十四の章 武彦の決意、ウガヤの焦り
オオヤシマの歴史は大きく動こうとしていた。
ヤマトの国の王子イツセは、父王ウガヤの命を受け、軍を率いて出立した。
「ここまで大戦をしてしまっては、ヨモツが動かぬか気がかりだ」
イツセは不安を胸に城を出た。
「イツセ様はお優し過ぎます。やはり、陛下のお志を継がれるは、イワレヒコ様にございましょう」
ヤマトの国の軍師であるオモイは、イツセを見送るウガヤに囁いた。
「私もそう思うている。嫡男は長子がなるべきものなれど、イツセにはその意気がなし。あの者には、オオヤシマを統べる器がない」
ウガヤは隣にいる妃のタマヨリに聞こえないように小声で言った。
「はい」
オモイは頭を下げ、ウガヤに同意した。
その二人が期待を寄せるイワレヒコは、今は武彦がその身体の主となっている。
「タジカラ様は、イワレヒコ様を嫌われております。ですが、イワレヒコ様の強さはお認めです。そのイワレヒコ様が戦をやめよと仰れば、必ず従います」
ツクヨミの言葉で、武彦はほんの少し勇気が出た。
「このオオヤシマがこれ以上悪しき心に満たされれば、ヨモツが蠢きます」
アキツが言い添える。
「今は私の大叔母であるオオヒルメが封を閉じ直す術を施しております故、しばしは留められましょうが、今以上に悪しき心が溢れる事あれば、それも破られます」
「そしたら、どうなっちゃうんですか?」
武彦はビクビクして尋ねた。
「ヨモツがオオヤシマに溢れ、この世は闇に閉ざされます。人は死に、死人が統べる国になりましょう」
「……」
武彦はホラー映画が苦手だ。そんな恐ろしい国になるのはまずいと思った。
「行きましょう、ツクヨミさん」
武彦は立ち上がった。ツクヨミは頷いて、
「はい、たけひこ様」
と答えた。アキツも頷き、
「私は大叔母様のお手伝いに参ります。ツクヨミ殿、たけひこ様をお願いします」
「はい、アキツ様」
ツクヨミは深々と頭を下げた。
「参りましょう、たけひこ様」
「はい」
二人はアマノイワトを出た。
「ツクヨミさんは、アキツさんが好きなんですか?」
武彦はいきなり核心を突く質問をした。ツクヨミはビクッとして、
「そのような恐れ多き事を仰せにならないで下さい、たけひこ様。私は、アキツ様をお守りしたいだけにございます」
「そうなんですか。僕、アキツさんが僕の好きな子に似ているので、どうしても助けてあげたいんです。だから、ツクヨミさんもそういう気持ちなのかなって思ったんです。ごめんなさい、変な事訊いて」
「いえ」
ツクヨミは、武彦の純真さに心打たれていた。
(この方なら、間違いなくオオヤシマをお救い下さる)
「では、目をお瞑り下さい。今より、我が秘術にてタジカラ様のところまで参ります」
「は、はい」
武彦は素直に目を閉じた。ツクヨミは武彦の前に立つと、
「風よりも速く、岩よりも硬くなりぬ!」
その言葉と同時に、二人の身体は宙を舞い、タジカラ軍目指して飛んだ。
「うわっ!」
武彦は目が回りそうだった。
タジカラ軍は、ヒノモトの国の奥まで進軍していた。ホアカリの城が見えて来ている。
「このように事が運ぶは、悪しき兆しかも知れませぬ、お館様」
妻のウズメが言う。タジカラも、そもそも事の起こりが気に入らぬだけに、ウズメの言葉が気にかかった。
「お前の申す通りだ。合点が行かぬ。道理が通らぬ」
タジカラは、何かが後ろで采配している気がして、どうにも不愉快であった。
「むっ?」
ウズメが何かを感じた。
「馬を止めい!」
彼女は御者に怒鳴った。御者は慌てて手綱を引き、馬を止まらせた。
「何事だ、ウズメ?」
タジカラは妻を問い詰めるように言った。ウズメはタジカラを見上げ、
「妙な気が、我らに近づいております」
「妙な気?」
「あちらにございます」
ウズメは馬車の窓から天を指差した。タジカラがそちらに目を向けると、光が近づいているのが見えた。
「何じゃ、あの光は?」
「おお、面妖な……」
タジカラは馬車を飛び出し、剣を抜いて身構えた。ウズメも舞踏師として構えを取った。
「あれは……。お館様、お控え下さいませ」
ウズメは光の神々しさに気づき、跪いた。タジカラも妻の言葉に慌てて跪いた。
「タジカラ、大儀である」
声が聞こえる。タジカラとウズメは、地上に降り立った光に目を凝らした。
「おお、イワレヒコ様……」
ウズメが先に気づき、平伏した。タジカラは不満そうに平伏す。
「タジカラ、オオヤシマを滅ぼすつもりか?」
イワレヒコの言葉に、タジカラは顔を上げて、
「滅相もございませぬ。そのような事、このタジカラ、思うた事はありませぬ」
「ならば何故、このような兵を率いて、ヒノモトを進むのか?」
イワレヒコはタジカラの後ろに控えている大軍を指差した。
「これは異な事を仰せですな、イワレヒコ様。オオヤシマを救うには、ヒノモトを滅ぼすより他なしと仰ったは、イワレヒコ様ですぞ」
タジカラは、イワレヒコが以前と違う事を言っているので、偽者ではないかと疑っていた。
「愚か者め。この戦は、ヨモツの罠ぞ。これ以上、オオヤシマを悪しき心で満たさば、この世は闇に包まれようぞ」
「何と!」
タジカラはウズメを見た。ウズメは、
「この方は紛れもなくイワレヒコ様にございます」
と答えた。
「ヨモツの罠とは、如何様な意味でごさいましょうか?」
ウズメが代わりに尋ねた。イワレヒコはウズメを見て、
「ヨモツは、オオヤシマを悪しき心で満たすを企む。ヒノモト攻めは、まさにその助けとなるのだ」
「ならば私共は、如何にすれば宜しいのでしょうか?」
ウズメが重ねて尋ねた。
「兵を退き、戦をやめる事ぞ。それが何よりの策ぞ」
「兵を退く?」
タジカラがピクンと動いた。
「イワレヒコ様のお言葉とは思えませぬ」
「お館様!」
もし、今話しているイワレヒコが、タジカラの知っているイワレヒコであったなら、彼は間違いなく斬り捨てられていたろう。
「私は変わったのだ。オオヤシマを救うは、戦にあらず。人の心よ」
「人の心、でございますか?」
タジカラは斬り捨てられると思い、剣に手をかけていたが、その手を放した。
(一体、何があったのだ? イワレヒコ様であるが、イワレヒコ様ではない……)
ホアカリ達は、目前まで進軍して来たタジカラ軍が止まったのを知り、不審がっていた。
「如何なる事か?」
ホアカリは、嫡男ウマシに尋ねた。しかしウマシにも何故タジカラが進軍を停止させたのかわからない。
「只今斥候を向かわせております。しばしお待ちを」
「うむ」
ホアカリは不安そうな顔で妃トミヤを見た。トミヤも悲しそうな顔でホアカリを見つめていた。
「ナガスネはまだ戻らぬのか?」
ホアカリは留守居役のウカシを見た。ウカシは跪いて、
「まだにございます。しかし、もうすぐご到着になります」
「そうか……」
ナガスネが間に合わない場合は、自らがタジカラとの交渉に臨むつもりだったホアカリは、ホッとすると同時に疑問が次々に沸き上がるのを禁じ得なかった。
タジカラ軍が進撃を停止した事は、斥候を通じてヤマトの国にも伝えられていた。
「何が起こっておるのだ?」
ウガヤは苛ついて言った。斥候は跪いて、
「イワレヒコ様がいらしたご様子です」
「イワレヒコが? 戯けた事を申すな。イワレヒコは、アマノイワトに連れ去られたままぞ」
ウガヤは斥候を怒鳴りつけた。
「しかし、あれは紛れもなくイワレヒコ様にございました」
ウガヤは判断がつかず、オモイを見た。オモイは、
「何かありましたな。恐らく、アキツ様かツクヨミが、イワレヒコ様を操っていると思われます」
「そのような事ができるのか?」
ウガヤは信じられないという顔で尋ねる。オモイは、
「はい。アキツ様やツクヨミには、できまする」
ウガヤはその答えに怒りを発した。
「おのれ、どこまでも我がヤマトを愚弄しおって!」
ウガヤは立ち上がり、
「イツセに早馬を! アマノイワトを攻め、ツクヨミとアキツを殺してしまえと伝えよ!」
と命じた。
「なりませぬ、陛下。それはなりませぬ!」
隣で聞いていたタマヨリが慌てて言った。しかし、ウガヤは、
「口出し致すな、タマヨリ! これは戦ぞ。先んずれば人を制すのだ」
と言い放ち、全く聞く耳を持たなかった。
オオヤシマの悪しき心は、まだ増えようとしていた。