸元を指差す。
「はい。ですが中尉……」
「何だ?」
「最後の平たい胸は余計だと思います」
「うるさい。事実を述べただけだ。悔しかったら、技術も胸もアリスを越してみせろ」
「はい。技術だけでも追いつけるよう努力します。胸は無理ですが」
「よし。俺からは以上だ。しっかり休めよ。じゃ」
「ありがとうございました」
去り行く翔の背中は大きく見えた。最強のエースと呼ばれる少年、風宮翔。奈々子は思う。彼もまた懺悔という名の茨の道を進んでいるのだと。消せない罪、消せない悲しみを背負って。
いつになったらこの戦争は終わるのだろう?いつになったら人殺しをしないで済むのだろう?
答えの出ない疑問を胸に抱いたまま、寝足りない奈々子は再び眠りについた。