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もう、限界だった。体も心も限界だった。
現在、俺はラ・フランスによってオカマクラスへと連行されている。手を引かれているわけでもないが、もう逃げる気力も無かった。しかもさっき下手に逃げたせいで本当のことをいうタイミングを完全に逃してしまった。
「さあ、着いたわよ」
ラ・フランスの声で顔を上げると、そこには一見して普通の教室の扉があった。扉の上にはO―1という札が掲げてある。ああ、ついにここまで来てしまったのか。もう溜め息すら出ない。恐らくその時の俺は、人生で一番生気の無い顔をしていただろう。
無慈悲にも扉が開かれる。内装も一般的な教室と変わりは無い。ただ私立であるからか新設されたクラスだからか、調度品はどれも真新しい輝きを持っていた。無造作に置かれた黒板消しですら、今の俺には眩しすぎる。
ラ・フランスに背中を押され、俺は教卓の前へと立たされた。そこにいるはずの担任教師の姿は無かった。勝手に黒板へと俺の名前を書き出すラ・フランスにそれを訊くと、
「ああ、担任の先生はもう職員室に帰ってしまったわよ。殆どこのクラスに顔を出してくれないのよね。だから、ホームルームとかは大体全部アタシが仕切っているのよ」
それはそうだろう。俺が教師だったら同じ事をしているさ。
だって、教室中、見渡す限り、セーラー服姿の厚化粧男しかいないんだからな。
しかも公害はそれだけに留まらない。大人しくしていれば視覚を汚染する程度で済む彼等だが、相当俺の存在が嬉しいらしく、先程からキャーキャー喚いてうるさいのだ。あと教室全体が香水臭い。
「さ、早く自己紹介して」
そう促され、俺は出来る限りオカマを見ないように少し上を見上げて自己紹介をした。
「お、尾鎌ミズキです。……これから、よろしくお願いします」
言い終わると同時に、教室内が歓声に包まれる。何故だろうか。ただ「これからよろしくお願いします」というだけなのに、息が切れる程に疲れている。耐えきれない。吐き気がしてきた。
「あなたの席は窓側の列の一番後ろよ。間違えないでね」
示された席に大人しく座る。クラス中から本当に凜々しいだの、女の子に見えないだの、散々な言葉が飛び出しているが、俺はそれを全て無視した。
「さあ皆、ミズキくんにご挨拶するのは後よ。パーティ会場に急ぐわよ」
ラ・フランスがそう一声掛けると、オカマ達は立ち上がって廊下へと向かった。てっきり多数のオカマに囲まれると警戒していた俺は肩すかしを食らってしまい、彼等が移動する姿をぽかんと口を開けて眺めていた。パーティとは如何に。
そうやって呆けていたら突然後ろから肩を叩かれた。またラ・フランスか、そう嘆息しながら振り返ると、そこには一人の天使が立っていた。
襟首辺りまで伸びた黒髪は艶があり、輪郭の丸い童顔には長いまつげの瞳が埋め込まれている。学ランを着ているため体格は予想しづらいが、おおよそ細めの体付きをしている少年だった。
そう、学ランを着た男子高校生だった。
「うおおおおお、おおおおお!」
「うわっ」
この学校に入ってきて初めて出会ったちゃんとした男子に興奮を隠せず、俺は名も知らぬその男子に抱きついた。想像していたとおり、体は細い。だがそれでも構わない。
男、男だ。やっと自分と同じ人に出会えた。絶望に浸された我が心に一筋の光が差し込んだ瞬間だった。もうホモでいいやとさえ思った。それ程に嬉しい出会いだった。
「男、おとこ、をとこおおおおお!」
「どうしたんだミズキくん、落ち着いて、止めて、離して、ああそこ触らないで!」
「えい」
首筋に強烈な手刀を喰らった俺はその場で倒れ伏してしまった。我に返って振り返ると、呆れた顔をしたラ・フランスが立っていた。先程の男子は顔を上気させてラ・フランスの背中に隠れてしまっていた。
「何をしてるのよあなた」
「やっと自分と同じ人間を見付けられたんだ。邪魔しないでくれ」
「同じ人間って、僕の事?」
天使が自分の事を指したので、俺はそれに首肯した。
「君、男だろう?」
「え、あ、うん、僕は男だけど」
「ほらみろこの子は男じゃないか。俺と同じじゃないか」
ラ・フランスは眉間の辺りを指で押さえて溜め息をついた。その後頭を掻くと、俺達を横目に廊下へ出ていった。去り際、良いから早く会場に来なさいよと言い残していった。
「そういや、なんでパーティなんだ?」
ある程度熱が冷めて天使から離れた俺は、ふと疑問に思い彼へと問いかけた。彼は笑って答えてくれた。
「そりゃあ、皆転校生が嬉しいからさ。オカマクラスに転校してくる人なんて珍しいからね。あ、そう言えばまだ名前を言えてなかったね。僕は鳥換スイレンっていうんだ。君の隣の席に座ってるから、これから宜しく」
スイレンか。麗しい名前だ。
「会場の場所は僕が案内するよ。ついてきて」
彼は微笑みながら歩き始めた。俺はその後ろをついて行く。会場はこの教室の一階上にあるらしく、さほど距離はないと彼は語っていた。
男子と出会えてすっかり上機嫌になっていた俺は、パーティ会場へ向かう短い時間に彼へと色々質問を飛ばした。知らない事が多すぎたし、何より、彼と沢山話がしたかった。スイレンと名乗る彼は嫌がる素振りも見せず律儀に質問に答えてくれた。
その中で特に衝撃的であったのが、ラ・フランスについてであった。
「僕も詳しくは知らないんだけど、何でも、あの人はここの学長さんの息子……娘らしいよ」
黒光山高校の学長といえば、編入試験の時のあのおじさんではないか。何とも気の毒な話である。手塩に掛けて育てた息子が今ではあの有様なのだ、心労絶えないだろう。
「じゃあ、この学校にオカマクラスが出来たのって」
「うん。本当のところは分からないけど、噂じゃあ自分の息子……娘の為を思っての事じゃないかって言われてるよ。まあそのお陰で僕達も悠々と学園生活を送れるわけだし、姉御には感謝しないとね」
息子で統一してくれ紛らわしい。
「今回のパーティだって姉御の権力あってこそだしね。本当、今のオカマクラスは姉御の力で出来上がっているものだから、誰も頭が上がらないのさ。人柄も良いしね」
「パーティに権力が必要なのか?」
「それはあれだ、実際に会場を見てから決めると良いよ。ほら、着いたよ」
スイレンがとある教室で足を止めた。そこは一見する限り至って普通の教室だった。スイレンがその扉を勢い良く開けると、その瞬間、待ってましたと言わんばかりに大量のクラッカーが鳴り響いた。一拍遅れて、俺に色とりどりのリボンの雨が降り注ぐ。突然の事に呆然とする俺をよそに、教室にいたオカマ全員が一斉に声を張り上げた。
「転校、おめでとう」
事態がうまく飲み込めなかった俺は。阿呆のように口を開けていることしか出来なかった。