誰かに見つかってはいけない真夜中のお参り
エンジン音をひびかせ、人気のない路地をバイクが通り過ぎていった。新聞配達だろうか?
「……」
すっかり姿が見えなくなり、静けさが再び暗い夜道をおおう。なのに心臓がまだバクバク胸を叩いている。
(見つかって、いないよね?)
ふと不安がよぎり、胸がざわつく。
(でも、こんな夜だし……)
いくら注意していても、気づかない時は本当に視界には入らないもの。そう信じるほかすべがない。
だって誰かに姿を見られてはいけないのだから。今は真夜中、それも草木も眠る丑三つ時。いたとしても発情したアベックくらいだろう、と自分へと言い聞かせる。しかも彼らの主な生息地は夜の公園であって、これから赴く場所ではない。
不良がたむろしている可能性もあるが、最近は絶滅したのか、彼らの姿を確認はできなかった。
(だ、大丈夫、だいじょーぶ……)
きっと上手くいく。いや、いかなければならないのだ、と彼女は強く願う。
自宅から目的地まで赴き、そして帰宅するまでは、そんなに距離はないはずだ、と。
それにこのあたりは街灯もほとんど設置されていない。夜になれば真っ暗になる。治安は悪いかもしれないが、人に知られずに何かをするにはもってこいといえる。
だから息をひそめ、身を隠しながら、彼女は急いていく。
(なんか……)
ちっちゃい頃に遊んだ、かくれんぼが脳裏に浮かんできた。無邪気に笑いながら、楽しげにはしゃぐ幼い頃の感情がよみがえってくる。不思議なもので、人間とはこうまで変わるものなのだろうか、と彼女は思う。感慨深そうに目をつむって。
(まだ純だったもんね)
でも社会に出ればそうはいかない。否応なしに薄汚い現実と向き合わなければいけなくなるからだ。
ちょうど、今の自分のように。
「っ!?」
と靴音が聞こえ、心音が撥ねる。とっさに身を縮ませて、草むらへともぐりこむ。金属がこすれる音がひびく。足音が止まり、こちらを電灯が照らした。おそらくは音が気になったのだろう。たずさえていた灯りも、もしかしたら見られたかもしれない。
「……」
ライトの明りがあたりを探るように草むらを覗きこむ。
(そういえば――)
着ているのは白い服だったかな、と思い出し、彼女は心臓が止まりそうになった。
明るい色は暗い場所でも光を反射するから、夜でも他人が認知しやすいとかなんとか。
(見つかる――!?)
目をぎゅっと閉じて、肩を抱く手に力が入る。つめが食い込むほどに。だからなのか、ふるえがとまらない。
もし誰かに知られでもしたら!
そうなれば全てが終わってしまう。おそらくただではすまない。どんな悪い出来事が降りかかるのだろうか?
いやな想像がコマ送りで頭の中を駆けめぐっていく。
と――
「にゃあ!」
鳴いたのは一匹の猫。実に眠そうな声だ。黒い毛並みが明りを反射する。金色の眼がつまらそうに男を一瞥し、ふん、と鼻を鳴らして猫はそそくさと走り去っていった。
「……なんだ、ただの猫か。あと誰だよ、道端にタバコをポイ捨てしたやつは? 火事になるだろ! マナーってか、常識がなさすぎる! 何考えてんだ!」
中年の男は腹立たしげにそう吐き捨て、足元でまだくすぶっている吸い殻を踏みにじる。ついではぁ、と盛大にため息をついてから、その場を後にしていく。
おそらくは地元民による見回りなのだろう。
なんというか同情を禁じえなかった。暇な老人ならともかく、仕事で疲れているだろうに、こんな真夜中に駆り出されたのだから。そのおかげで街の安全と安心は保たれているのかもしれないが。
とはいえ、今は他人の心配などしている場合ではない。
目を凝らし、前方を望む。
「く……」
うっそうとする雑木林、その奥には社がたたずむ。そこを取り囲むように流れる川には古めかしい石橋が架けられてた。誰が置いたのか、欄干には使い込まれたぬいぐるみや人形がどっしりと座して、ボタンやビーズでできた目がまじまじと見つめてくる。
「う~……」
理性的に考えれば、相手は無生物だ。意思はおろか、心もないモノで、工場で大量生産された子どものおもちゃのはず。なのに目視されているように彼女には感じられた。
背中がゾワゾワする。夏だというのに、冷たい汗がほおを伝う。
古い物には魂が宿る、という言い伝えを思い出す。量産品でも誰かの想いが染みついたとするなら、それはもうオーダーメイドの何かだ。そこにある種の不気味さを感じてもおかしくはない。
しかしここで足踏みしていても、時間だけがすぎていく。このままでは夜が明けてしまう。
的地はもうすぐそこだというのに!
歯がゆいというか、苛立ちがつのる。まるでやめるようにと神様が裏で手を回しているかのようだ。
(いえ、絶対に――)
だけどしなければいけない!
そう決意したし、できなければ全てがムダになる。二週間前から下調べまでして、念入りに計画を立てた努力が全て水泡と帰す。だから彼女はあたりを見渡した。
「…………」
今度こそ誰も見ていない。見られていないはず。でも心がどうにも落ちつかなかない。けれど。
「――」
できる!
心を奮い立たせ、彼女は一気に駆け出した。
十メートル。五メートル。鳥居が目に留まり、そこをくぐって、大樹へと手をつき、もたれかかる。
注連縄の四手が風に舞う。
「ふぅ……」
ようやくだ、と息をつく。耳を澄ませば木々のざわめきと虫の音、それに川のせせらぎくらいしか聞こえてこない。
人の気配は――なかった。荒い息、激しく強くなる鼓動。靴が玉砂利をを踏み鳴らす。自分以外は今ここにいないことを念入りに確かめて、安堵する。
(やっと――)
けれどこれで終わりではない。
まだ胸がざわつくものの、ふところを探り、釘とトンカチを取り出した。それとわら人形も。
(やってやるんだ!)
ぎゅっと口を結び、わら人形をつかむ手に力が入る。
続けて大樹へと押し付け、釘を突き立て、彼女は槌をふるう。
(あの、ババア――!!!)
カーン、カーン、カーン……
(いっつもいっつも私を――!!!)
わら人形の頭を、胸を、足の付け根を打ち付けていく。力任せに、怒りをぶつけて。
「ふぅ……」
十分ほど続け、疲れたのか手が止まる。思わず顔がほころぶ。それからゆっくりとした足取りで、彼女はその場を後にした。
(ざまあみろ、あのババア――)
と、その時だ。前方に白いものが躍り出て、
「「えっ……!?」」
同時に声がはもる。思いがけない出来事に身動きが取れない。しばしの沈黙があたりをおおう。四つの眼が互いの顔を見つめ合いながら。
彼女の瞳が映すのは、白装束に乱れ髪の女性。奇しくも、今の自分と同じ格好だ。頭には鉄輪を被り、ろうそくを立てた奇抜な風体。手には同じくわら人形と釘をたずさえている。
もうここまでくれば、皆まで言わずとも分からない彼女ではない。この女性は先ほどの自分と同じことをすべく、ここまで足を運んだのだということを。
そのせつな、ふと夜風が髪をすき――彼女の足元に何かが舞い降りた。そして息をのむ。
「え……?」
それは自分の顔が写された写真。
けれど驚きはそれだけでは終わらなかった。
ろうそくの火が照らす女性の顔を、彼女は瞳に映し、わら人形を砂利道に落とす。
「……して?」
どうして、と言おうとして、なのに言葉が出てこない。
ついで女性の顔をまじまじと覗きこむ。
自分そっくりの、その顔を……。