四十一の章 イツセの思い、オモイの焦り
ヤマトの国の軍師オモイは、もはやその仮面を脱ぎ捨てていた。
「私の願いは、オオヤシマをイザ様の国に加える事。当面はな」
含みを持たせた言いように、ツクヨミの眉が吊り上がる。
「それは如何なる事か?」
オモイはツクヨミを見てニヤリとし、
「オオヤシマの住人を悉く殺めし後は、我が故郷も攻むる」
「何と!?」
ツクヨミは驚愕した。
(イザは、この世界全てを統べるつもりか……。オオヤシマは、足がかりに過ぎぬと?)
「そのような事は、決してさせぬ!」
ツクヨミは大声で言った。オモイは高笑いをして、
「お前の力は、決してこの私には通じぬのだぞ。如何致す、ツクヨミ?」
「私の力は、言霊のみにあらず!」
ツクヨミは体術でオモイを攻撃した。
「温いわ!」
ツクヨミの突き、蹴り、掌底を、オモイはいとも簡単にかわす。
「私はお前に劣るところがないのだ、ツクヨミ。無駄よ」
「くっ!」
ツクヨミはそれをはっきりと悟ってしまった。
(この男、誠に面妖……。魔物ではない。言霊が通じぬのは、何故なのか?)
ツクヨミの額を、汗が流れ落ちた。
タジカラ達は、ようやくホアカリの軍に追いついた。
「陛下、ウマシ様、ご無事で何よりでございます」
スサノが馬から降りて跪く。それをタジカラとウズメは、離れたところから見ていた。
「あの小倅の疑い深さには、呆れたものよ」
タジカラは吐き捨てるように言った。ウズメは苦笑いして、
「仕方ありませぬ。ヤマトとヒノモトは、戦をしておるのです」
ヒノモトの国王ホアカリの王子であるウマシは、タジカラとウズメを近くに来させるのを拒否し、スサノだけ呼び寄せたのだ。ホアカリが異を唱えたが、タジカラとウズメは揉め事を避けるため、自らウマシの言葉に従い、馬を止めた。スサノも苦々しそうな顔をしたが、何も言わずに一人でホアカリのそばに行ったのだ。
「スサノ、途中、死人に出会わなかったか?」
ホアカリが尋ねた。スサノは顔を上げて、
「はい。ナガスネ様と、ウカシがおりました」
「そうか……」
ホアカリは悲しそうな顔で頷く。スサノはギュッと拳を握り締め、
「ウカシとナガスネ様はこの私が、天へとお送り致しました。ご安心下さい」
その言葉にウマシは急ににこやかな顔になった。
「おお、さすがだ、スサノ。お前はこのオオヤシマ一の戦上手ぞ」
「ありがとうございます」
スサノは頭を下げながら、ウマシを小声で罵る。
「腰抜けが」
ホアカリはタジカラ達を見て、
「ウマシ、もう良かろう。タジカラもウズメも、共にスサノと戦いし者。こちらに呼ぶべきではないか?」
「はあ」
ウマシはまだ、タジカラとウズメを信用していない。その態度の煮え切らなさにスサノが動いた。
「タジカラ、ウズメ殿、陛下の許しが出たぞ。こちらへ参れ」
ウマシは慌てて異を唱えようとしたが、ホアカリがそれを遮る。
「タジカラ、ウズメ。大儀であった。話がしたい」
「はは」
タジカラはウズメにムスッとした顔を見せてから、馬を進めた。ホアカリ達を守るようにして立っていたヒノモトの兵達が、サッと両脇に退く。
「これより、如何致すつもりか、スサノ?」
ホアカリはウマシが意気消沈して後ろに下がったのを機会に、前に出た。
「はい。まずは城に戻り、戦の支度です。我らの敵はヨモツ。生半可な事では、太刀打ちできませぬ」
「そうだな」
ホアカリとしては戦は避けたいのであるが、相手がヨモツでは否も応もない。戦うしか道がないのだ。
「お久しゅうございます、陛下」
タジカラとウズメが馬を降り、スサノと並ぶようにして跪く。
「タジカラ、大儀であった。礼を言うぞ」
「は!」
本来であれば、この方がワの国の王位継承者だとタジカラは考え、以降はホアカリに従う決意をしていた。
(ウガヤ王は気性が激し過ぎる。あれでは国は治まらぬ)
ホアカリの温厚な顔を間近で見て、尚の事そう思うタジカラであった。
オモイが戦列を離れたため、オモイの部隊は動きが止まってしまった。イツセから離れるなとは言われたが、どうすれば良いのかは命じられていないからだ。それに気づいたイツセは、
「お前達はここで待て。命あるまで、動くでないぞ」
と言い、オモイの部隊を封じた。
(オモイがどこに行ったのかはわからぬが、こやつらを足止めしておくことができたのはありがたい)
イツセは自分の部隊を二手に分け、一つをオモイの部隊の監視に残し、残りと共にアマノイワトに近づいた。
「イツセ殿」
その顔がはっきりと見える位置まで来たイツセを、アキツは懐かしそうな目で見ていた。
「アキツ様」
イツセは部隊の進行を止め、自分の馬だけを進めた。やがて彼は馬を止め、降りた。
「お懐かしゅうございます」
イツセはその場に跪いた。アキツは武彦とクシナダに目配せし、イツセに歩み寄った。
「こちらこそ、お久しゅうございます、兄様」
幼い頃、アキツはイツセを慕い、よく遊んでもらったのだ。その頃の呼び名が、「兄様」である。
「まだそう呼んでいただけるとは、このイツセ、誠に嬉しゅう存じます」
イツセは再び頭を下げた。
「貴方は全てご存じなのですね?」
アキツが尋ねる。イツセは立ち上がり、
「はい。そちらのイワレヒコが、異界の方の魂を宿している事は、存じております」
武彦は、その言葉を聞いてホッとした。
「大丈夫みたいですね」
彼は神剣アメノムラクモに囁いた。
『うむ。我を鞘に納めよ、武彦』
「はい」
武彦はアメノムラクモを鞘に戻した。
「たけひこ様」
イツセが武彦を見る。
「は、はい」
ドキッとしてイツセを見る武彦。
「私と共に父に会っていただきたい。そして、父をお諌めし、戦を終わりにしましょう」
「はい」
良かった、戦うんじゃなくて。武彦は心の底から安心した。
「私達も行きます。ウガヤ王を説き伏せる事が叶えば、ヨモツと戦う事ができます」
アキツが提案する。武彦はまたギクッとした。
(ああ、そうか、一番の強敵が残っていたんだ……)
イツセはアキツを見て、
「ありがとうございます」
と頭を下げた。
「む?」
オモイは、イツセとアキツが会っている事に気づいた。
「おのれ、そうはさせるか!」
このまま、ヤマトとヒノモト、そして旧ワの国が連合してしまうと、自分の計略が水泡に帰すと感じたオモイは、馬に飛び乗った。
「行かせぬぞ、オモイ!」
ツクヨミがすかさず馬に言霊を放ち、動けなくした。
「ぬう! 邪魔立て致すな、ツクヨミィ!」
オモイは怒りの形相でツクヨミを睨み、馬から飛び降りた。
「お前はここで殺す!」
オモイの目がギラつき、ツクヨミを睨み据えた。




