(3)
ウダウダから回ってます。
「・・・また、泣いていたのか」
体力的にも精神的にも疲労してしまったのだろう。
絨毯の上に座り込んだまま眠っているレティーシアを見つけて、ライザックはそっとその体を抱き上げた。
頬に残る涙の跡に、彼は瞳を凍えさせる。
こんな風に泣かせたいわけじゃないのに、いつも彼女を追い詰めるのは自分だった。
どうしたらいいのかわからない。
いつも彼を怯えさせるのはその感情だ。
どうしたらレティーシアが笑ってくれるのか。自分を怖がらないのか。
自らまともな人間関係を築いたことがない自分には、見当がつかないことばかりだ。
我慢しようと決めたはずが、彼女が他の男に笑いかけているのをみて、簡単に理性が切れた。
絶対に許せないと思った。やっぱり裏切るのか、と思った。
そんな自分を後悔しているのに、逃げられたらと思うと怖くてまた閉じ込めた。
謝ることもせずに。
(こんな俺に怯えても、仕方ないんだろうな・・・)
今までを含め、彼女にしたことを思えば当たり前だ。
むしろ彼女が許してあげる、と言ったことこそが奇跡に近い。
また多くを望みすぎていたのだ。
ライザックはふわりとレティーシアの体をベッドに寝かせると、その栗毛色の髪に軽く口付ける。
大切で、愛おしくて。
それなのに伝える方法が彼には分からない。
そればかりかそんな想いが強すぎて、強引に自分だけのものにしたくなる。
あとで頭で考えれば分かるのに、その場の激情を止める手段がわからなくなってしまう。
ずっと何もかも諦められていたのに、欲しいとも思ったことはないのに、彼女に対してだけは何も諦められない。
どこにもいかないでほしい。そばにいてほしい。
ーーー絶対に誰にも奪わせない。
望んだ何もかもを手に入れることができなかったライザックは、執着心が強すぎた。
自分でも嫌悪するほどに。
「・・・もう一度、お前は許してくれるか?」
それでも彼は変わろうとしていた。
苦手な言葉を尽くしてでも、自分の気持ちを伝えることを考えていた。
あきらめるのではなく、分かってほしいと、そう願うようになっていた。
◇◇◇
「・・・ん・・・?」
頬に触れる柔らかな感覚に、レティーシアはそっと目を開いた。
ぱちぱちと何度か瞬きをし、あれ、と首をかしげる。
「私、起きたはずじゃあ・・・」
起き上がってみるとちゃんと着替えてある。
ということはやはり一度起きたのだ。なのに、何故?と不思議がっていると、いつの間にか時刻が夕方になっていることに気がついた。
意識した途端におなかがぐぅ、と鳴る。朝から何も食べていないのだから当然だった。
「お菓子、残ってたっけ?」
泣いていたのでひどい顔を自覚していたレティーシアは、どうせ運ばれてくるだろう晩餐の前にと、棚の中の菓子壺を探そうと戸棚を開ける。
すると、ばらばらと何かが降ってきた。
ぎょっとして手を差し出すと、きらきら光る包み紙のそれは彼女の好きなチョコレートだった。
昨日まではなかったはずだ。ということは、ライザックが入れたのだろうか?
「罪滅ぼしのつもりかな・・・」
レティーシアの機嫌をとりたいとき、体調を気遣うとき、面と向かって言えない彼はいつもチョコレートをくれる。
そしてレティーシアはいつもそんな不器用さがどこか可愛いと思ってしまうのだ。
図体的にはなにも可愛くないのだけれど、素直でない子供のように思える。
ふわっとレティーシアの唇に笑みが浮かんだ。
「こんなことするくらいなら、会いに来てくれればいいのに」
そうしたらちゃんと話をして、謝れるのに。
自分の気持ちを伝えられるのに。
不意にベッドまで運んでくれたのは彼なのかもしれないと思った。
いや、彼以外に自分を触らせる人間はいないのだから、そうなのだろう。
ライザックの狭量のところは変な自信がある。
(早く、来てくれればいいのにな・・・)
ライザックにすごく会いたくなって、レティーシアはぎゅっと手の中の宝石のような包みを抱きしめた。
だが。
結局食事を終えても、夜が更けても、ライザックは現れなかった。
「・・・こっちは出られないんだから、来てくれないと困るのに」
レテはため息をつきまくって、ただ窓の外を見ていた。
すると中庭のあたりに人影を見つける。明かりに照らされてはっきりと見える赤い髪はライのものだ。
「あ・・・」
レティーシアは声をかけようと思って、だが、思いとどまった。
もうひとつ人影を見つけたからだ。
(シンファ・・・?)
侍女の中で短い髪は彼女くらいなものだ。癖毛なので、伸ばさないと言っていた。
何か話しているようだったので、レテはそれを見守ることにした。
だが、別々の方向に行くかと思った彼らは結局一緒に廊下の向こうに消えてしまって、声をかけることはできなかった。
(何だろう・・・)
レテは自分の胸がちくちくと痛むのを感じていた。
ライは基本的に侍女とは話さないと思っていた。
レティーシアがみられる範囲だけではただ淡々と世話を焼かれるだけだったし、むしろ一人でなんでもやってしまう人だったから。
それなのに、今二人は親しげに見えた。
いや、ずっとライザックに仕えてきたシンファなら当たり前なのかもしれない。レティーシアは知らなかっただけでそれはシンファだけじゃないのかもしれない。
(じゃあ、私って何なんだろう・・・)
また悲観的な考えが頭をちらついた。
こんなところに閉じ込められて、ちっとも信用されていなくて。
でもそれは彼の、非常にゆがんだ形ではあっても、愛情ゆえなのだと思っていた。
けれど、いつまでたってもこんな状態で、親しくもなれないのはやっぱり何か違うのでは・・・?
「駄目だ、疑ったら・・・またライを傷つける・・・から」
レテは必死にマイナス思考を追い払おうとした。
(早く、会いに来て・・・)
そうしたら、きっと安心するから。
まだ怒っていてもいいから、私の前に来て。
レティーシアはずっと膝を抱えてベッドの上にたたずんでいた。
けれど一晩中その願いがかなうことはなかったのだった。
朝日のまぶしさに、レティーシアは伏せていたまぶたを開いた。
一睡もできなかったその目の下にはうっすらと隈ができている。
何度も泣きそうになったせいで、目も赤くなっていた。
「ライの馬鹿・・・」
くすん、とレティーシアは鼻をすすった。
一晩ずっとあの中庭を眺めていたせいで、首が痛い。
朝日を浴びて咲き出した花々を見ても、レティーシアの気持ちは暗く沈んだままだった。
(・・・あ、また・・・シンファ?)
水をやりに来る庭師にくっついてきたのは、昨日も見たシンファの姿だった。
彼女は庭師に何事かを言って、花を何本か切り取っている。どこかの部屋に飾るつもりなのだろう、と何気なしに見ていると、そこにライザックがやってきた。
そしてまたシンファと何か話している。
どきん、と心臓が嫌な音を立てた。
そんな様子を見たくなんかないのに、目が吸い寄せられるかのように、離れない。
シンファは物怖じせずに手に持っていた花束をライザックに押し付ける。
すると彼は一度は受け取ったものの、結局困ったようにまたそれを彼女に付き返していた。
別にそれだけならよかった。我慢できた。
だがレティーシアの心を一番揺さぶったのは、何事かを楽しそうに言ったシンファに、ライザックがかすかな笑みを見せたことだった。
ずきん、とはっきりと体中が痛む音を聞いた。
レティーシアは、もう限界だとばかりに乱暴にカーテンを敷いた。
(やっぱり・・・そう、なんだ・・・)
やっぱり彼の執着は違うのだと思い知らされる。
彼はただこだわっているだけだ。
幼い頃たった一つ穏やかだったという時間に。
こだわりすぎていて何も見えていないのだ。
今、自分の周りにある穏やかさに目を向けようとしてなくて、昔のレティーシアに執着しすぎていて、そのせいで自分を傷つけている。
(だって、私じゃ分かってあげられない・・・。一番つらかったときのライなんて、知らないから)
いや、そもそも幼い頃に彼と出会った記憶すらない。
もう一度出会ったその時のことも彼との記憶ではないし、かなり薄れたものだ。
ずっとこの国でぬくぬくと育ってきた、そんな自分にはやっぱり何一つ彼を理解してあげられない。
レティーシアはすべてを拒絶するように、シーツの中にもぐりこんだ。
そして、自分を守るかのように丸めた体を抱きしめる。
(わからない。私、どうすればいいの?なにが正しいの?)
紫の痛そうな瞳ばかりが思い出される。
あんな顔をさせているのはいつもレティーシアだ。
(何で私はここにいるんだろう・・・?)
ライザックを苦しめることしかしないのに。
わずらわせることばかりなのに。
じゃあただ黙ってそばにいればいいのか。
でもそれはレティーシアである必要があるのか。
レティーシアは人形ではない。人間だ。
自覚はあるがかなり頑固な方だとも思う。
その自分に何を求められているのか。
いや、何も求められていないのか。
じゃあ自分ではなくてもいいではないか。
レティーシア自身はいらないのではないか。
「ふ・・・ぅ・・・う・・・っ」
閉じ込められたままのこの状況が、ひどく自分を惨めにしていく気がして、レティーシアは泣きながら頭を抱えた。
かちゃ、とドアノブを回す音がしたのはそれからどれほど経った頃のことだろうか。
シーツの中でしゃっくりあげたままだったレティーシアは、ぴくりと肩を震わせた。
「まだ寝ているのか?」
聞こえてきたのはライの声だ。
やけに冷静に聞こえるその声にレティーシアの神経は余計にささくれ立った。
「・・・出てって」
シーツを被り姿を見せないまま、レティーシアは尖った声で返事を返した。
すると、沈黙の後、彼の息を吐く音が聞こえた。
「怒っているのか?」
「・・・っ、怒ってないと思うの?!」
反射的にがばっと起き上がったのは、確かに怒りからだった。
先ほどまでは潰れそうに悲しかったのに、今は目の前が赤く染まるくらい怒りが湧き上がっている。
ライザックではないが感情が抑えられない。
会いたいと思っていたはずなのに、そのときに叶えられなかった願いが、怒りに昇華した。
「勝手に怒って、説明もきいてくれないで、閉じ込めて・・・!何で怒っていないと思うの!?」
「いや。・・・そうだろうな」
にらみつけた彼の面はその声どおり、冷静なものだった。
まるでもう気が晴れているといわんばかりに。
怒っていたことなど、忘れたかのように。
その理由をレテは別のところで癒されたからだと思った。
レティーシアでない誰かの言葉に。
「出てってよ」
低く、うなるような声でレテは言った。
「・・・先日のことは謝る。俺が・・・」
「そんなこと聞きたくない!出てって!そばに来ないで!」
レティーシアはまだかぶったままだったシーツを投げつけた。
今まで謝ったことなど一度もないくせに。
何か彼を変えたことがあったのだと思うと、悲しくて、悔しくて、苛々した。
「そばにいてほしいときにはいないくせに!もういいよっ!謝ってくれなくたって、もういい!」
「・・・そばに?」
「私は人形じゃない。あなたの思うとおりに動く操り人形じゃない・・・っ!ライの望むとおりになんてなれない!だから・・・もう、もう、構わないで!放っておいて!」
さっとライザックが顔色を変えたのが分かった。
だが、レティーシアの言葉は止まらない。
「やっぱり、あなたなんて大嫌いだ!思い通りにならないからといって、また無理やり従わせようとするあなたなんて大嫌いっ!」
「・・・っ」
涙でぐちゃぐちゃの顔のまま怒鳴りつけるレティーシアに、ライザックは言葉がないようだった。
何かを言うまいとぐっと唇をかみ締めているのがわかった。そのくせ、目は苛立ちにまみれていた。
だが、レティーシアもそれに負けたりはしない。
傷つけても、何をしても、いいと思った。
どんな言葉をぶつけても、余分に傷ついているのは自分だと信じていたから。
努力しようとした自分を裏切ったのは彼の方だと思い込んでいたから。
「もう、嫌よ。結局あなたは変わってない。私のこといつまで経っても信じてくれていない。そんな人と一緒になんかいれない。心を許したりできない」
「・・・・・」
「ねえ、もうやめてよ。私じゃなくてもいいでしょう?もっとあなたの周りにいる人たちに目を向ければいいじゃない?たくさんいるじゃない?こんな私よりもずっとあなたのことを慕っている人はいるはずでしょう?いつまでも昔のことばかりにこだわってないで、私から離れたほうがずっと幸せかもしれな・・・っ」
「・・・黙れ」
言葉の途中でひゅっと息を飲んだのは、ライザックがレティーシアの首に指を巻きつけたからだ。
力は込められていないが、彼がその気になれば簡単に事きれるのは明白だった。
「何を言いたいのだかわからないが・・・。俺はお前を手放したりしない。逃げろと言ったのに、それを拒んだのはお前なんだ。今更手放すくらいなら、俺を拒絶するなら、いっそ・・・殺してやる」
狂気的としか思えない言葉に、レティーシアは挑戦的に笑った。
結局、彼にはそんなことはできないとわかっていたから。
そんなことができるくらい非情なら、最初から悲しそうな視線などしないのだから。
自分の言葉は彼をまだこんなにも傷つけられるのだと目に見えてわかって、レティーシアは奇妙な高揚感に酔った。
「なぜ?何がそこまであなたをこだわらせるの?私は、あなたが知っている頃の小さな子供じゃない。意思がある反抗的な人間だって、もう分かっているでしょう?あなたが変わったように、私だって変わったのに・・・なんでいつまでも私にこだわるの?」
ライザックはその問いに答えを持っていないようで、黙り込んだ。
レティーシアは、くすりと小さな笑い声をこぼした。
「答えがないならもう自由にさせて。もういいじゃない、私を解放して。私を"人間"に戻してよ」
「黙れ」
「・・・っ・・・」
ようやく出た彼の低い声は、命令だった。
ぐっと指に力を入れられて、レティーシアは呼吸を喘がせた。苦しそうに眉を寄せると、ハッと気がついたようにすぐにその手は離されたが。
むせかえったレティーシアを、ライザックは何とも言えない感情の混ざり合った瞳で見下ろした。
しかしすぐに無感情な表情に変わり、揺るぎない淡々とした声で言った。
「何を言おうとどんな反抗をしようと、無駄なことだ。俺は今更、お前を逃がしたりしない。今更・・・」
レティーシアは気丈に彼の瞳を見つめ返した。
「・・・嫌いと言った人間をそばにおきたい?何の意味があるの?」
「・・・。それでも・・・だ」
何かに耐えるように、ライザックは一瞬目を閉じ、踵を返した。
またぱたん、という音がして、一人きりの空間が戻ってくる。
レティーシアはただ閉まった扉を見つめた。
あんな暴言を吐いたのに・・・まだどうして彼は頑固なのだろう。
さっさと自分へのこだわりを捨てればそれでいいと思うのに。
ふと、「嫌い」とそう言った瞬間、紫の瞳がまるで泣きそうに揺らいだことを思い出した。
(私には・・・気を許してないくせに。信じてないくせに)
それなのに、あんな顔をするのは反則だ。
こちらが悪かった気になってくる。
レティーシアよりも気を許している人がいるくせに・・・。
レティーシアは苛立った感情のままに、枕をぼすりと投げた。大した反応もなく、柔らかなそれは壁にぶつかってそのまま落ちる。
だがすぐに苛立ちは後悔に取って代わった。
「・・・なんで、こんな嫌な気持ちを抱えてなければならないんだろう・・・っ」
執着していたのはライザックの方だったのに。
レティーシアは許す側だったのに。与える側だったはずなのに。
他の人を無意識で受け入れているのが許せない。
特別だと言ったはずなのに、レティーシアだけが彼の生きる意味だったと言ったのに。
醜いまでの嫉妬が胸に渦巻く。
(・・・どうして私が嫉妬なんてしないといけないの)
ただ、ライザックが少しでもいい感情を持ってくれれば良いと・・・そう考えていたはずなのに、実際は他の人と親しくしていると思うだけで、こんなに胸が痛い。
ただの偽善だ。傲慢な偽善でしかない。
自分の存在が汚らわしいものに思えて仕方がなかった。
レティーシアはいつでも平等にしなさいと言われて育った。
足りてない人には手を差し伸べなさいとも言われてきた。
けれど誰かを贔屓することはしてはダメだと。
公平で、誠実で、相手の幸せを願うよう、あり続けなさいと。
それを崩したことはなかった。
家族の情すら感じていた婚約者に何か特別なことを望んだことはなかった。
ただ、穏やかな時間を好んだだけだった。
だから、誰かをここまで憎んだこともなかったし、自分だけが特別でありたい、独占したい、というそれだけの強い気持ちを、レティーシアは今まで感じたことがなかった。
吐き気がするほど、不快なものが胸の中を何度も撫で、レティーシアは泣いた。




