分離
水の中にいるかのようにゆらめく薄い青の空間、私は大切な人と、この空間のマスターと3人でいる。
「だからね、何度も何度も言ってるように」
「僕と恋愛したくないんだろう?」
「そうよ!もう二度と、二度とじゃないわね。千回は恋してるから」
「僕は永遠に君と恋をしていたいんだ」
「だから言ってるじゃない、もう嫌だって」
「でも僕は永遠に君がいいんだ」
「千回もしたじゃない。満足して」
「満足してるよ。これからも満足したいんだ」
「ほら、無駄でしょ?全然私のお願いを聞いてくれないもの」
『折り合いをつけるのが難しそうだね』マスターがクスクス笑いながら軽く言う。
「今回だけはお願いをきいてもらうわ」
「どうやって?」
「生まれる時期も、生きる世界も完全に別にしてもらう!」
「ダメだね」憮然とした表情で大切な人が答える。
『今回は、私の気まぐれでオッケーすることにしたよ』
にっこり笑ってマスターが言った。
『納得できないのに放り出すわけにはいかないからね。妥協案としてこんなのはどうかな?』
目の前にビジョンが現れて図で解説される。
『彼女は彼と恋愛がしたくない。彼は彼女としか恋愛がしたくない。違う時代、違う世界でそれぞれ恋愛するもしないも自由だ。だけどそれをしたところで、お互いに大した満足感は得られない』
ビジョンの中で→矢印でハートが出たり砕けたり、親切丁寧な図説にしばし見入る。
『だからね・・彼がいる世界で、彼に振られるのがいいと思うんだ』
「「は?」」
『君が彼を振ったとして、彼が納得するかな?』
「納得するわけないわ」
「・・・」
『大事なのは、彼に君と恋愛したくない、もしくは諦めようとと思ってもらうこと。そのために今回は特別に!!』ババーン!と大げさな効果音が鳴る。マスターは楽しんでいるのかもしれない。
『彼女の記憶は残したまま転生、彼の記憶は完全に消して転生することにしてあげる!』
「「・・・」」
『お得だよ?』
「私の記憶がある・・!!彼が好みそうなことを避けられるってわけね」
「今までだって記憶を残して転生したことなんてないが、彼女に恋したから特に問題はない」
「ちょっと待って、私はいつも彼だとは気づけず結局彼に恋をしてるわ!ちゃんと彼だと気づける機能も欲しい。だって顔も体型も毎回違うし」
『なるほど。じゃあオプションで彼だと見分ける機能をつけてあげるよ』
「助かるわ。あなたもそれでいい?」
「難易度が上がっただけだ。出会えるんだろう?」
『そうだね、出会えるようにしておかないと失恋することも難しいから。平等にするために、彼の顔や容姿は彼女の好みになるように設定してあげよう』
「ぐぅぅ」
『君は彼を見分けられるんだから』
「・・わかったわ」
『それでいいかい?』
「構わない」
『じゃあ、いってらっしゃい』
ぽんと背中を押された瞬間に意識が無くなる。
□ □
「おぎゃー!」
「まあ、なんて可愛らしい赤ちゃん」
「私達の大事な宝物に、マリレーヌという名前はどうだい?」
「海の輝く星ね?夜の海に似た色の瞳のこの子にぴったりな名前だわ」
「どうか健康で幸せいっぱいの世界で生きますように」
大切に大切に育てられた私が7歳になったとき、全てを理解した。
私は彼との恋にさよならするために生まれてきた、と。
□ □
やんちゃで可愛い弟のルチアノと森でどんぐりを拾いながらぼんやりと考える。
まだ彼とは出会ってない
彼と会えばすぐにわかるようにすると言っていたし、ものすごく残念なことに私の好みの容姿らしいし、家族の周りの人間を思い浮かべてもそんな人は見当たらない。
出会って恋に落ちたりなんかしない。何度も何度も愛されてきた。苦しいときも楽しいときもいつも人生を共にした。
そこまで大切な人とどうして恋愛したくないかって?
大切だから。
私以外とも幸せになって欲しい。私以外の幸せを知って欲しい。
ついでに、私だって彼以外とでも幸せになれることを知りたい。
だって、離れていても結局は一緒なのだと知っているから。
何度も何度もそう思って彼との恋愛はしないと気持ちを強く持って転生を繰り返した。
何度も何度もやっぱり彼に惹かれてしまう。
だけど今回は違うわ!
振られてみせる!諦めてもらう!
そもそも好かれないようにする!
そのためにできることをルチアノにどんぐりを拾いながら考える。帽子がついたままの緑のどんぐりを、ルチアノの小さくて可愛い手がしっかり握りしめる。
彼に出会う前に結婚してしまうというのもありだけど、それだと振られない・・のかしら。
結婚しておいて、旦那様以外を好きなフリをするのは私の倫理観に反する。
まずは・・顔で好かれないのも大事よね。
できるだけモッさくなろう。でも彼以外の人と恋愛をしたいのだから、出し入れ自由なモサさがいいわ。
うふ。
なんだか楽しくなってきた!
その日から、いかにダサく可愛くなく見せる研究と、可愛くなる研究を並行して始めた。
□ □
まずは自分の住んでいる街に彼がいるのかどうかをしっかり確認する。
いないのなら、年頃になるまでそんなに警戒しなくてもいいだろう。
私の家はこの世界で裕福な平民だ。
貴族が存在する世界だけれど、普段の生活で貴族と接することは殆どない。
ただ、裕福な平民は貴族に嫁ぐことも簡単だ。この街の貴族の全てを把握しているわけではないけれど、顔を合わせたことのある貴族の中に彼はいないと思う。
成人するまではパーティなどに招待されることも少ないので、この街では可愛くいても問題ないだろう。だって恋する相手も見つけなきゃ。
・・・モサい私を好きになってくれる人もいいかもしれない。
私と結ばれないなんて、彼にとっては辛いだろうな・・なんて弱気になってる場合じゃない!彼のためにも今回の人生は絶対に振られてみせる。決意を新たにした。
日々、可愛くある努力を積み重ねる。10歳になったけれど、メイクを研究したりするような努力ではない。それはもう少し大きくなってからの楽しみにおいておく。
可愛げを追求しているのだ。
自分にできないことまで頑張らない。できないことは素直に人に頼る。自分ができることはちゃんとやる。
刺繍や縫い物は苦手だけど、ネックレスやブレスレットを編むのは得意。重い荷物は持てないけれど(本当は持てそうだけど、ここは素直に甘えるほうがきっと可愛い)、洗い物や料理はできる。ダンスは苦手だけど、歌うのは得意。しょっちゅう歌っているから近所の人が褒めてくれる。
だから街の花祭りで歌うことになった。
大勢の前で歌うのは初めてだ。当日を想像すると緊張してしまう。
両親が張り切って可愛い衣装を用意してくれた。リハーサルを何度もやって、目を瞑っても歌えるように練習を重ねる。
いよいよ花祭り。街のあちこちに花が咲く。色とりどりの花で華やかになった街をの真ん中のステージの裏側でスタンバイしていると、足と手が震えてきた。
この人生でこういう緊張を味わうのは初めてだな・・なんて思っていると、今まで経験した人生で何度も人前で歌ったことを思い出した。
「あ、そっか」
上手く歌おうと思わないこと。思いやメッセージを込めないこと。単に決められた音をそのまま出せば良いだけだった。思いを込めて歌っても、人は自分の取りたいように受け取る。
上手く歌おうとすると、人に褒めてもらいたいという雑念が混じり、気持ち悪さが出る。
声を大きく出したくなれば大きくして、長く伸ばしたいと思ったら伸ばす。喉や体に任せて歌えばいい。
それを思い出すと、緊張が消えていく。
今日は初めて化粧もしてもらった。幼い顔にツヤツヤしたピンクの口紅が華をそえて気持ちが上がったとき、時間だと呼ばれてステージの真ん中に立った。
みんなの視線が集まる。
すっと息を吸い込む。
ゆっくり吐き出した。大丈夫、全ての感覚が凪いでいく。ひとつひとつの音を丁寧に出して歌う。誰の目も見ない。淡々と自分の世界の音を表現する。心地よさの中、演奏と共に歌い終えた。
しんと静まった会場に歓声と拍手が響き渡る。ほっとして観客の目を見ると、純粋な賞賛の光が宿っていた。お辞儀をしてステージを去る。
うん、いい仕事した。両親にも褒めてもらって、子供らしい興奮に包まれたままお祭りを楽しんだ。
歌うマリレーヌをまっすぐ見つめる少年には気が付かずに。
□ □
翌年、また花祭りで歌って欲しいと言われた。嬉しい提案だったけれど、これ以上目立つのはリスクが高い気がして断った。今年の花祭りはひっそりとダサい私で楽しむ。
広場の端にさっき買ったカラフルなボンボンを片手に座って行き交う人を観察している。
だれも私のことなど見ない。ボサボサに編まれた髪のウィッグに、歪んで不格好な眼鏡、服は中古品を用意した。靴だって履き古したもので抜かり無い。たまにボンボンを口に運びながらひたすら気配を消す。
行き交う人全てがわかるわけではないけれど、知っている人が多い。
最後列で今年の歌を眺めていると、庶民に扮していても、仕立ての良さや育ちの良さが滲み出ている少年を見つけた。今年の女の子が歌い始めると興味がなくなったのか、すっとステージに背を向け立ち去っていく。私のすぐ近くを通ったのに、私には目もくれずスタスタと歩く。
彼、じゃないわよね?
人目を引く容姿だし、私の好みのタイプだけれど、彼だという決め手に欠けるし、確信もない。
だけど妙に目が離せない。
目が合うこともなく、気になったものの忘れてしまった。
□ □
花祭りが終わってひと月ぐらい経った頃、貴族のパーティに参加することになった。
参加者のリストを見せてもらうと、貴族も平民も参加する小さいパーティらしく、どの名前も知っていたので可愛げがあるほうの私で参加することにした。
目立つのは危険な気がして、地味で清楚な紺色のワンピースにいつでも前髪で顔を隠せるように髪も無造作に下ろす。
ルチアノと両親と一緒にこの地域を管理しているロバッティ家に到着した。
両親の背中に隠れるように会場入りして、ルチアノと二人で子供たちが集まる庭へ出ると、よく知る友達の顔を見つけて安心する。スチュアートとレベッカ、二人とも私に気がついて手招きしてくれた。
明るい陽射しを遮るように幕が張られ、心地よくいられるようにラグの上にクッションが置かれている。ロバッティ家の当主と奥様は身分にこだわらず、人格で招待客を選んだのか、みんな穏やかな笑顔でパーティを楽しんでいる。
確か私と近い年齢の令嬢がいるはず。スチュアートとレベッカと会話しながら目線で探してみると、少し離れたところに座って何人かと喋っているのを見つけた。華やかな雰囲気にとても優しい性格だと評判の令嬢だ。
「どうかした?マリー」
レベッカが不思議そうに私の視線の先を気にする。
「こちらのご令嬢はどこかしらと見ていただけ」
「ああ、フィオレ様ね」
「とっても綺麗」
「今日はフィオレ様のお相手を探す目的で集められたらしいわよ」
「そうなのね!」
ルチアノとは歳が離れすぎているかしら・・なんて思いながら、3人で話に花を咲かせていると、同じ年頃の子達と遊んでいたルチアノが戻ってきて、
「姉さまトイレに行きたい」と言われた。
もうとっくに一人でトイレぐらい行ける年齢だけど、知らない家で知らない人に声をかけるのが怖かったのかもしれない。一緒に邸内に戻り、お仕着せを来た人に尋ねて辿りつき、少し離れたところにある椅子に座って待っていると、人の話し声が聞こえてきた。
「どうして突然」
焦ったような男性の声に、
「わ、わかりません!」
必死に応える老齢の男性の声。
「とにかく失礼のないようにお迎えしなければ」
慌ただしく何処かへ向かっていく様子の後ろ姿に首を傾げる。
ロバッティ家は伯爵だ。伯爵が恐縮してしまうような身分の人が急にやってきたのかも。
念のため、私も警戒態勢に入る。
今日は地味とはいえありのままの私で、彼なら私に出会った瞬間お互いに惹かれ合ってしまうかもしれない。
「用心するに越したことはないわ」
出てきたルチアノに「お父様とお母様に出会ったら、少し頭が痛いから車に戻るかもしれないと伝えておいて」と頼む。
高貴な来客と出会わず車に戻るルートを模索する。
幸い広い邸宅なので庭に出るルートも一つではなく、身を隠せる大きな美術品や分厚いカーテンもある。
忍び足でゆっくり進んでさっきまでいた庭を覗き見ると、同年代にしては背の高い少年と、それを取り囲む大人たちの輪ができていた。
大人の隙間からちらりと見えた横顔、体に電流が走る。
「見つけた」
彼だ。
10話前後の予定です。