二十二の章 トミヤの嘆き、ナガスネの戸惑い
ヒノモトの国の留守居役であるウカシは、大軍を率いて、ヤマトの国の村を襲撃した。
突然の事に村は大混乱に陥った。
「一人も生かしておくな! 皆殺しにせよ!」
ウカシは、軍の後方に陣取り、命令していた。
(兵共にはヨモツの水を飲ませてある。皆、俺の思いのままに動く)
彼はスサノとタジカラが近づいている事も承知していた。二人が近づいたら、全軍をぶつけるつもりだ。そして、自分は退く。決して自らの手を汚さない、実に卑怯な男である。
「ナガスネ様は如何したか?」
伝令兵に尋ねる。兵は跪き、
「ナガスネ様は、ヒノモトに向かわれております」
「何?」
ウカシはその時、スサノの奥方であるクシナダの気配がしないのに気づいた。
「おのれ、二手に分かれたか」
彼は歯ぎしりし、
「このまま全軍、ヤマトへ攻め込め! ヒノモトの勝利はもうすぐぞ」
と命じ、陣を抜けた。
(クシナダめ、ナガスネをヒノモトに戻し、俺を後ろから攻むるつもりか?)
ウカシはニヤリとした。
「そうはいかぬ。このウカシ、そのような手には乗らぬぞ」
そのナガスネの軍は、クシナダの進言でヒノモトに帰還中だった。
「如何なる事か、クシナダ?」
馬上でナガスネが尋ねる。
「留守居役のウカシ殿が謀反にございます。陛下のご命令も無きまま、ヤマトを攻めております」
「何と!」
ナガスネは馬を止め、
「ならばウカシを討たねばならぬ!」
クシナダは馬を下り、跪いた。
「ですが、兵の数が違います。ここは一度城に戻るが得策にございます」
「うむ……」
確かに今引き連れているのは、あくまで奇襲のための小部隊。ウカシが大軍を率いているのであれば、死にに行くようなものである。
「わかった。任せる」
ナガスネは再び馬を進めた。
「ありがとうございます」
クシナダは騎乗し、ナガスネに続いた。
しかし、ウカシはそれ以上に狡猾だった。
「ナガスネ様、謀反にございます!」
ウカシの先発させた伝令兵が、ヒノモトの城に到着し、謁見の間でホアカリに報告をしていた。
「まさか! ナガスネが謀反とな!」
ホアカリは俄かに信じられなかったが、自分に何も告げずに軍を出している以上、ナガスネの行動は解せないのは確かだった。
「偽りを申すな! 我が兄が謀反などと!」
ホアカリの妃であり、ナガスネの妹であるトミヤには、尚の事信じがたい話だった。
「偽りではございませぬ。ナガスネ様は、陛下のご命令もなしに、ヤマトの村を攻めて、民を殺しております」
兵はウカシに操られている。吹き込まれた真実を語っているので、その表情からは嘘とは思えない。
「そのような事……」
あまりの話に、トミヤは泣き伏してしまった。
「父上、如何なさいますか?」
嫡男ウマシが、ホアカリを追い詰めるように見ている。彼は元々ナガスネを好かない。これを口実に追い落とそうと考えているのだ。只、殺すつもりはなかった。
「ウカシに伝えよ。ナガスネを追い、事の真偽を正せと」
「ははっ!」
ホアカリは、最善の策と思い、命じた。しかし、それは最悪の選択だった。
ヤマトの国を出立したイワレヒコの軍は、途中でタジカラの奥方であるウズメに出会った。
「イワレヒコ様」
ウズメは馬を降り、跪いた。
「如何した、ウズメ?」
イワレヒコは騎乗のまま尋ねた。ウズメは、
「ヒノモトのウカシ殿の軍が、国境の村を攻め、民が殺されております」
「それは聞いておる」
姿を消してイワレヒコの後ろにいるツクヨミは、ウズメがまた自分に気づいている事を知った。ウズメはチラチラとこちらを見ているのだ。
(ウカシという男、一体何を企む?)
ツクヨミ程の力を持つ者でも、ウカシがヨモツに通じているのを見破る事ができない。
「タジカラとスサノ殿が、ウカシ殿の軍に向かいました」
「そうか。わかった。我らもすぐに向かう。ウズメは城に戻り、この事を父上達に伝えよ」
「はは」
ウズメは馬に戻る前にそっとツクヨミがいる辺りに近づき、
「お気をつけなさいませ。ウカシは得体の知れぬ者です」
と囁いた。
「かたじけない、ウズメ殿」
ツクヨミも小声で応じた。ウズメは微笑み、馬に戻った。
「行くぞ」
イワレヒコは馬に鞭を入れ、走り出した。それに大軍が続く。
(うはあ)
イワレヒコの中の武彦は驚嘆していた。
(どうしてこんな事ができるんだろう?)
武彦は不思議だった。馬に乗った事もないし、スポーツ全般がダメな武彦には、今起こっている事が信じられなかった。
『どうなさいましたか、たけひこ様?』
ツクヨミが話しかけて来た。
『どうして馬に乗れているのだろうって、凄く不思議なんです』
『今はイワレヒコ様のお身体だからです。貴方がなされぬ事でも、イワレヒコ様がなされる事はおできになれます』
『そうなんですか』
武彦は納得した。
『イワレヒコさんの頭は眠っているけれど、身体は起きているんですね?』
『ほぼそのとおりでございます。ですから、戦になれば、貴方は鬼神の如き強さになります」
『……』
想像がつかない武彦だった。
「むっ?」
闇の果てに、火の手が見えて来た。ウカシの軍が攻めている村のようだ。
「あれか……」
武彦はつい声に出して呟いてしまった。しかし、喧噪にかき消され、兵には聞こえていなかった。
「うおおお!」
タジカラとスサノは、たった二人であったが、まさしく鬼神の如き勢いで戦っていた。戦力的には数十倍のはずであるが、ウカシが残して行った兵達は、烏合の衆でしかなかった。すでに敗走が始まっていた。
「やめよ、スサノ。こやつら、操られておる」
タジカラが一人の兵を捕まえて叫んだ。
「そういう事か」
スサノは剣を鞘に納め、馬を止めた。
「クシナダがおれば、たちどころに救えるはず」
スサノは奥方を帰らせた事を悔やんだ。
「おお、我が軍の援軍じゃ」
タジカラがイワレヒコ軍に気づいた。スサノは振り返り、
「イワレヒコ殿? 大事ないか?」
と心配した。彼はイワレヒコの残虐さを知っている。しかしタジカラは、
「大事ない。イワレヒコ様は、変わられた」
「そうか?」
それでも心配なスサノだった。
軍を離れたウカシは、ヒノモトの城から戻った伝令兵と合流していた。
「軍は散り散りになっている。もはや負け戦。それは良い。もう一手打たせてもらおう」
ウカシはまた狡猾な笑みを浮かべた。
ナガスネの部隊は、城までもう一息のところまで来ていた。
「ナガスネ様、お迎えに上がりました」
騎馬隊が現れた。ナガスネのよく知る武将の部隊である。
「うむ。大儀である」
ナガスネは彼等を労った。
「どうぞ」
その武将は、樽を運んでいた。
「馬も皆も喉が渇いておりましょう。水をお持ち致しました。お召し上がり下さい」
「うむ」
ナガスネは馬を降り、兵達を休ませた。
「ささ、ナガスネ様」
その武将が差し出した椀をナガスネは受け取った。
「やはり、水はヒノモトのものに限るな」
「そうでございましょう」
ナガスネが椀に口を付けようとした時、何かが椀を弾いた。
「む?」
ナガスネは飛ばされた椀を見てから、背後に目を向けた。そこには、険しい顔のクシナダがいた。
「何をする、クシナダ? 血迷うたか?」
「ナガスネ様、その者は、悪しき水を持っております。口にしてはなりませぬ」
「何?」
ナガスネがもう一度武将の方を見ると、彼は歯ぎしりをしてこちらを睨んでいた。
「今一歩のところで!」
ナガスネはその変貌に驚愕し、
「これは一体?」
「その者は、ウカシの手の者です。水は毒です」
クシナダの声に、ナガスネの部隊の兵達は驚いて椀を放り出した。
「退けっ!」
彼等は素早くその場から立ち去ろうとしたが、クシナダの水の方が早かった。
「グエエエッ!」
ナガスネ暗殺部隊は、たちまちクシナダの水の攻撃で死んだ。
「もはや城に戻るも危うき事となりました」
クシナダが言った。ナガスネは眉間に皺を寄せて、
「そのようだな」
と呟いた。
クシナダの言う通りだった。ウカシはすでに城に帰還し、ホアカリに報告していた。
「ナガスネ様、謀反にございます。我らの問いかけを振り切り、ヤマトに攻め入りましてございます」
ウカシの報告を全く疑わないホアカリとウマシ。泣き崩れる妃トミヤ。
(勝った。これで、ヒノモトは滅ぶ)
ウカシはニヤリとした。