1-5
第一話はこれにて完結。改行位置を少し修正していますが、それでも読みにくかったらごめんなさい。
現在地、新しくなった我が家。
新しい家は前より少しだけ広くなっている。俺としては自分の部屋があればその他は気にしないが、父はリビングが広くなったことを喜んでいた。広さはあるに超したことはない、そんなことを言っていた気がする。
だがしかし今ではその広さが仇となっている。荷物の整理も出来ていない段ボールが積み上げられたけの広い空間は、悲壮感を引き立てるには充分だった。俺達はただただ無言で家に帰宅し、茶を啜り、椅子に座り、そして頭を抱えていた。
詰まるところ今回は父が全面的に悪い。何もかも父が悪い。
自分自身、まだ状況整理が出来ていない。想定外の事態が起きすぎて脳内処理が追いついていないのだ。良い機会だ。今、少し順を追って整理しよう。
まず、黒光山高校についてだ。あの学校は昨年から教育改革があり、学校の内面ががらりと変わった。その改革に反対するものも多かったようだが、あくまで試験的にという校長の妥協案が通り、学校は創立してから初の大改革を実行した。
それは多様な価値観、自己性が形成される思春期における学生の性についてである。昔では考えられない事ではあるが、近年肉体的な性を超越した存在――通称オカマやニューハーフと呼ばれる存在が増えている。その話は長くなるからまた今度にしよう。
とにかく、黒光山高校ではそういった新しい価値観も取り入れて男子、女子の他に新しくオカマだけを集めた男女組を設立させたのだ。それに伴って共学のシステムも変え、性によって教室を分けるという異例の措置を取った。
校舎内には男女どちらもいるが実質的には男子校と女子校のようになってしまっているのだ。A棟に男子、C棟に女子が詰め込まれ、お互いに接触の無いまま学校生活を送る。B棟にはオカマが集められている為そこを通りたがらないらしい。女子の親からは賛成票が多かったが、男子生徒からの批判は凄まじかったらしく、集団ボイコットなども行われたらしい。物騒な話である。
後の誤解を少なくするために、もう少し掘り下げて説明しよう。男子と女子は一学年四クラス、それが一年から三年まである。それに加えて男女クラスが一つだけある。男女クラスは人数が少ないため全学年合同のクラスになっているらしく、制服も校則も独自のものとなっている。後から知った話だが今年は新入生がいなかったため、一年生は存在しないらしい。
そして話は我が家に戻る。いくら学校にオカマ専用のクラスが出来ようが、男である俺がそこに行く道理にはならない。その常識を打ち砕いたのが、俺の父親である。あろう事か学校へ送る書類を酒に酔った勢いで作ってしまったらしい。その際証明写真として俺の中学生の頃の写真を選んだのだ。それも友人との悪ノリで撮った、女装した俺の写真であった。
父の帰宅時俺は既に寝ていたためそれを知る由もなく、父も朝起きたときには昨晩の記憶――どうやら転勤ということで、上司と送別会をしており酔い潰れたらしい――がすっぽり抜けている状態であったため、今に至るまで二人共それに気が付かなかったのだ。
運の悪いことに、学校側は女装した俺の写真を見て俺を男女クラス編入希望者と受け取ったらしく、その方向で手続きを続けてしまった。俺達は俺達で届いた書類をきちんと確認せずに放っておいてしまった。
そして、現在に至るわけだ。
「あー」
現状を再確認した途端、魂の抜けた声が自分の口の端から漏れた。
「済まん、本当に済まん」
父はずっとそう言って机越しに俺へと頭を下げている。俺は結露の浮いている麦茶のコップを傾けた。冷たい液体が喉を滑り落ちる。
「あー、もう良いよ。それより別の学校を探さなくちゃ。ここいらで他に転校できる学校を探さなくちゃいけない。今父さんがすべきはそれだ」
「それなんだが」父は渋い顔をした。「既に調べたんだ。だが……」
「だが?」
「どこも無かった。この地域で編入出来る学校は黒光山高校しかないんだ」
俺は麦茶の液面に映る自分の顔を覗き込んだ。死んだ魚のような目をしている。
「面白い冗談だね……冗談だよね?」
「いいや、真実だ。でなければあんな馬鹿高い私立を転校先にしないさ。あそこ、私立の中でもお金が掛かるって有名なんだ」
「…………じゃあ、どうするんだよ」
父は一瞬言葉を詰まらせたが、少しして吐き出すように呟いた。
「黒光山高校に行くしかない。でないと、高校中退になってしまう」
その二択は、俺にとって絶望でしかなかった。
俺はがっくりと項垂れて長い溜め息をついた。その時、テレビからオカマという単語が聞こえたような気がした。その単語に引きずられるようにして首をテレビの方へと回す。バラエティー番組の一環として、最近増えてきているオカマについて特集した一部だった。
そうである。近年、特に若者の間でオカマが密かなブームとなっている。肉体を超越した心の性を露わにした姿をしたい、異性の恰好をする若者は揃ってそう口にする。街を歩いていてもそういった輩を見ることが増えてきた。
その発端は今から十年以上前ののニューハーフコンテストの優勝者、伝説の釜ことネロ・クライデスである。中性的な顔、男とも女とも取れる声、美しい容姿からニューハーフ界の生ける伝説とまで揶揄された色々ととんでもないオカマであるが、彼がその授賞式で放った一言が世界を大きく動かしたのだ。
「肉体に縛られてはいけない。我々は皆美しい心を持っている。そして、我々は己の心を表す事が出来るはずです。自分のありたいように生きるのです。喩えそれが肉体の性と異なっていようと、あなたの心に従うのです」
その鶴の一声に民衆は立ち上がり、己の心を剥き出しにし始めた。しかしそれと同時にネロはニューハーフ界から忽然と姿を消した。当時はネロの神隠しだの何だの話題になったものだが、次第にその熱も冷め、今ではネロの姿を追う者もいなくなった。
「そうだよ。大体父さんがあんな事言わなければオカマだって増えなかったし、オカマクラスだなんて頭にウジが湧いたような発想だって生まれなかったんだ。全部父さんが悪い」
「そこまで掘り下げるのか」
――そしてとても不幸なことに、伝説の釜ネロは俺の父親を兼任していたりする。
俺は溶けて小さくなった氷ごと麦茶を全部口へと流し込み、強引に飲み下した。喉が冷える。空になったコップを机の上に置いた俺は自分の部屋へと足を動かした。父は止めなかった。
「色々疲れた。寝る」
それだけ言い残して、俺は少しばかり強めに部屋の扉を閉めた。
実際にそのまま寝てしまった俺の体は普段の睡眠リズムが崩れてしまったのか、深夜の三時辺りに目が覚めた。寝間着にすら着替えず布団に潜りこんだ為服がよれよれになってしまっている。寝違えたのか、首が少し軋む。首を手でさすりながら俺は布団から這い出て、欠伸を噛み殺した。せめて寝間着には着替えたい。出来れば風呂に入っておきたかった。
尿意を覚えた俺は眠気の残る目を擦りながら部屋を出た。リビングは人気が無く真っ暗だった。まだ夜は寒い。俺は寒さに震える自分の体を抱きながらトイレへ向かった。
用を足した後、台所で水を一杯飲んだ。コップを流しに置き、大きな欠伸をしながらベランダに通じる窓へと歩いた。カーテンを少しだけ開ける。窓の外には街灯で照らされた街と、その上で寂しそうに輝く月があった。俺はしばらくその夜景を眺めていたが、体の寒気が限界に達したため体を震わせながら自室の布団にくるまった。