第2話 「言葉を交わした下足場。」
まだ朝ご飯を食べている最中だというのに、傍に置いていた
携帯の着信音が鳴った。
朋ちゃんからのメールだった。
『理子おはよ〜。古典の現代語訳やってある?もしやって
あったら写させて〜。アタシ今日あたるのー。』
私はすぐにメールを返信した。
『一応やってあるけど、今日国語一限だよ。写す時間ある?』
朋ちゃんはいつも、朝のホームルームが始まる十分か五分前、
ほとんどギリギリで学校に来る。ホームルームが終わるとすぐに
一限なので、正直ノートを写す時間なんてないはず。
”コピーしてから行こうか?”くらい書けばよかった、と私は
携帯の表示画面に、『メール送信完了』の表示が出てから思った。
再び着信音が鳴った。
『大丈夫。今日一本早いバスに乗るから―――』
朋ちゃんはバスで通学している。
『八時十五分前くらいには学校に着けると思うから、悪いんだけど
理子、付き合ってくれない?』
私は再び返信する。
『わかった。じゃあ私もちょっと早く行くね。』
そう書き込んで私は携帯を閉じた。
時計に目をやると七時二十七分だった。
私は急いで残りのパンを口に詰め込んで、ココアで流し込んだ。
ちょっと苦しかった。
「ごちそうさま。」
そう言い終えると、私は傍の携帯を掴んで二階の自分の部屋へと走った。
階段を上っている途中でまたもや携帯が鳴る。
朋ちゃんからの折り返しメールだった。
部屋に入って携帯を見る。
『サンキュー。じゃあ教室で。』
携帯を閉じ、通学用の鞄に押し込めて部屋を出た。
階段を勢い良く駆け下りて、私はリビングに向かった
「いってきます。」
「あら、今日はいつもより早いのね。」お母さんが言った。
「うん。朋ちゃんと待ち合わせてるから。」
そう――とお母さんは玄関で靴を履いている私の後ろで言った。
「じゃ、いってきます。」
「いってらっしゃい。」というお母さんの声を聞いて、私は
玄関の扉を閉めた。
少し急ぎ足で学校を目指した。
学校の校門に着くと七時五十分だった。
生徒が極端に登校する時間帯にはまだかなり時間があったため、
学校の周りは静かだった。
私は玄関を通り抜け、自分の下駄箱の前で立ち止まった。
靴を脱ごうとした時、誰かが玄関から入ってくる気配がした。
「あ。」
口には出さず、心の中だけで私は言った。
例の室岡くんだった。
「おはよう。」
私のものからは少し離れた位置にある下駄箱の前で、靴を脱ごうと
している彼に向かって言った。
「あぁ、おはよう。」
ちらっと私の方に視線をやって、彼は挨拶を返してくれた。
「随分早いんだね。いつもこんなに早く来てるの?」
「あぁ・・・サッカー部の朝練があるから。」
そっか――と私が言うと、彼は踵を潰して内履きを履いた。
「じゃあね。」
そう言うと、体育館のある方向へと歩いていった。
パタッパタッという靴の音を、静かな廊下に響かせていく彼の
後ろ姿を、私はしばらく目で追った。
まだ新しさの残る内履きをしっかりと履いて、体育館とは
逆の方向にある教室へと私は足を進めた。
教室に着くと、朋ちゃんが待ちくたびれたような顔で席に
座っていた。
「理子、遅いよ!!」
「ごめん、これでも急いだんだけど。」
「まぁ朝突然言い出した私も悪いんだけどさ、でも誰もいない
教室にひとりでかなり寂しかったんだから。」
まだ八時前の教室に、私達ふたり以外の声はない。
「じゃあこれ古典のノートね。」
鞄の中から一冊のノートを取り出して、朋ちゃんに手渡した。
”サンキュー”と言うと、朋ちゃんはそそくさとノートを
写し始めた。
私はその隣の席にそっと腰を下ろし、特に理由もないけど携帯を
取り出し適当にいじって暇を持て余そうとした。
ふと隣から朋ちゃんが声をかけた。
「理子、なんか良いことでもあったの?」
一瞬ドキッとした。
「別にないけど、なんで?」
「ん、なんか嬉しそう。」
そう言うと、朋ちゃんはシャーペンを握る自分の手を早めた。
今日はいつもよりちょっと早く学校に来ただけ。
いつもと同じように一日が始まって、いつもと同じように
一日が終わる。
何の変哲も無い日。ただそれだけのこと。
きっとそう。
高校に入学して一ヶ月。
室岡くんとはじめて言葉を交わした。