第10話 「君の彼女と私の恋心。」
八月も終わりに近づき、夏休みも残り数えるほどとなった。
私は、夏休みの課題となっていた美術部の作品を仕上げるため、
朝から学校に来ていた。
「なんか、あんなにたくさんあった割にはあっという間に
終わっちゃったね、夏休み。」
その日は二年生の高梨杏子先輩も来ていて、時折言葉を交わし
ながらもお互い筆を進めていた。
「そうですね。私なんてまだまだ遊び足りないですよ。」
私は言った。
「私もー。でも、来年はそうは言ってられないんだろうなぁ。」
高梨先輩が溜め息を混じらせながら言った。
来年、高梨先輩は三年生。
三年生になれば、夏休みもただの休みではなくなる。
「いいなぁ理子ちゃんは。来年の夏休みも遊べて。」
高梨先輩が言った。
「なんか私、来年今先輩が言ったようなこと言いそうですよ。」
そう私が言うと、ふたりの笑い声が美術室中に響いた。
ねぇ――と高梨先輩がふと言った。
「理子ちゃんは、付き合ってる人とかいるの?」
「いないですよ。」
私は即座に答えた。
「じゃあ好きな人は?」
そう先輩が聞くと、私は少し戸惑った。
「それもいないんですよね。」
すぐに出ると思ってた答えを、私は間を置いて言った。
「えぇー。同じクラスに気になる人とかいないの?」
同じクラス――
笑ってる室岡くんの顔が一瞬浮かんだ。
それがなぜなのか、私にはわからなかった。
「本当にいないですって。」
笑い混じりに私が言う。
高梨先輩はそっか――と言った。
「でもまぁ、まだ入学して間もないし、これからだよね。」
先輩は言った。
課題の絵がようやく完成した頃、時刻はすでに正午をまわっていた。
私はふぅ――と息を大きく吐いた。
「理子ちゃん、完成?」
高梨先輩が聞いた。
「はい、やっと。」
私は椅子の背もたれに体重を預け、クーっと背伸びをした。
「私もこのあと友達と約束があるから、この辺にしとこうかな。」
先輩はそう言うと、立ち上がって道具を片付け始めた。
それに続いて私も立ち上がった。
自分の使った筆を手に取る。
「それじゃあ理子ちゃん、私はこれで。」
画材道具をケースにしまっている私に、高梨先輩は言った。
「はい。お疲れさまでした。」
おつかれさま――と言って、先輩は美術室を出て行った。
高梨先輩が出て行った数分後に、私も美術室を後にした。
階段を下り、下足場へと向かう。
今日、サッカー部はどうしてるのかな――
なんて考えが浮かんだ。
下足場に着くと、自分の下駄箱の扉を開けた。
中から靴を取り出し、床にバタン・と落とす。
私はふと外に視線をやった。
玄関から数メートル先の校門。
そこに、ひとりの男子生徒が立っていた。
それが室岡くんであることに、私はすぐに気がついた。
「あ。」
私は心の中で呟いた。
室岡くんはひとりでいるわけではなかった。
よく見ると誰かと話している最中のようで、時折頷いたり
何かに笑っている様子が見られた。
彼と一緒にいる相手は、校門が陰になっていて見えなかった。
同じサッカー部の人と話しているんだろう――
そう私は思った。
靴を履き替え、内履きを下駄箱に仕舞い扉を閉めた。
室岡くんに”バイバイ”くらい言ってから帰ろうかな―――
そう思い、玄関に向かおうとした瞬間だった。
進もうとした足が自然と止まった。
視線の先は校門――
さっきまで室岡くんしか見えなかったのに、そこに別の学校の
制服を着た女子生徒が加わっていた。
彼女は、室岡くんととても親しげに話している。
室岡くんの肩に触ったり、ワイシャツを掴んだり、そんなことを
繰り返していた。
そして立ち話も飽きたのか、ふたりはどこかへ歩いて行った。
手を握りながら、方を寄せ合いながら――
「そっか。」
仲の良いカップルが見えなくなっても、しばらくその場を見つめて
いた私が溢した。
私は歩き出した。
玄関を通り抜け、校門を潜る。
何も考えず、何も思わず、ただひたすら家までの道を歩いた。
目頭だけが熱かった。
家に着くと、鍵を開けて中に入った。
家の中はシン――としている。
今の時間、お父さんは会社に、お母さんはパートに、中学生の弟の
裕也ひろやは三日前から、所属している野球部の合宿に行っていて
明日まで帰らないため、家には誰もいなかった。
なんだか妙に寂しくなった。
靴を脱いで階段を上がり、颯爽と自分の部屋に入る。
窓を閉め切って出かけたため、部屋には熱気が充満していた。
冷房をつけることなどどうでもよかった。
持っていた鞄を椅子の上に無造作に置き、私は勢い良くベッドに
飛び込んだ。
仰向けに寝転がって、上だけをじっと見つめた。
見えていたのは天井じゃなかった。
室岡くんと、室岡くんと話す女の子。
手を繋いで歩くふたりの姿が、目に、頭に焼きついて離れない。
そして、女の子と一緒にいる室岡くん。
嬉しそうに笑ってた。
愛おしそうに手を繋いでいた。
そんな彼を見るのは初めてで、そんな顔をすることを私は知らなかった。
ただただ彼の姿だけが見えた。
室岡くんのことばかり頭に浮かんで、浮かんで、浮かんで・・・
涙が出た。
室岡くんのことを考えれば考えるほど涙は溢れた。
室岡くん、彼女いたんだ――
――いいなぁ、彼女がいて――
――いいなぁ、彼女なんて――
――いいなぁ、室岡くんの彼女になれて――
ずっと気づかずにいた。気づかないフリをしてきた。
抑えていた感情が、想いが溢れて溢れて止まらない。
好き。
彼が好き。
室岡くんが好き。