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DIYな彼女  作者: 春野きいろ
2/2

後編

 母の知り合いのマンションの話を聞いたのは、三十にもなる娘を家に置きたくないと父からの圧力が大きくなったころだった、。築三十年の2DKだけど水回りは一度リフォームを入れていて、金額は家賃十年分くらいの手頃な物件だ。不動産会社を通さずに直接売買だったから、面倒と言えば面倒だったけど、それも済んだ。さすがにローンは銀行に組んでもらった。


 家を出たら、自分が想像していたよりもはるかに楽だった。遊びに行って帰りがおそくなっても叱られないし、ダイエット中に揚げ物を出されることもないし、休みの日は洗濯しながらビールが飲める。確かにちょっとした頼み事をする相手はいないし、帰宅した時に自分でカーテンを閉めなくちゃならないなんて不便はあるけれど、気楽さの方がかなり上。

 人間って独り立ちの時期にはそれなりに自我ができてるもんだって、他人ごとみたいに感心した。とりあえず一人暮らしブラボーなのだ。


 で、一か月も経つといろいろ思うところも出てくる。家具の日焼けの残る壁紙はいかがなものかとか、ベッドの横にサイドテーブル兼マガジンラックが欲しい、できれば小物整理用の吊り戸棚とお揃いだと統一感が……みたいに頭に思い描く。どうせ自分のものになったマンションなんだから、好きにすれば良いのだと思ったら嬉しくなって、その週にホームセンターにいろいろ見に行った。

 日曜大工なんてしたことないけど、最近バラエティ番組でずいぶん特集されてるから、私でもきっと大丈夫。


 本当は、壁紙を自分で張り替えようと思ったんだ。いざ壁紙を見たら、なんか難しそうな注意書きがいっぱいあって怯んだ。やっぱりプロを頼まなくちゃならないかなって。それで工具なんか見ながらウロウロ歩いてたら、目の前に白熊みたいな店員さんがいた。別に身体がゴツいとかじゃなくて、ボサッとしてるっていうかのほほんとしてるっていうか、太っているわけじゃないのに背中が丸くて、なんだか物理的にじゃない場所でフカフカしてそうな雰囲気で、なんだか話しかけたくなった。キョロキョロして話しかける材料を探したら、ちょうど壁材の売り場で。ああ、こんなもので塗ってもいいのねって思ったら、あちらから声を掛けてきた。

「壁を塗られるんですか」

「今壁紙が貼ってあるんですけど、剥がさなくちゃいけませんか」

 普通の客と店員の会話で、漆喰と珪藻土の違いとかを教えてもらって、必要な道具の説明を聞いたら当然おしまいだ。彼のゆったりした説明の途中から、何故か一緒に作業するような気分になってしまい、それが自分にもおかしかった。


 一通り相談しながら道具を揃えてもらって、最後に彼は言った。

「ご存知だとは思いますが、脚立の一番上には立たないでくださいね。手が届かない場所は旦那様にでも塗ってもらってください」

 咄嗟に未婚だとは言葉に出なかった。接客はもう終わりだし、それ以上引き留められない。仕方なく荷物をカートに乗せて、レジに向かった。それが三か月前のことだ。


 二週間かけてキッチンの壁を塗り終えて、壁が綺麗になったらカーテンとテーブルのイメージを合わせたくなって、勢いがついたから自分で作ろうと思い立った。DIYの本なんて持っていないから、資料はスマホ頼りだ。ホームセンターの中に工作室みたいな場所があったから、そこで訊けばどうにかなるかもなんて甘い考えもあった。大丈夫、人生は甘い。


 ホームセンターに到着したら、白熊さんを思い出した。あの売り場にいたからおそらく壁材担当なんだろうと思っていたのに、その日に売り場にいたのは若い女の子で、白熊さんじゃない。ああいうチェーンの店は当然移動もあるだろうし、どこかに転勤したのかと思って木材を見ていたら、彼がまた接客に来た。

 私の顔なんて覚えているはずもなく、どういう形の何が作りたいのならこんな材料でって話をされて、こちらはイメージだけで店に行ったものだから図面なんてなくてって状態で、資料用に置いてあった工作の本を見せてもらったり組み立てキットの資料をもらっただけの二回目。途中からやっぱり一緒に工作する気分になってしまい、我ながらどうかしているとは思う。


 今度は白熊さんに顔を覚えさせようと、きっちり図面を仕上げて持って行った。そうしたら、やっぱり売り場に白熊さんはいなくて、それでも作る気にはなっていたから、木材を選んで図面通りにカットしてもらうことにした。それで材料を運んでもらったとき、中に白熊さんを見つけたんだ。

「加工用の工具をお使いになるのでしたら、今ならすぐ入室していただけますが」

 そのとき着ていたのは黒いカットソーで(あとですっごく後悔した)、意味のわからない私に白熊さんは工具の使い方と注意事項を教えてくれて、途中からやっぱり一緒に以下略。


 一目惚れなんて、まったく信じてなかった。婚活なんて焦ってヘマしても仕方ないし、子供産むんならリミットよとか言われたって、今時三十代後半なんて珍しくもない。まあ良い相手がいたらねってヘラヘラしてるうちに、彼氏いない歴だけが妙に長くなってきたけど、三十過ぎて自活する力も蓄えてるから、深刻じゃない。

 ただ、白熊さんの接客だけが私に妄想を促すんだ。あのボロいマンションを一緒にリノベって、相談しながら居心地の良い部屋を作れたらいいなあって。十代の乙女じゃないから、恋焦がれてるわけでもないはずなのに。

 そしてまたマンションに手を入れる新しい構想に夢中になり、図面を仕上げてホームセンターに行く。ただ毎週行って作業してしまうと、帰宅してから組み立てる体力と時間は奪われてしまう。


 居間にしている部屋の隅に積んだ木材を見て溜息を吐いた。組み立てて、キッチンを仕上げてしまわなくては。居間と寝室は、そのあとじゃなくちゃ手がつけられない。毎週末毎に頭が花畑になっちゃってたけど、いいかげんにしなさい私。


 そして今日は、最後の大物のキッチンカウンターだ。よし、来週からしばらく週末大工だ。住みやすくて自分好みの部屋にするって、やっぱりワクワクする。木材を工作室に運んでもらい、白熊さんが受け付けてくれる。次に来るときも、いたらいいな。所詮妄想だろって言われても、頭に描いている光景は幸福だ。

 作業室に入ったら、まだ木材はカットされていなかった。

「ご自宅への搬入は、旦那様がなさいますか」

 そんなことを言われたから、反射的に答えた。

「既婚じゃありません」

 少しきつい顔になっていたのかも知れない。白熊さんが驚いた顔で、申し訳ありませんと謝ってくれた。幸いなことに工作室には、今は客が入っていない。どうせこれからしばらくは来ないのだから、好き勝手言ってしまおうと思う。


 クソ真面目な顔で、独身かどうか聞き出した。それを確認できたので、帰り間際にフルネームと連絡先も教えてもらった。彼は意味がわかりませんって顔をして答えてくれたので、引き渡し口から木材を受け取るときは、私もすました顔をして客としての礼を言って受け取った。


 今、私の目の前のスマホには彼のSNSのアイコンが表示されている。まずは『こんばんは』から送ろうかと思う。これは一種の賭けだ。客を邪険に扱えずに押し負けて連絡先を教えてしまったのか、それとも少しは親しく思ってくれるのか。


 メッセージを入力して、送信ボタンを押した。あとはDo It Yourself、反応はお好きなように。けれどと一抹の望みを抱きつつスマホを見つめていると、返信の音が鳴った


fin 


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