いやがらせ
「あらら、また生贄? しかもまだ生きているじゃない」
俺の前に現れたのは少女。
まだ幼い俺よりも十歳かそこら上に見える彼女だが、見た目ほどの年齢ではないことを知っている。村の人間が話していたからよく知っている。
魔女だ。
黒衣にとんがり帽子が特に彼女を魔女だと主張していた。
「うーん……小間使いどころか実験材料にもなり得なそうだし、助けてあげる筋合いもないんだけど……死んでもいいとでも言いたげなその目が気に入らないわね。うん、やっぱり助けてあげるわ」
容姿通りうんうん考え込んでいた魔女の気まぐれで俺は助かった。
だがそれは魔女の契約による束縛を意味する。
体は走れるまでに治っても魂を縛られてしまった俺は、連れ込まれた魔女の館から逃げ出すこともできず、奴隷の如くこき使われる。
「明日の朝までにこの部屋を私の完璧なる美貌に相応しくなさい。できなければあちこち弄っちゃうからね」
そう告げられ、足の踏み場も無いがあちこち蜘蛛の巣が張り巡らされた部屋に一人置き去りにされた俺は、魔女の態度が大変気に入らなかった。
体を動かしてみる。どうやら館から出さえしなければある程度は中に行動できるようだ。
とりあえずただでさえ汚い部屋を酷い有り様にしておいた。
明日の朝、この部屋を見た時の魔女の顔が目に浮かび、久しぶりに笑みが零れた。
「なによこれはああああああああああ!!!!」
反応は案の定。予想通りすぎて声を上げて笑ってしまえば、憤怒の表情だった魔女が目を丸くした。が、すぐに元通り。つま先立ちで部屋を歩き、俺を見下ろした。
この日から、俺の魔女へのいやがらせは始まった。
「ちょっとおおお!! なんで勝手に下着まで洗濯しているのよぉ!?」
顔を真っ赤にした魔女がついさっき洗って干しておいた下着の山を抱え、現在進行形で下着を洗濯中の俺の所まで駆け込んできた。
魔術の腕前は一級品。好奇心も旺盛で上昇志向が強い魔女は自分のことに関してはかなり大雑把。今回はそこを突いてみた。
洗濯物が増えていたので洗っておきました。
バレバレな嘘の忠誠心から言ってみれば魔女はカンカンになって怒鳴り付ける。
「そんな気を遣わなくてよろしい! 自分の分は自分でするから! 館の掃除でもしていなさい!」
自分の下着を全てかっぱらって早足に歩いていく魔女の姿は、ただの女の子のようだった。
俺は魔女に次のいやがらせを考えながら、掃除用具を取りに行く。
この頃には、館の隅から隅まで把握していた。
「ねぇ、そこの薬を取ってもらえる? そうそれ……ねぇ、何をしているのかしら?」
取ってと言われたので。と言うとすっかり見慣れた怒り顔で魔女は声を上げる。
「取ってと言ったら普通手元に持ってくるものでしょう! くっ、この! ねぇ! 届かないんだけど!」
飛べるんだから飛べばいいのに。
届きもしないのにピョンピョン跳び跳ねる魔女の姿をくらませた見ながらぼんやりそんなことを思っていたら、バランスを崩して薬が魔女に掛かってしまう。
「きゃっ! もう! なにするにゃ! ……あれ? にゃんだか言葉使いが……おかしいにゃぁ!!」
本物の猫みたいに俺の胸にきしゃー! と爪を立てる。
いつの間にか魔女を見下ろせるようになっていた。
「ねぇ、紅茶、を……早いわね。ま、長年私の従者をしていれば何を言わんとしているかわかって当然ね。そう、以心伝心。流石はこの私が育てたことだけはあるわ! フフフッ…………ぶうううううううう!! ゲホッ……な、こ、これは……塩! ソルトが入っているじゃない!」
おっと、私としたことが。
少々棒読みだったかもしれない。
「砂糖よ砂糖! シュガー! 次間違えたらただじゃおかないからね!」
だが意外と純粋な我が主は気づいていなさそうだ。
なので少しわかりやすく。
はい、次は気づかれないように入れます。
「故意! わざと入れたのね! もういいわよ! 水を持ってきなさい! 口の中が気持ち悪い!」
かしこ参りました。
丁寧なお辞儀をして退出する。
塩水を吹き出した主が怒り狂うまであと数分。
魔女に飼われてから五十年。
“俺”は“私”になっていた。
「貴方は変わらないわね。最期までいやがらせをやめないなんて」
更に四十年の月日が過ぎた。
本来なら十にも満たずに死んでいたはずなのに、随分と延命したものだ。
私はもうじき死ぬ。
もう自分で立つこともできない。
いつもなら自分の寝床を占領されれば力づくでも追い出すのに、今日に限っては自ら招き私に付きっきりになる我が主。
どうせ最期だ。
言いたいことは全て言って、未練を断ち切っておこう。
私は内に秘めた想いの全てを吐露した。
私が幼少期住んでいた村は魔女に生贄を捧げることで村に起こる災いを鎮めようとする風習があった。
生贄には私の以前にもいた。
若い娘。子供。当然に私の友人も沢山いた。
全て貴女がいたせいだ。
貴女さえいなければ今の私を囲むのは共に老いていった友人。妻。子供や孫。ひ孫までいたかもしれない。
そんなありふれた幸せを奪ったのは貴女の、魔女の存在だ。
貴女さえいなければ、生贄に反対した両親は村人に殺されることもなく、私も絶望のまま生贄にされることもなかった。
私は貴女のことが大嫌いなのです。
契約はまだ生きています。あの契約がある限り、私は貴女に縛り続けられる。あの契約がある限り――――私は貴女に復讐いやがらせを続けられる。
必ず帰ってきます。
地獄に引っ張られようと死神が魂を狩りに来ても、何年何百年経とうと、もの言えぬ動物や犬になっても、ありとあらゆる障害を越えて、貴女の元へ、いやがらせをしに。
それまで、少しの間――――
「えぇ…………」
さようなら