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7/25

一晩過ぎたらレティーシアのぶり返した熱はすっかりおさまっていた。

どうやら急激に食べたせいで腹痛や拒絶反応を起こしただけだったようだ。


だから、熱が下がってもレティーシアはほぼ食欲がなかった。


「姫様、少しは何か口になさりませんと・・・」

「・・・ん。でも・・・食べる気がしない。胃が重くて」

「ではせめて摩り下ろした果物でもいかかですか?さっぱりしますよ」


勧めらレティーシア一応スプーンにすくったものの、どうしても口に入れる気にならなかった。


「・・・ごめんね。心配かけて」


申し訳なさに頭を垂れると、アーヴは首を振った。

そして唯一レティーシアが口にできるレモン水を渡す。

水分だけはきちんと取ってくれるレティーシアにほっとしながら、アーヴはそっと彼女の手を握った。


「何をおっしゃいます。姫様が気になさることではございません。それよりも早くお元気になることだけを考えてくださいませ」

「・・・・うん」


アーヴの親身が嬉しい。レティーシアはふわっと笑った。


「入るぞ」


そのとき入り口から聞こえた声に、はっとなった。

老女も身を硬くし、慌てて一歩下がる。


いつもは逃げるように部屋から出て行く彼女だったが、今日はレティーシアが心配なのか平伏したまま動かない。

それに、ライザックも出て行くよう強制することはなかった。


「また食べなかったんだってな。料理長が嘆いていたぞ」

「・・・別に料理が悪いわけじゃなくて・・・」


ライザックの気配が近くに寄ると自然と身構えてしまう。

いつもは何を言われるのかという緊張からだったが、今日はそれに加えて気恥ずかしさがあった。

昨日は結局、目が覚めるまでずっとライザックが側にいてくれた。それにおぼろげな記憶の中で、うなされるたびになぐさめてくれた手があったことも知っている。


気が弱っていたのは確かだが、あんなに嫌悪して怖がっていた相手の前で、逆に安心して眠ってしまった自分が情けなかった。しかも最初にそばにいてくれと言ったのは自分の方だ。


それにしても、どうしてライザックが相手もできないレティーシアの側にただずっとついていてくれたのかも分からない。

まるで心配がすぎて看病するみたいに。


(・・・いや、ありえない・・・し。それ・・・いや、お気に入りのおもちゃが壊れると困ると思ったのかな・・・看病、はない)


ふるっと首を振ったレティーシアにライザックがじろっと視線を鋭く向けた。


「どうした?また倒れそうなのか?」

「・・・ううん、別に」

「そうか。ならいい」


(あれ、もしかして睨んでるのではなくって、心配してるのかな?)


まだ気にかけてくれたのは意外だったが、そうとしか考えられなかった。


「手を出せ」

「え?」


突然の命令にレティーシアは首をかしげる。すると同じことを繰り返されたので、言われるままに右手を差し出した。

ばらばら、と掌に何かが落ちてきた。


「これ・・・」


もちきれずに布団の上にも零れ落ちた小さな丸い包みは、レティーシアが一番気に入っていたチョコレートという菓子だった。このカカオの良い香りがする甘い菓子は、クリデミアにはないものだ。

シグルンでも高級なものらしいと噂で聞いた。


「好きなものなら食べられるだろう?」

「私に?」


もしかしてわざわざ取り寄せてくれたのだろうか。

それもこんなにもたくさん。

驚きに目を大きくして彼を見上げると、ライザックはふいと顔を背けた。


「用はそれだけだ。邪魔したな」


そしてさっさと背を向けて、出て行ってしまう。

残されたレティーシアは、まだ不思議な感覚でちらばったチョコレートを一粒つまみ上げた。


「・・・・綺麗」


包みが宝石みたいにきらきらと光を弾いている。


「姫様、あんな男からもらったものを口になさることはありません」

「アーヴ?」


物珍しそうに見つめているレティーシアに、アーヴが嫌悪した表情で言った。


「あんな権力に傘を着て、姫様を苦しめているような男のものなど・・・」

「・・・・・」


傍からみればそうなのだろう。いや、レティーシアもずっとそう感じていたはずだ。

だからせいぜい利用してやろうと思っていたくらいだ。


(でも・・・ものすごく悪い人ってわけじゃない・・・)


ずっとわかっていたことだった。

魚の骨のように喉に引っかかりつづけて飲み込めはしないのだけれど。


本当にひどいのなら、レティーシアとの約束を律儀に守らない。気に入ったものをそろえてくれたり、一晩中付き添ってくれたりしない。

・・・何より真剣にこの国を立て直してくれたりしない。


レティーシアは知っている。


彼は国民に対して誠実だった。

起きてしまった戦争は仕方ないにしても、生き残った人間を苦しめたりはしない。

統治を任されたにせよ、私腹を肥やすことなく与えられた財力もほとんど民のために使っている。

もしかしたらそれは、父や兄よりも正しい統べ方かもしれなかった。

敵国の将軍を民が容易に受け入れていることがその証かもしれない。


(・・・私は・・・・)


苦しめられているのは自分なのに、何か理解できない感情に襲われた。

ライザックを、アーヴに、他人にひどく非難して欲しくないと思っている。

彼をなじる権利があるのは自分であって、それ以外の人が彼をひどく貶めるのは違うのだと思った。


(だって、みんな、私とライのことを・・・知らないでしょう?この部屋の中のことを、話を、知らないでしょう?)


彼の理不尽なまでの怒りも、彼の気まぐれに与えられる優しさも。彼がレティーシアが言ったことをどういう感情なのかわからないが叶えようとしていることも。

彼のレティーシアに対する扱いは、レティーシアが知っているだけであって、それを外の人間が非難するのは違う気がしたのだ。


レティーシアはじっと手の中の包みを見つめた。

多分アーヴはこれを捨ててしまうことを期待しているのだと思う。けれど。


「姫様?」


レティーシアは包みを開いて、茶色の珠を口に入れた。甘い味が口いっぱいに広がる。


「・・・甘いや」


なんともいえない表情をしているアーヴに、レティーシアはふっと笑みを向けた。


「これなら食べられるかも」

「・・・・姫様・・・・」


昔よりも幾分細くなった指で、大切そうにちらばったチョコレートを拾い集めるレティーシアをアーヴはじっと見つめていた。



捕らえられ続けたことで、相手に依存を始めたと言われればそうかもしれない。


ずたずたに傷つけられた反動で、ふと優しさを感じ取ってしまったからほだされやすかったのかもしれない。


それでも、何故かライザックに対する敵愾心が薄れてきたのは確かだった。


彼はレティーシアの体調が完全に戻るまで、日参して毎回何か珍しいものをくれた。

それはお菓子だったり、本だったり、人形だったり。

興味をひきそうなものを与えて元気付けようとしてくれるかのように。

そして治るまでずっと親愛のような優しい口付けしかしなかった。何一つ奪わなかった。

元気になり、元のように夜の関係を持つようになってからも決して無体なことはしなくなった。


まるで壊れ物を扱うかのような触れ方に、戸惑うのが最近の常だ。

嫌なのに、どうしてだか心から彼を拒絶することはなくなった。


だがその代わり、アーヴが前よりもどこかよそよそしくなった気がする。

王家に忠実な彼女はライザックに警戒心を緩めているレティーシアが許せないのかもしれなかった。

クリデミア国を決定的に潰したのはシグルン一の将軍、ライザックだからだ。

彼女にしてみれば彼は憎い敵、侵略者なのだろう。



(・・・でも、それは・・・突然同盟を破ったこちら側が悪かったのでは・・・)


ライザックは自国に振りかかかる火の粉を遠ざけるために戦ったのである。

むしろ野心に燃えた侵略者はクリデミアの側だった。

肉親や婚約者の命を奪ったシグルンを心から許すことはできないかもしれないが、けれどもうそれを憎み続けることもできなかった。

時間は冷静さとあきらめを与えてくれた。


(この人は進んで支配者となったわけじゃない・・・)


不当な扱いをされた記憶が薄れてきたせいか、もしかして自身が壊れかけてきたせいか、レティーシアの心はいつも彼をかばう方に向いてしまう。

彼女自身、それはあまり意識していないことだったけれど。


「・・・なんだ?」


考え事をしたままじっと隣にいるライザックを見つめていたレティーシアを、彼が不審そうに振り返った。

ベッドに横になったままのレティーシアとは対照的に、ライザックは半身を起こしている。いつもは気を失うかのように眠りに落ちてしまうので、情事の後で彼が何をしているのか知らなかった。


ライザックはただ黙って窓の向こう、遠くの空を見つめていた。

月明かりに照らされた彼の横顔はとても美しかったけれど、どこか寂しそうにも見えた。


振り返った瞬間に、そんな雰囲気は消え失せてしまったけれど。


「眠れないのか?」

「・・・うん・・・」


またさらっと頭を撫でられてレティーシアは目を閉じる。そういえばこの仕草は多いな、とふと思った。

なだめるようにするときはいつも、髪を撫でてくる。

子供に対するような仕草に不思議さを覚えるけれど、どこか気持ちがいいので黙っているのだ。


「・・・・あの」


レティーシアはその朱色の瞳を再び開いた。

不遜に見えるライザックの表情を見つめる。


「何だ?」

「ライは・・・いくつなの?」


ふっと思い浮かんだ疑問だった。

まず目を引く紫の瞳が怖いせいで、彼の顔立ちをあまりよく見てこなかったが、最近間近で見つめていて思っていたよりも若いのでは、と考えたのだ。

今までライザックの基本的なことにすら興味を持たなかったレティーシアが尋ねてきたことに、彼は意外そうだった。


「何故、そんなことを聞く?」

「・・・その、若そうなのに将軍だし。結構年が上の人がなるものかな、って思ってたから」


その答えに納得したのかどうかは分からないが、ライザックは少し黙り込んだ後でぼそりと答えた。


「お前よりも5歳上」

「・・・って、24っ?!」


がばっと勢いづいて起き上がるほど、レティーシアはその答えに驚いた。

いくら若くてもそんな少ししか違わないと思っていなかったのだ。


「いくつだと思ってたんだ?」


あまりの驚きように、むっとした口調でライザックが尋ねる。


「や、その・・・そんな年で軍の最高位とかすごいなぁ、と・・・」

「まあ、年相応にみられたことはないからな」

「誰も老けてるとは・・・。あ・・・っ、いや・・・」


じろりとにらみつけられて、レティーシアは慌てて口を閉じる。機嫌を損ねるつもりはなかった。


それに本当に年に見えるわけではない。

ただ、10歳くらいはライザックは度胸や落ち着き方に差がある気がしていた。

そこには男と女の違いもあるのかもしれないが。


「そっか・・・。5つしか違わないんだ・・・」


レティーシアはふぅ、と息をついた。


「それがどうかしたのか?」

「別に。ただ、5年経ったらあなたと同じくらいまで、いろいろなことに頭が回るようになるのかなと思って・・・」

「どういうことだ?」

「・・・・。ライは状況を見て、たくさんの人のことを考えることができるでしょう?いろいろな影響を考慮しながら、周りを納得させるだけの打開策を思いつける。そうやって、私も考えられるようになるかな、と思っただけ」


実際、10歳離れていた兄はもっと一部の貴族に振り回されていた感がある。

確かに状況はずっと変わってしまっているけれど・・・、

委ねるところは委ねて、意見するところは意見する。

そういった姿勢は好ましいと思った。

決して独断的ではないのだ。


「・・・お前はそんなこと考えなくてもいいだろう。女なんだから」

「でも、私はこの国が好きだから。・・・もう国じゃないけど。この土地もここに住んでる人も好きだから。少しでもよくできるところはできるようにしたい」


答えてから、はっとレティーシアは表情を曇らせ、うつむいた。

勝手なことを考えるな、と怒られるかもしれないと思ったのだ。お前はただ従っていればいい、と。

だが、ライザックはまったく予想外の反応を返した。


「そうか」


くしゃっと頭を撫でられた。褒めるかのように。


(・・・え?)


顔をあげたレティーシアは更に驚く。ライザックが口の端を上げていた。皮肉ではなく、純粋な笑みに見えた。


「お前は、人の上に立つ資質だな」

「ライ・・・?」


だが、その表情はすぐに消えてしまった。逆にむしろ沈んだ表情に変わった気がする。


「・・・王位継承者にも、もう少しその心があれば・・・いや、唆されたのか」

「え?」


どういうことだとレティーシアが首をかしげると、ライザックはその追求から逃れるように背を向けて横になってしまった。


「あの・・・」

「もう、寝ろ」


返された声から答えてくれる気がないのはわかりきっていたので、レティーシアはそれ以上尋ねられなかった。


(・・・もしかしてライは何か知ってる?)


こんな事態が起こってしまった理由を。


再び横になったレティーシアは眠るまでじっと広い背中を注視していた。


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