近藤ver
盆を控えた8月11日、山の日は休日だ。
俺はそこから盆休みの連休に入ったが、特別なにか予定があるわけでもなく、暇を持て余していた。
レジャースポットに繰り出すだけの元気もなく、せいぜい食料を調達するため近所のスーパーへ行くくらいしか外にも出ないつもりでいた。
そんな時、高校卒業以来連絡のなかった友人から電話がかかってきた。
不思議な感覚を覚える。
まだSNSを通じて連絡が来たのなら、投稿内容から予測して連絡してきたのかな?とも思えるのだが、今かかってきているのはスマートフォンだ。
誰かに聞いたのだとしても、SNSの通話機能を使うとか、ダイレクトメールとか、そっちの方が手軽なんじゃないか?
とはいえ、相手が同じSNSを使っているとも限らないし、かかってきている番号を見ればそいつの自宅からだ。
固定電話からなら、確かに携帯番号にかけるしか連絡手段はないか……にしてもパソコンが……。
と、ここまで考えてから電話に出てみた。
「もしもし井口?久しぶり」
通話ボタンを押して軽く挨拶をすると、ザザザっと不快な雑音が聞こえて、その奥から、
「久しぶり。急に連絡して悪いな」
そんな井口の声が聞こえた。
雑音は消えないがお互いの声がかき消されるほどでもなく、そこからしばらく昔話が続き、最終的には久しぶりに会おうというところでまとまった。
「会った時に相談したいことがあるんだ」
そんな言葉に対し、
「壺を買えとか、保険に入れとか、そんなんじゃないだろうな?」
「そんなんじゃねーわ」
と笑い合う程打ち解けた位で、友人だった奴とはいくら時間がたっていようともすぐに打ち解けるものなんだなと思った。
翌日、約束の時間から1時間前に家を出た。
車で行けば10分程度で到着する距離ではあるけど、生憎俺の車は今修理中なので、移動手段が自転車か徒歩しかないのだ。
こうして真夏の暑い日差しの中、約束の場所まで自転車で向かう。
セミの鳴く道を自転車で進み、交差点で信号待ちのために止まれば、電柱のところに花束が見えた。
3日前ここで事故があったからだ……救急車で運ばたけど、そうか、被害者は亡くなったのか……。
ボンヤリとそんなことを考えていると信号が青に変わり、心の中で合掌してから自転車をこぎだした。
約束の場所につけば、ベンチに井口が座っている。
ベンチの後ろには木が立ってはいるが、時間帯が悪くベンチは日陰にはなっておらず、井口は直射日光を浴びながら、それでも涼しげにそこに座っていた。
暑いだろうに……と考えて違和感。
俺は1時間も前に家を出てここへ来ている。
確かに自転車移動で時間はかかったけど、20分ほどしかかからなかったから、約束の時間から40分も早い到着になったんだ。
そんな俺よりも先にいる?
いったい何時に起きたんだ?
「井口、早いな。待ったか?それよりここ暑いだろ、どこか店はいろう」
声をかけてカフェに入れば、井口はカバンから白い板を1つテーブルに置いた。
それは少し古ぼけており、白い板というよりも”白い板だった物”という色合いで、大きさは丁度カップアイスを買った時についてくる気のスプーンほど。
なんの変哲もないソレの使用方法は、いくら考えても思いつかない。
「これ、お守りらしいんだよ。ばーちゃんの物なんだけど、形見として俺がもらったんだよね」
ばーさんからの物なら、古ぼけていることにも納得だ。
「これがどうしたんだ?」
「夢に中にばーちゃんが出てきて、お守りの効果が薄いから新しい物を受け取りに行けって言うんだよ」
へぇ……。
そんなスピリチュアル的なことを信じるタチだっけ?
お守りを持ち歩いていたってことすら信じられない位、井口は心霊系統には興味なかった筈じゃないか。
「新しいのをこれからもらいに行くとか?」
1人じゃ不安だからついてきて欲しいって感じか?
「あ、いや。少し前にもらいに行ったんだよ」
あ、既に行ったのか……ならどうして今目の前にあるお守りは古ぼけているんだ?
まさか、これが正常な状態……あ、先にばーさんの物だとの紹介があったな。
「で?どうしてまだばーさんのお守り持ってんだ?」
新しい物を持たないと駄目だから、ばーさんが夢に現れたんだと思うんだけど……大丈夫なのか?
「お守りをもらいに行ったらさ、使い方ってのを教えてもらって……なんか、これを横に持って目の前に出して霊と目が合わないようにするんだって」
と、井口はテーブルに置いたお守りを両手で持つと目の前で横に持ち、俺と目が合わないように構えて見せてきた。
そしてまたパタンとテーブルの上に置き、俯いてしまった。
かなり落ち込んでいるように見えることから、なにかがあったようなんだけど、さっきから軽い違和感がある。
この喫茶店の店員、いつまで経っても注文聞きに来ないー……。
セルフッ!
「先に飲み物買いに行こう!ここセルフだ。アイスコーヒーで良いか?」
「あー、今金欠だし水で!俺席取っとくから頼むわ」
これから盆が始まろうという時期に金欠とは、かなり厳しいんだろうな……俺だって余裕はないけど、久しぶりに再会した友人にコーヒーの1杯すらおごれないわけではない。
こうしてアイスコーヒーを2杯購入して席に戻り、申し訳なさそうな表情を浮かべる井口に話の続きを要求した。
「コーヒーありがとな。えっと……新しいお守りをもらいに行って、そこでさ3つ貰ったんだよ」
一度に3つも貰えるものなのか?
まさか、そのお守り代金を支払ったせいで金欠ってオチか?だとしたら完全に詐欺じゃないか。
「で……1個いくらしたんだよ……」
「え?あ、お守り作ってるのがばーちゃんの実家だから、無料ではあったんだよ。ただ疎遠っていうか、行きづらい雰囲気で今まで数回しか行ったことなかったんだよなー」
ご実家!
ばーさんの親族さん、詐欺者扱いしてゴメン。
「3つも貰ったんなら、新しいのを持ち歩いた方が良いんじゃないか?」
そもそもそれが目的でばーさんは夢に現れたわけだし。
「……それが……ほら、最近ってパワースポットとかって流行ってるだろ?盆だし、スピリチュアル的な……で、試しに1個だけフリマアプリに出品してみたら、数分で売れてさ」
そう言って鞄からスマートフォンを取り出して電源を入れようとしているんだけど、そのスマートフォンはパッと見ただけで壊れていることが分かった。
歪な形にひしゃげているからだ。
井口は少しの間スマートフォンを起動させようと奮闘していたがあきらめ、俺にフリマアプリを調べてみるようにと促した。
スマートフォンを取り出して検索してみれば、ダウンロードしなくても出品されている品物が確認できた。
「”お守り白い木の板”を調べてみて」
というので調べてみれば、確かにテーブルの上に置かれた木の板が売られていて、ソールドアウトになっていた。
3つ分。
「1個だけ売りに出したんじゃないのか?」
「1個目を1万で出品したら数分で売れて、2個目を5万で売りに出しても数分で売れて、だから3つ目は売れなくても良いと思って、1日経って売れなかったら自分で使おうってことで、10万で出してみたんだよ」
で、売れたと。
なら売上金を銀行に振り込めば、単純に16万はあるってことじゃないか。
それがなんで金欠……そうか、フリマアプリの業務が盆休みに入って振込申請が通らないんだな?
しかし、折角もらったお守りを全て転売するとは……ばーさんもあの世で溜息はいてるだろうさ。
「けど、10万もするお守りを、フリマサイトで買おうって思う人がいることに驚きだわ」
有名な神社の、有名なお守りだったとしても、俺なら10万で買おうとは思わないし、そもそも1個目の値段である1万円でも買わない。
知る人ぞ知る、みたいなお守りだったとか?
「だよな……俺もビックリしたんだけど、流石にやばいなって思って……でも絶対に怒られるって思ったから、近藤に協力してもらおうと思ったんだ」
ここへきて俺がなんの助けになるというのか。
「出来そうなことならするけど……協力って?」
お守りを正規の代金で売ってもらえるから、そのお金を貸してほしい、とかだろうけど。
「そう言ってくれると思ったから、俺あの日近藤の家に向かったんだ」
ん?
家に向かったって、家に来たのか?
「いつ?」
「えっと、3日前かな?んでも途中で”いけない”ってなって、正直に話そうと思って1人でお守り貰いに行ったんだよ」
結局は来てないのか。
でも良かったよ、3日前は買い出しに出ていて、家にはいなかった日だ。
それに途中で自分の行動が悪かったと気が付いて引き返したってところが、立派じゃないか。
「それで、貰えたのか?」
テーブルの上に古い板が置かれていることを見れば、貰えてないんだなってのは分かるけど。
「さっき言ったじゃん?この板の使い方。目を合わさないように目の前で横にして持つって」
そう聞かれたので、俺は板を手に持つと、教えられた通りに井口の顔を視界から隠すように目の前に板を横にして構えた。
「ははっ、そう、それ。で……貰いに行ったんだけど……爺さんがお守りをそうやって俺に向けてくるんだよ」
うん?
幽霊と目を合わせないようにするものじゃなかったっけ?
「……厄介者扱いされた、とか?」
幽霊に特定するんじゃなくて”厄”と考えれば、生者であっても詐欺師とか殺人犯とかも厄のカテゴリーなのかな?
「多分……。二度と来るなとか言われてさ、マジでやらかしたーって。だからもう近藤に頼むしかないんだ。俺の代わりにお守りをもらいに行ってくれないか?」
自分で行ったら門前払いだったんなら、他の人に頼むしかない。
ただ、それがどうして高校卒業以来なんの音沙汰もなかった俺なのかは謎でしかないが、それ程まで信頼されていたと考えれば、悪い気はしない。
「金額請求されたら買わないけど、それで良い?」
「うん。あ、でも20万以内なら後で返せるから、20万までは立て替えて欲し……これ、変な勧誘っぽいな……違うからな!本当にちゃんと返すから!なんなら誓約書を作成しよう!」
必死か。
とはいえ、誓約書は作成していた方が良さそうだな……井口が俺を騙そうとしていなくても、井口を騙している大元がいないとも限らない。
「じゃあ印鑑とかいるし、一旦俺の家に移動しようか。井口判子は持ってる?」
「持ってるよ」
用意が良いな……これは結構怪しいぞ?
あ、そうか。そもそもこれを頼むために会うことにしたんだから、事前に判子を準備していたとしても不思議はない。
なんか色々疑って悪いな……。
でも、確かにどこか違和感はあるんだからしょうがない。
さっき来た道を俺の家に向かって移動する。
人を招き入れて大丈夫な部屋だっけ?と考えてみても、既に招き入れるために帰り道を進んでいるので後の祭りだ。
急に大人しくなった井口と肩を並べて歩き進み、チカチカと点滅している交差点の信号を急いで渡るために走り出そうとした時、後ろから腕を引っ張られた。
ビックリして振り返れば、今にも泣き出しそうな表情の井口がいる。
「え?どうした?」
「ごめん、やっぱり良いや……えっと、近藤自転車で来てたろ?良いのか?自転車……駅前の駐輪スペース、60分で有料になるけど」
え。
「え、嘘!90分じゃなかったっけ?あぁ、90分でも家戻って誓約書書いてたら時間切れじゃん!ゴメン、ちょっと自転車取りに戻るわ!すぐ戻ってくるから、ここで待ってて!」
そう言い残して俺は駅に戻り、なんとか無料の間に自転車を移動させることに成功した。
待たせてしまっている井口に悪いのですぐに帰り道を少しばかり急いで進み、交差点についてみたのだが、どこをどう探しても井口の姿がない。
渡った先で待っているかも知れないと思って渡り始めると、急に自転車の前輪がロックし、ペダルが漕ぎ出せなくなった。
あれ?と思い切り踏み込んでもピクリとも動かず、そのうち信号は赤に変わってしまった。
マズイ……。
こんな道路の真ん中で止まっていたら渋滞の原因となってしまうじゃないか……。
「え?」
間もなくけたたましく鳴らされるだろうクラクションに備えながら、向かってくる車を確認しようと顔を上げて違和感。
普通に突っ込んでくるし、ブレーキを掛けられている雰囲気もない。
え?轢かれる、のか?
慌ててペダルを踏みこんでも、やはりピクリとも動かず、止むなく俺は自転車をあきらめてその場に乗り捨て、全力で走って信号を渡り切ったのだった。
ガシャンと大袈裟な音を立てて轢かれた自転車は木っ端みじんだ。
あぁ……お気に入りの自転車だったのに……。
「おい大丈夫かっ!……あれ……?」
自転車を轢いた車の運転手が慌てて降りてきて、自分が轢いたであろう人物を探しているが、自転車から離れて走った俺が見えていなかったのか?
周囲の人間も俺には目もくれずに自転車ばかりを心配するものだから、俺は自分から被害者であると名乗り出たんだけど、結果的には轢かれそうになった被害者ではなく、道路の真ん中に自転車を放置した迷惑者という話の方向になってしまった。
もし俺の自転車を轢いた車にカーナビが搭載されていなければ、とんでもない迷惑者にされていたところだ。
自転車を弁償してもらえることになり、ホッと胸を撫で下ろして見渡した交差点には、やはり井口の姿はなくて、だけど妙に信号機の下に手向けられた花束が気になる。
「……3日前にもここで交通事故がありましたよね」
ボンヤリとした頭で、自然と口から出た俺の質問に対し、横に立っていた見ず知らずのおばさんが完ぺきな答えをくれた。
「えぇ、ひき逃げだったらしいわね……可哀そうに」
ひき逃げ、だったのか?
俺は3日前にこの交差点を通っている。
その時に交差点に救急車が止まっているのを見たし、事故があったと野次馬が話していたのも聞いた。それにそこにはパトカーもいたじゃないか。
それなのに、ひき逃げだった?
もしかすると3日前、同じ交差点で2回の事故が起きたとでも言うのか?
「えっと、ひき逃げの他にも事故がありました……よね?」
詳しい経緯は知らないけど、俺は確かに事故現場でごった返している交差点を見ている。
「夕方に車がスリップしたことかしら?確か運転手が人をはねたって騒いで救急車を呼んだのだけど、単独事故でね、結局頭をぶつけて出血していた運転手がその救急車で運ばれたのよ」
どうやら俺が見たのは、車の単独事故直後だったようだ。
だけど、運転手は人を轢いたのだと言い、その後ひき逃げをされた死体が発見されたことになるんだよな……そんなの、夕方のその車にはねられた人物だとしか思えない。
いや、夕方の交差点は人がごった返していた。
もし死体が道路に転がっていたのだとしたら、誰も気が付かないわけが……。
誰も、気が付かない?
それって、まさについさっきの俺じゃないか。
自転車のことは皆見えていたけど、それが俺の自転車だとは誰も気が付いていなかった。
それはつまり、誰にも俺の姿が見えていなかったことなんじゃ……。
「井口?」
なんだろう、なんなんだろう、なにかが可笑しい。
そうだ、電話、電話をかけてみれば良いんだ!
井口からかかってきた電話、通話記録を見ればかけなおしができる。
しかし、俺のスマートフォンの通話記録には、どこまで遡ってもかかってきた筈の井口からの記録はなく、だったら直接電話をしてみようとして気が付いた。
高校卒業以来音信不通だった友人の固定電話番号なんか覚えてるわけがないし、高校卒業後に買い替えたスマートフォンに、井口の固定電話の番号を登録した覚えもない。
それなのに俺は何故番号を見ただけで井口の自宅からだと分かったんだ?
家に戻り、卒業文集を押し入れから引っ張り出して見ると、不用心なことに生徒全員の住所と電話番が書かれていて、俺はそこに書かれていた井口の実家に電話をかけてみた。
なんとなく見覚えがあるのは、きっと昨日に見た番号だったからだろう。
「はい、井口です」
電話に出たのは、たぶんだけど井口の母親だろう。
だけど、声がかなり疲れているように聞こえる。
「お久しぶりです。俺はノブユキ君の友達で近藤と言います。えっと……ノブユキ君いますか?」
自宅からかかってきた電話だから、自宅暮らしなんだとは思うけど、交差点で待っててと言った相手が無言で自宅に帰っているのは少々思うところがある。
電話に出たらちょっと怒ってやろうかな?
「えぇ……戻ってきています……明日お越しください」
電話は一方的に切られてしまった。
その後、電話をかけなおそうかとも思ったんだけど、井口の母親の声はひどく疲れているように聞こえたし、明日来いってことだからその日はそのまま休むことにした。
3日前にしこたま頭を打ち付けて数針を縫う怪我をしたため、未だに頭がふらふらするときがあるためだ。
翌日、井口の家に向かうために早めに家を出た。
車で行けば10分ほど、自転車で行けば20分ほどで到着する距離ではあるけど、生憎俺の車は今修理中で、自転車は昨日大破したため、移動手段が徒歩しかないのだ。
ジリジリと暑い中を徒歩で進めば昨日の交差点に差し掛かり、そこに井口の姿を探してみたが見当たらず、予定していた時刻通り目的地に着いた。
「え?」
高校生の頃に幾度となく訪れたことのある井口の家にはモノトーン柄の幕がかけられていて、中に見える祭壇には、なんとも微妙な表情で笑う井口の写真が飾られていた。