2-4
今回はちょっと長いです。そしてそろそろ編集してる私の精神が崩壊してきた。辛い。
記憶が無い。
昨日の記憶が無い。無いというより、思い出せない。思い出そうとしてくれない。
昨日俺の歓迎パーティに出向いたところまでは覚えている。だが、その先の記憶が吹き飛んでしまっている。パーティで何があったか、俺の身に何が起こったのか、その一切がはっきりしない。気付けば俺は家で毛布にくるまっていた。瞳からは止めどなく涙が流れ、体の震えが止まらなかった。俺はそのまま寝落ちた。
朝起きた俺は昨日の出来事を全て悪い夢だと決めつける事にした。人はストレスを感じていたりして精神状態が不安定なとき、とても怖い夢や現実味を帯びた夢を見ると聞いた事がある。その類であろう。そうに違いない。
「顔色悪いけど大丈夫か?」
父にも心配されたが、俺は転校の疲れが残っているだけだと出任せを言ってお茶を濁した。逃げるようにして家を出る。学校へと向かう足はとても重かった。
教室までの道のりはある程度覚えていた為、迷う事は無かった。またその時知った事だが、男子と女子、そしてオカマは昇降口が分けられているようだ。校門を入ってすぐに道が三つに分かれており、それぞれの校舎へと続いている。他の生徒が友達と談笑しながら各々の道へと進んでいく中、俺は周りから顔を見られないように下を向きながらオカマクラスへと続く中央の道を歩いた。とにかく早く教室に身を隠したかった俺は、早歩きで昇降口へと向かった。
教室に着くと、既にクラスの全員が机に座っていた。俺は首を傾げた。そんなに遅く登校した覚えはない。むしろ早めに家を出たくらいだ。だというのに、これではまるで俺が遅刻したみたいじゃないか。
オカマ達が挨拶してくるのを無視して自分の席に座ると、俺は隣にいる天使、もといスイレンに事情を訊いた。彼は俺を見て少し顔を赤くしながらも、分かりやすく答えてくれた。
「ほら、僕達ってやっぱり周囲から見ると少し浮いてるじゃん。昔は他の生徒と同じ時間に登校していたんだけど、それだと気味悪がられたり石を投げつけられたりしたんだって。だから普通の登校時間よりも一時間早めて学校に来るようにしようって決まってるんだ。早めに学校に来て、学校でメイクなり着替えなりしようって。あ、でも朝のホームルームは早まってないよ。早朝登校は自主性だからな」
「そうだったのか」
「早起きは三文の得って言うしね。健康にも良くってメイクも時間を掛けて出来るし、何より朝練する男子生徒を見ることが出来るから評判良いよ」
そんな情報はいらない。
「だけどそれなら、昨日の内に教えておいて欲しかったな……」
昨日登校時間が早まっている事を知っておけば、今朝周りの学生の視線を意識する事も無かったのに。俺は溜め息をついた。
「一応昨日の帰りに姉御が言っていたんだけど」
「ごめん、昨日の記憶が曖昧なんだ。パーティに行ったところまでは覚えているんだけど……」
「え、覚えてないの?」
驚いた声を上げたのはスイレンだった。その表情には少しだけ怒りが含まれているように見えた。
「へえ、覚えてないんだ、へえ」
というか明らかに怒っていた。理由が解らず、俺は狼狽してしまった。
「え、なんでそんなに怒っているんだよ。昨日俺が何かしたのか? そりゃあ抱き締めたりしたけど、その時は全然怒ってなかったじゃないか」
「あなた、本当に覚えてないのね」俺が慌てふためいていると、横合いからラ・フランスが声を掛けてきた。「スイレンの唇を奪っておいて良くもまあ記憶を無くせるわねえ」
え。
……へ?
俄には信じられなかった。口を開けたまま信じられないといった表情でラ・フランスを見ると、彼は自分の発言を肯定するかのように一つ頷いた。
閉ざされていた記憶の蓋が徐々に開いていくのが分かった。忘れていたはずの昨日の出来事が、どろどろの記憶の海から析出してくる。断片的なそれらは着実に一つの物語を作っていった。大量のオカマにフレンチキスを強要される、阿鼻叫喚の物語だ。
必至に抵抗する俺の口の中をオカマ達は蹂躙していく。ラ・フランスとスイレンを除いた全クラスメイトとのキスが終わった頃、俺は口の中にこびり付いたオカマの唾液に犯され正気を失っていた。焦点の合わない瞳に涙を浮かべる俺を心配したスイレンは俺に声を掛けてくれた。どうかしていたのだろう、フレンチキス騒動の諸悪の根源たるスイレンを見た俺は、報復と言わんばかりに彼へと接吻した。勿論フレンチキスだ。
即座にラ・フランスの止めが掛かったが、彼の唇を奪うには遅すぎた。既に俺は彼の口内蹂躙を済ませてしまっていた。今でも鮮明に思い出せる。彼の柔らかい唇、小さい舌、赤らんだ頬、うっすらと涙を溜めた瞳、そして蹂躙が終わった後の罪悪感。
全てを思い出した俺は震えながらスイレンの方を向いた。彼は顔を赤くして、そっぽを向いていた。心なしか頬を膨らませている。なにこれ可愛い。
「……あの、スイレン?」
彼は俺を一瞥したあと、バツが悪そうな顔で黒板の方を向いた。
「別に怒ってないよ。言い出しっぺは僕だしさ。……でも一言言って欲しかったな。僕だって、初めてだったのに……さ」
天使かよ。
髪を指でいじりながら恥ずかしそうに呟くスイレンの姿に感極まった俺は、彼の肩を強引に掴んだ。突然の事にスイレンは目を丸くしてしまっている。
「本当にすまなかった、スイレン。責任は俺がちゃんと取る」
スイレンの為なら、薔薇が咲いたって構わない。
「え、は、せ、責任?」
訳が解らないといった顔をするスイレン。そうだ、彼は清純なのだ。だからこそ教えなくてはいけない
ことがある。
「スイレン、良く聞け。男はな、キスをすると赤ちゃんが――」
「――セクハラ、ダメ、ゼッタイ」
だがしかし、俺がセリフを言い終わるより先にラ・フランスの天誅が俺の頭部に炸裂した。容赦無い手刀が俺の頭蓋を揺らす。一拍遅れて襲い掛かる鈍痛を手で擦って宥めつつ、俺はラ・フランスを上目遣いに睨んだ。彼は俺の視線を無視してスカートのポケットから一つのパンフレットを取り出し、俺へと差し出した。一枚の大きな紙を折り畳んで小さくしたタイプのパンフレットである。訝しみつつそれを受け取る。広げると、それは校舎の見取り図であった。
「これは?」
「本当は昨日しようと思ったんだけどあの有様だったからねえ。見ての通り、この学校の案内図よ。放課後とか暇な時間にでもそれを見ながら探索してみなさい。主要な移動教室とかは印付けておいたから、よく見ておくのよ」
「……成る程」
授業で使う場所なんてクラスメイトについて行けば自ずと分かるものだが、俺自身が知っていても損は無い。特にこの学校は私立だからなのか校舎が前の学校よりも広いから、それに慣れる事も重要かもしれない。俺は早速その見取り図へ読み掛かった。
「辛抱強く探せば、ボーナスステージとかもあるかも知れないわよ」
図と睨めっこを始めた俺を見たラ・フランスは満足気味に俺の頭を軽くタップすると、そう言い残して去って行った。
だがその足が、鎖に縛られてしまったかのように途中で止まった。
何事かと彼の顔を覗き込む。彼の視線の先を目で追うと、とても筋肉質で大柄な男が椅子に座っていた。一体いつからそこにいたのだろうか、彼の存在に気付いた周囲のオカマが彼から離れる様に距離を取った。
椅子に座る大男は黒板の方を向いたまま微動だにしない。その頭にはクワガタを連想させるかぶり物が装着されており、筋骨隆々な全身は黒い網タイツによって縛られている。黒い女物の下着を着けているため秘部が晒される心配は無い。無いが……。
よく見なくても分かる。こいつは変態だ。それも、超が付くほどの。
「――みーん、みーんみんみん、みんみん」
暫く動かない大男を眺めていると、不意に男が鳴きだした。
「みーんみーん、みーんみん」
まるで似ていないミンミンセミの鳴き真似に、場の空気が凍り付く。
暫く鳴き真似を続けていた男は、気が済んだのか口を閉じた。そして緩慢な動作でこちらへと顔を向ける。化粧の施された形の良い顔が俺を見て、にこりと笑った。
「アナタ、お名前は?」
「……え、俺?」
大男の突然の問いに戸惑いそう返すと、男はこくりと頷いた。
「えっと……今年度転校してきた尾鎌ミズキ、です」
「ミズキ……とても良い名前ですわね」
ですわね。その特徴的すぎる語尾に俺が違和感を感じる暇も無く、男は畳み掛けるように話し掛けてきた。
「アタイの名前はヘラクレスオオクワガタ、通称ヘラちゃんですわ。趣味はセミの鳴き真似、好物は男の子、最近この近辺に引っ越してきた名も無きニューカマーでしてよ」
「ヘラ……セミ……?」
情報とインパクトが大きすぎて処理しきれなくなった俺はラ・フランスの方を向いた。彼は俺の視線を感じたのか、ヘラクレスオオクワガタと名乗る男から目を離さずに答えた。
「彼はヘラクレスオオクワガタ。時折この学校に顔を出しては男を食べて帰っていくオカマよ」
「男を食べる……?」
「気に入った男であればオカマでも一般生徒でも構わずに夜這いを掛け、色仕掛けで堕とすのよ。その手さばきたるや恐ろしく、既に何人ものオカマが兄さんによって新天地を開拓されてしまったわ」
「表現がえげつないな」
「とにかく、彼はこの学校で一番の危険人物なの」
目の前で危険人物扱いされたヘラクレスオオクワガタは、やれやれと肩を竦めた。
「実の姉に向かって危険人物とは……低くなったのは声だけではないようですわね」
「え、姉!?」
突然明かされる衝撃の真実である。
「今日は転校生とお話がしたくってここへ来たんですの。宜しくて?」
「止めたって強行するくせに……」
ラ・フランスは嘆息すると、一歩引いて俺への道を空けた。ヘラクレスオオクワガタはにこにこしながら俺の方へと歩み寄って来る。迫り来る壁、押し寄せてくる筋肉の塊。その身長は軽く見積もっても二メートルはあるだろう。
「ごきげんよう、ミズキ」
「ご、ごきげんよう」
間近に来ると、その威圧感も倍増する。立っているだけで感じる彼の重圧に、俺は倒れそうになる足に喝を入れて耐えた。
「突然ですけれど――」
「え?」
「――カナカナカナ、カナカナカナカナ」
「……え?」
何かいかがわしい事でもされるのでは無いかと身構えていた俺に掛けられたのは、唐突すぎるヒグラシの鳴き声だった。何故。何故このタイミングでヒグラシなんだ。
……まさか。
「それ、ヒグラシ?」
「ツクツクボーシ、ツクツクボーシ、ツクツクボーシ、ジー」
「ツクツクボウシ」
「ジージージージージー」
「クマゼミ」
「凄いわ! アナタ天才ですわ!」
「え、えー」
よほど鳴き声を当てられた事が嬉しかったらしく、ヘラクレスオオクワガタは瞳をきらきらさせながら俺の手を握った。そのまま俺の事を天才だの何だのと褒めてくるが、たかがセミの鳴き声を三匹当てた程度でここまで褒められるもの気が引ける。
「アタイは最高の友を見付けましたわ! 今日は満足したのでもう帰りますわ!」
言うや否や、彼は高笑いしながら踵を返してしまった。しかし数歩歩いたところで何かを思い出したようにこちらを振り返った。
「セミ博士のアナタに特別サービスですわ。アナタ、とても危険な香りがしますの。きっと波瀾万丈な人生が待っているのでしょうね。でもくじけないで。救いの手は、必ず何処かにあるから」
そんな思わせぶりな発言だけを残して、彼は去ってしまった。
俺が彼の言葉の真意を知ることになるのは、もう少し先の事であった。