三十七の章 珠世の祈り、イツセの焦り
武彦は母の発言に驚いていた。
「ひいお祖父ちゃんて……?」
思わず素っ頓狂な声で訊いてしまう。珠世はフフフと笑い、
「母さんのお祖父ちゃんは、人間の未知なる力に興味があって、あんたが今話したような異界の事を研究していたの」
武彦にはその話は初耳だった。
「だから、親戚中から、変わり者呼ばわりされていて、私の父、要するにあんたのお祖父ちゃんは、凄く嫌っていたわ」
「ふーん」
どうやら、自分もその仲間だと判定されたようだ。武彦はガッカリした。母は姉とは違う反応をしてくれたと思ったのだ。
「でもね、母さんはそんなお祖父ちゃんが大好きだったのよ。とっても面白いお祖父ちゃんだったから」
「そ、そうなんだ……」
話が違う方向に動き始めた。武彦にはもう展開が読めなくなっていた。
「あんたのお父さんと出会えたのも、そのお祖父ちゃんのおかげなの。だから、あんたの話を聞いた時、お祖父ちゃんと父さんが、あんたを導いてくれたのかなって、思ってしまったわ」
母珠世は涙ぐんでいた。滅多な事では泣かない母も、亡き父の事を話す時だけは涙脆くなるのはいつもの事だが、今回は悲しそうではない母の涙が不思議だった。
「何か、嬉しくなった。あんたが、ひいお祖父ちゃんと父さんに繋がっているのがわかって」
「そう言えば、父さんて、先生だったんだよね?」
武彦は僅かに残る父の面影を記憶の彼方からたぐり寄せながら、母を見た。
「そう。歴史の先生だった。でも、どちらかって言うと、妖怪の話や、昔話に熱中する変わり者先生だったの」
母は涙を拭いながら微笑んだ。
「これはきっと巡り会わせよ、武彦。その人達の力になってあげなさい。きっと、ひいお祖父ちゃんと父さんが助けてくれるから」
「う、うん」
意外な話の進行に、武彦は戸惑いながらも喜んでいた。
「良かった。姉ちゃんに怒鳴られたから、母さんにも怒られると思ってたんだ」
「美鈴は現実主義者だからね。信じてくれないよ、自分の目で見ない限り」
母の言葉に、武彦は納得した。
「そうだね。デジカメで撮って来られるといいんだけどね」
「そのオオヤシマって言うところに行く時に、あんたが身に着けていれば、持って行けるかもよ」
母は突拍子もない事を言い出す。
「そ、そうかな?」
でも試してみる価値はある。武彦は早速実行に移す事にした。
「やってみるよ」
「そうそう。その方がいい」
母はあくまで前向きだ。武彦はふと思った。
「母さんは、僕がそんな所に行くのが心配じゃないの?」
武彦の大真面目な顔に、珠世はニッコリして、
「心配じゃないと言えば嘘になるけどね。でも、あんたはそのアキツさんを助けたいんでしょ?」
「うん。それだけじゃないよ。タマヨリさんも、イスズさんも、他人とは思えないんだ」
「そうね」
母はクスッと笑った。そして、
「大丈夫。必ずあんたは無事に戻るわ。ひいお祖父ちゃんと、父さんがついてる。それに、ツクヨミさんは凄く強いんでしょ?」
「うん」
武彦は、母の言葉で迷いを吹き飛ばした。
「仲間を信じなさい。そして、自分を信じなさい。きっと願いは叶うわよ」
「ありがとう、母さん」
武彦は涙ぐんでしまった。
「何泣いてるの、武彦? 悲しい事じゃないでしょ?」
そう言いながらも、珠世も目を潤ませている。
「母さんこそ……」
武彦はそう言いながら涙を拭った。その時、アキツの声が聞こえた。
『たけひこ様』
緊迫した声だった。
「じゃあ、行くよ、母さん」
「ええ。気をつけてね」
「うん」
武彦は自分の部屋に戻り、小遣いを溜めて買ったデジカメを身に着けた。
「よし」
彼はベッドに仰向けになり、目を閉じた。
「アキツさん……」
そして武彦は眠りについた。
「武彦」
珠世は、口ではあんな事を言ってしまったのを後悔している。本当は心配で堪らない。止めたかった。行かせたくはなかった。しかし、それを言えなかった。
「あの子のあんな真剣な顔、初めて見たわ、貴方」
珠世は自分の部屋に行き、亡き夫の写真に語りかけていた。
「武彦を守ってね、貴方」
珠世は手を合わせ、夫に祈った。
次に武彦が目を開けると、そこはアマノイワトの中だった。武彦を囲んで、アキツ、ツクヨミ、クシナダがいた。
「おお、たけひこ様、お戻りなさいませ」
ツクヨミが嬉しそうに声をかけた。アキツがその隣で微笑んでいる。
「皆さん、ご無事で」
そして、タジカラとスサノがいない事に気づく。
「タジカラさんとスサノさんは?」
「二人は、ホアカリ殿を守るために、死人の集団を追っています」
アキツが答える。
「そちらも気がかりですが、こちらも……」
ツクヨミの顔が曇る。
「どうしたんですか?」
「ウガヤ王が、イツセ様と共にこちらに向かっておられます」
ウガヤ王。ヤマトの国の王にして、イスズ姫の父であり、今その身体を借りているイワレヒコの父でもある。そしてイツセはその二人の兄。
「イツセ様はともかく、ウガヤ様はあの異国の者に操られておいでのご様子。如何にしたものか……」
クシナダが悔しそうに呟く。異国の者とは、ヤマトの国の軍師であるオモイの事である。
「オモイもイザに通じていると思われます。何としても、ウガヤ様から、オモイを引き離さねばなりませぬ」
ツクヨミが力強く言った。
「敵はオモイ一人。そう考えれば、いくらかは気持ちが落ち着きましょう」
アキツが言った。一同はそれに頷く。
「行きましょう」
武彦が声をかけ、立ち上がった。ツクヨミがそれに応じる。
「アキツ様とクシナダ様は、ヒラサカを」
「はい」
二人の美女は、ツクヨミの言葉に大きく頷く。
「参りましょう、たけひこ様」
「はい」
武彦はツクヨミを伴い、イワトの外へと向かった。
「私達も行きましょう、クシナダ」
「はい、アキツ様」
アキツとクシナダも、イワトの奥にある闇の国ヨモツとの境界ヒラサカに向かう。
その頃、ウガヤはイツセと共にゆっくりとアマノイワトを目指していた。
(本当にこのままで良いのか? オモイに誑かされているのは間違いないのだが)
嫡男でありながら、力のある弟イワレヒコに遅れを取っていたイツセは、ウガヤに対する危機感が強い。
(イワレヒコが変わったおかげで、ようやく私は父に向き合う事ができるようになった。今、それを躊躇ってしまうのは何故だ?)
イツセは、ウガヤ以上にオモイの事が気になっていた。
(父をオモイが操っているのであれば、私が何を言っても通じぬ。如何にするべきなのか?)
イツセは悩んでいた。
「どうした、イツセ?」
黙り込んでいるイツセを不信に思い、ウガヤが声をかける。
「いえ」
イツセは短く応じた。ウガヤは訝しそうな顔をしたが、それ以上は何も言わず、前を見た。
「アマノイワトはもうすぐぞ」
イツセはチラッとウガヤの後ろに着いているオモイを見た。彼は無表情で、何を考えているのかわからない。
(この者、何をするつもりなのだ?)
イツセの不安は増すばかりだった。