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まさかの寝落ち。本日夜も更新予定です。
人間とは慣れる生き物だ。
どんな状況でもそれが日常になってきたら、段々と受け入れてしまう。
クリデミアがシグルンの軍門に下ってから早3ヶ月が経とうとしていた。
レティーシアも前に比べればだいぶ自由を与えられるようになった。
ライザックの近衛兵付ならば外に出ることも許されたし、血族に会うこともできるようになった。
「・・・ターナ叔母様」
ある日、面会に訪れたのは父の妹だった。
夫を亡くし、息子をシグルンに奪われた女性だった。
「レティーシア・・・。元気そうね。前に来たときよりもだいぶ・・・顔色も良くなって」
「私は平気です、叔母様。・・・叔母様こそ、お加減の具合は?」
「ええ、もう大丈夫。あなたにとてもつらい思いをさせているのに・・・嘆いているだけにはいきませんから」
「叔母様・・・」
そっと彼女はレティーシアを抱きしめてくれた。
「ごめんなさい。あなた一人にすべてを負わせて。兄上は一体何故あのような惨事をひきおこしたのか。娘をこのような目にあわせて・・・」
もう、レティーシアがライザックに囲われていることは国中の周知となっていた。
そのうえ、ライザックが何をどう伝えているのかわからないが、この国の王族、貴族だけでなく、今までの商会体制や商流、関税や国民の税が「そのまま」でいられるのもレティーシアが取り成した結果となっている。
そのため彼女には、凶行を犯した王の娘ながら国民から同情的に見られている。
かといって結果として強硬な政治を押し付けてくるわけでもないライザック、そしてシグルン王国に対しての反感も思ったよりも少なかった。
彼はほとんどを今回の挙兵にあたり中枢にいなかった、または、今回代替わりしたクリデミアの遺臣に委任という形をとっている。
民に至ってはただ会ったこともない王族や高位貴族、一部の領主が変わったくらいのものでしかないのだ。
レティーシアは一度目を閉じると叔母の肩を押し返した。
「大丈夫です。私一人のことで、誰か一人でも多く救われるのなら。分不相応な取引に成功しているのですから、光栄に思います」
「レティーシア・・・」
「それよりも叔母様はケセンティアやタニスの心配をなさってください」
淡い笑みを浮かべるレティーシアに、ターナは視線を合わせられないようだった。
いや、ターナだけではない。
兄の妻だった人も、年老いた遠縁も、皆レティーシアを正面から見ない。
罪悪感で見られないのだと知っている。
自らの命と引き換えに、王女を犠牲にしているのだから。
それは最初レティーシアをひどく傷つけたけれど、もう乗り越えたことだ。
「タニスの身寄りは決まりそうですか?」
「ええ。将軍がご用意してくださった縁談の中から選ばせていただいて・・・どれももったいないほどの良縁でした」
その言葉にほっとする。だが、一抹の苦さだけは消えなかった。
「・・・まだ12歳なのに、良縁というのも・・・」
「仕方ありません。いつの時代も争いの犠牲になるのは女子供ですから」
叔母はとっくにあきらめていたのだろう。
ふぅ、とため息をついた。
そしてそっとレティーシアの手を取り、沈痛な面持ちで伝えてきた。
「レティーシア、わたくしも・・・。実はシグルンに行こうと思っています」
「叔母様?!」
突然の話にレティーシアはがたん、と立ち上がった。
「何故ですか?!ライが何か・・・っ」
「いいえ。いいえ、違います。わたくしが将軍に頼み込んだのです。あの方はそれを聞き入レティーシアくださっただけ」
「どうして?・・・シグルンになど・・・」
「レティーシア、あなたに言うのは酷ですが、口は慎みなさい。シグルンは今やこの国の支配者。そのような言い方をしてはなりません」
「・・・・・」
「あなたのためでもあるのですよ。将軍の機嫌を損ねれば、あなたの命も・・・」
「私は・・・っ命など惜しくはありません」
「レティーシア・・・」
だが、ひどく悲しげに叔母が瞳を曇らせるのを見て、レティーシアは激情を押さえ込んだ。
「・・・っ申し訳・・・ありません。叔母様。感情的になってしまって・・・・」
「・・・どうか、生きていて。あなたまでいなくなることを考えたくなどありません」
「わかっております」
食いしばった歯の隙間からレティーシアは大きく息を吐く。自分の命などもうどうでもいい。
だが、だが、叔母や従姉弟たちがもう少し落ち着くまでは。あの男の支配から逃れ生きる術を見つけるまでは、死ぬわけにいかない。
(あの男は私を支配して満足だろうけど・・・私があいつの権力を利用してやる)
この3ヶ月で、レティーシアは考え方を変えた。
責任あるあるべき王族の姿として理想としてきた責任や誇りなど何の役にもたたない。
どれだけ惨めでも利用してやる、と。
等価な訳がないことに溺れた馬鹿な男だとあざけってやるのだ、と。
未だロクににできているとも思えないが、形だけの懇願の術は覚えた。
皮肉げに口の端だけで笑い、ライザックが「善処する」と言ったことは概ねは叶えられる。
何が楽しくてこの男はこんなことをするのだろうと、レティーシアは人形のように美しく心なく微笑む。
そうすると、ライザックは不思議な表情をするのだ。
楽しそうでもなく、苛立ったわけでもなく、ただ、どうしたらいいのか困惑しているような、戸惑っているように見える
。でも結局レティーシアに強引に手を伸ばして。
レティーシアはふっと息を吐いて、話題を変えた。
「それで・・・どうしてシグルン本国へ?」
「ケセンティアの側にいようと思ったのです。タニスの後見も決まったことですし、慣れない土地にまだ幼い子を一人にさせておくのは忍びない。幸い、シグルンで身を寄せていただける方もお探しいただきましたし」
「・・・・ライが、ですか?」
「ええ。・・・レティーシアは本意ではないけれど、あの方のお世話になる他には・・・」
「いえ、そんなことは気にしないでください。けれど、どうか叔母様自身がおつらい目にあうことがないようにしてください」
「そのようなことは大丈夫ですよ。お世話になるのは由緒あるお家柄の方ですから」
まだ少しだけ不審の目を向けるレティーシアに、ターナはためらった末にそっと口を開いた。
「・・・あの方は・・・約束したとおっしゃっていましたから」
「え・・・・?」
「あなたと約束をした、と・・・。そうおっしゃったときのことをわたくしは信じてみたいと思います。それにこの国にいても足手まといにしかならないのですから。これから先、わたくしのことはわたくしが責任をとります。あなたはもう、わたくしのことで胸を痛めないで。いえ、わたくしだけではなくあの子たちのことも。わたくしたちを思っての犠牲はもうよいのです」
「叔母様・・・でも」
「レティーシア。どうか、自分をできるだけ大事にして。偽善に聞こえるでしょうけどわたくしはあなたが健やかでいてほしい。生きていてほしいわ。だから、自分で命を縮めるようなことだけはしないで頂戴」
そう締めくくって叔母は出て行った。
一人残されたレティーシアは、窓の近くにある椅子に腰掛けた。ここから見える町並みはいつの間にか元に戻りつつある。あの日、喧騒と砂埃と火の手が見えていたのに。
実際にこの目で見てきても、ライザックが行っているのは「再興」だ。クリデミアの人々が迫害されることはない。
民にしてみれば、愚かな国王がよりよい王に変わったとすら思っているだろう。
(ライザックは・・・いつまでこの国を統治するのだろう・・・?)
ふとまた思考の海にどぶんと潜る。
彼の権力は思っていたよりもずっと強い。
結局、本国に意見すればそのほとんどは通るし、シグルンから交代でやってくる部隊もライザックをひどく敬っているようだった。
おそらくはこんな辺境を、いくら鉱山があるとはいっても亡国の跡地を統治して終わる器ではないだろう。
彼はもっと中枢で人を動かす地位にあるのではないか、と思った。
そんな彼が何故いつまでも自分に執着し続けるのかわからなかった。
あの日から・・・髪を切った日からずっとライザックは壊れ物でも扱うかのようにレティーシアを気遣い、明らかに態度を変えた。
かつての侍女を呼び戻し、親戚に会わせ、国を散策することさえも進んでやらせてくれた。
「お前に信用できないと思われると何をするかわからないからな」と言って。
そんなことにほだされたりはしないと思うけれど、でもどこかで戸惑ってしまうレティーシアがいた。
興味があると言えば、シグルンの本をわざわざ取り寄せて本棚に詰めてくれる。
嫌いだと言った食べ物は二度と食卓にあがらないし、逆にひそかに気にいっていたお菓子はいつでもお茶の棚に置いておいてくれる。
願わずともささいなことでも尽くしてくれる。
けれどそれを彼は決して口にしない。
一番変わったのは、ライザックが必ずレティーシアが目を覚ますまで抱きしめていてくれるようになったことだ。
それは正直レティーシアにとって良いことなのか悪いことなのか分からない。
けれど、一人ぼっちで泣くことはなくなった。
泣く暇がないくライザックに緊張を走らせないといけないからだ。
だが・・・それと同時に朝、一番心が弱いときに人の温もりを感じて安堵することもあった。
こわい夢をみたときは特に。
一番怖がらせているのはライザックのくせに、泣きながら目を覚ますと「泣くな」とあやすように背を撫でてくれるのだ。
(違う。安心なんて・・・してない・・・)
その手の温かさを思い出して、レティーシアは必死で頭を振った。
あんな奴にどこかだ心を許し始めているなんて父や兄に対する裏切りだと思う。
するとちょうどドアを開ける音がした。
この部屋にノックもなしに入ってくるのは一人しかいない。
「ライ・・・」
「叔母上はお帰りになられたのか?」
またどこかへ出かけた帰りなのか、彼は軍服をまとっていた。
いつも帰って来るとすぐ、着替えもせずにレティーシアの許へやってくる。
逃げ出していないか、不安なのだろうか。
「ええ」
レティーシアが顎をひくと、彼はすぐ触れられる距離まで近づいてくる。
「あの方がシグルンへ行く話は・・・」
「聞きました」
「そうか」
それきり彼も黙り込んでしまった。レティーシアはどうしていいのかわからずに、視線をさまよわせる。
いつもならば「おかえりなさいませ」くらい言えないのか、と軽くなじられるのに。そして大抵意地の張り合いになってしまう。
可愛げがない、じゃあ見た目だけやればいいんでしょ、などと。
「・・・・・・あの」
沈黙に耐え切れなくなったのはレティーシアだった。
「何だ?」
「・・・・・叔母の話・・・ありがとう、ございました」
ライザックが意外そうに眉を上げる。それを見ていられなくて、レティーシアは窓の外に目をやりながら、何でもないかのように言った。
「ケセンティアの側に行きたいという願いを叶えてくれたそうだから・・・っ。叔母様は感謝しているようだったし」
あくまでも自分の気持ちではなく、社交辞令だという態度を貫く。
するとライザックがレティーシアの顎をそっと掴み取って自分の方へ向けた。
「・・・あ・・・」
唇が触れ合った。
「たいしたことじゃない。お前に、不自由のない生活をさせると約束した」
「それだけのために?」
「そうでなければこの俺が他人のためになど動かない。お前の覚悟をもらった以上は約束を果たす」
強い瞳に飲み込まれそうになる。
頬が熱くなるのを感じて、レティーシアは慌ててつかんでいる手から逃れようとした。
「・・・どうした?」
逃げようとしたことが不満なのか、今まで穏やかだった声が、急に尖ったものに変わった。
敏感にそれを察知してレティーシアはびくりとなる。
ライザックの機嫌はあまり表情に出ないが、たった3ヶ月ながらあまりにも濃密な付き合いのせいか、すぐ気がつくようになった。
「その・・・、なんだか・・・叔母様がいなくなってしまうと一人ぼっちになる気がして。従姉弟たちも新しい家族をもつのだし・・・」
元々何か文句があったわけでもないので言い訳めいたことを口にし始めて、しかし、それが本心だとすぐに気がついた。
「もちろん、あなたのしてくれたことはとても嬉しいけど・・・でも、取り残された・・・みたい、で・・・一人なんだなって」
親しい親類と呼べる人たちはどんどん離れていってしまう。
そう思うと心が痛んだ。
仕方ないのはわかっていた。自分は幼い子供ではない。それでも。
冷たい風が心の中で吹きすさんだようで、長いまつげに涙が絡んだ。
レティーシアはそれをごまかしたくて慌ててうつむく。
すると、ぎゅっと胸に抱きしめられた。
「・・・ライ・・・?」
「俺がいる」
「・・・・え・・・?」
「俺がいるから、お前は絶対に一人にならない」
思いがけない語尾の強さに、レティーシアは大きく瞳を見開いた。
「何言って・・・。あなただってきっともうすぐ妻を迎えるでしょう。そうなれば私はもう必要なくなるくせに。いくらなんでもこんな身分もなくしたような女をいつまでも囲っていたらその方に失礼にあたってしまう・・・」
「妻・・・?そんな肩書きの者など必要ない」
冷笑がライザックの面を覆った。
ますますレティーシアは訝る。
「必要ない・・・って、どういうこと?あなたほどの人なら、どれだけでも良縁が望めるでしょう?」
「必要ないと言った」
「・・・どうして?」
本当に不思議だった。
未だ彼のような人間が独身であることも意外だったが、これから先も妻を娶るつもりがないというのは信じられない。
彼はとても位の高い貴族の末裔ではという噂をきいた。貴族の男性は結婚するのが当たり前のはずだ。
「どうして?」
もう一度問う。
するとライザックはじっとレティーシアの紅い瞳を見つめてきた。そして急にぎゅっとレティーシアの肩に顔をうずめてしまう。
「そんなに・・・俺から逃れたいのか・・・?」
「え?」
「俺が妻を娶れば解放されると思っていたのか?」
何度かそのことを思わなかったわけではない。
いつか終わりが来ると。その時自分はきっと生きていられないか、生きていたとしてもまた誰かの、こんな待遇も良くない慰み者になるのだろうなと、漠然と思っていた。
だが、今はただ不思議に思って問いかけただけだ。
それをなんと言ってよいやらわからず、レティーシアはただ口ごもる。
その反応を見て、がたん、と椅子が蹴倒された。
絨毯の上に転がされ、打ち付けた肩や背中に顔を歪める。
だが、非難しようと思った口はすぐに閉じなおされてしまった。
(・・・・怖い・・・っ)
最近はずっと乱暴なことはしなかった。
けれども彼は今、とても怖い顔をしている。
まるで初めて会ったときのように。
逆らったらすぐに残酷な罰を与えられるのではないかと思ったあのときと同じ顔。
「お前は・・・俺のものだ。一生手放したりなどするものか」
冷酷な光を見せる紫がまたレティーシアを縫いとめる。
ぞくりと背中を震えが走った。
そしてすぐに訪れてきたのは絶望感だった。
生きて解放されるとは思っていなかった。
それでも永遠を宣告されると、恐ろしい。
いつか、どうせそう遠くない未来に終わるのだと思っていた心が悲鳴をあげる。
いつものように獰猛な男の目を見つめる気力が沸かなくて、レティーシアはぱたん、と突っぱねていた腕を下ろした。
「お前は俺のものだ」
何度もライザックはその言葉を繰り返す。そのたびに、心が切り刻まれるようだった。
自分はただのモノなのだと。何かを考えても仕方ないのだと。
亡国の王女の尊厳など諦めたはずなのに、ふと悲しくなる。
「・・・わかってる・・・から・・・・」
こめかみに涙が吸い込まれていった。
「よく、わかってるから・・・・もう・・・言わないで・・・」
お願いだからその言葉を突きつけないでほしい。
気が狂いそうになる。
静かに涙だけをこぼすレティーシアを、ライザックはただ見つめた。
そのときにどんな顔を彼がしたのか、レティーシアは知らない。ただ自分のなけなしの誇りを保つのに精一杯だった。
「・・・・どうして、お前・・・」
苦々しい音で発せられたライザックの言葉は、途中で喉の奥に消えてしまった。
「くそ・・・・っ」
代わりに苛立ったように毒付くだけだ。
「今更・・・誰の許にもいけないことを教えてやる」
そんなに俺から離れたいならもういっそ気が狂えばいい、と薄い唇が残酷な台詞を吐いた。
うまく自分の思い通りにいかなくてキレてしまうライザックのはまともに育っていません。
次回閑話で彼の昔の話も少し。