4 魂が震えた日
エミリーに袖とハートを引っ張られながら社内を練り歩く。
一体どこに連れていくつもりなんだろうか?
そろそろ同僚たちの面白いものを見つけたような、ニヤニヤした表情にも疲れてきた。
ジェームスは爆笑していたけどな。
あー、カフェオレ飲んでリラックスしたい。
「な、なあエミリー?どこに行くのかそろそろ教えてくれないか?あと、自分で歩くからそんなに引っ張らないでくれ。」
「あ、ごめんなさい!」
声をかけると思い出したように俺の袖から手が放れていく。
少しもったいない気がするけど、いい年して初心な俺の精神力が時間経過でガリガリ削られているからしょうがない。
「今から先輩をARの開発チームオフィスに連れて行きます」
「AR?」
「そうデス。と言っても、正確にはARではないそうデス」
つまり、どういうことだってばよ?
頭の中がうずまいちゃうぜ。
「ARをさらに拡張した、MR。”MixedReality”と呼ばれる概念と、その技術を研究しているチームのオフィスに向かっています」
「”MixedReality”…」
「そうです。MRとは、日本語では”複合現実”と訳しているようデス。現実空間と仮想空間を混合し、リアルとバーチャルがリアルタイムで影響しあう新たな空間を構築するもので、仮想現実と物理的実体の間にある壁を取り払うことだそうデス」
概念を聞いただけで理解した。
エミリーは俺を、新しい世界の扉の前まで連れて行こうとしている。
俺が歩くのを止めると、数歩先で振り返ったエミリーが訝しげに首を傾げながら歩み寄ってくる。
手足が震えている、ゆっくりと自分の体を抱くと全身が小刻みに震えていることに今更気付いた。
分かっている、自分を誤魔化すつもりはない。
”魂が震えた”
「先輩、具合が悪いんデスか?ど、どうして笑ってるんデスか?とりあえずメディカル・ルームでドクターに見てもらいましょう!」
エミリーが心配して顔を覗き込んだようだが、どうやら俺は無意識に笑っていたらしい。
「大丈夫だよ、体調は問題ない。それよりエミリー、君にお礼を言いたい。」
「え、あの、どういたしまして?急にどうしたんデスか?本当に大丈夫なんデスか?」
状況の急激な変化についていけないようだが、慌てているエミリーもかわいい。
とにかく今はMRだ、こいつは間違いなく俺の人生を変える。
「ああ、心配させてすまなかった。MR開発のオフィスに連れて行ってくれ。」
●
MR開発オフィスでは開発責任者のスミスさんから色々な話を聞けたし、試験機の体験もさせてもらえて充実した時間を過ごせた。
年甲斐もなく子供みたいにはしゃいでしまい、スミスさんとエミリーには生暖かい目で見られたりしたけれど、MRの可能性を実感できたし、何より予感が確信に変わって決心がついた。
因みに、スミスさんは仕立てのいいオーダースーツをビシッと着こなしたナイスミドルでナイスガイ、十数年後はこんなかっこいいオヤジにないたいと思える人だった。
「スミスさん、本日は貴重なお時間を割いていただき、ありがとうございました。」
「気にする必要はないよ。むしろ、我々のプロジェクトにここまで興味を持ってもらえたことで成功に確信が持てた。こちらがお礼を言いたいくらいさ」
いやー、スミスさんかっこいいなー、ウインク決めたらそれがまた似合うのなんのって、いい年の取り方してるよね。
●
MR開発オフィスの退室し、エミリーと歩いた廊下を一人で戻る。
エミリーとスミスさんは、AIとMRの相乗効果について考察とミーティングをするそうなので、俺は自分のオフィスに戻ってやるべきことをやる。
「HEY!ユータ!こんな短時間でエミリーに振られたのか?奢るから飲みに行こうぜ!」
「後で二人の話を聞かせてね!」
「パック、キャシーも茶化すなよ」
一人で戻って来たのを見てチームメイトがからかってくるが、申し訳ないが今はそれどころじゃない。
適当にあしらってジェームスのもとへ足を運ぶ。
「BOSS、お話ししたいことがあります」
「どうしたユータ、すっきりした顔をしているじゃないか」
「はい、ご心配お掛けしました」
「問題が解決したならそれでいいさ、それより座るといい。礼を言いに来ただけじゃないんだろ?」
来客用の一人掛けソファーに腰を下ろすしたタイミングで、ヴァネッサが二人分のコーヒーを持って来てくれた。
俺の分だけミルクたっぷりのカフェオレになっている。
やっぱりできる女だな。と思って視線を送ると、パチリとウインクを残してジェームスのオフィスから出て行った。
…惚れてまうやろ。
ジェームスは俺をまっすぐ見ているが、その表情は包み込むように柔らかい。
俺は不安な気持ちを吐き出すように、両手で包むように持っているマグカップから立ち上る湯気に息を吹きかけた。
カフェオレの甘い香りと一緒に息を吸い、告げる。
「退職します」
「理由を、聞こうか」
「BOSS、覚えていますか?俺は冒険者です。そして表現者になりたい」
「忘れるものか。あの時、面白い男だと思ったから部下にするために君を採用した。面接まで辿り着く時点で優秀なのはわかっている、ならば、共に働いた時に面白い人物がいい。君は面接官を笑顔で馬鹿にしてのける男だからな、あんな経験は人生であの一度きりだ」
やばい、ばれてた、しかも覚えてた。汗が止まらないし、笑顔が怖い。
なんでこのタイミングでカミングアウト?想定外すぎて頭が回らないんですが?
俺が蛇に睨まれた蛙みたいに固まっていると、ジェームスはフッと小さく息を漏らした。
「HEYユータ!堂々としたまえ、君らしくない」
あなたのせいでーす、とは流石に言えない。
「ある程度予想はしていた。君がここを飛び立つ日が来るとね。戻って来た時の顔を見て確信したよ、今日この日だとね。いい顔をしている」
「お心遣い、感謝します」
「BOSSとして当然のことをしたまでだ。エミリーも礼は言ったかい?」
「もちろんです、彼女は暗く長い洞窟で迷った先に見つけた光のようでした」
「結構。ところで、これから何をするか聞いてもいいかな?」
「ダンジョンを作ります!」
………………
「What?」
ジェームスの間抜けな声が静かに響いた。
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