二十四の章 ウガヤの決断、武彦の動揺
オオヤシマの大きな揺れ。それは確実に闇の国ヨモツを引き寄せていた。
ヤマトの国では、国王ウガヤが軍師オモイと軍議を開いていた。嫡男であるイツセは、その知らせすら受けていない。
「イワレヒコ様は、ツクヨミに操られております。手立てを講じませぬと、取り返しのつかぬ事になるやも知れませぬ」
オモイはウガヤに進言した。ウガヤはイワレヒコとイツセに蔑ろにされたという思い込みから、オモイだけを頼りにしていたため、
「私が自ら出陣する。そして、イワレヒコを操るツクヨミを討つ」
と宣言した。オモイは跪いて、
「ツクヨミはアマノイワトにおります。アマノイワトを攻め、ツクヨミを討ち取る事が何よりも先でございます」
「そうだな」
オモイはウガヤを操ってはいない。ウガヤ自身がオモイに全幅の信頼を寄せているため、今や彼はオモイの意のままに動く愚者と成り果てていた。
イワレヒコ達は、馬に鞭を入れ、夜の闇の中を疾走していた。
「間に合うか?」
スサノが呟く。
「間に合わせる! そうでなければ、オオヤシマは滅びる」
イワレヒコが怒鳴った。それはツクヨミの叫びでもあった。
(このまま、ヨモツの思い通りにさせてなるものか!)
「見えて来たぞ、スサノ。あれはナガスネの軍の松明の火だ」
タジカラが言った。前方に、ユラユラと揺れる小さな火が見える。
「おお、間に合ったか」
スサノは奥方クシナダの無事を感じた。
「クシナダがウカシに罠を仕掛けたようだ。足止めをしたらしいぞ」
「そうか。さすが、クシナダ殿だ」
タジカラが感心して言った。
「先に行くぞ」
イワレヒコが言った。タジカラとスサノは、
「え?」
と彼を見た。イワレヒコは馬ごと宙を舞い、まるで羽が生えたかの如くそのまま飛翔した。
『つ、ツクヨミさん?』
これには武彦も慌てた。
『大丈夫なんですか? 怖いんですけど』
『ご心配召されますな。何も大事ありませぬ』
ツクヨミの言葉に武彦はホッとした。
『最初からこうすれば良かったですね』
武彦は思ったままを口にしたのだが、
『申し訳ありませぬ。この術、そう長くは保ちませぬので』
『そうなんですか』
ツクヨミの言葉通り、やがて馬は地上に戻り、また普通に走り出した。しかし、相当距離を稼げたようで、ナガスネ軍はもう目の前に見えていた。
「よーし」
武彦は誰もいないので安心して声を出した。
「もう少しですね、ツクヨミさん」
「はい、武彦様」
ツクヨミはそう答えたが、ナガスネ討伐を命じられて城を出たウカシの軍の気配も感じていた。
「我らと変わらぬ時で、ウカシが追いつきます。激しい戦になるやも知れませぬ」
「ええ?」
武彦はギクッとした。
その頃、ヤマトの城を目指していたタジカラの奥方であるウズメは、周囲に召喚していた八百万の神々の言葉を聞いた。
「陛下御自らご出陣? 如何なる事か?」
そしてウズメはウガヤの目指す先を知り、驚愕した。
「何と! アマノイワトを攻むる? 何という事を!」
彼女は進行方向を変え、アマノイワトへの近道に入った。
(何としても、陛下より先にアマノイワトへ!)
ウガヤはイツセに何も言わず、オモイと共に出陣した。国王直轄軍の大半で編成した大部隊だ。そんな大軍がアマノイワトに押し寄せれば、イワトは一瞬で攻め滅ぼされてしまう。
「ツクヨミばかりではない。オオヒルメもアキツも同罪。皆滅ぼす」
ウガヤはもはや正気を失っているようだった。オモイはそんなウガヤを見て、
(ヤマトは滅ぶ。イザ様のお心のままに)
イツセは部屋に籠っていたが、何やら胸騒ぎがして外に出た。
「何?」
彼は厩に馬が一頭もいない事に気づき、馬番に尋ねた。
「馬がおらぬようだが、イワレヒコの他に誰か出立したか?」
「国王陛下御自らご出立でございます」
馬番は跪いて答えた。
「何と!」
イツセは仰天した。
「オモイはどうした?」
「オモイ殿も同行しております」
オモイが同行している事を知り、イツセは呆然とした。
(如何なる事か? この私に何も仰らず、オモイをお連れになるとは……)
「私の馬を引け。出立する」
イツセがそう命じると、馬番は、
「イツセ様には、お留守居役をとの仰せにございます」
と頭を下げた。
「何ィ!?」
さすがに温厚なイツセも、あまりにも自分が蚊帳の外に置かれている事を知り、激怒した。
「オモイめ、父上をどうするつもりか?」
イツセは歯ぎしりし、城に戻った。
アキツは、巨大な悪意がアマノイワトに近づいているのを感じ、外に出た。
「まさか……」
彼女はウガヤの出陣を感じた。
「ウガヤ殿が自らここに向かっているのか?」
そしてオモイの存在も感じた。
「あの者、何を企む? 只の異国人ではない……」
アキツの額に汗が滲んだ。その一方で、ウズメの気配も感じた。
「ウズメか? 何としても、先にこちらに……」
アキツはウズメの到着を祈った。
ナガスネ軍も、イワレヒコの接近を察知していた。
「イワレヒコ様が?」
ナガスネはクシナダの水の報告を受けて尋ねた。クシナダは頷き、
「はい。刹那の差ではありますが、イワレヒコ様の方がお早いお着きでございます」
「そうか」
ナガスネは後方から迫るウカシ軍の明かりを見やった。
ウカシも、ナガスネ軍に迫るイワレヒコを感じていた。
(おのれ、イワレヒコめ。貴様らの思い通りにはさせぬぞ)
彼はオモイがアマノイワト攻めに出陣した事を知らない。
(オモイめ、おめおめとイワレヒコを出してしまいおって。やはり彼奴は俺とは組まぬつもりか?)
ウカシはオモイとの共闘を見限った。
ヤマトの王女であるイスズとその母タマヨリは、イスズの部屋で身体を寄せ合って泣いていた。
「母上、オオヤシマは如何なる道を進むのでしょう?」
イスズは涙に濡れる目をタマヨリに向けた。
「わかりませぬ。我らには如何様にもできぬ事なのです」
タマヨリも目を潤ませている。
(たけひこ様、オオヤシマをお救い下さい)
イスズは心の中で祈った。涙が彼女の頬を伝った。
『?』
ツクヨミの反応を武彦が感じ、
『どうしたんですか、ツクヨミさん?』
『ウガヤ王がアマノイワトに向かっています。イワトを攻むるおつもりのようです』
『ええっ!?』
アマノイワトには、幼馴染みである都坂亜希に生き写しのアキツがいる。武彦は動揺した。
『ウカシの軍を討ち、すぐにイワトに向かわねばなりませぬ』
『はい』
武彦は、前方に見えて来ているウカシ軍の松明の明かりを睨んだ。
そしてこの戦いが、オオヤシマに大きなうねりを作り出す事を、武彦だけでなくツクヨミすら気づいていなかった。