第1話 「入学式での君の声。」
「良い声」の定義なんて全くわからないけど、妙に耳に残って響いて・・・
ありふれた言葉を言うだけだったのに、何でもない声だったのに、
何かが違うような気がした。
ただそれだけの事だった――
私は高校一年生になった。
有名大学への進学率が高いわけでも、卒業後の自分の進路に
合わせて選んだわけでもない。
それなりに勉強すれば誰でも合格できて、尚且つ家から歩いて20分
程度で通える、何の変哲も無いただの高校。
志望動機なんてそんなものだった。
入学式を終えて、それぞれのクラスでは最初のホームルームが
行われていた。
クラスの担任になったのは平原先生といって、お腹がぽっこりと
出た中年のおじさん。
でも、笑うと顔に皺が刻まれておじいちゃんみたいに見える、
そんな人だった。
平原先生は簡単な挨拶をして、ホームルームの後に行われる教科書
購入の会場となっている教室への行き方や、翌日以降の日程などを
淡々と説明した。
ある程度のことは、予め配布されていたプリントにも書いてあった。
そのせいか、その時の平原先生の説明は薄ぼんやりとしか耳に
入ってこなかった。
一通り話し終えて平原先生は、自分の後ろの黒板の真上にある
時計を見上げた。
そして「ふぅ」と一息吐くと、時間が余ってしまった、と言った。
「せっかくだから自己紹介でもしましょうか。」
おじいちゃんの顔で微笑んだ平原先生が言った。
今時、しかも高校生になって自己紹介なんて――
きっと同じようなことを考えた人は他にもいただろう。
そんな心の呟きが顔に表れた生徒がいたのか、先生がふと溢した。
「もしかしたら、自己紹介をさせるために神様がいたずらをして、
時間を余らせたのかもしれないしね。」
神様のいたずら――
それは平原先生の最初の教えだった。
「何を言うのか決まっていた方が紹介しやすいね。」
そう言うと、平原先生は手元にあった出席簿を取った。
結果、出身中学校と名前、そして何でもいいので一言、自分の
アピールを言うことに決定した。
「それじゃあ出席番号順に、青木さんからお願いします。」
神様のいたずらにより、自己紹介は始まった。
ひとり、またひとりと自己紹介の順番が回っていく。
私はひたすら自分のアピールについて考えた。
趣味は何だとか、何の教科を頑張りたいとか、先に紹介を
し終えた人達はみんなそんなような事を言っていたので、
そんなものでいいんだと思った。
「――です。よろしくお願いします。」
自分の前の席の人の自己紹介が終わった。
パチパチパチ――と疎らな拍手が広がる。
いよいよ私の順番になった。心臓が少し足早に脈を打つ。
「○○中出身の佐倉理子です。美術部に入ろうと思っています。
よろしくお願いします。」
適当な拍手が舞う中で、私は即座に腰を下ろした。
心臓はまだドクドクと鳴っている。
「ふぅ。」とさりげなく溜め息をつくと、自分の順番が終わった
ことの安堵感に私はしばらく浸った。
心臓が平常の速さに戻るまで、それほど時間はかからなかった。
もともと気は進まなかったけど、言い終えてしまえば何てことはない。
そうしている間にも自己紹介は着々と進み、気がつけば廊下側
からスタートしていた順番は、残すところ窓側の二列だけに
なっていた。
誰もが自分の事を知って欲しくて、趣味や目標を公表している
わけではないと思った。
そんな人も中にはいるかもしれないけど、大半はきっとその場凌ぎ。
自分がそうであるように。
少しずつ終わりへと近づく自己紹介。
窓側から二列目の、後ろから数えて二番目の席。私からは左
斜め後ろの方になる。
その席に座るひとりの少年の順番になった。
「○○中出身、室岡尚志です。中学でサッカー部に入っていた
ので、高校でも続けようと思っています。よろしくお願いします。」
そう言って、彼が腰を下ろす気配が後ろから感じられた。
そして、軽い拍手があちこちから適当に鳴る。
彼の席を、顔を見ていたわけでもなく、ただ正面を向いたまま、
私も周りと同じようなそんな拍手をした。
だけど、自分の左斜め後ろ辺りの声が妙に耳の奥で響いて、
何を言ったのかはよく覚えていないのに、彼の声だけが深く
印象に残った。
自己紹介のラストは「渡邊」という苗字の人で締められた。
平原先生が口を開く。
「みなさんご苦労様でした。今の時間が、誰か自分のことを
知ってもらうための、誰かのことを知るための一歩となるといいですね。」
先生は出席簿に何かを書き込みながら言った。
最初のホームルーム終了のチャイムが、静かな教室に響き渡る。
「それでは今日はこれで解散となります。教科書購入では買い忘れが
無いように気をつけてくださいね。」
その時を誰もが待っていたかのように、椅子を引く音とざわめき
が一瞬にして教室中に広がった。
一時間近くにも及んだ最初のホームルームは、多くの人に
退屈を与えていたらしい。
「理子、一緒に教科書買いに行こ。」
中学から付き合いのある、クラスで唯一の知り合い井川朋子が、
退屈すぎる時間を終えて一息ついている私の席まで来て言った。
「うん、朋ちゃん。」
机の横についているフックに掛けていた鞄を取り、私は立ち上がった。
「行こうぜ、室岡。」
騒音の中から聞こえた言葉に反射的に耳が傾き、ゆっくりと
振り返った。
私は先程、耳の奥で響いた声の主を見た。
はじめて、室岡くんを見た。