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流血諸々注意です
男爵が笑いながらカタール伯爵にステッキを渡す。
カタール伯爵はそれを受け取って、柄を抜いた。
杖だと思っていたそれの中から白銀の刃が煌めく。
ぞくっとレティーシアは身をすくませた。
いくら気が強くても、さすがに刃を向けられ平然としていられない。
黙り込んだレティーシアに、伯爵はくっと喉で笑った。
「怖いか?あんなに口汚く罵っておったのに、静まり返っておるわ」
「・・・私を連れてきたのは、ライに復讐するため?」
「復讐、か。本来、あの座についておったのは私のはずだった。それを返してもらうまでのこと」
「・・・・」
「すべてだ。すべて上手く行っておった。だが、あの男のせいですべてが台無しだ」
憤怒の表情でカタールが言う。
「死神と名高い将軍が来なければ。伏兵をつき、王子一派を片付け、すべてが上手くいきかけておったのに、“血の将軍”の旗印を見て、数では相当に優っておるにもかかわらずロワール軍は逃げ出した。私も、逃げるしかなかった。あの男でなければ、シグルンの軍勢を倒すだけの余力は残っておったのに・・・」
ではやはり、兄はシグルンの手のものにかかったのではなかったのか。
そしてライザックは、結果的にせよ、この国をロワールの手から守ってくれた。
どちらにせよ王家は滅ぶしかなかったが、卑劣な手段で兄を死に至らしめたロワールよりもシグルンの軍門に下った方がよかったのではないか、とさえ思えた。
「本国に攻め込む手はずだったロワール軍も手を引いた。ライザック=ハルジーナ=イルヴァ、あの男だけは相手にできぬと・・・。私の計画をあの男がすべて台無しにしたのだ!何年も仕込み続け、約束されていた私の輝かしい未来でさえも!」
(・・・勝手なことを・・・っ)
富に目がくらんでわかっていないだろうが、もしロワールがこの国を支配したとき、おそらくカタール伯は用済みとされるだろう。
このような姑息な計画に乗る国が律儀に約束を守るはずがないと思った。
そして同時にライザックの戦場での名の本当の影響力を知った。
彼は一国を震え上がらせるほど、圧倒的な力を持っているのか、と。
「忌々しくもあの男・・・っ。私が戻る前にこの国を手中に治めておった。しかし、うかつには手をだせん。並大抵の暗殺者では返り討ちにあうだけだからな。まったく苛立たしかった」
「何せ、一軍で一国を滅ぼしたほどのお方ですからね。しかし、それも今日までのことでしょう。伯爵、勝機はすでにわれらの手にありましょう」
「ああ、ああ。そうだな・・・」
妙に確信めいている会話にレティーシアは視線で問いかけた。すると、カタールがにやにやとしながら答えをくれた。
「まさかあなたがあの男の生命線までとは知らなかった。駄目でもともとだったが、あの将軍は取引に応じたのだ。も・・・死の取引にね。こんな簡単なこと、もっと早くすればよかったわ」
(・・・え・・・?)
「あなたの命とわれわれを無事に国外へ逃がすことを取引材料にした。だが、その場には我が私兵たちとロワールの一軍が待ち構えている。まさかそこまでの準備が整っているとは思わないだろう。明日、あの男は死ぬんだ」
口にかまされた布地の元でレティーシアは小さな悲鳴を上げた。
「あの“血の将軍”の命を取ったとなれば、私の名声はますます上がるだろう。朝日が楽しみでならないわ」
「うーうぅー・・・っ!」
「ああ、先ほどから言っているようにあなたの身の処し方は決まっている。ロワールでも慰み者になるがよい。それだけの美貌ならば、好きなだけ貴族の歓心も得られるでしょう。すでに目をつけている高貴な方もいらっしゃるようだ。高級娼婦になれますよ、サディストには特に喜ばれそうですな」
(ふざけないでっ!)
レティーシアは悔しさのあまり涙をこぼしていた。
「う・・・ふぅ・・・う・・・っ」
(こんな男に・・・はめられたために・・・)
皆死んだのか。
そう思うと心の底から悲しみと憎しみが沸きあがってきた。
確かに一貴族の話を鵜呑みにしてしまった兄も悪かっただろう。
だが公爵家を含めて諜報が機能してないとそこまで疑うのもまた困難だったのだろう。
いや正しい為政者ならそれを見抜けたのだろうか。
わからない。
それでもはっきりしているのは目の前のこの男がいなければあんな惨事は引き起こされなかった。
「・・・ああ、泣き顔は特にそそりますな。前の王妃もたおやかな美貌の方だったが・・・気の強い者が流す涙ほど美しい」
屈折した感嘆の声を発したのはユファルカ男爵だった。
触れられそうになって、レティーシアは唯一自由だった足を股間に向けて振り上げる。
驚いて後ろに飛び退いたユファルカ男爵に対し、伯爵は笑った。
「本当に気が強い。王女殿下はこれが目に入らないのかな?」
「・・・っ・・・」
鋭い刃物がぴっとレティーシアの服を切り裂いた。
震えが走るのをかろうじて一時に押さえ、ひたすらカタールをにらみつける。
「伯爵様、どうせでしたら慰みをいただいてもよろしいですか?」
(・・・な・・・?)
「そういえば、男爵は姫がアリオル公の息子に見初められたことを悔しがっておりましたな」
「ええ。あの若造が・・・。前の王妃も手に入れられなかった。今度こそはと思っていたのに・・・」
伯爵家の血をひく母は確か男爵家の血も入っていた気がする。
貴族の世界は狭いのだ。
彼は、生きていれば母と同じくらいの年齢には見えた。
「そうか。だからこの話に乗ってきたのか?あわや姫を手に入れようと思ってか?」
「初めのうちは。ですが、もういいです。穢れたこの女を妻にするのはごめんですからな。ただ、一度思いを果たさせていただければそれで」
勝手なことを言う男爵に、レティーシアは射殺しそうなほどきつい目を向けた。
二代にわたって歪んだ欲望をこの男は持っていたのだろうか。そんなことのために裏切ったのだろうか。
ぞっとしない話だった。
「こんなにあちこちに痕をつけられ・・姫君が堕ちたものですな」
「・・・っ」
鬱血の痕が消えない肌に触れられた途端、ぞわっと鳥肌が立った。
気持ち悪さに吐き気すらこみあげる。
(こんなやつに・・・)
目の前が真っ赤に染まった気がした。
ライザックに最初触られたときも嫌だった。
嫌だったけれど、どこかあきらめがあった。亡国の人間が戦勝国に反抗しても何もならないと。
だが、この男は本当の敵だ。
良いようにされるのはプライドが許しはしない。
(こいつらに穢されるくらいなら死んだ方がましだ・・・・っ!)
猿轡を咬まされていなかったら、絶対に舌を噛み切っていたと思う。
でもそれはできない。
手足を押さえつけられた無様な自分の姿を必死で想像しないようにしながら、なめくじが這うような気持ち悪さに口の中の布を噛み締めた。
「・・・ぐあ・・・っ」
だが。ひたすらに現実から目をそむけていると、突然悲鳴が上がった。入り口の方からだ。
薄暗かったこの地下に、別の明かりが差し込んだ。
「な、なんだ・・・っ?」
「貴様ら、ふざけたことをしてくれたな」
(ライ・・・?!)
姿は見えなかったが、聞きなれた声を間違えはしなかった。
「そんなに、死にたいらしい」
だが、いつもとは段違いのぞっと凄みのある声だ。
伯爵も、レティーシアに触れていた男爵も私兵も震え上がって、レティーシアから手を離し、自身の身を守るための臨戦体制に入った。
邪魔な男たちがどいてようやくレティーシアは、ライザックの姿を見た。
そして向こうも同じだったのだろう。
明らかに襲われたとわかるレティーシアの姿を目に止めると、一瞬で殺気が増したのがわかった。そしてすぐさまにつんざくような悲鳴と血生臭い匂いが上がる。
彼の背後から追いかけてきたのであろう数人の兵たちが襲い掛かるといえる暇もなく事切れていた。
ライザックはいつ抜いたかすらもわからない血で濡れた剣を振り払い、ザリザリと一歩ずつ近づいてくる。
まだだいぶ距離があるのに、レティーシアの奥歯がガチガチと鳴った。
"人殺し"の姿を見たのは初めてだった。
あかりの届く範囲で見えた姿はひどい無表情なのに、ライザックが怒りを放っているのはよくわかる。
「・・・ど、ど・・・どうして・・・ここが・・・っ」
腰を抜かしたようになっている男に、ライザックがさらに低い声で答えた。
「街中の反抗の騒ぎを調べた。最初はこの周辺からだった。だから怪しんではいた。レティーシア付の侍女がこの近くで目撃されたのも知っていた。もう一日早くお前たちをみつけていればよかったな」
すらっとライザックが汚れた刀身を真っ直ぐにカタール伯爵に向け、凶悪に笑った。
それを笑ったと言っていいのかわからないが、口の形だけは笑っていた。
「こんなことを起こす前に、すぐ殺してやったのに」
「ひぃ・・・っ」
「俺のものに触ったんだ、どう切り刻んだら俺の気は済むんだろうな?」
ライザックの視線があまりにも怖い。
レティーシアですらそう思うのだから、直接向けられている男たちはもっと恐ろしいだろう。
すでに彼は一人きりでこの場を支配していた。
「お、お前たち!何をしておる、敵は一人だ!さっさとあやつをとらえぬか!」
レティーシアと同じタイミングで単独であると気がついたカタールの言葉に、同じくはっとしたように私兵たちが一斉に飛び掛っていった。
(・・・だめ・・・っ)
言われれば確かに援軍はないようだった。
ライザックは一人きりでこんな何人いるかもわからない敵の陣地に乗り込んできたのだろうか。
そう思ったら恐怖による金縛りが解けた。
「ライ!」
自由になった手で猿轡を外したレティーシアはまず最初にその名を呼んだ。
その声にライザックがほんの一瞬だけ視線をこちらへ向けたような気がした。
「今の俺に手加減を期待するな」
狭い場所で乱闘になった。
だが飛び散る血はどれもライザックのものではない。
数十人いたとしても狭い場所をうまく利用し、そして、見えもしないような身のこなしで次々と斬っていく彼はあまりにも圧倒的な強さだった。
そして手加減は期待するなといいつつ、多分、急所を外しているのだろう。けれど戦意はそぐほどに。
床に呻き声が重なり合ったところで、何人かが反対側の出口から逃げていく。
「待て!お前たち!!」
呼び止めたのは伯爵で、しかし、彼らをどこから取り出したのかわからない複数の投げナイフで刺し止めたのはライザックだった。
どういう動きなのかもはや誰もわからない。
次にライザックがその目に留めたのは、腰を抜かしたユファルカだった。
「ひ・・・ひぃ・・・っ」
「誰が俺のものに触れていいと言った?」
ぐいと男爵の貴族らしい鍛えていない首をつかみ上げ、ギリギリと持ち上げる。
ぎらりと光る紫の瞳は、普段とは違う色合いを見せていた。レティーシアが機嫌を損ねたときなど、比べ物にならないほどの怒りが、彼の瞳を輝かせている。
それだけを見れば確かに、死神や“血の将軍”の名もわかる気がした。
苦しさにもがくユファルカを一旦離し、しかし息つく暇もなく左足をざくりとライザックの刀が貫いた。
耳を塞ぎたくなるような悲鳴が上がる。
それをライザックは無感情に見下ろし、もう一度、今度は右足も刺した。そして今度は右手のひら。
「安心しろ。簡単には殺さない。俺のものに触れた汚い手と匂いを嗅いだ鼻と声を聞いた耳とその姿を映した瞳と、どれからなくしたい?」
返り血に頬を汚しながらライザックは失神寸前の男爵の髪をつかみ上げをその顔を覗き込んだ。
それはレティーシアが知っているどのライザックとも違っていた。
ただ、冷酷無比な「将軍」の顔、いや、むしろただの狂人のようにも思えた。
呆然としているレティーシアの側を、しかし、ふとそろりと逃げ出そうとする影が通ったことに気がついた。
レティーシアはそれにはっとする。
ライザックに気をとられていたし、彼もレティーシアに触れたユファルカに振り切れた怒りの照準を合わせていたから、周りが見えていないに違いない。
こそこそと逃げ出そうとしていたのはカタール伯爵その人だった。
「・・・待ちなさいっ!」
レティーシアはカタールの背に飛びついた。
この彼こそが敵だ。
逃がしてなるものかという気持ちだった。
「離せ!」
「・・・っ」
だが力では敵わない。
どん、と突き飛ばされ、レティーシアは転ぶ。
それでも逃げようとする男の足を掴んでやった。
すると白銀が目の端に光った。
「邪魔をするな・・・!」
ステッキの隠し刀が翻された。
迫り来るそれにぎゅっと目をつぶる。
痛みを覚悟した瞬間、押し殺した声が聞こえた。
「・・・・?」
そろそろと瞳を開く。そして目の前の光景に目を見張った。
「・・・ライ・・・?」
伯爵の刀は、ライザックの右腹部に刺さっていた。
ぱたぱたと赤い血が流れ出る。
けれどライザックは笑っていた。
「ひ・・・っ」
「俺も馬鹿だな。怒りに目がくらんであの男に刺した剣がすぐに抜けなかった。だが、捕まえた」
ステッキをもつカタールの手を逆に彼は捕まえていた。
「こんなことをしておいて逃げられると思っていたのか?」
怪我をしているのに彼は余裕を崩していない。
まるで化け物をみるかのように恐怖に目を見開き、掴まれた手を振り払おうとするカタールの頬に思い切り拳を叩き込んだ。
逃げられないようにしておいて、何度も殴りつける。
完全に顔の原形がなくなってから、ライザックはようやくカタールの手を離した。
重力のまま地面に転がった男に、最後とばかりに胸の辺りを思いきり蹴り飛ばした。
鈍い音がして、骨が折れたのが分かる。
その後で、ライザックはどさりと腰を下ろした。
腹部には刀が刺さったままだ。
「ラ、ライ・・・っ?」
慌ててレティーシアが側によると、彼は額に脂汗を滲ませていた。
押さえるかのように傷に触れた手は真っ赤に染まっている。
「血・・・血が・・・」
「・・・泣くな」
動揺のあまりレティーシアは涙をこぼしていたらしい。
ライザックがそっとレティーシアの頬に指をすべらせた。
だがかえって血で汚れてしまったので、彼は薄く苦笑する。
「・・・遅くなって、悪かったな。怖かっただろう・・・?いや、俺が言える・・・義理でもないか・・・」
レティーシアは首を振る。
ずるりと力なく降りたライザックの手をぎゅっと掴んだ。
「違う、ライザックは違うから・・・っ。私、大丈夫だから!だから・・・・」
何が言いたいのか分からない。
でもとにかく何か言わなくてはと思って、凍りつきそうな舌を必死に動かす。
そもそもこんなにも素早くレティーシアを庇えた彼なら伯爵を見逃しなどしなかっただろうと今更気が付いた。
怒りに任せてレティーシアが余分な動きをした結果だと知り、ますます恐慌した。
ほろほろと泣くレティーシアに、ふっとライザックが笑った。
「俺が死んだら・・・嬉しいと思わないか?」
「何言って・・・っ。あなたが死ぬわけない・・・!変なこと言って・・・脅かそうとしたって・・・」
「・・・この刀を抜いたら、俺は死ぬぞ」
「――?!」
「もうすぐ俺のことを探しに、兵が来る。だが、今、刀を抜けば出血多量で治療をしても助からないだろうな」
ライザックが息を弾ませて目を閉じた。
「ライ・・・?」
「そうしたら、お前は自由だ。今なら誰も見ていない。誰もお前を責めたりしない。・・・自由になりたいのなら、抜けばいい。陛下は俺との約束を違えたりしない」
「なに、約束って・・・?」
ライザックは答えない。
ただ一言、もう疲れた、とだけ言った。
何にかは続けてくれない。
彼はもう何も見たくないとばかりに目を閉じたままだった。
彼の言葉に嘘はないような気がした。
おそらく本当にこの刀を抜いてしまったら、ライザックは死ぬだろう。
レティーシアはじっとライザックを見つめていた。
やがて、どやどやと人の気配が近づいていてくるのが分かる。
そのことに意を決したように、レティーシアはそっと刺さったままの刀に手を伸ばした。




