MISSION28 引き金の代償
2015年 9月3日 午前9時41分
東シナ海 上空
F-28ワイバーンの編隊が雲一つ無い凪いだ空に白い軌跡を描く。
「初の任務がスクランブルって――神様って私のこと嫌いなのかな?」
横一文字編隊左端を飛ぶF-28Cの中で宮島奈々子少尉はため息の混ざった独語を漏らした。
彼女に与えられた任務、それは空母に接近する敵航空戦力の迎撃だった。戦闘未経験の奈々子には少しばかりか荷が重すぎる。
『いいえ、主は万人を平等に愛します』
奈々子の右隣を飛ぶアリシア・フォン・フランベルク中尉からだった。どうやら、無線のスイッチが切れておらず、アリスに傍受されたらしい。
「ほぇ!?」
緊張と驚きのあまり、変な声が出た。
『でも、戦場で生死を決定するのは主の管轄外です』
奈々子はその言葉に首をかしげさせられた。そして聞き返す。
「じゃあ誰の管轄なんですか?」
『自分自身です』
「自分自身――?」
『生きたいと思う心が操縦桿を握る手に力と勇気を与えます。この二つがあれば、何があっても空では死にません』
「そんなものですか?」
『気休めになるか解らないですが、私はそう信じてます。そう信じて、私は一年間生き延びました』
総撃墜数23機のエースパイロットの教えは奈々子には理解できなかった。凡人とエースは違う人種だと彼女は思っているからだ。
「でも――それはアリス中尉が強いからですよ。私なんて下手っぴのペーペーですし」
『だったら、私がななちゃんを守ります』
「え――」
奈々子は言葉が続かなかった。アリスはこう付け足した。
『その為に組んだバディーですからね。心配なら私から離れないでください』
イーグルナイト隊の隊長の風宮翔はこの二人をペアにさせた。小隊の中で2番目の空戦技術を持つアリスは性格的にも新人のサポートに向いていると翔は判断したからだ。
『イーグルナイト1より各機へ、敵機を距離30の6機』
矢吹隼人中尉の無線だった。
『イーグルナイトが前衛攻撃、フォックスは撃ち漏らしを頼んだぞ』
『フォックスリーダー了解。せいぜい暴れろよ』
後続のフォックス小隊の隊長、ティム・キャンベル大尉は手柄を譲るような口調で返答した。
『聞いたか?ミサイルぶっ放したら、各機ドッグファイトに持ち込んで仕留めるぞ』
『2了解』
『3了解』
――怖いよ
『4どうした?奈々子?』
十秒近い沈黙に違和感を感じた翔は奈々子に問うた。
「え、あ、はい。4了解です」
手の震えが止まらない。こんなので操縦桿を握られるか奈々子は不安になる。汗は吹き出るし、お腹もぐるぐる痛い。緊張している時に現れる現象が彼女の体でオールスターゲームを始めた。
だが、時は進む。火器官制レーダーに映った6つの光点に向け、自分の機体は直進する。予定通りに、機械的に。
心臓が引っくりかえる様にその鼓動を刻む。呼吸が浅くなる。とても息も出来ない。
『ななちゃん、しっかり。例え主があなたを護らなくても、私がななちゃんを護ります』
アリスの言葉、今の奈々子の不安を拭いきれなかったが、彼女に操縦桿を握りなおす小さな力を与えた。
敵機は長距離ミサイルの射程距離に入った。イーグルナイト小隊のパイロットは各々安全装置を解除し、臨戦態勢を取る。
『号令射撃だ――カウント5』
翔の指令を聞いて奈々子は操縦桿のトリガーに指を掛けた。
ターゲットはロックオンしてある。その目標をHUDの中心円で捉え引き金を引くだけ。
ボタン一つの簡単な殺人。彼女はそれを行おうとしているのだ。
『ファイア!!』
翔の合図でイーグルナイト小隊のF-28はミサイルを引き放った。蒼い炎を引きながら、死の妖精達は目標に襲い掛かる。
着弾。爆発。
空の向こうで小さな爆発が起こった。ミサイルを回避できずに命が散った。簡単に。
『ファイア・アット・ウィル。風の導きがあらんことを』
翔は個人攻撃の許可を下す。これは同時にドッグファイトの開始を意味した。しょうとフランクが散会した後、その場で奈々子にアリスは指示を出す。
『離れないでください。二位一体戦術でいきますよ』
「う、ウィルコ」
『いきますよ』
アリスは増槽タンクを投棄し急加速した。
しかし、奈々子は増槽をパージしたものも、加速をせずにその場にとどまる。
――怖いよ。お兄ちゃん
初の実戦。これから訪れるかも知れない死。何もかもが不安の要素となる。
「お兄ちゃん」
今は亡き竜也の返事は無い。自分でどうにかするしかない。
死にたくない。ならどうする?
永遠とも呼べる刹那の思考。奈々子はその中で漠然としているが答えを得た。
「神様――うぅん。力と勇気を貸して、お兄ちゃん」
戦うしかない。
「行きます!!」
奈々子はスロットルを前に押し出した。光ファイバーの信号はエンジンの燃焼室に送られ、その出力を最大限にする。
「うっ……!!」
高出力のエンジンから生み出される加速度は、奈々子の細い体を締め上げる。だが、奈々子は歯を食いしばり、操縦桿を握り続けた。
兄もこれに耐えながら戦った。自分も負けたくない。それが彼女の原動力となっている。
『ななちゃん!!ミサイル!!』
アリスの警告と共に警報がコックピット内に響く。前方から、ミサイルの噴煙が確認できる。
「え、えーっと。この場合は――」
奈々子は慣れない手つきで囮を捲いて、右上方へ退避した。結果は成功。なんとか命をつなぎ止めた。
「中尉、合流します」
左下方へ旋回。アリスの右翼に奈々子は付く。そして、アリスは奈々子にこれからの戦いの指示を出す。
『良い回避でした。ですが、実戦はこれからです。こちらのセクションは2機が相手です。ななちゃんは上方援護をお願いします』
「ウィルコ。風の導きがあらんことを」
『あなたにも、祝福の風が吹かんことを』
二機は散会した。アリスは真っ直ぐ、奈々子は上へ。
上方援護をするのに必要な事――それはは戦場を広く見ることだ。
奮闘する味方機を援護するタイミングを量らねばならい。タイミングが早すぎれれば援護の意味はなくなり、遅すぎれば味方機が撃墜されてしまう――非常に難しい仕事である。
アリスの蒼瞳はSu35ターミネーターを2機捉えた。相手もドッグファイトをするつもりらしく、撃ってこない。
刹那、アリスのF-28は敵編隊と交差した。一機は反転し、アリスと交戦することを決断したが、もう一機は違った。直進し上昇――奈々子の下へ牙を向ける。
「ななちゃん!!もう一機がそちらに向かってます!!」
『え!?』
アリスの思惑は外れた。敵機は彼女を袋叩きにするのではなく、あくまで一騎打ちをするつもりだったようだ。
「逃げてください!!」
相手は戦術からして空戦にそれなりの腕に覚えがある事がうかがえれる。そんな敵機が初陣の奈々子と戦ったら――結果は見え透いている。
『やります』
意外な返事が返ってきた。
「ななちゃん?」
『私も戦います。私だってぺーぺーでもパイロットなんですから』
「でも――」
『それに私の前には、戦乙女がいますしね。これだけでも生存フラグです』
戦乙女――これは西ドイツ生まれのエースパイロット、アリシア・フォン・フランベルクの通り名である。
彼女は例えるなら六等星だ。周りの星の眩さゆえに目立たない。だが、彼女には空戦、対地攻撃における『汎用性』という確かな価値を持つ光がある。常にサポートに徹し、英雄の輝きの手助けを担っているのだ。
そんな彼女に奈々子は憧れ、同じ部隊で戦えることを誇りに思っている。
『だから、私も戦います』
奈々子の強い決意のこもった言葉、それを訊いたアリスは彼女を信じることにした。
「無茶はしないでください。もし、あなたに何かあったら――みんな悲しみます」
『はい!!』
通信は切れた。アリスが何が今できるかを思考をめぐらす。今、彼女ができる事――敵機を一刻も早く敵機を撃墜し、奈々子の援護を行うこと。そう判断した彼女は操縦桿を鋭く切った。
†
勢いで啖呵を切ってしまった奈々子は内心少し後悔していた。肉薄する敵機が、死神に見えてしまうほど恐ろしい。
「でも――アリス中尉と約束したから……負けるわけにはいかない!!」
奈々子は勇気を総動員して敵機に突進する。
「きゃっ」
すれ違う刹那、彼女は小さな悲鳴を上げる。音速近くですれ違った際に、衝撃波がコックピットを襲ったからだ。両者の距離は5メートルもなかった。すれすれだ。
そして背後を取るために右旋回をする。スホーイのパイロットもまた旋回した。円を描くように両者とも旋回する。いわゆる巴戦だ。
この戦いの勝者を決めるのには三つの要素がある。一つは機体の旋回性能。もう一つはGに負けない根性と体力だ。F-28とSu35の旋回性能は互角。よって、この戦いはパイロットの技量が勝敗を左右すると言っても過言ではない。
有利な位置に立ったのは奈々子だった。神が与えた幸運と言ってもあながち間違いではない。
「っ――――――――――――」
声も上がらないほどの遠心力に奈々子はもだえてしまう。
肺から酸素が搾り出される。
三半規管が悲鳴を上げる。
「負けるもんか~」
敵にGに自分に。
奈々子は操縦桿をひたすら引く。火竜の旋回は乗り手を試さんばかりに遠心力を高める。
だが、これに屈したら命は無い。
――数分後、天機は来た。
10週目の旋回に入ったころだった。相手の旋回が甘くなったのは。奈々子はすかさず背後を取る。距離は400メートル、機銃の射程だ。
――ガンロック
奈々子はペダル操作で目標を加害範囲を示す中心円に入れた。相手も抵抗するが彼女は必死に食いつく。一度噛み付いた尻尾は死んでも離さない。ドッグファイトの鉄則だ。
そして、奈々子は格好の射撃ポイントを得た。そこは、どんなに下手でもここなら外さないで済むだろう。
――良いの?撃って
「え?」
引き金に指をかけた奈々子の脳内にノイズが走る。
――撃ったらあなたは人殺しになるのよ?
誰かが脳内に囁く。それは自分自身の良心だった。
「でも、撃たないと――撃たないと!!」
人差し指に力を入れる。でも動かない。
「撃たないと私が殺されちゃう!!撃たないとイーグルナイトの誰かが殺されちゃう!!」
――でも、相手は死ぬ。
それは解かりきっている事だ。戦場に身を置けば必ず来る二者択一。その瞬間が今だった。殺すか殺されるか。
自分の道徳観のすべてを内包したこの瞬間。奈々子はこの時間ほど悩んだことは無いだろう。これからも。
奈々子の下した決断―――――それは『殺す』だった。
自分と他人、しかも敵の命どちらが自分にとって大切かは考える必要も無い。
奈々子は照準をずらさずに確実に引き金を絞る。電子信号はコンピューターを経由し、M61ガトリング砲に発射命令を下した。
20ミリの砲弾が描いた一筋の炎の軌跡。手に伝わる発射の振動。飛び散る敵機のオイル。それに引火して燃え上がる敵機。その中で命を焼かれる敵兵。
そして、Su35はこの空から消え去る。黒い煙だけを残して。
機体を水平に戻した奈々子は息苦しさのあまり酸素マスクを外した。手が震える。その震える手で奈々子は自分の顔を抱えるように覆った。
「ご――――めんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい――――」
壊れたラジオのように嗚咽混じりの言葉を連呼した。『ごめんなさい』と。
†
同日 午前11時34分
空母 J・グラフトン 甲板
「奈々子、大丈夫か?」
着艦を終え、F-28から降りた奈々子に翔は問う。なぜなら、さっき行った着艦は普段の彼女らしからない乱雑な物だったからだ。
「……はい」
ヘルメットを外した奈々子の顔は蒼白だった。大丈夫じゃないだろう、と思いつつ翔はさらに問う。
「さっきの戦闘で疲れたか?もし、そうだったら報告会は出なくて良い――奈々子!?」
さっきまで隣を弱々しい足取りで歩いていた奈々子の小さな体は、アスファルトに吸い込まれるように倒れた。
「どうした!?」
翔は、ヘルメットを放り捨て奈々子の体を揺すった。返事が無い。
「奈々子!!奈々子!!奈々子!!奈々子―――――!!」
残暑の空の下、奈々子の名を呼ぶ翔の声が飛行甲板にこだました。




