6 俺達はここから始まるんだな
ジェームスとの通話を終える。サプライズにちょっと文句は言ったけど、正直照れ隠しだ。エミリーという得難い人材をリクルートしてくれたことに心から感謝を伝え、鼓膜が痛いと怒られたので謝っておいた。昂り過ぎたんです、ごめんなさい。
スマートフォンをポケットにしまい、革製でセンスのいいスーツケースの横で所在なさげにしていたエミリーと向かい合う。
膝下丈で露出の少ない純白のワンピース、足元は焦げ茶色の革紐で固定するタイプのフラットサンダルというシンプルな、しかし夏に映える装いだ。清楚な服装が、「小柄・金髪・碧眼・タレ目」というエミリーの容姿をより引き立てている。
少し見惚れてしまい変な間ができてしまった。
「ごめんエミリー。放置するつもりはなかったんだけど、どうしてもジェームスにお礼を言いたかったんだ」
「気にしないでください、お礼をするのは当然デス」
にっこり微笑んでるけどホントに機嫌悪くないの?女心とか異次元の概念なんですけど…とりあえず売店でエミリーの分もカフェオレ買えばいいかな?
「とりあえずこれから日用品や家具を買い出しに行く予定だけど、エミリーは何か予定は決まってる?」
「そうですね…アキハバラには一度行ってみたいデスけど急ぎというわけでもないですし、今のところ先輩の会社が動き出すまではフリーなんデス」
だから自分も買い物に同行してもいいかと聞かれたが、特に断る理由もないので了承した。そりゃそうだよな、これから日本に住むなら色々必要だよな。
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俺の新しい住処は神奈川県横浜市の日吉だ。母校のKO大学のキャンパスが近く学生時代はこの町に住んでいた。学生街だから美味い・安い・ボリューミーな飲食店も多く、バイト代が入った日は普段注文しないちょっと高めのメニューを頼んだりした思い出の街でもある。俺はこの町に拠点を作ることにした。
”新しい家”は”秘密基地”と同じくらいワクワクする言葉だと個人的には思っている。ワクワクの目的地に向かう最後の乗換駅に新横浜があるが、ここの駅ビルで買い物をする予定だ。
新横浜はここ数十年で一気に発展した街だ。俺が生まれたころの航空写真を見たことがあるが、駅を挟んで北側は一面畑で南側は山だった。それが今では新幹線が乗り入れ駅ビルから北口を出るとオフィス街が広がりているし、ビル群を囲むようにワールドカップの会場にもなったサッカー場や、ライブ・コンサート等のイベントが行われるアリーナもあったりする。いろんな意味で歴史と人の営みを感じさせる町だ。駅の南側が全く開発されずに山のままなのがアンバランスでいい味出していると思う。
細々した日用品と小型の家電を購入した後、大型家電や家具を買う段になって問題発生。というか発覚。
エミリーは住居を決めていなかった。ホテルすら取っていないらしい。何やってるのこの人?
「決めてないって、どうするつもりだったんだ?ここら辺はビジネスホテルも多いから予約入れてあげようか?」
「先輩より先に日本に来ることしか考えてませんでした。ミクロソフトは給料が良かったのでそこそこ貯金はありますけど…今は無職なのでホテル暮らしはちょっと現実的じゃないデスよね」
「いやいや、現実的じゃないとか言ってるけど野宿するわけにもいかないだろ?この後一緒に不動産屋に行こうか?」
「お気持ちは嬉しいデスけど、先輩の会社ができるまで私は”住所不定無職の外国人”なので、すぐに見つかるとは思えないデス」
「…確かに、そんな気もするな?」
この子なんでこんなに自信満々なの?
「先輩が責任を持って私を保護して下さい」
「え?俺の責任?なの?」
「未来の社長デス」
ちょっと意味が分からない。
混乱してしまい、しばらくの間お互いに無言で見つめ合っていたら、エミリーが周囲の買い物客に聞こえそうな大きめの声を出した。
「私を捨てないで下さい!」
「ちょ、ちょっと待て!大きな声出すな!」
慌ててエミリーの口を手の平で抑えたが、気が付いた買い物客達が何事かとチラチラ見てくる。あ、唇やわらかい。
「誤解を招くようなことはやめよう。あと、よそ様に迷惑だから。な?」
誰か女性の扱い方を教えて下さい。ホントにどうしたらいいのかわかりません。「女心をグッと掴む100のコツ」的な本を買った方が良いのでしょうか?
周囲からの刺すような視線が痛いです。変な汗が出てきたしここから逃たい…
「ルームシェアして下さい」
「分かった、それでいい。だから早く行こう」
そう告げて足早に去っていく裕太を追って歩くエミリーの表情は満足そうに微笑んでいた。
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日も傾き始めたころに家に着いた。築年数はそこそこだが、オートロック・風呂トイレ別・対面キッチン南向きの角部屋2LDKだ。最初は一人で住むつもりだったのにずいぶん広い間取りじゃないかと思われるかもしれないが、もちろんちゃんとした理由がある。会社設立後、プライベートと仕事部屋に分けて集中できるようにするためだ。入居する前から予定が狂ったけどな。
何はともあれ到着したので、それぞれの部屋で荷解きをする。因みにリビングダイニングの左右に一部屋づつあるので、お互いのプライバシーは守れると思う。そうであって欲しい。
作業を進めていると当日配送を頼んでいた家具類が到着し始める。全ての設置・組み立てが終わったのは21時を少し回った頃だったので、さすがに初日は外食で済ますことになった。
「焼き鳥って美味しいデスね、こんなに美味しいとは思ってませんでした!」
「よく焼き鳥なんて知ってたな。日本のローカルフードは寿司とかすき焼きは有名だけど、焼き鳥はもっとマイナーなだと思ってたよ」
「漫画で読んでからすっと気になっていたんデス。あ、甘辛のタレに日本酒も合いますね。漫画のとおりデス!それにこの掘り炬燵は不思議な感覚デス。床に座ったはずなのに椅子に座っているみたいで、知っているのと体験するのは全く違いますね。とても楽しいデス!」
どんな漫画を読んだのか知らないけど、美味しそうに食べてるからいいか。それに、お酒を飲んでいるせいで頬にほんのりと赤みが差しているエミリーは普段と違った魅力を感じるな。
「ところで、」
「ん?あぁ、何?」
いつもは見られないエミリーの色気に気を取られていたが、急に真面目な声音で話しかけられたので少し焦ってしまった。
「会社の名前は決まってるんデスか?」
お、聞いちゃう?…酔ったかな、テンションがおかしなことになってる。
「もちろんだよ」
「今、聞いてもいいデスか?」
青く澄んだ二つの目を期待でキラキラと輝かせ、テーブルの向うから少し身を乗り出すようにしている。…俺達はここから始まるんだな、少し緊張する。
「株式会社 ダンジョン。これが俺達の会社の名前だ」
読んでいただきありがとうございます。
次の話から開発を始めて、あと数話で…