第27話 「君とふたりでどこまでも。」
室岡くんの背中に寄り掛かりながら、遠ざかっていく景色を
ただ見ていた。
私達は、駅から大分離れた河川敷を通っていた。
背中から伝わる室岡くんの体温、川の水音、そして横切る風が
涼しくて、とても心地が良い。
室岡くんはひたすら自転車を漕ぐ。
私はその後ろにじっと座る。
ふたりの周りだけは、ゆっくりと時間が流れているような気がした。
「気持ちいいね。」
ふと私が言った。
後ろから、”うん。”と答える彼の声が聞こえた。
交わす話はたわいもない、どうでもいいような事。
だけどそんな事に彼も私も笑って、それがとにかく幸せだった。
このまま、室岡くんの漕ぐ自転車に乗ったまま、どこへでも
行きたいと思った。
「あ。」
ふと彼が言って、キュッと自転車が止まった。
「なぁ、坂なんだけど、その座り方じゃ危なくない?」
彼が振り向いて言った。
見ると、なかなか急な下り坂の頂上に自分達はいた。
確かに後ろ向きだと危ないかも――
「そうだね。」と言って、私は一旦自転車から降りもう一度乗った。
室岡くんと同じ向きで座った。
すぐ目の前に彼の背中がある。
「じゃあこれで。」
私は言った。
うん――と室岡くんが言う。
そして、彼の手が自転車のサドル部分を掴んでいた私の手に
触れた。
私の手を掴んだまま、彼は自分の腰へと回させた。
「しっかり掴まってろよ。」
室岡くんが言った。
彼の腰に手を回し、頬が彼の背中に触れる。
どうかこの心臓の音が聞こえませんように――
破裂してしまいそうなくらい、私はドキドキしていた。
ゆっくりと自転車が動き出し、坂道を下る。
最初はブレーキをかけながら、でも途中からは坂の勢いに
まかせて一気に走った。
風がものすごい速さで通り過ぎていく。
「ははっ、すげー。」
彼が笑いながら言う。
つられて私も笑った。
風が気持ちよくて、ふたりは笑いが絶えなくて、とにかく
楽しかった。
私は彼の腰をギュッと掴んだ。
ふたりでいる時間が心地良くて、彼が愛しくて愛しくてたまらない。
――ねぇ、君が好きだよ。――
その気持ちが、この力強く握った手で伝わればいいのに。
こんな時でも言葉にならない。
私の声にならない声は、風に紛れて横を通り過ぎていった。
坂を下り終えても、私たちの興奮はしばらく治まらなかった。
「すっごい早かったな。」
室岡くんが言った。
「なんかジェットコースターに乗ってるみたいだった。」
「この坂、無料で乗れるジェットコースターかも。」
そう彼が言うと、私達はまた笑った。
だんだんと陽も傾いてきた。
「そろそろ帰ろっか。」と言う彼に、私は”うん”と言った。
彼の腰に手を回したまま、私達は帰路についた。
駅前の歩道橋近くで自転車が止まる。
もっと彼といたい――
そんな風に思ったけど、それができないことくらいわかってた。
私は渋々と自転車を降りた。
「すんごい楽しかった。ありがとね。」
私は言った。
「どういたしまして。」と室岡くんが言う。
「じゃあね。」
そう言って私は振り返った。
「あのさ、佐倉――・・」
歩道橋を上ろうとしていた私を、室岡くんが呼び止めた。
「なに?」と言って、私は彼の方を向きなおした。
「・・・・・・」
彼は口を噤んでいる。
「気をつけて帰ろよ。」
そう言って室岡くんは颯爽と行ってしまった。
私は、ずっと胸の奥にあったモヤモヤとしたものが、いつの間にか
無くなっていることに気づいた。
今はただ、室岡くんと過ごしたわずかな時間が楽しくて
仕方なかったことしか思い浮かばない。
室岡くんの笑い声が、笑った顔が鮮明に浮かんで、それだけで
いろんな事が上手くいきそうな、そんな気がした。