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閑話3 ライの過去③

誰も頼らないと思っていたのにいつの間にかずっとそばにいた副官には心を許していたのだと気がついたのは、彼を失ってからだった。


だから、ライはもう誰にも気安くしないと決めた。

うっかりと長く付き合いのある人物を作らないと決めた。

数年生き残ったなら退役させたり、他国の傭兵先を紹介したり、長く重用しないようにした。

一方的に話しかけてくる相手に必要なことしか返さないようにした。


そうして、彼の周りにいた人々は、死ぬか、遠くから見守るか、恐れて近づこうとしないか、のどれかになった。

そうして一人で見かけ上の地位だけ上がっていった。


いつの間にか、彼の本当の名であり、愛称でもあったライ様、と呼ぶ人間はいなくなった。


戦争で親を失った孤児や怪我で退役した軍人を雇用したのは屋敷や領地を与えられても管理もできなかったしまともな使用人は彼を厭ったからだ。

償いという高尚な気持ちなどではなかった。


誰かから影から慕われている、助けられているだなんて、彼は何も感じられなかった。

否定されていることだけ目に見えやすく、うんざりとする毎日だった。

生きていることの現実味のない生活が続いた。


***


それはふとした気まぐれだった。

たまたま追っていた残党を単騎で処理をしたライがふと遠くに見えた関所に目をやり、そういえば、と昔の思い出をたどってしまった。


他国の辺境の関所を超えることはできないが、国境のすべては城壁に覆われているわけではない。進軍自体は難しい深い森が広がる地域を抜ければ、案外簡単に田園地帯に出ることを彼は過去の知識から知っていた。


魔が差した、としか言えなかった。


ほんの1日程度、全力で馬を走らせれば昔いたあの場所に行けると思ってしまった。

戦いに身を投じる自分が、二度と平穏を保つこの国のこんな近くに来ることなどないとわかっていた。

なんのためにかわからないが・・・それでも、もう一度、見たいと思ってしまった。

唯一の思い出の場所をどうせなら死ぬ前にもう一度見たいと。



(馬鹿だな)


うっかりその欲望を実行してしまった、半日前の自分をライは嘲笑した。


まさか、馬が途中で潰れると思わなかったのだ。

しかしよく考えたら当たり前だった。

足腰の強い荒馬とはいえ、ずっと連戦続きで無理をさせたうえに、慣れないぬかるみと道のない森を駆けさせたらそうなるのも道理というものだ。


足自体を痛めてしまった以上、戻るにせよ駆けさせることはできない。よい馬であったが、交換が必要だろうと気が付き、離宮を抱える辺境領の街までどうにかたどり着くと、即座に馬場に交渉をしてみたが、素性がわかるわけにもいかないため薄汚れた、何なら古くなり錆びた血の色を裾に着けたマントを深くかぶったままでしか話さないライをその土地柄、皆、怪しんだ。おかけで通常より金銭を積むと言っても相手にされない。


(さて、どうするか)


ゆっくりと歩く馬の手綱を曳き、街のはずれでライは座り込んだ。

もう夕闇が迫っている。野宿には慣れているし、物取りが出たとしてもいくらでも処理できるが、他国で勝手な殺傷はまずいだろう。


(盗むか)


売ってくれないなら仕方がない。

金銭は十分に置いていけばいいし、この馬もしばらく休めば十分荷馬として使えるだろうからそれなりの価値はあるだろう。

駐屯地はさすがに守りが固いが、民間の辻馬車を扱う店では彼においてそうそうなことはないはずだ。

駆けるには優れないが、とりあえず国境を抜けるまでなんとかなればいい。


早く野営地に戻らなければ、王家から逃亡とみなされかねない。

ライとしてはどうでもいいが、部下たちがそのせいで処罰されるのは後味が悪かった。

3日くらいであれば、追撃で馬をやられたので戻る足を失ったと伝えても、疑われることはないだろう。まあ、これ幸いにいろいろと言う人間はいるだろうが、ライは後ろ指をさされることは特に気にしない。

誰かがこんな自分の巻き添えになることが嫌なだけだった。


とりあえず、闇に紛れる夜まで待つことにした彼は、皮袋に残っていた水を馬に与え適当な木に括り付けると、その横で仮眠をとることにした。

何も食べず不眠不休でいたのでさすがに少し疲れて、体が眠りを欲していたのだ。携帯食料も尽きたので一緒に盗んでからでよいと思っていた。


関所の門が閉まることを知らせる撞鐘の音が聞こえた。

錆びついたこの音は、シグルンのものとは違う。

目をつぶれば、たった半年の、放置されながら苛まれることもない穏やかな時が思い出された。


(昔も聞いていたな・・・鐘が鳴るともう本が読めなくて、だが普通の食事が毎日与えられた)


思っていたよりもあの当時のことは深くライの中に根付いているようだった。

離宮のさらに別邸と言われていたあのときの屋敷の風景、窓からみた景色、限られながら外へ出ることができた草の感触と穏やかな風。

そして・・・無邪気な子供の歌声。笛の音。笑い声。


完全に眠ることはない彼は、夢と区別が付かないまま、昔をなぞる。


「ねえ、あなた大丈夫?!」

「ーーーーっ?!」


突然、知らぬ高い声が割り込んできて、ライザックはとっさに身構えた。

もう少し近くであったなら、無意識に切りつけていたと、冷や汗をかく。

少し離れた田舎道の端に、みつあみの少女が立っていた。いかにも町娘といった風体の、だが小ぎれいな顔をしている。

闇にも目が効くライザックは、ひゅっと息を呑んだ。


「・・・・・・お前」


今にも消えそうな夕焼けを背に立つ少女の瞳は隠しきれない朱色だった。

まだ成長途中であろう細い体躯に、しみ一つない美しい白い肌、少し警戒したようなツンと気高そうな美しい面差し。


「あ、動けるのかしら?大丈夫?」


物おじしない様子で近づいてくる彼女の後ろから悲鳴のような声が聞こえる。


「ひめ・・・レテ様!なりません!」

(レテ・・・レティーシア)


そんなわかりやすい名前でなぜ王族がこんな辺境のさらに端の街のさらに隅にうずくまっているどうみても怪しい男に声をかけてくるのか。

緊張感のないのんびりした国だな、とはもともと思っていたが、ありえないだろうと呆然として、ライは何一つ言葉が出てこなかった。


「けがをしているの?それともお腹がすいているのかしら?」

(なんで話しかけてくるんだ)


フードをかぶりなおして、ライはふいとそっぽを向く。


「大変!血が・・・?!」

「・・・触るなっ!」


それでも性懲りも無く無防備に伸ばされた汚れ一つ知らない指先からライはわかるように身を引く。


「あの、でも・・・」

「俺は怪我はしていない。だから寄るな」

「レテ様!お離れください」


やっと追いついてきた年のいった侍女と護衛が"レテ"とライザックの距離を取らせた。


「誰だ、お前は」


護衛兵に詰問されて、厄介なことになったと舌打ちする。

黙っていれば剣を突きつけられた。

しかし、動じない不遜さが見て取れたのだろう。手を出されそうになり、ライは胸ぐらを掴もうとした男の腕を捕らえ、背後を取ると容易に膝で地面に押さえつけた。

残り2名いた護衛兵たちが気色ばみ、慌ててライを取り押さえようとする。

それを止めたのはまだ幼さの抜けない少女の声だった。


「やめて!先に手を出したのはこちらだわ」

「しかし」

「黙って離れて。近づいたのは、私の方で彼は何もしていないわ。それを・・・無礼はこちらです」


命令し慣れた口調で、それでいて恐れも危機感も知らずに少女は言う。


「ごめんなさい」


ペコリと下げられた頭にライは地面に押し付けていた男を解放した。

苦々しそうな男に大丈夫かを確認して、それからまたライの方を真っ直ぐに見つめる。


「あなたは、何故ここにいるの?異国人?身のこなしからしてどこかの傭兵かしら?怪我はしてないと言うけれど、じゃあなぜ座り込んでいたの?」


その質問に答えないまま立ち上がる。

歩き出したライに、しかし、少女はついてきた。


「ねえ、なにか困っているからこんなところにいるの?もうすぐ門が閉まるわ。この辺は治安はあまり良くないと聞いているの。宿に泊まるお金がないの?」

「関係ないだろう。なんでついてくる」

「もしかして、異国人だから街の人に意地悪をされたの?」


少し低くなった声に、ライは足を止める。

なにか、核心をついたような音を感じ取ったからだ。


「だったら?」

「それなら私が怒ってあげるわ!あのね、ここの領主が異国人にだけ宿代とか手数料とか法外なお金をふっかけているかもしれないんですって。だから、私その証拠を探してるの。だからあなたもそう言うことで困っているのかなって」


ひそっと秘められた声と彼女の浅慮に思わず嘆息してしまった。

そんなことを出会ったばかりの得体の知れない人間に馬鹿正直に言うことあるか、と。

自分の身の危険性の方がだいぶ高いことを知った方がいいとさえ思った。

ライがほんの少し手を伸ばせば触れられるところに、王女がいるのだ。

身なりは質素だがその顔立ちからすれば十分に商品価値があると誰でもわかる。それに護衛も連れていてそれなりの身分の貴族のお忍びだとすぐに見当もつく。


(一度危機感を持たせた方がいいんじゃないのか?)


ハラハラと後ろで馬鹿正直に見守っている侍女と護衛をチラリと見て、それでもコトは面倒かと思いやめることにした。


離宮の穴を抜けて一人で探検に来るような王女は、どうやら成長してもその好奇心は衰えていないようだった。

平和ボケしてるとは思うが。


(別に会うつもりはなかったんだがな)


それにしても大きくなった。

そしてまだ幼く見えるが、艶やかで、美しくなった。

美しいと言うことを人間には思い付いたことがない表現だったが、その容姿を美しいと評価することが当たり前のように思えた。

綺麗だと、美しいと。


その思考に、ずきり、と体の奥が痛んだ気がした。

それを不思議に感じたが、あらゆる痛みに鈍感な彼は無視をした。


寝不足の頭で考えるのも、なんだか息巻いて見える少女の幼稚な探偵ごっこに付き合うのも面倒だからか、と思ったくらいだった。


「長旅で馬が潰れたんだ。街に行って新しい馬を買いたい、交換したいと伝えたが、俺が怪しすぎて断られた。それだけのことだ。別になにか、ふっかけられたわけでもない」

「そう、なの?」


頷く。

ちょっとがったりした様子のレテにこれ以上は関わらない方がいいと判断し、足早に置いていこうとする。

これからを思えば目立ちたくはない。

だが彼女はまだついてきた。


「馬がないと困るんじゃないの?ねえ、今のあなたの馬はあの向こうに繋がれた子じゃないの?置いていっちゃうの?」


よく喋る。鈴の音のように凛と頭の中に響く声だった。


「なんなら私たちの"馬"と交換してあげてもいいわ」


何故そこまでしつこいのだろうか。

悪い申し出ではないが、流石に不審に思って振り返ると嬉しそうに赤い瞳がまたたいた。

じいっとライを下から、探るように見上げてくる。


「交渉してくれるの?」

「なぜ俺に?」

「あなたが私の知りたいことを知っている気がするから」

「先ほども言った通りだが。別に俺は不自然な扱いを受けたことはない」

「その話じゃなくて"どうやってシグルン軍の人がここにきたのかってことよ"」


突如切り替わった流暢なシグルン特有の言語にライは目を見開いて、それから失敗したと悟った。

()()()()()()()()()()()()()ふりをするべきだった。

いまさら取り繕っても罠を仕掛けてくる少女が見逃すはずもない。

そういえば、馬という言葉も一度だけシグルン語ではなかったか。

やはりどうもうまく頭が働いてないらしい。

幼い彼女の面影に油断していた。


少女は先ほどよりも大人びた笑みを浮かべていた。

そしてシグルンの言葉で話しかけてくる。


「"あなた、シグルンの言葉と共通語と発音が近い言葉、少し違う。シグルン語みたい。馬、とかね。傭兵さん?シグルン人?あの馬も農場にいる馬とは毛色が違う。えーと、軍馬?あなたも歩き方がきれい。えーと、泥棒?盗賊?そういう、悪い集団に属してる人とは違う。軍にいる?違う?"」


時折辿々しくなりながら、レテはじぃっと真っ直ぐにライを見て見極めようとしているようだった。


「"どうやってここに?シグルンの軍人が関所から入れるわけがない。なぜ?"

「"そうだな。バレるとは思わなかった"」


ライは可笑しくなってきた。


あの小さかった少女が成長し、企みめいて自分とシグルンの言葉で話をしている。

幼く、ただひたすら自分を慕ってきただけのあの少女が。


「"何か目的でも?シグルン軍は何かこの国に用が?"」

「"誤解するな。俺が個人的にこの国に来ただけでシグルンは関係ない、信じるか信じないかは知らないが"」

「"なぜこの国に来たかったの?"」

「"・・・昔にこの国にいたから近くに来て懐かしかったんだ。懐かしくてどうしてももう一度見てみたかった"」

「え?」


ぽかんと少女が年相応だろうな表情になった。

全く自分でも間抜けな理由と思うが、事実だから仕方ない。


「え、ええと、会いたい人でもいたの?」


驚きで言葉が共通語に戻っている。不安そうに彼女との会話を聞いていた護衛たちがほっとした様子になった。

普通、いきなり異国の言葉を話した不審者がいたら引き離すと思うのだが、まあ"王女"についている護衛なのでその程度のレベルなのかも知れない。

シグルンに守られたこの国は、ずっと争いなど起こっていなくて国内の小競り合いくらいにしか兵は使われないのだろうから。


血で血を洗いつづけるシグルンとはまるで違う世界なのだ。

そしてその中心にいるのが、彼女の家族なのだ。


「・・・そうだな、会えた」


会うつもりはなかったが、ライの中にあった思い出が上書きされた。驚きと共に。

だが不快はなく、何と表現したらいいかわからない感情が湧き、熱がこもったかのようだった。


「それで帰ろうとしていたら馬が潰れたということ?」

「そうだな」

「・・・どこから帰るの?」


うろんげな目つきになった珍しい赤い瞳に、ライは知らず笑っていた。


「"馬を交換するなら教えてやってもいい"」


少し考えて、少女は頷く。


「いいわよ。ねえ、馬を一頭持ってきて」


少女の命令に護衛たちが顔を見合わせる。


「この人の馬と交換するの。あの馬は珍しいし、その方が価値があるわ」


護衛たちは不可思議な顔をしていたが、彼女が突拍子のないことを言うのには慣れているのだろう。

やれやれと言う様子で少しして馬が連れてこられた。


しかし少女はすぐに手綱を渡さず自分で持っていた。


「"先に教えてくれなければ渡せないわ"」


あまりにも世間知らずということもなくしっかり情報と交換しようとする彼女にライは顎を引いた。

緩んだネジではない彼女を好ましく思った。


どうせもう使うこともないとあっさりと森を抜けたことを伝えると、彼女はそれこそ唖然と言う顔になった。


「え、あの、本当に?本当に森を?えっ、あの森を?」

「ああ。半日もかからなかったが」

「え、本当に?」


頷く。

ライは基本規格外の行動ができるので、この時に少女が驚いていた意味がわからなかった。

 

「森って、抜けられるんだ・・・」


呟くように言う彼女との距離をサッと縮めて、ライは手綱を奪った。


「話はしたからもらって行く」

「あっ、ちょっと・・・っ」


詰めが甘いのはまだ幼いからだ。

きっと経験を積めば彼女はもっと強かになるだろう。

その姿を見たい。そう思ったが、ライはすぐに首を振った。


(もう、会うことはない)


たぶん自分はどこかで野垂れ死して、彼女は穏やかで明るい世界の真ん中で笑っている。



「じゃあな」

「待って!」


はしっといきなりマントを掴まれて、身軽に馬に乗ろうとしていたライは後ろにつんのめった。

すると手綱を引っ張られた馬が興奮し暴れようとする。


パニックになり悲鳴をあげようとした少女の口をライは咄嗟に押さえ、馬から庇うように抱えた。

大声を出せば馬は止まらなくなる。


少女を抱いた腕と反対の腕で手綱を捌き、すぐにいななきをおさめると、そばに寄った彼女が目を丸くしていた。


そして言ったのだ。


「庇ってくれたのね、ありがとう」


無礼にいきなり触れたライに、意図を履き違えず綺麗な笑顔で。


「あなたの瞳、綺麗な紫ね。私の好きな色だわ」

「・・・っ」


ライはすぐに少女から手を離すとそのまま馬に乗って走らせた。

ザワザワと胸の内が落ち着かなかった。


(もう一度・・・会えるだろうか)


追っ手のかからない位置まで一息に移動してから、ライは一度だけ振り返った。


いや、会えなくてもいい、見るだけでもいい。

ただもうこれで終わりだと思っていたはずなのに、急激に惜しく感じられた。


(何を馬鹿なことを)


誰も巻き込まずに死ぬことしか望んでいなかったはずのライの顔に生への執着が見えたことは、彼自身も知らなかった。



ライザック視点での昔話はこれで終わりです。

彼は自分を孤独に追い込んでいってばかりで、周りから離れたがるのですが、レティーシアだけは自分からぐいぐい近づいてくるのでそのまま執着する方に行ってしまったのです。

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