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閑話1ーライの過去①ー

流血暴力残虐ありです。ご注意ください。

始まりは母だった。


「出かけてくるわ。あの子をくれぐれもここから出さないで頂戴ね」


屋敷から出るとき必ず母は使用人にそう言った。

たまに母の親類が訪ねてくるときには必ず部屋に見張りが置かれた。


母には全く愛情がなかったわけではないと思う。


一日に一度は必ずライザック…"ライ"と話をしてくれたから。本当に疎んでいたならば顔も見ずに生活できたのだから。


ただ彼女は一度としてライの瞳を直視したことはなかった。


ほぼ母親の顔も見ない生活が幼心につらくなかったわけではなかった。

だが、当時からそういった考えをしていないと孤独感に押しつぶされそうだったのだ。


父の所有だというこの屋敷では、誰もライの存在を認めてくれなかった。

使用人ですら、彼を疎んじて扱う。話しかけてもかえって来るのは顔を逸らし「はい」か「いいえ」の返事だけ。


不自由のないほどの物はあたえられていたが、屋敷から出ることは許されなかったし、母が訪れてくれる以外まともに話す相手もいなかった。

母の歓心を買うことだけがライの楽しみだった。

だから母に対しては何一つ我儘を言えなかった。

腕を折って眠れないくらいに痛かったときも、病気で熱が出て苦しかったときも。


「大丈夫だから気にしないで」


それしか言えなかった。

ただ黙って後ろ姿を見つめるだけだった。そばにいてほしい、と我儘を言うことで母にまで愛想をつかされることだけを恐れていた。

時折垣間見える母の痛ましげな表情だけで幸せだと思う。

そんなささいな満足だけを頼りに彼は育った。


そしてそれからも、母が見せてくれた心配そうな顔が彼の思い出の中で、一番の幸せだった。

この程度のことが最上の幸せだと感じられるほど、ライはさらに殺伐とした環境に置かれることになったから。



大人の都合で人質として引き渡された”最初の”国は決して治安のいいところではなかった。

最初何ヶ月かは待遇もよかった。

けれど一年もする頃には、ライの存在は軽んじられるようになった。

本国からの便りがほとんどないライに対してさほどの価値はないと踏んだのだろう。

まだほんの子供だった彼は弱かった。

鬱憤がたまった見張りの暴力の対象になり、平気でライの食事を横取りされた。

怪我の手当てなど期待できず、それがもとで発熱したとしても狭い一室で一人うずくまり耐えるしかなかった。

弱みを見せればますますいじめの対象になったから。


もともとライの髪は真っ赤ではなく、赤茶色だった。

ただ食糧事情があまりよくなかったせいか、日に当たる機会がほとんどなかったせいか、その国を出るときには艶のなくなった髪から茶色が抜けていた。


丸みを帯びていた少年の頬はすっかりこけ、紫の瞳が一層ぎらぎらと際立った。


まだたった7歳の少年の心は、完全に人間不信の塊だった。


それから"どこ"に行っても、やはりライは一人だった。

弱ければ潰される。ライはそんな誰の庇護もない状況にさらされつづけた。


だから、”とある事情”でシグルンに”自力で”帰ってからでさえ、すべて一人で抱え込んできた。

誰も彼のことを考えた者はいなかった。

いつも彼の周りには足元をすくい、寝首をかこうとする人間ばかりだ。


それゆえ、いつの間にかライは“つらい”と感じないような人間になっていた。あまりにつらすぎて、心が感じることを拒否しはじめたのだ。


それでもまだ人間らしいカケラが残っていた頃に、彼は知ってしまった。

自分が"上手く"死ねないということを。


***


雨が降りしきる中、ライは一人で立っていた。


その手に血塗られた剣を持って。

足元には数人の体が横たわっている。

少し視線をめぐらせれば、その向こうにも二度と動かない人間たちが橋のように連なっていた。


たっぷりと水を吸った赤い髪から、ぽたぽたと雫が落ちる。


それでも彼は身じろぎひとつしない。その体に浴びた忌々しい血の跡を落としているのだろうか、と少し離れたところにいる味方は思っていた。


彼らも、彼には近づけない。


寄れば、あの無残に転がる死体のように自らも切り捨てられるのではないかと思ってしまうからだ。それほど少年の戦い方は恐ろしく、理性を欠いているようにさえみえた。


ライは齢15にしてすでに少尉となり、それなりの兵を率いていた。


だが、彼の隊には別の名が与えられている。


------“決死隊”。常に命の危険にさらされる任務ばかりを行なう、いわゆる捨て駒の隊。


先陣、囮、殿・・・与えられる役割も規模もさまざまだったが、通常であれば生存率10%を切る作戦ばかりだ。だが、そんな任務でも生存率50%を保っているのはたった一人の少年のためだった。


ライは、頭が良かった。

作戦ばかりでなく、度胸も強さも備えていた。


彼の命に従うことはすなわち生きることにつながる。

それは隊の中での不文律だった。

だが、それはライの指揮によるものだけではない。

危険な役目は少年がほぼすべて引き受けたからだ。

どんな敵陣の中でも臆せずに突っ込んでいく。

自分の命が惜しくないのだろうか、と誰もが思う無茶な戦い方をし続ける。

そうして今日も、取り残された隊員の一人を見捨てずに敵陣へ戻っていき、追っ手をなぎ倒した。


だが、それでももう・・・手遅れだったけれど。


静寂の中、残るのはライのやりきれない後悔と、仲間たちの恐怖だけだった。


ずっと立ち尽くしたままだったライが不意に、動いた。


ぬかるんできた地面を踏みしめて向かったのは、殺された自分の部下の遺体のところだった。


ライは膝を折ると、そっと彼らの目を閉じさせる。

唇が動き、何事かを呟いたようだったが、雨音で遠くにいる隊には何一つ聞こえてこなかった。


再び立ち上がったライはむき出しになっていた刀身を鞘に収めると、のろのろとした動作で空を見上げた。

真っ黒な空を。


「・・・隊長!いつまでも立ち止まるわけにはいきません。新たな追っ手がいつ迫るかもしれな・・・」


隊員の一人が、勇気を振り絞ってそう声をかけた。

彼を心配して馬首を返した側近の兵だ。

本隊はすでに先を走っている。それに追いつかなければならない。


だが、ライはその叫びに何の反応もしなかった。


「隊長・・・?」


再び呼びかけるが、返事はない。耳のいい彼のこと、絶対に聞こえているはずなのに。


「どうしたんだ・・・?」

「・・・っ隊長!ライ少尉!」


心配が恐怖に勝ったのだろう。一人の兵がライのそばに走り寄った。


「隊長!しっかりなさってください!」

「・・・・・」


すぐ間近で呼んでもライは微動だにしない。

ただ、ずっとぼんやりと宙を眺めている。


「少尉、失礼いたします!どうなされたのですか?!」


彼はライの肩をがっとつかんで揺さぶった。

ひどい怪我でもしたのだろうか。先ほどは平然と動いているように見えたのに。


「たい・・・」


まだ自分よりも背の低いライを覗き込んで、彼ははっとした。いや、瞬間走ったのは恐怖かもしれなかった。


「た・・・隊長・・・?」


目が、死んだようにうつろだった。

平素から恐怖を与える紫の瞳。いつもはその色とぎらぎらした光が恐れおののきを与えるのに、いまあるのは虚無に近い。光もなく、ただ深い紫が闇のように思えた。


これこそが本当に“死の色”と思わせるような、憂いに満ちた瞳だった。


兵は自身の恐怖を必死に押さえ込み、ライの肩を揺すり続けた。


「隊長!どうか、しっかりなさってください!お気を確かに!」


突然、ライがその青年を振り向いた。

「ひ・・・っ」と彼の喉が鳴る。


「・・・が・・・死ねば・・・のに・・・・」


だがそれを気にした様子もなく、ライの唇がかすかに言葉をつむいだ。相変わらず、生気が見られない瞳のまま。


「俺が・・・死ねばいいんだ・・・」

「隊長?何を・・・」

「・・・死ぬべきは・・・俺で・・・。俺だけで、いい・・・のに」

「ライ隊長!」


ようやくはっきりと言葉を聞き取った兵は、ライの頬をぱん、と叩いた。


「しっかりなさってください!あなたにはまだ連れ帰らなくてはならない部下がいらっしゃるでしょう?あなたが言ったのではないですか?“生きてもう一度家族に会え”と。違いますか!」

「・・・・」

「友軍との合流はまだなっていません。ここであなたが呆けていては、助かった他の隊員を見捨てることになるのですよ?分かっているのですか?隊長には生きていただかなければ困ります!隊員をこのまま見殺しにしたいのですか!」


その声にはっとライが正気づく。

瞳に光が戻ってきた。


「・・・・・・・フェス」


側近の名前を呼んだライに、彼はほっと息を吐いた。


「ライ隊長、行きましょう。急がなければ本隊に追いつけなくなります」


ライは一瞬仲間の躯を見、それからフェスと呼ばれた彼の肩をぽん、と叩いた。


「行くぞ」

「はい!」


迷いなく自分の馬に駆けていったライの後姿に、フェスは安堵の息を吐く。

ほとんど被害のないままに戻れると思っていた矢先に部下を失ったことで、一時的に動揺してしまったのだろうと結論付けた。だが、もう大丈夫だろう、と。


・・・しかし、まだ15歳の少年が悲惨な戦場に心を失いかけていることを誰も気がついていなかった。



またしても周囲の予想を裏切って王都へ戻ってきたライは、貴族の中で非難の対象だった。


“死神”と名づけられたのはこの頃からだった。

それには2つの意味がある。


一つは、その殺傷能力を評して。もう一つは・・・不名誉なことに部下を見殺しにしているという皮肉を込めてだ。


あのような死線を幾度も越えてこられるのは自らは安全な場所にいて、部下にすべてをやらせているからではないのか、という噂が立ち始めていた。


もちろん、それが真実でないことは同じ隊の者たちの言から明らかではあったが、ライの存在を認めたがらない古参の重鎮たちは未だに不信を抱いている。

だが、そんなこと、すべてはライにとってどうでもよかった。


戦場から戻ってくるとライは必ず一人きりで2日ほど部屋にこもっている。その間は食事もせず、明かりもつけず、ただ部屋の片隅でじっとしているだけだ。


「・・・うぁ・・・っ」


またうずくまった格好のまま転寝をしていたライは、悲鳴を上げて目を覚ました。

どん、と背中が激しく壁にぶつかる。

息は荒く、額にはじっとりと脂汗が浮かんでいた。


「・・・ぐ・・・」


吐き気がした。

眠れば必ず見るのは悪夢だ。

次から次へと血まみれの仲間が追ってくる。


“何故、自分が死に、お前が生きているのか”


そう問いかけながら。ライは逃げて逃げて、だが結局捕まり、彼らに全身を貫かれる。


だがそれよりもライの心を追い詰めるのは、彼らが血の涙を流していること。

“どうして自分が死ななければならなかったのか”とライを泣きながら責めること。

夢の中で刺し貫かれても死ねない自分の周りには、いつの間にかとてもたくさんの人の影がある。それは自分が殺した人間の数だけ、どんどん増えていく。

みんなライのせいで、と責めつづける。

“死ね”と大合唱になる。


「いやだ・・・・もう・・・・いやだ・・・」


ライは頭を抱えた。気が狂ってしまいそうになる。

いや、いっそ狂った方が楽かもしれない。

そうしたらこんな苦しみを抱えなくてすむのだから。

自分で命を絶つことを考えなかったわけではない。

だが、自害は武勲を尊ぶこの国では卑怯として忌み嫌われること。

不浄のものとして自害した人間に関わった人物は処分されることになる。

そうすればライの側にいる使用人たちも部下たちも処罰を受けることになってしまう。


戦場で死ねば、名誉を保ったままでいられる。

だから、ライは何度も戦場で死のうとしてみた。

だが・・・どういうわけかこの体は違う反応をする。

生にしがみつくかのように、危険を感じると剣を振るう。


それはもはや刷り込みのようだった。

だからライは危険な立場に自らを置き続けた。

死んでもおかしくないといわれる状況に自分ひとりで立ち向かうようにした。

自身の力を超えていれば、安易に殺されるだろうと思った。


だが、それも失敗に終わった。

前に一度。不意をつかれてどうしようもないときがあった。

その一瞬の間にこれで死ねる、と安堵のように思った。

だが、そんなライをかばった人がいたから。


“あなたは他の隊員を連れ帰ってください。この状況でそれができるのはあなただけでしょうから”


と、そう言って、彼は死んでしまった。


ライは死にたかったのに。それなのに、家族のいるその人が代わりに死んでしまった。

生きる価値がない自分の代わりに。


そしてライは思い知らされたのだ。不本意に築き上げてしまった自らの立場を。


忠義に厚い人間が上官をかばってしまうこと。

ライが死んだら死線に置かれた他の部下たちを見捨てることになることに。


もう、ライにはどうしていいのかわからなかった。

せめて誰にも迷惑をかけずに死にたいと殿を好んで務めるようにはしているが・・・いまだ、命はある。

今回もまた戻ってきてしまった。


「・・・こんな腕・・・いっそ動かなくなれば・・・っ」


ライは何度も腕で床を叩いた。

だが、断食を続けているせいかめまいがして、床に倒れこむような形になった。


目の前にある手の腹が内出血で赤黒くなっていた。

それを見てライは自分の血も赤いのだなとぼんやりと思う。


本当は血の色なんて大嫌いだった。

だからこの、髪の色も。


「・・・もう・・・死なせてくれ・・・」


ライはそう呟きながら、ようやく夢も見ないほどの闇の中に落ちていくことを許された。




どんなに否定していても朝はやってくる。


結局、部屋の中でがんがんと音がしていたのを不審に思った使用人に見つけられて、ライはベッドの上で目を覚ました。


「王宮からお召しがございます」


いつも折り目正しい執事は何を考えているのかよくわからない。

ただ淡々とライの世話を焼いてくれているだけ。

そこに必要以上の会話は存在しない。


「王宮から?俺を遠ざけようとしてばかりいるくせに、なんでまた・・・」

「国王陛下お呼びでございます。まずはお食事をなさってくださいませ」

「・・・・必要ない」

「お食事をなさってくださいませ。気に入らなければすぐに作り直させます」

「食べたくないんだ」

「では、新しいものを・・・」

「・・・っ」


強固に食事をあきらめない執事にライは苛ついた。

だが、せっかくつくってもらったものを無にするのは気が引ける。

人質として長い間悪意にさらされ続けたライは、無意識に人一倍情が深く、他人を気づかっていた。


「わかった。食べればいいのだろう?」


ライはようやくスプーンを手に取った。

何日も食べていないライを気遣ってか、野菜や麦を煮込んだスープだ。口に入れて見れば、やはり育ち盛りの体は栄養を欲していたらしくぺろりと平らげてしまった。


「ではお召しかえを」


これが済んだら次は、と計画通り進めてくる初老の彼は自動人形みたいだった。


どうせ健康管理も仕事の一部として考えているだけで、ライの心配はまったくしていないに違いない。

家で何か起これば執事の彼の責任になってしまうから。

ライは無言のまま、軍服に着替えた。


「こちらへ。馬車を用意いたしております」


ライが廊下へ出ると、屋敷の使用人たちが両側に列を成して頭を下げる。

誰一人、微動だにしない。余分な会話のないこの屋敷は、ひどく寒々しかった。物心ついたときからこれであるので、ライはまともな家の様子など知らないが、ただ牢よりはマシだと知っている。


「いってらっしゃいませ。どうぞお気をつけて」


決まり文句を聞き、屋敷から見送られる。


自分の屋敷にいても息がつまる。

王宮などに行けばさらにひどくなるだろう。

王都など戻ってきたくなかった。


ライは窓から景色を眺めながら、瞳を凍えさせていた。


やがて馬車は王宮に到着し、ライは王の間に多くの警備兵つきで通された。


半年以上会っていなかった国王はあいかわらずライに冷淡な視線を向けていた。


「ライザック=ハルジーナ=イルヴァ。今回も甚大な働きをしたと耳にしておる。褒めてつかわそう」


諸々の都合で勝手に変えられた名前を呼ばれるのは好きではない。

彼に最初母から与えられたのはライという短い名前だったはずだ。呼ぶのもほぼ彼女だけだったが。


「・・・光栄に存じます」


それにしてもそんなに嫌そうな顔をするのならばここに呼ばなければいい、とライは冷え切った心の中で思った。


「今回王宮に参上させたのは、ほかでもない。今までのそなたの武勲を公に示す機会を一席設けようと思ったからだ」

「と・・・いいますと?」

「これまで幾度となく戦地に赴いていたが、そなたは毎回武勲を上げて戻ってくる。その働きを称して褒美を遣ろうと考えておったのだが、少しそれに疑問をもつ声が上がった。そなたは実は戦ってはおらぬのではないか、と」

「・・・その噂なら私も耳にしたことがございます。ですが、事実無根でございます」

「うむ。わしもそう信じておる。()()()()にそのような卑怯な者がいるとは思いたくない。だが、文官たちはその目に見ぬものを信じぬ。ゆえに、3日後の式典において、余興をつとめてもらうことになった」

「余興・・・?」

「なに、たいしたことではない。宮廷お抱えの闘技場にて戦士と戦ってもらうのみだ」


ライはうんざりとしたように瞳を伏せた。何故、そんな貴族の道楽に付き合わなくてはならないのか、と。

だが王はもはや決定したこととライに命じてきた。


「軍の尉官としての名に恥じぬ戦いを見せなさい」

「・・・かしこまりました」


気が重いが、ここで従わぬわけにもいくまい。

それくらいは理解ができた。

ライは頭を下げて、小さくため息をついた。




そして3日後。

うんざりとした様子も隠すことなく、ライは広い催事場に立っていた。

周りには道楽に興じている貴族たちが大勢観戦していた。

ライのように赤い髪に紫の瞳という奇異な姿のものを見るのは恐ろしいが、同時に好奇心を誘うのであろう。

人前が大嫌いなライにしてみればいい迷惑である。

救いなのは真剣を扱わなくてよいことだ。

木でできた刀であれば相手を殺すことはないだろう。


刀をもつ自分を一番恐れているのはライ自身だった。

危機感を感じると何をしでかすか分からないのだ。


ファンファーレとともに、要人たちの列席の前の扉から屈強な男たちが姿を現す。

相手は3人。

どれもライよりも頭一つ分大きな戦士という身分の奴隷たちだった。

ライは3人を同時に相手にしなくてはならない。


(・・・まあ、こいつらなら頑丈そうだし、手加減できなくても大丈夫か)


昏倒させるのには手間取るかもしれない。

そう判断したライは、だが悠長にそんなことを考えていた。とりあえず3人をまとめて相手にするくらいは大した問題ではない。

ライは三方向を囲まれる形で、すっと木刀を構えた。


「各人、武神イカルガに恥じぬ戦いをせよ!」


祈りの言葉の後、審判長がそう叫び、再び大笛が鳴る。

わっと歓声があがったが、精神をすべて戦いに集中させたライにはもはや聞こえていなかった。


戦士たちのもつ棍棒をさっと避け、一人の腹に木刀を叩き込む。残る二人が突っ込んでくるのを見計らって彼らを衝突させた。

ついでに首のあたりに手をかけてくるりと宙を回転する。

後ろに立ったことで人間の急所である肝臓のあたりに木刀の先をぶつけた。


もんどりを打って倒れこむ男を冷静に見つめ、ライはまた向かってくる男に照準を定めた。


だがその瞬間、すっと冷気のようなものが首の辺りをかすめ、ライの体が反射的に飛びのいた。するとざくっと二の腕に鋭い衝撃が走った。


「----!?」


軍服ごと切り裂かれたそこからは、血が薄く染み出していた。

木刀や棍棒でこのようになるはずもない。

これは刃物だ。

ライの頭がその瞬間にフル稼働した。

刃物を隠し持っているのだとすればおのずと戦い方も考えなくてはならない。

彼らで遊んでいる場合ではない。


ライは地面を蹴って駆け出すと、重い棍棒を振り回す男の背後に回って一時身を潜めた。


「ぐわぁ!」


ライを狙ったのであろう別の男の刃がその男の胸を切り裂いた。厚い筋肉に覆われているので命に別状はなさそうだ。

突然男の一人が血をふいてうずくまったのを見て、観客の間に悲鳴が上がった。


(この機会に俺を抹殺しようってことか・・・誰かが極秘にたくらんだ・・・)


慌てる貴賓席の様子から、ライはそう判断する。


(最初の男か・・・いや、持っているのは全員か・・・?とにかくむやみに近づいてはいけない)


ライは突進する男を軽くいなすと、素早い動きでしゃがみ足元をすくった。

体の大きい男は無様にも尻餅をつく。

その隙に十分な距離を取った。


そのとき、閉じられたままだった扉の向こう側で獣の咆哮が聞こえてきた。

ライはそれにびくっとなる。


トラウマから猛獣と呼ばれるすべてのものが彼にとって恐怖の対象となっていた。


そちらへ気をとられた瞬間、背後から迫っていた別の男の凶器がライの肩を切り裂いた。

首筋を切られなかったのはとっさに彼が避けたからに他ならない。


ライはようやくそこで男の持っている凶器を見ることができた。棍棒の下に光るとげがあった。


「ち・・・!」


振り下ろされた棍棒を切り返し、膝を鳩尾にめり込ませる。ついでに顎を下から思い切り殴りつけた。

巨体が宙に浮き、背中から地面に倒れる。


はぁはぁと息を乱すライの後ろからまた殺気のようなものが感じられた。

今度は明らかに短刀を振り下ろしてくる。

とっさに木刀で防いだが、切れ味がよく男の馬鹿力も加わっているせいでばきりと木が切り裂かれてしまった。


体を後ろに引くことで服の胸元を切られるだけですんだが、地面を転がって体勢を立て直したライはかすかに焦りを浮べた。


(これをどうしろっていうんだよ・・・!)


会場はパニックだ。とんだ余興である。


短剣を奪って殺してしまおうか。そんなことは容易い。

しかし殺せと言われていないのにやってはまた因縁をつけられるかもしれない。


男の攻撃をうまくかわしながらこの場をうまくおさめる方法を考えるライの耳に、また咆哮が届いた。

ずいぶんと近くなった気がする。

闘技場では戦士と獣が戦う試合もあるのだから、猛獣がいてもおかしくはないのだが・・・何故、今?と身をすくませるライの目に、次の瞬間信じられないものが映った。


「・・・っ?!」


ライは息をのみ、一瞬、金縛りにあったかのようにその場から動けなくなった。他の戦士たちも同様だ。


「ひぃ!!」

「きゃああぁぁ!!」


あちこちで悲鳴が上がる。獣が入り口の扉を突き破って場内に乱入してきた。

血の匂いに興奮しているのか、獣はだらだらとよだれを垂らし、金色の目をぎらつかせていた。

扉に一番近いところにいた男が、足をもつれさせながら必死に逃げようとした。


「な、なんでだよ・・・!俺たちがいるのにっ!?」


そんなことをわめきながらただ逃げまとう。

だが、動く獲物に獣は狙いをさだめたのか、ものすごい勢いで男に突進していった。


「やめろ!くる・・・ぎゃああ!」


男は獣に覆いかぶさられ、断末魔の悲鳴をあげた。ばっと血が飛び散った。

もう会場は阿鼻叫喚だ。皆、一様にその場から逃げ出そうと必死になる。


観客も、ライと同じ場にいる戦士たちも。とるものもとりあえず、とにかく出口へと向かう。


ただ、ライだけは呆然と立ちすくんでいた。


目の前で男が食われていく。腕が食いちぎられ、鋭い爪で腹を切り裂かれ・・・。


「あ・・・」


ライの目の前におぞましい光景がフラッシュバックした。

全身に震えが走った。穴という穴から汗が噴出しているように感じる。


(やめろ・・・・やめろ・・・!()()()死んで・・・)


がくがくと足が震えた。


つらい記憶と重なり、恐怖や怒りに頭がおかしくなりそうだった。


だが、突然ぷつん、と感情というものがライの中から消えた。


何も感じない。


ただ、目の前の動くものを排除しなければ、と使命感のようなものに支配される。


ライは男に折られた木刀をその獣に投げつけた。


獣は怒りの目をライへ向ける。

そのまま彼に突進してきた。

だが、ライは逃げ出した男たちが置いていった棍棒を振り回し、獣の右目を潰す。

鼻先を殴りつけると、獣は後ろへ飛びのいた。

だが、木の棍棒は壊れ、ばらばらと刃先が散らばった。

ライはそれを素手で拾い上げると、ためらいもせずに獣に立ち向かい、急所へ突き刺した。


暴れた獣に咬みつかれそうになるが、それを腕を犠牲にすることで制し、またぐっと別の急所を的確にえぐった。


獣の悲鳴があがり、腕が解放されるとライは心臓の上に刺した刃先を足でさらにめり込ませた。

そしてもう一本は引き抜き、渾身の力で首を切り裂く。

ばっと血が噴き出し、ライの服や頬をよごした。


それ以降、獣は動くことはなくなった。


ライは動かなくなった獣を自分の上からどかし、足で蹴った。

助かったにも関わらず、ライはなんの表情も浮かべていなかった。


ぼたぼたと自分の肘の辺りから血があふれているが、苦痛の表情すら浮べない。

ただ能面のように死んだ大型の獣の死体を見下ろすだけだ。

それが浴びた血とあいまって、見るものに多大なる恐怖を与えた。


近衛兵が獣が死んだのを確かめるために寄ってきても、ライは首を動かすこともしなかった。


「少尉、お怪我を・・・」


おそるおそるライに触れた兵を見ることもしない。


「ライザック=ハルジーナ=イルヴァ。見事であった。が、何故、このような事態になったのか早急に調べる必要があろう。余興は終わりじゃ」


高いところにいる王の声が会場に響き渡った。


だが、それに誰一人声を発する者はいない。

ただ、皆の視線は闘技場にたたずむライへ向けられていた。


「少尉、どうぞこちらへ。手当てを・・・」


そんな恐怖と好奇の視線からかばうようにばさりとマントをかぶせられ、無抵抗のままライは連れていかれた。

医療班に噛み付かれた腕を手当てしてもらっているときも、ライは言葉を発することはなかった。

それどころか誰も瞳に映していない。

言葉を忘れたようにただ黙って座っていた。


「ライ少尉、どうかお気を確かにお持ちくださいませ」


医師ユアンが何度かそう声をかける。

軍医である彼は無茶な作戦で怪我をするライのことをよく知っていた。

そしてだからこそ、彼の異変を感じ取っていた。


「おい、誰か湯で絞ったタオルをもってこい」

「は、はい!」


何を言ってもぴくりとも反応せず、ただなすがままのライの頬をタオルで清め、鮮血に染まったままの服を着替えさせる。

血の匂いが薄れれば少しはましになるかと思っていたが、ライはあいかわらず気をどこかへやったままだった。

うつろな表情は変わらない。


「少尉、もう終わったのです。ご安心なさってください」

「・・・・・・」

「少尉・・・」


ユアンはため息をついた。これ以上呼びかけても効果はないと踏んだのだろう。


「とにかくお部屋を用意しなさい。休ませる必要がある」


そう言って、ライを病室に連れて行った。


「少尉、どうぞお休みくださいませ。目が覚めれば、具合もよくなりましょう」


誰かがいては気を休めることができないライを知っているユアンは、早々に部屋から立ち去る。

ぽつりと残された病室で、ライはベッドに腰掛けたまま宙を見上げた。


し・・・ん、と静まり返ったのをたっぷりと感じてから、のろりとライはベッドに背中を預ける。


だが、あいかわらず何の感情も浮かんでこなかった。


一人になればいつもは、後悔ばかりが押し寄せてくるのに。殺したのが人間ではないからだろうか。

いやなにかそれは関係ない気もする。

とにかくライの心にあるのは無だけだ。

そして体にあるのは虚脱感。


(嗚呼、死にたい・・・とすら思わない)


あれほど強い願いだったのに。

脅迫されるかのようにずっと心につきまとっていた思いだったのに。

ライは目を閉じた。当然真っ暗な景色に変わる。


そこで初めてライの唇に笑みがうかんだ。


(・・・なにも、ない・・・)


そのことに安堵した。自分と同じ、ぽっかり何もない世界に、闇に。


ライの中から人間のカケラが奪われ始めていた。


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