五十の章 ウズメの秘術、イツセの覚悟
ヒノモトの国の王ホアカリ達一行は、ヤマトの元軍師オモイの奇襲を退けた。しかしまだ、ホアカリの嫡男であるウマシと、それに従う死人の軍団がいた。
「ウズメ、何やら策があるようだな?」
タジカラが近づいて来るウマシ達を睨んだままで尋ねる。ウズメは頷き、
「ウマシ様は死人にはなっておりませぬ。恐らくは、ヨモツの水でオモイに操られているだけでしょう。その穢れを祓わば、大事ありませぬ」
ホアカリはウズメの言葉にホッとしたようだ。
「頼む、ウズメ。愚かではあるが、我が子である。救ってやってくれまいか」
「はい、ホアカリ様」
ウズメは前に進み出て、馬を降りた。そして、舞を舞う。舞踏師の術が始まる。
「ウズメ殿は、何をするつもりだ?」
スサノが小声でタジカラに訊く。タジカラはニヤリとして、
「ウズメに舞われて、落ちぬ男はいぬ。お前もそれは存じていよう?」
「む……」
スサノは顔を赤らめてムッとした。彼はウズメの舞を見て、彼女に惚れたのだ。そして、タジカラとウズメを争ったが、ウズメはタジカラを選んだ。嫌な事を思い出させおって、とスサノはタジカラを睨む。
「はい」
ウズメは気合を入れ、舞い始めた。その動きはしなやかで美しく、輝いていた。
「おお……。さすが、オオヤシマ一と謳われた舞踏師よ。美しいな」
ホアカリが言った。タジカラは頭を下げ、
「お褒めに預かり、光栄に存じます」
ウズメは舞いながら、気を放っていた。その気が死人に触れる。死人達の兇悪な顔が、笑顔に変わる。
「ほおおお……」
死人達は次々に浄化され、天へと昇る。
「ぬ?」
ウマシはそれに気づき、進軍を止めた。しかし、ウズメは舞をやめない。彼女の気は次第にウマシ達を取り囲んで行き、死人は全員浄化された。
「おのれ! そのような幻覚、私には通じぬぞ、ウズメ!」
ウマシはウズメを睨んだ。するとウズメは、ニコッと微笑み、スッと着物の襟を開く。
「え?」
タジカラがギクッとした。スサノもギョッとする。ホアカリは状況がわからないのか、ポカンとしてウズメを見ていた。
「これでもそのような強がりをおっしゃいますか、ウマシ様?」
ウズメの白い肌が露になる。彼女は妖艶な笑みを浮かべ、ウマシを誘惑するように見ていた。
「……」
ウマシはホアカリの嫡男とは言え、まだ子供である。ウズメの色気に動揺していた。
「さあ、ウマシ様、こちらにおいで下され」
ウズメは半分見えかけた胸をギュッと寄せ、ウマシを挑発する。タジカラは奥方の暴走を止めようと思ったが、ウズメの術なのか、身体が動かない。
「ああ……」
ウマシの身体から、ヨモツの水が揮発するのが見えた。ウマシはガックリとして、馬の上に伏せてしまった。
「お館様」
ウズメは襟を正して、タジカラを見た。
「お、おう」
タジカラはハッとして馬を走らせ、ウマシに近づいた。
「気を失っておられるだけだ」
彼はウマシをヒョイと担ぎ上げ、ホアカリのそばへと戻る。
「ウズメ、大儀であった。ウマシをよく救ってくれた」
ホアカリはウズメを見て嬉しそうに言った。ウズメは跪いて、
「ありがとうございます、陛下」
と応じた。
「今のは、如何なる術なのだ、ウズメ殿?」
スサノが顔を赤らめたままで尋ねた。するとウズメは、
「殿方は、女性の肌がお好きですので、その欲が、ヨモツの水を追い出したのでございます」
「そ、そうなのか……」
要するに、ウマシはウズメの色香に欲情し、その心がヨモツの水の邪悪に勝ったという事らしい。
「怖い方だな、ウズメ殿は」
スサノが言った。ウズメはニコッとして、
「私と添わずに良かったとお思いですか?」
「あ、いや……」
スサノは真っ赤になってウズメから離れる。ウズメはそれを見てクスッと笑った。
一方ヨモツの中を進む武彦は、ツクヨミからの言霊を受け取り、彼を待っていた。
『アキツ様にもお送り致しました故、程なくお会いできましょう』
『わかりました』
ツクヨミのおかげで、どうやらアキツと合流できそうなのがわかった武彦は、ホッとしていた。
『武彦』
神剣アメノムラクモが言う。
「はい?」
『くどいようだが、アキツはお前の幼馴染ではないぞ』
「わかってますよ!」
また自分の心を見透かされたのを思い知る武彦だった。
(アキツさんは、亜希ちゃんとそっくりだけど、違う人なんだ……)
そのアキツは、武彦よりしばらく奥の場所で、気持ちを高揚させていた。
(ツクヨミ殿……)
彼女はもう自分を偽る事をやめていた。
(私はツクヨミ殿の事をお慕いしている。それは真の心……)
「ツクヨミ殿……」
アキツは元来た道を見やり、そう呟いた。
そのアキツの心が、ヨモツの最深部である玉座の間にいる女王イザに伝わってしまった。
「そうか、そうか。アキツは、ツクヨミに心惹かれておるのか? ならば、ツクヨミを手始めに嬲ろうかの」
イザはその漆黒の目を細め、ニヤリとした。
「オオマガツ、ヤソマガツ。アキツとイワレヒコは、お前達には倒せぬ。ツクヨミを屠れ。さすれば、奴らの絆が綻ぶ」
「はは!」
二体の魔物はイザに跪くと、すぐさまツクヨミの元へと向かった。
ホアカリ襲撃に失敗したオモイは、オオヤシマの中央にある高原の岩場に潜んでいた。
(この先、如何する? イザ様の助けは当てにできぬ。もはやこれまでなのか?)
オモイは歯軋りした。そしてはたと思い至った。
「そうか。ヒノモトにはクシナダがおるが、ヤマトには誰もおらぬではないか……」
彼の顔が再び狡猾さを取り戻した。
「イツセなど、物の数ではない」
そのイツセは、ヤマトの城に帰還し、母タマヨリと妹イスズを助け、民達の手当てに奔走していた。
「アキツ様達はどうされたろう?」
自分の不甲斐なさが悔しいイツセだったが、そんな事を考えてみても仕方がないとも思った。
「今は、民達の命が大事だ」
彼は怪我人を励まして回った。
「兄様」
イスズが小声で話しかけて来た。
「如何した?」
イスズは更に声を低くして、
「何やら、面妖な者がこちらに近づいている気配が致します」
「何と!」
イツセはギクッとした。今ヤマトには自分しかいない。
「わかった。兵と共に備えよう」
イツセは城の外へ向かう。イスズはそれを心配そうに見送った。