五十三の章 タマヨリの願い、アキツの戸惑い
武彦とアキツは、気を失っているツクヨミを見つけていた。
「ツクヨミ殿!」
アキツが顔色を変えて彼にすがりつく。
『大事ない、アキツよ。ツクヨミは気を失っているだけ。ここは一度引き、ツクヨミを休ませるのだ』
神剣アメノムラクモが言った。
「はい、御剣様」
アキツは涙を拭って応じた。武彦がツクヨミを背負い、歩き出す。アキツがそれに続く。
『イザが動いた。急がねばならぬ。走れ、武彦』
「はい、御剣さん!」
武彦は猛然と走り出した。
「たけひこ様!」
アキツが慌てて追いかける。
ヤマトの城では、母タマヨリと妹イスズの癒しの力で、イツセが回復していた。
「誠にありがとう存じます、母上。そして、イスズ」
イツセはタマヨリに対して頭を下げた。
「何を申すか、イツセ。私は其方の母であるぞ。其方が危うき時は、いつでも助ける。当たり前の事です」
タマヨリは息子の生還を喜び、涙ぐんでいた。
「はい」
イツセも母の優しさが身に沁み、涙を流した。
「皆様、ご無事でしたか」
そこへウズメが駆け込んで来た。
「ウズメ、其方こそ、無事で何よりです」
タマヨリが微笑んで応じる。ウズメはイツセの服が血で染まっているのを見て、
「イツセ様、それは……?」
と仰天した。イツセは苦笑いして、
「ヨモツの戸をくぐりかけたところを、助けてもらったのだ」
「そうなのですか」
ウズメは、血の量を見て、改めてイスズとタマヨリの癒しの力に驚愕した。
(クシナダ殿も、たけひこ様に助けられたと聞いた。ヤマトの王家ではなく、タマヨリ様のお血筋のお力なのか?)
ウズメはハッとして、
「オモイは逃げたのですか?」
するとイスズが、
「オモイは溶けてなくなりました。彼奴は、やはりヨモツの者でした」
「溶けて?」
ウズメには意味がわからなかった。するとそれに気づいたイスズが、
「たけひこ様が教えて下さいました。オモイはヨモツの者であるから、私の癒しの力で倒せると」
「ああ」
ようやく合点がいくウズメである。
(癒しの力をヨモツの者に使うと、それは癒しとは違う力となるのか……)
イザに対抗できる手段が見つかったと思うウズメである。しかし、イザはその程度の存在ではない事を後に知る事になる。
武彦とアキツは、ヒラサカを越えてアマノイワトに辿り着いた。
「気休めにしかなりませぬが……」
アキツはヒラサカを封じ直した。オオマガツとヤソマガツの二体の魔物であれば、ヒラサカの封印も役に立とうが、イザにはそれすら通じない可能性があるのだ。
「ツクヨミ殿を寝所へ。お休みいただきます」
アキツはイワトの別棟に向かって歩き始める。
「あ、はい!」
武彦はハッとして彼女を追いかけた。
「こちらへ」
アキツが案内したのは、彼女の寝所らしかった。荘厳な気に満ちた部屋だ。武彦は入るのを躊躇したくらいだ。
「そちらにお寝かせ下さい」
アキツは自分が寝ているベッドのような場所を指し示した。
「はい」
武彦は慎重にツクヨミをそこに寝かせた。
『武彦、座を外せ』
アメノムラクモが言う。
「は?」
『部屋を出よ!』
「あ、はい!」
どうして怒られるのかわからなかったが、武彦は慌ててアキツの寝室を出た。
『覗くでないぞ、武彦』
アメノムラクモの言葉に、武彦はキョトンとした。
(覗くなってどういう事?)
武彦は首を傾げながら元来た道を戻った。
「ツクヨミ殿……」
アキツは愛おしそうにツクヨミを見た。
「ヨモツの穢れ、私がお祓い致します故、どうぞ、お戻り下さい」
アキツはそう言うと、衣服を全て脱ぎ捨て、ツクヨミの隣に寝た。輝くばかりに美しい彼女の身体から、荘厳な光が放たれる。
「ツクヨミ……様……」
アキツの唇が、ツクヨミの唇に触れる。途端にツクヨミの身体も輝き出した。アキツの気がツクヨミの身体に入ったのだ。同時にツクヨミの身体中から、霧のようにヨモツの穢れが吹き出して来た。
「ツクヨミ様……」
アキツはツクヨミの服を脱がせて、直接彼の肌を手で撫でて行く。アキツに撫でられたところが、強く輝く。ヨモツの穢れは、消滅した。それでもアキツはツクヨミの唇を求めていた。彼女は今、女としてツクヨミを愛し始めている。いつしか、ツクヨミも衣服を全て脱がされていた。アキツがツクヨミの上に覆いかぶさるようにして抱きついた。
「う……」
その時、ツクヨミが意識を回復した。
「ツクヨミ様」
アキツが潤んだ目でツクヨミを見下ろす。ツクヨミは状況を把握するのに時間がかかった。
「ああ!」
彼はアキツが一糸纏わぬ姿なのに気づいた。そしてまた自分も。
「アキツ様、いけません、このような事を……」
ツクヨミは慌ててアキツを押しのけ、身を起こした。
「ツクヨミ様、私は……」
アキツの心はツクヨミは良くわかっている。しかし、彼はアキツの思いに答えられない。
「いけません。貴女はワの国の王家の方。私は一介の言霊師。そのような事、許されませぬ」
ツクヨミはサッと自分の衣服を着ると、アキツの衣服を彼女にかけ、
「よくお考え下さい。失礼致します」
と寝所を出て行った。アキツはガックリと膝を着いた。
(私は何を……。ツクヨミ殿の穢れを祓うつもりが……)
アキツは声を上げずに泣いた。
「く……。あと一息であったが……」
ヨモツの最深部の玉座の間で、女王イザが呟いた。彼女はツクヨミの身体に纏わり憑いた穢れを通じて、アキツを操っていたのだ。しかしそれも、ツクヨミの岩のような意志によって打ち破られた。
「アキツが男を知れば、力を失ったものを……。まあ良い。余興は終わりじゃ」
イザはその漆黒の瞳を細め、ニヤリとした。
ヒノモトの国王であるホアカリと、それに従っていたタジカラ、スサノ、そして気を失ったままのホアカリの王子ウマシが、ヤマトの城に到着した。
「お久しゅございます、義兄上様」
タマヨリが頭を下げる。イスズもそれに倣った。ホアカリは馬を降り、
「久しいな、二人共。元気そうで何よりだ」
「イツセは怪我のため、床に臥せっております。お許し下さい」
タマヨリが告げた。ホアカリは微笑んで、
「いや、構わぬ。それより、イツセも無事で何よりであった」
ホアカリは玉座の間に通され、亡き弟ウガヤが座っていた椅子に腰を下ろした。
「弟の事、誠に残念だ」
「はい」
タマヨリとイスズは、ウガヤの死を思い出し、涙した。
「二人には迷惑をかけた。あれは我が儘であったから、苦労したであろう?」
ホアカリがタマヨリとイスズを労う。
「いえ」
タマヨリは涙を拭って微笑んだ。イスズも涙を拭った。
「そうか。とにかく、其方達とイツセが無事で何よりであった」
ホアカリ達はしばらく話し込んだ。
タジカラとスサノは、ウマシを客間の寝所に寝かせると、ウズメからイスズの話を聞かされていた。
「なるほど。あのツクヨミでさえ敵わなかったオモイに、イスズ様が……」
タジカラは嬉しそうだ。光明が見えた気がしたのである。スサノも、
「ヨモツに対する手立てが見つかったのは、良かった」
と頷きながら言った。




