第21話 「私のすきなひと。」
今年の夏休みも、私は美術室にいた。
昨年と同じように美術部からいくつか課題が出され、さらに今年は
選択授業の美術からも宿題が出されている。
おかげで私は、暑い中頻繁に学校に通わなければいけなかった。
今美術室にいるのは四人。
塚田くん、朋ちゃん、私、そして室岡くん。
美術の宿題を、せっかくだから四人でやろう、という話が
数日前に持ち上がり、今に至る。
話を聞いた時、室岡くんと一緒にいられることにただただ喜んだ。
けれど実際こうして作業を始めてみると、期待はずれだと思った。
朋ちゃんと塚田くんが、一応手を動かしてはいるものの、延々と
ふたりだけの世界を創っている。
付き合ってまだ間もないから仕方ないのかもしれないけど、傍に
いる私はちっとも集中ができなかった。
時計を見ると正午近くだった。
「私、そろそろ帰るね。」
予定の半分ほどしか進んでいなかった。
でもこれ以上筆を進める気にはなれなかった。
「理子、帰っちゃうの?」朋ちゃんが言う。
「うん、お昼ご飯家で食べるって言ってきたし。」
「そっか。またメールするね。」
うん――と言って私はその場を離れた。
美術室をあとにして、廊下で”ふぅ”と息をひとつ吐いた。
私は階段を下りようとした。
「佐倉。」
突然後ろから声をかけられ、思わずビクッとした。
振り返ると、室岡くんがいた。
「ビックリしたぁ〜。」と私が言う。
「悪い。俺も部活行こうと思って。」
彼は言った。
「宿題はいいの?」
「あんな所にこれ以上いられねーって。」
そう彼が言うと、私は”そうだよね”と笑いながら言った。
私は階段を下りる。
すぐ後ろを室岡くんがついてくる。
私達は下足場へと向かった。
「でもいいよなぁ、あぁいうの。」
ふと彼が言った。
「室岡くんだって彼女いるじゃん。」
「そうだけど、やっぱ学校違うせいか、すれ違ってばっかでさ。」
そう――と私は言った。
下足場で、私達は背中合わせに靴を履き替える。
バタン――と、後ろで室岡くんが下駄箱の扉を閉める音が
聞こえた。
「あのさ。」と室岡くん。
「何?」と私は振り返り言った。
「佐倉はいんの?」
「何が?」
「付き合ってる奴。」
私は”いないよ”と即答した。
ふぅん――と室岡くんが言う。
「じゃあ好きな奴は?」
好きな人に好きな人を聞かれるって、何とも微妙な感じだった。
「いるよ。」
隠したくはなかった。気持ちをわかって欲しいわけでもなかった。
”いない”とは言いたくない。
ただそれだけだった。
「誰?」と室岡くんが聞いてきた。
「内緒。」
私が言う。
そっか――と彼は言った。
「じゃあ俺、そろそろ行くわ。」
そう言って室岡くんは行ってしまった。
彼の遠ざかっていく後ろ姿を、私は玄関で立ち尽くしたまま見てた。
好きな人は、室岡くんだよ――
そう言ってしまえばどんなに楽だろうか。
だけど、それを口に出してしまったら、私達は私達でいられるのだろうか。
今の関係が、微妙な距離がとても心地良い。
それらを崩してしまうことも、壊してしまうこともしたくなかった。
私はまた、室岡くんの後ろ姿に心の中で”好き”と言った。