第6話 「明日から夏休み。」
「全員、通知表は受け取りましたか?」
多少のざわつきが絶えない教室で、平原先生がいつもより少し
声を荒げながら言う。
先生が教壇に立っている時、いつもなら教室内はもっと静か
なのに、今日はそんな空気はどこにもなかった。
みんなが浮かれるのも無理はないと思う。
外では太陽が高々と昇り、燦燦と照っている。
気温はきっと三十度を上回っているだろう。
おかげで蝉もあちこちで鳴いている。
――明日から夏休み――
初めての通知表は、まだ多くの箇所に空欄があって、新鮮だった。
ひと通り目を通していると、チャイムが鳴った。
「それではみなさん、良い夏休みを過ごしましょう。」
そう平原先生が言うと、教室中は一斉に騒ぎだした。
今日は午前中で学校が終わりになるので、午後から遊びに行く
話し合いをみんなしているんだろう、などど思いながら、
私は荷物を整理した。
「理子ー。」
朋ちゃんが由美ちゃんとさやかといっしょにやってきた。
朋ちゃんと同じ吹奏楽部の仁科さやかは、朋ちゃんが”同じ部活
なの”と話してくれたことがきっかけで仲良くなった。
「これからみんなで遊びに行こうって話してたんだけど、理子も
行くでしょ?」
朋ちゃんが言った。
「ごめん、私これから部活なんだ。」私は言った。
「え、理子ちゃん部活なの?残念ー。」と由美ちゃんが言う。
「せっかくみんなで盛り上がろうと思ったのに。」
と言ったさやかは、”サボっちゃえ”とまで言ってきた。
「コンクールとかあって、課題がいっぱいあるんだよね。」
私が言う。
正直、みんなと遊びに行きたかった。
だけど、八月の中旬が締め切りのコンクールに出品する予定の
絵の出来が、全くと言っていい程進んでいなくて、まだ下書き
さえもしていない状況だった。
他にも、夏休みの課題として描かなければいけない絵もある。
夏休み中に集中してやろうとも思ったけど、この炎天下の中、
頻繁に学校に通うのは嫌だった。
それに、なんといってもせっかくの夏休み。
それを絵ばかり描いて過ごすのはごめんだと思い、終業式の
午後はそっちを優先しようと前々から決めていた。
「ホントごめん。その変わり夏休みはいっぱい遊べるから。」
「海とか行きたいよねー。」さやかが言った。
「私水着持ってないよ。」と朋ちゃん。
それから私達は、どこへ行きたいとか、何がしたいかなどを
話し、その中のいくつが実行されるかわからないが、最終的
には”メールするから”という一言で収められた。
「じゃあね、理子。部活頑張ってね。」と朋ちゃんが言った。
「うん、ばいばい。」
手を振って私はみんなと別れた。
家から持ってきたお弁当で昼食を済ませ、私はそのまま美術室
で時間を費やした。
やっとの思いで何とか下書きだけでも完成させると、私は
「ふーっ」と大きく息を吐いた。
時計を見ると四時三十分だった。
初めは何人かいた美術部員も、ひとりふたりと帰っていき、
気づけば自分だけになっていた。
私は道具を片付け、描きかけの絵を邪魔にならないように端に
避けて美術室を出た。
鞄を教室に置いたままにしていた。
教室までの廊下や階段はどこもひっそりとしていて、生徒の気配
がほとんど感じられなかった。
まるで朝の学校みたい・・・
教室に入ると、ポケットに入れていた携帯のバイブがブルブルと
鳴った。
さやかからメールが来た。
『理子、部活終わった?私達これからご飯食べに行くんだけど、
理子も行かない?』
私はすぐに返信した。
『ありがとう、もちろん行くよ。』
さやかからみんなとの待ち合わせ場所を聞くと、私は自分の家に
電話をかけた。
家の電話にはお母さんが出た。
=これから友達とご飯食べに行きたいんだけどいいかな?=
=いいけど、あんまり遅くならないように帰ってくるのよ。=
電話の向こうでお母さんが言った。
私は「わかってる」と言って電話を切った。
机の横の鞄を取り、携帯を押し込めていた時だった。
「ガラッ。」
教室の扉が開いた。
私は視線をやった。
室岡くんだった。
「あれ?」と室岡くんは言った。
「佐倉、まだいたの?」
私への呼び方は、いつの間にか”佐倉”になっていた。
「うん、部活だったから。」
室岡くんは”そっか”と言うと、ゆっくりと歩き出した。
「室岡くんこそどうしたの?」私が聞く。
「あぁ、さっきまで部活だったんだけど、なんか財布忘れた
みたいで・・・」
そう言うと、彼は自分の机の中を手で探った。
「お。あったあった。やっぱここだったか。」
ほっとしたような様子を見せて、室岡くんは財布を、持っていた
鞄の中にしまった。
「見つかってよかったね。」
私は言った。
「っつーか気づいてよかった。この後メシ食いに行くのに、それまで
気づかなかったらかなりヤバイことになってただろうし。」
そうだね――と私は言った。
「それじゃあ私はこれで。」
そう言って、私は鞄を手に教室を出ようとした。
「あ、待って。」
彼の一言に、ピタリと足が止まった。