痛みも甘い
最終回です
ジュストの目が私で止まる。
歩みを止めていないので周りは気がついていないけれど、このままじゃ気づかれる。
千年の呪いは強いのね・・・
ランベルトを見上げ、
「少し離れましょう」とお願いする。
背中を向ければ視線も外れるだろう。
飲み物を取り、ランベルトに向かってため息をつく。
「甘かったかな」
「いいえ、大丈夫。見て、ちゃんと役目をこなしているわ」
次から次へと挨拶に来る客に笑顔で対応しているし、視線は私へ来ていない。
「人が減った頃、行きましょう」
「わかった」
端にいるとはいえ、ランベルトと話したい令嬢や紳士が近寄ってくる。
「連れの女性はどなたかな?」
「大切な人です」
ランベルトがにっこり笑って私の手を取り、
「ようやく口説き落としたところなんです」と言う。
そうね、本当にそうなれば嬉しい。そんな思いでランベルトを見つめる。
「邪魔してごめんなさい」と令嬢は去り、紳士は「羨ましいな」と社交辞令を挨拶代わりに去る。
それを繰り返していたらダンスの曲が流れ出し、ジュストがフィオレの手を取りホールの真ん中で流れるようにワルツを踊り、見つめる客からは感嘆のため息が漏れた。
フィオレにちゃんと惹かれている。
それが見て取れたのでランベルトの腕を掴んで注意を引き、大きく頷く。
「ダンスが終わったら行きましょう」
□ □
「ジュスト、おめでとう」
ランベルトが声をかける。
「ありがとう」
ランベルトの影から出て
「おめでとうございます」心からの笑顔で祝福の言葉をゆっくり捧げた。
「このタイミングで会うのか」
独り言のように呟いた言葉は私の耳にしっかり届く。
「はい」
「・・・」
視線をジュストのパートナーに向ける
「フィオレ様もおめでとうございます」
「ありがとう」社交的だけど温かい笑み。私が誰なのかすらわからないのかもしれない。
挨拶が済んだのでランベルトを見ると
「じゃあまた後で」と私の背中に手を添えてその場から離れた。
その後、ランベルトと二人で踊ったり、軽く食べたりしてからバルコニーへ出る。
「たぶん・・話をしに出てきそうよね?」
「あの様子ならおそらく」
「一緒にいて。離れないで」
「絶対に離れない」
「今から少し千回分の記憶を集めて、マリレーヌじゃなくなるかも」
「・・わかった」
□ □
千回分もの記憶があると、もうどれがどのときの恋なのかわからなくなってもいいだろうに、どの恋も楽しくて苦しくて悲しくて愛しくて、大切な大切な記憶。
あの時はあんなふうに二人で笑ったし、このときは大喧嘩してもうだめかと思った。いつもいつでも一緒に恋をして、本当に大切な人。
今だって、あの決意がなければ駆け寄って抱きしめたいし抱きしめられたい。
切なさに涙が溢れそうになり、自分の両手で頬をバチンと叩いた。
「痛い・・」
「マリレーヌ」ランベルトの眉がハの字になってる。
「なぜ自分で自分の頬を叩くんだ?」ホールの光を背に逆光で表情は見えないジュストが近づいて来ながら尋ねた。
「自分に喝を入れるためです」
「なぜそんなものが必要?」
「・・・」
「私は君のことが気になって仕方がなかった」
「はい」
「君はたぶん、私から逃げたかったんだろう?」
「はい」
「どうして」
「あなたには私以外と幸せになってほしかったから」
「それでも君が良かったと言ったら?」
「もう、フィオレ様と幸せになれるとお気づきでしょう?」
「・・・」
「私とじゃなくても幸せにになれます」
「・・・」
「今からおかしなことを言いますが、わからなくてもこれが本当の私の気持ちなのだと聞いてください」
「・・・」
「何度生まれ変わっても好きな人がいます。その人は私に執着していて、私にしか恋をしないと言います。だけど・・私と恋をしなくても大丈夫なのだと知って欲しいと思いました。どんなに離れても大丈夫なのだと知って欲しい。今、その人と結ばれないことがこんなにも寂しいことだったのかと全身で痛いほど実感していますが、それでもやっぱりこの人生は別々の人と結ばれたい。そうやって執着を捨てた先にまた変化するものもあると証明したい」
「・・・」
「だから」
「だから?」
「あなたと恋はしない」
「・・・」
「私などいらないと言ってください」
告白されてもいないし告白してもいないのにおかしなことを言うと思われているかもしれない。
「私との恋愛など、この人生には必要ないものだとしっかり口に出して私を振って下さい」
「そんなことをわざわざ口に出さなくても、始まってもいないしこれからも始まれないだろう」
「できれば・・私の執着も粉々に砕いてほしい」
いよいよ本当にお別れなのだと思うと、体が小刻みに震えてしまう。
「マリレーヌ」そっとランベルトが隣に来て肩を掴む。
「・・わかった」
本当に?とジュストをしっかり見る。
「なぜだ。この身を削られる気がする・・」
無言で待つ。あと少し。
「君は必要ない」
なんという愛の言葉。
別れの言葉なのにこんなにも甘い。
彼が、私の意志を尊重してくれた。私にとっては最高に甘い愛の言葉。
「これでいいだろう」
「はい」自分が泣いているのか笑っているのかわからない。
「そんな顔をするな」
私の方へ手を伸ばしかけてやめた。
「ありがとう」
涙が溢れる。
これでいい。
ずっと支えてくれたランベルトの気持ちに全力で応えられる。こんな私をまだ望んでくれるなら。
光煌めくホールへ戻るジュストを見送ってから、ハンカチを取り出して涙を拭おうとするより早く、ランベルトが優しく頬を拭ってくれた。
「今日はもう帰る?」
「大丈夫。そんなに弱くないわ」
「頑張ったね」
「うん」
「もう泣いてないんだね」
「これは嬉し泣きよ」
「千回も彼を愛した君を痛感したよ」
「こんな私は嫌?」
「・・・」
「無言なのね。ふふっ。振られついでに思い切り振っていいわよ」
「誰かと比べて自分のほうが強い気持ちだなんてわからないし言いたくもない」
「う・・ん?」
「マリレーヌに一目惚れして、事情を聞いて協力して、一緒に作戦も立てて」
「感謝してる」
「その全てが僕にとって大切な思い出だ」
「私にとっても大切な思い出よ」
いよいよお別れを言われるのかしら。別れを思うとギュッと心臓が縮む。
「君以外と人生を送ることも何度も考えた」
「当然ね」
「そのどれも楽しくなさそうな未来しか見えなくて」
「大丈夫よ?違う人との違う幸せの形はきっとあるから」
「僕はマリレーヌと結婚して、たまにマリレーヌが歌うのを聞いて、マリレーヌが怒ったら謝って、マリレーヌが泣いたら涙を拭いてから君の好きなものを用意して食べさせて、僕が落ち込んだときは膝枕でもしてほしいし、僕が怒ったらキスしてくれたら機嫌直すし、君に合わせてダサくなるからたまにダサい二人で街を散歩して、君よりほんの数日早く死にたい。君に去られるのはきっと耐えられないから」
「すごく素敵なプランね」
「マリレーヌ、君が好きだ。ずっと好きだった」
「私でいいの?」
「君がいいんだ」
「嬉しい」
さっき千回の恋人に別れを告げられたところなのに、ランベルトの愛情に応える自分をすごいと思う。それでも愛しいと想う気持ちに嘘はない。
だけど・・・なにかしらこのほんの少し胸にひっかかるものは。
新たに執着してくる人を作っただけ・・・?
違和感の正体を見極めようとしていると温かい手が私の手を包み込んだ。
「マリレーヌ。今すぐじゃなくてもいいから僕と結婚して欲しい」
違和感をランベルトの真剣な瞳の中で探す。
「結婚はいや?」寂しそうなランベルトの顔に意識が移る。
違和感を探すのをやめた。この辛抱強くて優しい人を愛して生きたい。
「結婚したい!」
ランベルトの胸に抱き寄せられ、心地よい温もりに包まれる。
どうやら私は私に執着する人が好きらしい。そのぐらいなら構わないわよね。好みの話だもの。
□ □
二人の人生を重ねていく。ランベルトはラファネッリ商会の仕事についた後、独立した。
ランベルトが私を甘やかすので「それ以上甘やかさないで!私の性格がダメになる」と苦情を言うと
「君を甘やかすのがぼくの趣味なのに!」
と喧嘩になる。
結婚2年目と4年目と7年目に生まれた子供も大きくなり、
「またお父様とお母様が喧嘩してる」と呆れる。
「これが喧嘩してるように見えるなんて、あなたたちの目は節穴ね」
「喧嘩してるもん!」
「お父様とお母様はこうやっていちゃついてるの」
ふふんと得意気に胸を張って言うと
「そうだよ」とランベルトが私の頬にキスをする。
「だからたっぷり甘やかさせて」
「嫌よ」
「お願いだから」
「もう!」
「「やっばり喧嘩してる」」
「違う!」
シワも増え、白髪ばかりになり、子供たちもそれぞれの家庭を作った。
この前引いた風邪がなかなか治らない。
「もし私が先に死んだら約束破っちゃうわね。だから今ちゃんと伝えておくわ」
「死ぬなんて考えたくない」
「私はあなたと出会えて本当に幸せ」
「うん」
「ただ。一つだけ少し気になることがあるのよね」
「なんだろう」
「あの世で答え合わせをしましょう。先にいったら待ってるわ」
「気になって早く死にたくなるな」
「ふ。もし私が正解したら、死んだことを後悔するかもよ」
「うーーーん?」
「あの世も楽しみね」
「うーーーん?」
「ふふ」
□ □
結局、私が先に死んだ。
ゆらゆら揺れる空間でマスターに会う。
『おかえり』
「ねえ」
『あ、気がついてる?』
「ええ!!ランベルトは彼よね」
『割合的には10%ぐらいの含有率だけどね』
「なんでそんなことになったわけ?」
『君を先に送り出した後、彼が君の願いを叶えたいけれどどうしても耐えられないとダダをこねたんだ』
「っ!」
『今、舌打ちしたね。うん』
「で?」
『あ、うん。えーっと・・ここは時間がない空間とはいえ、あんなに長居されるとね、なんかこう・・情がさ・・芽生えちゃって・・うん』
「で?」
『最初はね、二人の人物に分けて、50%ずつにしたいとか言ってたんだけどね・・・うん』
「誰に対して『うん』って言ってるのかしら」
『あ・・うん、あっ!えっと・・君、怖いね』
「で?」
『う・・えっと、どこまで話したっけか』
「50%がいいって言ってたとこまで」
『的確だね、う・・えっと・・50%なんて君との約束を破っちゃう比率だしね』
「で?」
『まあそこから比率を下げる交渉が長きに渡って繰り広げられて』
「で?」
『なんだろう、少し背筋が寒いや。えーっと・・君たちが恋愛しないという約束と、諦めきれないという彼の粘り強い交渉の折り合いがついたのが10%だったってわけ』
「私は結局またあの人と恋愛したってわけね?」
『いやでもほら、たった10%だし?それに90%のジュストのほうは君のために諦めてくれたし?10%をランベルトのほうに入れておかないと、諦められなかったんじゃないかな?』
「・・まあ確かに・・。今回はあの人が私のために引き下がってくれたというのが何よりの経験で嬉しかったんだけど」
『あとはよろしく』
そんなに私が怖いのか。一瞬で去った。
彼がやってくるまで少し時間がある。二人分の人生が混ざり合うまで。彼に会う時間はいくらだってタイミングを操作できる空間ではあるけれど。
約束を守ってないのだから、このまま会わないでいることだってできる。
だけど・・・ランベルトもランベルトの中の彼をも愛した。
時間は永遠にある。今回はこちらに戻る前に薄々気がついていたし、記憶を持っていたからといって変えられたことなんて少ないということもわかった。
ランベルトのおかげで、さらに愛を知った気がする。
しょうがないな・・許してあげる。
「出てきなさい」
「・・・」
「怒ってるわよ」
「はい」
「げんこつ落としたいとこだけど、ここじゃ肉体持ってないから意味ない」
「・・・」
「今、明らかにほっとしたわね」
「っ!」
「いけないことをしたのはわかってる?」
コクンと頷く彼の全てを抱きしめる。
「やっぱりここに来ると、肉体を持っていて抱きしめ合うことができる凄さを感じるね」
「まだ怒ってる?」
「もう怒ってない」
「ごめん」
「愛してるわ。あなたもランベルトも。それに、あなたがフィオレを愛したことが何より嬉しい」
「君が僕以外を愛することだけは我慢できなかったんだ」
「だからランベルトと融合したのね。私はフィオレと融合しないわよ」
「それでいい。フィオレもそんなことは望んでいない。さっき会ってきたら『次はあなた以外がいいわ』って言われた」
「ふふふ・・残念ね」
「次はこんな風に愛したい、こんなふうにしてあげたい、こんなことも二人でやってみたい。そんなことをいつもいつもここに帰ってきたときに思うんだ」
「・・・しょうがないから、あと千回付き合ってあげる」
「千回終わったらまた別々の人と恋愛したいって言うつもりか?」
「千回恋愛した後に、あなたとちゃんと話し合って決めるわ。その頃にはやりたいことなんてなくなってるかもしれないし」
「やりたいことがまだあれば付き合ってくれるんだな」
「今度は5%だけね」
「せめて10%」
「間をとって7.5%」
「9.9999%」
「なるほど、マスターが根負けしたわけね。千回後のことはわからないけど、今はそれでいいわ」
「!」
「なにをそんなにびっくりしてるの?」
「そんなあっさりオッケーもらえると思ってなかったから」
「あなた、私とあんなに恋愛してるのによくわかってないのね」
「何を?」
「私だってあなたのことをどうしようもないほど愛してるってこと」
「もう1回言って」
「・・・」
「もう1回」
「愛してる。あなたが誰を愛そうが、あなたがどんな姿だろうと」
「僕も愛してる。君が他の人間を好きになるのを許せるような愛ではないけれど」
「しょうがないわね」
「しょうがないんだ」
そう言って二人で笑った。
読んでいただきありがとうございます。