(2)
(ほとんど、眠れなかった・・・)
ふぁ・・・と大きくあくびをしながら、レティーシアは食卓についていた。
今日はシンファの姿がない。
昨日きつい口調を発したことを気にしているのだろうか。
レティーシアは寝不足に加え、そのことに心を痛めた。
考え事をしながらただ機械的に食事を口に運んでいると、やはり食欲が出るものではない。
結局半分も食べずに席を立って、他の侍女をやきもきさせた。
「今、おなかすいてないだけだから」
そう言い張ってしまった自分に、また嫌悪する。
自分の感情をコントロールできず、一体、どれだけの人に気を使わせていることが。
昨日から落ち込みっぱなしだ。
朝の礼拝を済ませた後、部屋でため息をつきながら本を読んでいると、ふと扉の開く音がした。
訪問者はライザックだった。
「えっ・・・何・・・?」
びくっとしてしまったのは、彼がにらみつけるかのような瞳をしていたせいだ。
なにか怒っているのだろうか。いや怒っているだろう。昨日無視したのだから当たり前だ。
「どこか悪いのか?」
「・・・え?」
だが、かけられた言葉は意外なものだった。
「ほとんど食事をしなかったと聞いた」
どうやら、朝食を残したことに対して心配をしてくれたらしい。
鋭い視線は、悪いところがないかレティーシアを気遣ってくれたものだったようだ。
それにいまさら気がついて、レティーシアはまたしてもモヤモヤとした。
(・・・わかんないよ・・・)
ライザックが考えていることなんてわからない。
ちっともレティーシアには理解できない。
多くの人と同じで、彼を誤解してしまう。
また自分は駄目なのだというループに落ち込んで、レティーシアは表情を曇らせた。
それに気がついたライザックがそっとレティーシアの額に手を伸ばす。
だが、突然大きな手が自分の目の前に出され、自らの思考にとらわれていたレティーシアはびくりと震え、とっさにその手を振り払ってしまった。
過去、散々な目にあったことの反射的なものだ。
「や・・・っ!」
ぱしん。そんな乾いた音がして、はっとなった。
「あ・・・」
ライザックが手を引っ込める。
その紫の瞳に傷ついたような色が見えた。
レティーシアにもはっきりと理解できた。
「ちが、ライ・・・あの・・・」
「誰か別の奴に看てもらえばいい。人を呼ぼう」
「ライ・・・!」
ふいっとそらされた視線は呼び止めても戻らない。
伸ばした手をすり抜けるかのように、彼は部屋を出て行ってしまった。
(馬鹿だ、私・・・)
拒絶されることに誰よりも傷ついてしまう彼なのに。どうして彼を傷つけることばかりしてしまうのだろう。
(私じゃ・・・駄目なんじゃないの・・・?)
ライザックがくれた想いはレティーシアには重過ぎるものなのかもしれない。
それに応えようと思ったが、レティーシアは自分がつぶされそうになっていくのを強く感じていた。
◇◇
その日からライザックは、レティーシアのそばに寄らなくなった。そのことがますます彼女を追い詰めていく。
ため息ばかりになったレティーシアに、見かねたアーヴが声をかけてきた。
「姫様、そんなに気にすることはありませんよ。殿方というものは気まぐれだと、お后様もよくおっしゃられていました。何事も時間を置けば上手くいくものだと」
まあ、このまま姫様に近づかないでほしいとも思いますが、と相変わらずの口調だ。
「・・・優しいんだか、優しくないんだかわかんないよ。アーヴ」
「これでも十分に励ましているつもりなのですが。いいではないですか、あの窒息させそうなほどの束縛から解放されたと前向きにとらえてくだされば」
「窒息って・・・」
「この機会に他のお方ともご交流してみてはいかがですか?王宮内にもだいぶクリデミアの御仁が戻っていらっしゃいましたよ」
「そうなの?」
「ええ。タニス様の後見となられたゼルベロア侯爵家のラディス候も最近参上なされていますよ。他にも・・・」
挙げられる貴族の名前には、聞いたことのある名も多かった。王族の直近は廃位が多かったので直接の知り合いはほとんどいないが・・・。
(そっか・・・ライはクリデミア人を呼び戻し続けてくれているんだ)
政治のことはレティーシアにあまり言わないので知らなかったが、だいぶ活気が戻っているように感じる。
いつかここを自治区にしたい。
そう呟いた彼の言葉が急に現実味を帯びてきたような気がして、レティーシアはわずかに微笑んだ。
「そっか・・・。せっかくだからゼルベロア侯爵に挨拶しておこうかな?タニスのこと聞きたいし」
幼い従妹がどうしているか気になった。
ライザックが選んだ相手だから、レティーシアが会ったところで問題にはならないだろう。
「まあ、それはよろしいかもしれませんね。いままではろくに姫様を他の人に会わせたがらないお方がしつこいくらいそばにおりましたから」
「・・・・・・。とにかく、着替える」
相変わらず辛辣な言葉には答えず、レティーシアは立ち上がった。
「侯爵閣下。お初にお目にかかります。この度の良縁、従姉として心から喜びを申し上げます。ご挨拶が遅くなったこと、お許し下さい」
「殿下。ご機嫌うるわしゅうございます。こちらこそ、ご挨拶が遅れ弁解の言葉もございません。しかし、可愛らしい姫君をわが家に向けられたことを至上の喜びと感じておりますゆえ、なにとぞご容赦をいただきたく存じます」
レティーシアが声をかけると、侯爵はすっとその場に跪いた。戦争によって父や兄たちが亡くなり、もともと後順位の青年が30前にして年若く侯爵を継いだのだ。その面差しには緊張の色が強く見られた。
だからレティーシアは安心させるように、やわらかく微笑み、話を続けた。
「タニスは弟君と仲良くできていますか?」
「はい。よく、共に散策をしているようです。タニス様は王都とはまた違った産物が多い我が領地に興味がおありのようで、しばしば領内を見学なされておりまして」
「そう。好奇心旺盛な子なので、迷惑をかけるかもしれませんが・・・」
「とんでもない。非常に頭のよろしい方で、感心しております。弟もいつもやりこめられていて・・・いえ、このような言い方は失礼ですね」
「いいえ。あの子らしく生活ができている様子が目に浮かぶようです。安心いたしました。どうぞ、幾久しくよろしくお願いいたします」
すっとレティーシアは頭を下げる。
すると、侯爵は慌てたように首を振った。
「と、とんでもございません!こちらこそ、身に余る光栄をいただいておりまして・・・、面をお挙げくださいませ。殿下がそのようなことをなさる必要などございません」
必死な様子に、レティーシアはますます笑みを深くした。
青年の実直な性格が伝わってきたからだ。
「私はもう、“殿下”と呼ばれる地位にありません。気になさらないで。それに、タニスの義兄にあたる御方ならば私にも親族と同じ。これから親しくお付き合いしていただければと思います」
「しかし・・・」
「どうぞ立ってください。それでもし、お時間がありましたらタニスのこと、ゼルベロア領のこと、もっとお話していただきたいです」
「それはもちろん喜んで。しかし殿下こそお忙しいのでは・・・?」
「いいえ、私には予定もありませんし・・・候がご一緒くださればつれづれの無聊になります」
ライザックに無視されていると正直やることがないのだ。
本音を交えて寂しそうに言ったレティーシアは、だが、すぐに茶目っ気を交えて唇の前に人差し指を立てた。
「それにしても先ほど言いましたよ。殿下、ではないと」
「は・・・、しかし・・・」
「名前で呼んでくださればいいです。多くの親類はそうしておりますから」
「・・・はい。ありがたき幸せに存じます。レティーシア様」
「ありがとう」
自らの名を呼ばれて、にこっとレティーシアは笑う。
兄や婚約者と同世代のクリデミア人と話すのはとても久しぶりだった。
何か懐かしい想いがこみ上げてきて、レティーシアは目の前の青年が立ち上がるのを促した。
だが、結局立ち上がる前に彼ははっと顔つきを改めてまた膝を折る。それも前よりも深く頭を下げて、だ。
「何・・・、痛・・・っ!」
驚いたレティーシアが問いかける前に、ぐいっと強い力が彼女の手首をつかんだ。
振り返るといつの間にかすぐ後ろにライザックがいた。
「・・・ライ・・・?」
問いかける声が小さくなってしまったのは、ライザックがこれ以上ないくらい冷たい目をしていたからだ。
「来い」
有無を言わせず、それだけを呟いて彼はレティーシアを引っ張っていく。
「いた・・・っ、痛い。ライってば!」
食い込む指の強さに顔を歪めても彼は緩めてはくれない。
引きずられるように部屋につれてこられたレティーシアの手首には、指の跡がしっかりと残っていた。
どうして、と半分涙目で見上げたレテだったが、ライの表情に言葉を失った。
(怒ってる・・・?)
ぎらぎらとした紫の瞳が射るようにレテをにらみつけている。
ぎゅっと寄せられた眉が彼の怒りを強く示しているようだった。
以前のような勘違いではない。
ぞくっと背筋が凍るような感覚がレティーシアを襲った。
こんな表情をされたときはひどい記憶しかないからだ。
恐ろしさに身がすくんだ。
「あ・・・」
我知らずにレティーシアは震え、彼から離れようと一歩後退していた。
するとそれを見咎めたのか、ライザックは急にレティーシアの肩をつかむと一番近い壁にどん、と押し付けた。
背中は壁、両脇はライの腕。閉じ込められた状態になった彼女は、怯えたようにただ唇を震わせてライザックを見つめた。
「・・・っ・・・」
ぎり、とライザックの歯軋りの音がしたと思えば、急にすがりつくかのように抱きしめられた。
突然のことに驚いたレテは戸惑って身を硬くするしかない。
「何で・・・そんな顔ばかりする?」
「・・・え・・・」
「どうしたらお前は、満足なんだ?」
「ライ?何を・・・ちょっとまって・・・くるし・・・っ」
容赦のない力にくるまれて、レティーシアは息を喘がせた。
力を緩めてほしい。
そういうつもりで彼の体との間に腕を置くと、いらだったように腕を掴み取られてしまった。
「ライ・・・!」
「俺にはお前が何を考えているのだか分からない。どうしたらいいのかも。・・・ここ最近、お前は俺を見て避けるようになった。だから、俺はお前が話に来るまで我慢しようと思った。もう、お前の意志を曲げることはやめようと・・・。だが、お前はこれ幸いにと他の奴には笑いかけていた」
ライの瞳が傷ついた色と、怒りの色を交互に浮かべる。
感情をもてあましているようだった。
「ライ、違う。違うの、待って。話を聞いて」
また自分の行動が彼を傷つけたのだと悟ったレテは慌てて弁明の機会を求めた。
だが、それは徒労に終わる。
聞きたくないとばかりに無理やりに唇をふさがれた。
「や・・・、おねが・・・話を・・・・」
「うるさい!」
声を荒げられてレティーシアはびくりとなる。
顔色が悪いだろうのも涙目になりそうなのも自覚していた。
これはもう条件反射のようなものだ。
けれどそれすらも許せないとばかりに、ライザックの面差しが怒りで染まった。
そのくせ、また痛そうな瞳をしている。
いつもそうだ。怒れば怒るだけ、傷つくのは彼の方だった。
どうしていいかわからずに悲しんでいるのは彼自身なのだ。
「・・・ごめ・・・なさ・・・・」
「・・・黙れ」
傷つけたことを謝りたいのに、彼はそうとはとらえてくれていないようだ。
何か誤解して、また苛立たしげに奥歯をかみ締めている。
「・・・もう、いい。どうせ俺には無理なんだ」
「ライ・・・」
「こんな俺なんかが望むことが、間違いだった」
諦めたように悲しい言葉を呟いて、ライザックはただレティーシアを抱く力を強くした。それでも、この存在を手放したくないとばかりに。
それしかすがるものがないとでも言うように。
もう一度強引に重ねられた口付けは苦く、レティーシアの朱の瞳からほろりと涙が溢れた。
◇◇◇
「・・・痛・・・」
だるさと頭痛の中で目覚めたレテは、ため息をつきながらその体を起こした。
ほんの数ヶ月前は毎日こんな感じだったと思うと、またため息が出た。
結局、彼を前と同じ状態にまで追い込んでしまったことに対する後悔だ。
(・・・ライのほうが、苦しそうな顔してた・・・)
それは前よりもずっと顕著だった。
受け入れられると思ったものが、また拒絶されたと感じたのだろう。
期待した分だけ彼の傷は深くなってしまった。
「・・・どうして、こうなっちゃうんだろう?」
最初はレティーシアの意地にすぎなかった。変わってくれない、わかってあげられない、自分よりも彼をわかる人間がいる、そのことへのなんとも言えない苦しさからだった。
だが、今は・・・はっきりと不安に昇華してしまっている。
ーーー私じゃ、結局ライを苦しめるだけじゃないのか。
そんな想いにとらわれている。
“こんな俺が望むことが・・・”
そう呟いた彼の気持ちを考えると、胸がひどく痛んだ。
「・・・とにかく、謝らなきゃ。話、全然きいてくれないんだから」
あと少し怒っていることも付け加えさせてもらいたい。
一晩立てば、少しは頭も冷えてくれただろう、と、レティーシアはボロボロで動きたがらない体に鞭を打って、立ち上がった。
着替えだけは他人の手にされたくはない、というのはライザックと出会ってからレティーシアが強固に言い張ってきたことだったので、正装以外のものは自分ですべてやる癖がついている。
だが、どうにか着替えて部屋から出ようとすると、ドアノブが回らないことに気がつく。
がちゃがちゃと無理に動かそうとしていると、部屋の外から声が聞こえてきた。
「申し訳ありません。お部屋からお出にならないように、とのお達しでございます」
「え・・・?」
「どうぞ、大人しくなさってください」
「ちょ、ちょっと待って?!ねえ!なんでっ?!」
どんどんとドアを叩くが、もう返事は返ってこなかった。
レティーシアは唖然としたまま、その場に立ち尽くす。
「・・・嘘でしょう?」
また、前の状態に逆戻りした。
ライザックは完全にレティーシアを信用していないということだ。
裏を返せば、昨日のレティーシアの行動は今まで寛大だった彼をそれだけ傷つけたのだ。
(つまらないことなんて、考えるんじゃなかった・・・)
ただライにまた笑いかけてほしかった。
もう少し興味を持ってほしかった。
できれば、今まで彼が何も得られなかった分、少しでもなにかしてあげたいと思った。
それを自分に願ってほしかった。
振り返ってみればそれは全部レティーシア自身の傲慢な欲だったのだと気が付く。
ライザックは別にそんなことを望んではいなかった。
レティーシアが全部、独りよがりでそのほうがいいのに、と思っていただけだ。
その挙句、分かるシンファに嫉妬した。
自分が駄目なんじゃないか、と結果ばかり気にした。
そのせいでライザックに対して一方的にぎくしゃくして、気を使わせて、勝手に行動をして、挙句に怒らせた。
「馬鹿みたい・・・」
つまらない”こだわり”のせいで信用されなくなるなんて。
(だって、私を”特別”だと言ってくれたから、だから・・・私は・・・私はやっと価値ができたと思ったの)
亡国の王女ではなくて、レティーシアという個人を望んでもらえたことが嬉しかったのに。
自分には笑ってくれたことが、嬉しかったのに。
もっと笑ってくれたら、彼がささいなこと以外でも望んでくれたら、とても嬉しいだろうと思ったのに。
信用されないならもう笑ってくれないのだと思ったら、胸が潰れそうに痛んだ。
「ごめんなさい・・・ごめんなさ・・・っ」
レティーシアはしゃがみこんで泣き出した。




