MISSION9 戦士の義務
2015年 5月3日 午前9時49分
空母 J・グラフトン 航空隊 待機室
無機質な椅子が立ち並ぶ待機室の当直士官席に一条明は腰掛けている。
一条大尉の隣に一人の小柄でカーキ色の制服を身に纏った日本系の少年が直立不動の状態を保っていた。
彼の胸には少尉のバッジ、そして名札が付けられている。
矢吹隼人
黒光りするネームプレートに刻まれている文字こそが彼の名だ。
「翔の奴……まだか?」
腕時計を見て一条大尉は苛立つ素振りを見せる。
風宮翔の元相棒、宮島竜也が死んで数週間経つ。
複座の戦闘機の操縦訓練しか受けていない翔に単座機を操縦させるなど不可能だ。
故に、ヘルハウンズは補充要因をとることにした。
補充のレーダー要員。それが矢吹隼人だ。
一条大尉は隼人に問う。
「矢吹少尉、君と組む奴は一言で言うと問題児だぞ。大丈夫か?」
「はい。彼なら知ってます」
「訓練校の同期か?」
「えぇ。彼は僕の友達です」
旧友との再会を心待ちにしている隼人だが、彼の胸の中には不確かな不安の種がまかれている。隼人は不確定要素を払拭したいが出来ずにいた。
竜也と翔は無二の親友だ。そのことを隼人も知っている。故に、竜也がかけるというのは翔にとっては肺を片方えぐりとられるようなものだと、隼人は思っている。
コンコン、と木のドアを叩く音と共に一条大尉は一言「入れと」言う。
するとドアは開き彼が現れた。風宮翔が。
「翔、彼は矢吹隼人少尉だ」
翔は無表情に頷くだけだった。
「え……」
隼人は声を漏らした。
半年前に共に訓練を受けた翔はもっと明るく、活発だった。
しかし、今の彼はどこか冷たかった。冗談とかでやる冷たい素振りとかではなく、根っから変わったようだ。
「あ……翔?」
「どうした?隼人」
返ってくるのは抑揚のない声。
一応、隼人自身のことは覚えている。でも、まるで別人のようになってしまった翔。
まるで自分は今、翔の抜け殻を見ているような気分が隼人にはしてならなかった。
「まぁ再会はこれぐらいにして、今日1300に偵察飛行にフランクと出てもらうが。いいな?」
「はい」
二人は声を合わせ了解した。
「よし。解散だ」
その声と共に翔と隼人は敬礼。そのまま二人は部屋を出ていった。
†
同日 12時57分
空母J・グラフトン 飛行甲板
空の天気は曇り。乱気流が翼を煽ってしまうような嫌な天気だった。
カタパルトに連結されたF-28Bのコックピット中で翔は舳先の向こうに広がる空をする事もなく眺めていた。
低く機内を揺らすエンジンのほうこうは乗り手に「早く飛ばさせろ」と訴えんばかりに翔の体を震わした。
風防の外ではカタパルト士官が空の旅へのカウントダウンを始めていた。
彼が指を折り終え、通例のポーズを取ればワイバーンは急加速。そのまま、大空を舞うことになる。
翔は体に染み込んだ発艦の手順をカウントダウンに合わせ行う。エンジンの出力を上げ、動翼を動かした。
エンジンから燃え上がる炎は歓喜の色を帯び、機内を揺らす。
カタパルト士官が指を折り終えた刹那、激しい加速度が体を締め付けた。
フラップ風をはらみ12トンの鉄の塊を浮かす。
乱気流にあおられながらも火竜は目的の高度6000メートルへ数分で到達。
「イーグル2は左舷、約100にいる」
隼人の声が翔のヘルメットに内蔵されているスピーカーを震わす。
「了解」
翔は100メートル先に見える編隊灯の明かりを頼りに左へ旋回。フランク機の左翼に平行にポジショニングをする。
比翼の烏を連想させる見事な編隊は探索ポイントを廻り、敵機を探し出し破壊するのである。
決まったコースを延々と二頭の火竜は飛ぶ。
一時間経った頃であろう。この退屈な空の旅に変化が起きたのは。
変化は隼人のレーダーディスプレイから起こった。怪しい二つの光点が画面上に現れたのであった。
「これって……イーグル1より2へ怪しい機影を確認。これより、オームの首を絞める」
オームの首を絞めるとはIMF、いわゆる敵味方識別装置を使用するときのサインだ。
『2了解。この場合、大方が敵機だろう』
エドの返信が返ってくる。
数十秒の沈黙。結果はすぐに出た。
隼人のディスプレイに浮かんだ黄色い光点は赤色、敵機とF-28のコンピューターは判断。直ちに隼人は本部、空母J・グラフトンの無線チャネルにつないだ。
「イーグル1よりデビル。敵機捕捉これより、交戦を開始する」
『デビル了解。交戦を許可する。風の導きがあらんことを。交信終了』
北条神海の交戦許可とともに両機はデッドウェイトとなる増槽タンクをパージした。
「エド、敵機との距離は?」
『ざっと30キロだ。視外攻撃でやろう』
「あいよ。翔、アムラーム用意しろ」
フランクは隣を飛ぶ翔に指示を出す。翔は返事もせずに武装選択スイッチをアムラームに合わす。
HUD上にグリーンの四角形のシルエットが浮かび上がる。そして翔はセンターにある大きめの円を操縦桿で微調節しシルエットに添えた。
数秒もしないうちに電子音がコックピット内でターゲットロックを伝えた。
「イーグル1、フォックス3」
『イーグル2、フォックス3』
二機のF-28は一斉にミサイルを発射した。敵機が鉄ならばミサイルは磁石。相手にレーダー波を照射し超音速でアムラームは飛翔する。
目には見えないその飛翔を隼人はレーダーディスプレイ越しに見守っている。着弾するか否かで、戦闘の危険は軽減される。
しかし、ディスプレイ越しで敵機は鋭い旋回でミサイルの驚異を回避したのであった。
こうなったら最後の手段、格闘戦しかない。
相手の放ったミサイルを翔とフランクはチャフ・フレアを駆使して回避。敵との距離を一気に縮め始める。
「翔、俺は右のMIG29をやる。お前は左だ」
フランクの提案に翔からの答えは無かった。しかし、これは肯定だとフランクは理解して猛進をやめずに相手に肉薄。ドッグファイトを始めた。
「翔、始まったよ」
隼人の言葉も翔は無視。そのまま彼も戦闘を開始した。
「はぁ・・・はぁ」
「ん?」
翔の荒い呼吸がスピーカー越しでかすかに隼人には聞こえた。
「あ……」
鉛のように体が重い。手が動かない。
ころして……
「はっ」
翔は左右を見る。聞こえもしない、幼子の声が彼の耳の中に響く。
「翔・・・どうしたんだよ!?」
「あ・・・ぁ」
声にならなかった。記憶の中から脳内に再生される地獄のような映像が今の彼の全て。
自分が殺した男の子の顔。
自分のミスで死んだ竜也の蒼白な顔。
そして血塗れの母の顔。
それらが翔の脳味噌の中で浮かんでは消えていく。
「翔!!何やってんのさ!!」
彼を現実に戻したのはロックオン・アラートの電子音と隼人の肉声だった。
どうやら敵機に背後をとられたらしい。
今の状況を理解した翔は出来ることを探す。
探すはずだった。
『翔、あれやってやれ』
翔の胸の中に響く当たり前だった声、そしてもう聞くことの出来ない声。
翔の右手は無意識に操縦桿を引き、機首を上げ始めた。
ワイバーンは大きなループを描き始める。
そしてスロットルを握ったては同時にエアブレーキのボタンを押していた。
体がGで締め付けられるのを感じながら翔は無意識下で行っている。
彼の十八番の機動、『フォーリング・インメルマンターン』を。
翔が己に戻ったのは水平飛行に戻ったときだった。
状況が一気に逆転している事に困惑した翔は隼人に問う。
「何が・・・?」
「いつものあれでしょ?」
アレ……か。
翔は相手との間合いを見計らい、武器を機銃に変更した。
揺れ動く敵機に翔はペダルを踏んで左右に微調節。そしてガンクロスが合う瞬間に引き金に指をかけた。
「……え?」
20ミリの弾丸は放たれなかった。もう一度指に力を掛けた。
何も起きない。
「故障か?」
「いや、機銃のシステムは正常だよ」
そう言われて翔は自分が握る操縦桿に目をやる。そして翔は気づく。
自分の指が動いていないことに。
「ゆ・・・指が動かない」
何度も何度も指に力を入れてもトリガーを動かすことが出来ずに終わった。
指に力を入れる度に鮮烈になっていくあの忌々しい映像達。
これは翔の体が殺人を拒絶しているようだ。
「うわぁぁああぁぁぁああぁぁあぁっぁあああぁぁああぁあぁ」
その映像を翔は理性という枷を破壊して払拭したのであった。
敵機は赤い鮮血の代わりに漆黒オイルを飛び散らせる。砕け散る皮膚や肉の代わりに装甲板が砕けた。そして火炎の花が曇った空に咲いた。
「はぁ・・・はぁ・・・はぁ・・・はぁ・・・」
ようやく破壊の協奏曲は鳴り止んだ。甲高いガトリング砲の駆動音という余韻を残して。
この日、風宮翔は事実上のエースパイロットになったのであった。
†
同日 9時41分
太平洋 空母 J・グラフトン
雲も晴れ、夜空にはきれいな弓形の三日月が昇っていた。その月を翔はいつものデッキから眺めていた。
「何がエースだ・・・バカ野郎」
翔はスクリューの音にかき消されんばかりの声で呟く。そしておもむろに飛行服に付けてある飛行章に手を伸ばし引きちぎった。
そして、それを海へと投げ捨てようとする。
「そいつは早すぎやしないか?翔」
投げるモーションを取った翔の手首を一条大尉がつかんで止めさせた。
「何ですか?大尉」
「何ですか?じゃねぇよ。フランク達から聞いたぞ。今日のフライトの事」
「そうですか・・・で。何か?」
明は翔の右隣の手すりに肘を掛け目線を三日月に合わす。
「パイロット辞めたくなったのか?」
ウィングバッチを捨てるという事は、パイロットを辞めた事を意味する。翔の挙動を見れば誰だってそう思う。
「そんな所ですかね」
「そうか・・・何でだ?」
「自分には重すぎると思ったからです」
「重い?」
彼は訝しく翔の横顔を覗く。
「はい・・・人の命を奪ったり・・・竜也が死んだり・・・俺は・・・戦争を遊びのようにしか見れなかった・・・!!それが・・・」
翔の独白を聞いた明は更に問う。
「で、お前はどうしたい?」
「もう・・・死にたいです。死んで竜也や俺が殺した人奴らに謝りたいです」
「翔」
名を呼ぶのと同時に明は彼の頬を力一杯に右の拳で殴り付けた。
予期せぬ拳に翔は成す術もなく後方の壁に叩きつけられた。口の中からは血の味がぬるりとする。
手をひらひらさせながら明は頬を押さえる翔に言う。
「死んで詫びる?甘ったれた事ぬかしてんじゃねぇ!!」
「何を・・・!!」
翔は拳を握りしめ反撃しようとしたがやめる。相手は自分の上官、上官に暴行など行ったら軍法会議ものだ。それを避けるためにも彼は牙を納めた。
「お前はな、竜也の一生とお前が殺した連中の一生を背負って生きてるんだ!!それなのにここで死んで詫びるだぁ?バカにすんのも大概にしやがれ!!」
「え・・・」
「死んで詫びたらなそれっきりなんだ!!お前・・・いや俺たちは生きて詫び続けなきゃいけねぇんだよ。それが生き残った奴らの義務なんだ!!」
隊長は言い終えるときびすを返しその場を去ろうとする。去り際に彼はこう言葉を紡ぐ。
「これはなお前の親父さんの言葉だ。作戦が終わる度にいっつも言ってた。だから、翔。息子のお前がそのポリシーに反するなんて・・・親父さん・・・いや隊長が浮かばれねぇ。それを忘れるな。以上だ」
去り行く彼の大きな背中を翔はただ見ることしかできなかった。三日月の下、翔は拳を強く握り力一杯、壁を殴り付けた。
金属の反響が静寂な海に響きわたった。