MISSION10 目覚め
5月4日 午前11時06分
太平洋 空母 J・グラフトン 早期警戒センター
「ふぁあ」
大きなあくびを薄暗い早期警戒センターで北条神海はぶちかました。
今日の夜勤は神海が担当で、昨晩からレーダーディスプレイに付きっきりだ。
「全く・・・夜更かしはお肌に悪いのに何で私が・・・」
「まぁ・・・そう言わずにがんばって下さいよ、先輩」
ショートヘアで眼鏡をかけた少女、青山未来准尉が湯気の立ちこめるコーヒーカップを神海の手元に置いた。
「ありがとう・・・へぷ!!」
間の抜けを上げ神海は口に含んだコーヒーを吹き出した。
「苦い~」
「あ・・・すみません!!砂糖入れ忘れました」
「このバカ!!私にコーヒー出すときは角砂糖5個とミルク7割って決まりじゃない!!もう」
神海は未来の失態に腹を立てた様子で怒鳴りつけた。
「すみません。今すぐ砂糖入れてきます」
「もう」
ぷりぷり文句を垂れながら彼女はレーダーディスプレイに目をやった。
そこで、彼女は衝撃の光景を目の当たりにすることになる。
「何これ!?」
ついつい北条神海はレーダーサイトを見た途端に声を上げて驚いてしまった。
統制のとれた多くの点がこの空母に接近している事が伺われる。考えられる事は一つ。これは明らかな敵襲だという事。
しかし、彼女は平静を取り戻しいつものような凛とした表情でマイクのスイッチを入れ艦内放送を行う。
「総員に告ぐ。敵航空部隊が本艦に接近、第一種戦闘配備。艦載機はこれを迎撃せよ」
航空管制官として北条神海はこの空母内にいる5000人近くいるクルーに的確な指令を出した。
その数秒後だった。さっきまで静寂と安眠の中にいた乗組員達が慌てふためく羽目になったのは。
†
昨日と変わらず、今日も蒼きゅうは鉛色に曇っていた。まるで、飛行士である、風宮翔の心を映し出すように。
急ぎ鉛色の空へと打ち上げられた火竜達の群の中に翔はいた。
12機のF-28で構成されたV字の大編隊はこれから来るであろう脅威と戦うべく、その機首を北へと向けて飛び続けた。
「イーグル3より各機へ、敵機捕捉。数は18。距離は50キロです。会敵まで約7分です」
隼人の報告が編隊内に不穏な空気を作り出す。生還できるか解らない不安などがパイロット達の胸に芽生えたのは間違いない。
一条明小隊長は、その不安を隊員から払拭せんと無線で告げた。
『イーグル1より各機へ。聞いての通りだ。敵は数で我々を圧倒している・・・しかし、俺達は空母のクルー5000人の命を預かっている。だから負けられない。各員が一騎当千の強者だと俺は信じている。以上だ。風の導きがあらんことを』
定形句で閉められた激励は少なくとも大半のパイロットには響き、隊員達は「やってやる」などと口々にし、編隊の士気は向上した。
一人除いて。
風宮翔は何も感じずに操縦桿を力無く握り、高度3000メートルの少し乱れる気流の中で姿勢制御を行っていた。
今の瞳には活力や希望という言葉は皆無だ。握る手の力はどこか弱々しかった。
殺人や任務に対する倦怠感。それが今の彼の心に巣食っている。
一条大尉はこの戦闘より翔の事を気がかりにしていた。今の翔のようになったパイロットはもう、使い物にはならない。
それを重々承知している彼は今日、翔に一週間の休暇を与えようと思ったが、この全機発進のスクランブルだ。
翔は文字通り無理矢理飛んでいる。
この状態を回復せねば翔を待ち受けるのは「死」だけである。
そして死神は目の前に舞い降りた。
雲の中から獲物を狩るハヤブサのごとく急降下。漆黒の残像を残し、この編隊の左翼を飛翔するFー28は機銃の雨にさらされ、花火を作り出した。ジェット燃料と生命で燃え上がる花火に。
†
「一機め」
猛禽な笑みをマスクの下で、ソビエト空軍パイロット、リジーナ・カリヤスキー大尉は浮かべた。
リジーナの乗るSu47ベルクートは敵編隊の下に潜り込んで様子を伺うことにした。
「ふふ・・・逃げるわね。資本主義の犬共は」
散会する敵機の編隊を見て嘲笑の笑み浮かべる。
「今日もおもしろい奴はいないか・・・ん?」
散会する敵機の中、一機だけ真っ直ぐに逃げる様子を見せずに飛び続けていた。
「決めた」
空中戦に楽しみを見いだす雌豹は火竜を狩らんばかりにその翼を左へはためかせた。
「あれは・・・」
翔はあの漆黒の前進翼の機体に見覚えがあった。
数週間前に自分を落とした、忌々しくも美しい天使。Su47ベルクートだった。
そのシルエットを見た瞬間に翔の脳内で連想ゲームが本能的に始まった。
勝てる気がしない。
また殺されかける。
怖い。
「はぁ・・・はぁ・・・はぁ・・・」
心臓が早鐘のように鼓動を刻む。
体中の穴という穴が汗を噴き出し始める。
呼吸が荒くなる。
体が金縛りに会ったかのように動くない。
「早く散会して!!」
隼人の声の返事は荒い呼吸だけ。
あ・・・まさか!!
隼人は知っている。この状況を。
翔の前に組んでいたパイロットは死んだ。実戦の恐怖で手足が浮かずに敵機からの攻撃を受け、撃墜された。
隼人はミサイルの直撃する前に脱出したが、パイロットは出来ずに機内に残され運命を機と同じくした。
隼人は、自分の右の手元に目をやる。
そこには補助操縦桿があった。
あの時も同じだ。
自分はこの操縦桿を握り、機を戦場から遠ざけることが出来た。しかし、自分の臆病さのせいで出来なかった。
「もう・・・失わない!!」
隼人はレーダーディスプレイにある手すりから手を離し、操縦桿を握りしめ言った。
「アイハブ」
アイハブとは、操縦権をパイロットと交代する際の無線用語だ。そして隼人はぎこちない軌道を描き曇天の空を舞う。
もう、失わない。大事な仲間を・・・
†
戦場から十キロばかり離れた洋上を救難ヘリ、ナースエンジェルは生存者を探すべく巡回飛行をしていた。
窓際にすわる吉田光は無線で聞こえる戦況に耳にまばらに爆発の起こる
空を仰ぎ見ていた。
「なぁ。相手は『シベリアの雌豹』のリジーナ・カリヤスキーらしいぞ」
ダイバーの一人が呟いた。
「まじかよ・・・で、今誰が戦ってるんだ?」
「問題児の風宮だ。でも・・・」
「でも何だよ?」
「あいつ、操縦不能になって相棒の矢吹に操縦権奪われたらしい」
「まじかよ。そりゃ大変だな」
けらけらとダイバー達は笑い出した。光は二人を睨みを利かせ一瞥した。すると、その冷たい視線に彼らは気づき咳払いし、黙り込んだ。
「バカ」
光は虚空を見上げ、そう言った。
†
「何?この動き・・・まるで素人じゃないか」
これが背後をとったリジーナの目立った敵機に対する率直な感想だ。
角度のない回避行動。ひねりのない空戦軌道などがその確固たる証拠だ。
「つまらない・・・もう良い。死ね」
リジーナはミサイルで前方のF-28をロック。そのまま死神の釜を振り降ろすかのように引き金に指を掛けた。
†
「フランク!!援護して!!」
ロックオンアラートが鳴った途端にさっきまでの威勢はどこかへ行ってしまった。
聞き慣れたこの音だが、索敵士として聞くのならさほど怖くない。理由は、ミスして当たったとしてもパイロットの責任だからだ。
しかし、今この機体のパイロットは隼人だ。しかも彼の本職はパイロットではない。ただの索敵士だ。
『すまん!!無理だ!!こっちは囲まれてる!!ってうわ!!』
フランクの悲痛な無線を聞いた隼人は腹を割ることにした。
やるしかない。
そう思った刹那だった。背後のベルクートはミサイルを放ったのは。
「フレア!!」
スラストレバーについてある疑似赤外球散布ボタンを押し、ロールとピッチアップを複合した空戦機動のスプリットSを隼人は敢行した。
熱を追うミサイルは高熱源のフレアに吸い込まれ、隼人はミサイルの脅威を回避した。
「よかった」
しかし、まだ敵は後方にいる。
どうしよう・・・
『ナースエンジェルより、イーグル3へ。てか翔のバカへ!!』
突然のことだった。隼人のスピーカーを甲高い罵声が震わしたのは。
「光?」
隼人の訓練兵時代での友人の一人、吉田光の声だった。
†
「吉田少尉!!何をしてる!?」
ヘリの機長は怒鳴り声をあげた。光の手には無線の受話器が握られていたからだ。
「少佐、止めないでください。これは私の仕事です」
「何だと?」
機長は訝しげに光に言った。だが光は臆さずに答えた。
「私の仕事は人命救助です。今、10キロ先で危険に晒されている命があります。それを救うのも私達の仕事だと思います」
「……許可する。ただし5分だけだ」
「ありがとうございます」
光はペコリと機長の座るコックピットに一礼。そのまま通信を続けた。
「翔・・・あたしには解る。あんたは竜也が死んだのは自分のせいだと思って自分を攻めてる事なんて」
返事がない。だが光は独り言のように続ける。
「自責でカッコつけて死ぬんなら、勝手にどうぞ。でも後ろの隼人君の事考えなさいよ!!竜也の次は隼人君を死なすなんて……あたし……イヤそんな事」
涙で声が詰まる。だが光は声を絞り出す。
「あたし……もう見たくないの……大切な人が傷ついて、このヘリ乗る姿なんて……だから……翔……戦って!!人殺しの為じゃなく……誰かを守るために!!」
光が言い終わっても何も返事が返ってこなかった。もう、翔はだめなんだ。と光は絶望と悲しみの波に飲まれ、その場に膝をつきうなだれる。
†
「女は泣かすモノじゃないぞ。翔」
無意識下で声が聞こえる。頭の中の泉に広がる水の輪のように。
懐かしい声。当たり前だった声。最愛の友、竜也の声。そして、もやの中からその姿は現れた。翔は少し微笑み問うた。
「誰だよ?女って?」
「光だよ」
「光を?」
翔は訝しい様子を見せた。だが竜也は続ける。
「あぁ。ヘリの中で泣いてやがるぞ・・・」
「そうか・・・でさ、光に怒られちまったんだ。戦えって。どうする?」
「なら、戦えよ。お前らしくもない」
「でも・・・俺は」
「何言ってやがるんだよ。大エース様。俺はお前をずっと高い空から見守ってるからな。じゃ」
そう言って幻影は翔の肩に手を乗せ消えた。
「竜也・・・」
翔は長い夢から覚めたような気分だった。長い悪夢から解放された気分だ。手足は軽いし、心臓は平常活動している。至って普通の状態だ。
そして空は雲は残るが、その隙間から木漏れ日のように日が差し込める。
翔は息を深く吸う。
行くぞ、竜也。また戦うよ。
翔はかすれた声で言う。
「・・・アイ ハブ」
必死になってミサイルの波状攻撃をよける隼人には聞こえなかった。
「アイ ハブ」
それでも聞こえない。だから翔は叫ぶことにした。
「アイ ハァァアアァァブ!!」
刹那、隼人は気づく。
「翔?」
「良いから代われ!!大エースの操縦ってもんを見せてやるぞ!!」
「翔!!OK。ユーハブ」
隼人は久々に聞いた。自信にあふれた翔本来の声を。
「さてと・・・反撃の時間だ!!でも・・・その前に」
翔は無線機の周波数調節つまみを回して無線を繋ぐ。
†
光はヘリの中で涙に暮れていた。大切な友達を救えず、悔しさあまり泣き出してしまった。
『イーグル3よりナースエンジェルへ。聞こえるか?』
ノイズ混じりの声が聞こえる。隼人の声ではない声。
「翔・・・?」
光は半信半疑でその名を呟くように呼んだ。
『聞こえるか光!?俺だ。翔だ!!』
いつもの翔の声だ。明るく、どこか人なつっこい声が聞こえる。
「翔・・・よかった」
『あぁ。ありがとうな。あと・・・色々と心配かけて悪かった』
光はその言葉を聞いた後、涙を拭って言った。
「悪いと思うんなら、後ろにいるあばずれをやっつけなさい。以上!!」
『イーグル3了解!!』
翔は操縦桿を強く握り直した。
その瞳には一塵の迷いもなく、闘志に溢れていた。
誰かのために戦う。
これが今の翔の戦う意味だ。