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「これ、情報通信局宛ての荷物に混ざっていたんだけど、貴方のものじゃないかしら?」
マーディンの研究室をふいに訪れたミズキは、そう言って小さな小包を差し出した。それを受け取ったマーディンが小包の伝票を確認すると、宛先は月基地情報局付マーディン・グロウム中尉、となっており、送り主には金星の聞いたことのない私設研究所の名前が書かれていた。
「違った?」
心配そうに声を掛けるミズキに、マーディンは小包を訝しげ見やり、中身を窺うようにそれを少し振ってみて、最後に首を傾げた。
「いや、この研究所に心当たりがなくて。でも以前、金星の知人に共同研究の依頼をしていたから……その返答なのかな。まあ、昨今の研究者って人種は研究中毒が多いから、条件のより良い職場を見つけたら簡単に移籍してしまうからね」
マーディンは困ったように苦笑した。
「彼も移籍したのか。聞いてなかったんだけど…」
「研究って何の研究なの?」
いかにも興味津津と言った体のミズキに、マーディンは目も合わせず顔を曇らせていた。どう説明すべきか、考えあぐねているようにも見える。
「学生時代に少し交流のあった奴なんだけど……かなりやり手で優秀なんだ」
彼は小包を睨むような真剣な眼差しで凝視しながら、ずれた返答を返す。その様子から、質問の回答を拒絶されている気配がはっきりと感じられた。言いにくいのか、言いたくないのかは分からないが、マーディンはこれ以上触れてほしくないのだろう。ミズキは好奇心が充足されず不満を感じたが、ここは素直に引き下がることにした。彼がここまであからさまな拒否反応を示したことは、ミズキの記憶の中ではなかったことなので、少し驚いた。
仕方なく話題を変えてみる。
「最近研究室に籠りっきりだけど、随分大変なのね。健康管理とか、ちゃんとできてる?」
「ここは以前と比べて格段に環境がいいから大丈夫だよ。スタッフも優秀だし……ご心配ありがとう」
それでも彼は先日会った時よりも随分顔色が悪く、やつれているように見えた。それなのに以前より環境がいいと言うあたり、よほど火星の研究施設の待遇が悪かったのだろうか。
「そっか。あのね、最近ショウやエディが何だか前にも増して忙しそうなのよ。よく二人で長官室に籠って長々とミーティングしているみたいで。……ねぇ、何か知らないかな?」
彼女が最近抱いている疑問の核心に、マーディンが何かしら関わっているのではないか、それは例のブランシュの件ではないのか、そう推測してミズキが聞くと、マーディン自身も意外だったらしい。腕を組んで考え込んでしまった。
「いや、知らない。長官や情報局長が動いてるのは聞いてない。極秘に中央から何らかの指示があったのかもしれないな……」
彼は小包を抱え直し、黙り込んでしまう。
本当は思い当たる節があったのかもしれないが、そのあまりにも思い詰めた表情に、ミズキはまたしてもそれ以上の言及を控えざるを得なかった。そして、この重く沈んでしまった場の空気をどうしようか、と考えあぐねていた時、突然マーディンの部屋に通信端末のコール音が割り込んできた。緊急の回線を使ってきたそれに、マーディンは端末を開いて応対した。
「………………………ああ、おられるけど」
おられる? ミズキがその単語に反応してマーディンの方に顔を向けると、彼は手招きをして彼女を呼び寄せた。
「緊急事態だ」
マーディンの厳しい表情に急かされるように、端末の前に駆け寄ると、そのモニターにはミズキの部下の真っ青な顔が映し出されていた。
「いったい何があったというの?」
ミズキの問いかけに、部下は半ば叫ぶように報告した。
「ゼノンとセルジスの二人が例の少女を連れてトレーニングルームのシュミレーターを無断でロックしてしまったんです!!」
「何ですって! どういうことなの?!」
驚きのあまり、ミズキの声は裏返ってしまっていた。同時に急速に体中の血液が冷えて、痺れていく感覚に捕らわれる。
「詳細までは……申し訳ございません。恐れ入りますが、大至急トレーニングルームまでお越しいただけないでしょうか?」
「もちろんよ、すぐ向かうわ!!」
ただうろたえているだけの部下に苛立ちを隠すことなく、勢いのまま回線を切るなりミズキは駆けだした。
「悪いけど、失礼するわ!」
マーディンに慌ただしく声を掛けると、彼はいいよ、と答えながらも一緒にはミズキの後を追いかけてきた。
「気になるから、同行させてもらうよ」
マーディンの研究室のある西棟からトレーニングルームのある南棟までは管理棟をまたいでいかなければいけないので、かなりの距離がある。二人はエレベーターを待つ時間も惜しいので、全力疾走で階段を駆け下り、上がりを繰り返して目的地にたどり着いた時には完全に息が上がってしまっていた。
「ちょっと、これはどういうこと!!」
トレーニングルームに着くなり怒鳴ったミズキの声に、その場に居た者たちは一斉に口ごもった。
トレーニングルームに設置されているシュミレーターは、主に宇宙空間での戦闘を体感できるバーチャルシステムで、様々な状況の再現が可能である。極限までリアリティを追及したそれは、ある程度のダメージまでも再現してしまう。使用法を誤れば生命に関わる事態になる可能性もあるので、専門知識を持った指導教官の指導の下でのみ使用が許可される。セルジスは教官の資格を持っているとはいえ、ブランシュは今ミズキをはじめ、基地内の上層部が直接管理下に置いている人物であるので、勝手な行動が許されるはずがない。しかし、ミズキに協力的だった二人が何故このような暴挙に出たのか、ミズキには分からなかった。
「状況を説明しなさい。どうしてこんなことになっているの?! 黙ってたらわからないわよ。そこの貴方、具体的に教えてちょうだい!」
突然指名された青年は困ったように周囲の人間に助けを求めるように視線を送ったが、誰からの救いの手も得られないことを悟ると、俯きがちではあるが観念したように話し始めた。
「あの……少尉たちと、女の子がトレーニングルームで口論になっていて、そのうち三人でシュミレーターに入って行って……ロックしてしまったんです。口論の内容は分かりません。ただ、少尉たちがかなり興奮しておられるように見受けられましたが……」
何に怯えているのか――恐らく少尉たち、ゼノンとセルジスのことだろう。彼らは実績の分人望もあるが、二人とも気性が激しく社交的でもないため、同僚や部下としては気安く接することのできる相手ではなく、苦手意識を持っている者も多い。任務に忠実で、厳格すぎる二人はお互いはいい関係のようであるが、それ以外とは溝があると言っても過言ではなかった。
全く役に立たないわね、そう舌打ちしてミズキはシュミレーターの外部端末に駆け寄った。しかし、外部端末からのコントロールはブロックされており、何の入力にも反応しない、
「貴方たち!! 何やってるの、早く止めてそこから出てきなさい!! ブランシュ、ゼノン、セルジス!! これは命令よ、今すぐ出なさい!!」
ミズキは叫びながらシュミレーターが設置されている部屋のドアを力任せに何度も叩く、シュミレーターが使用中であるため、扉の上部にあるランプが赤く点灯していることから、居るのは間違いないのだが、中からの反応は全くない。ミズキは焦って再度扉を叩いた。
「こっちだ、ここから中の様子が分かる」
ミズキが野次馬連中に雷を落としまくっていたころ、マーディンは冷静にシュミレーターに隣接されている指令室のロックを外側から解除し、中の様子をモニターに映し出すことに成功していた。
「一体何やってるのよ!」
指令室に飛び込んだミズキの視界に、広大な宇宙空間が飛び込んできた。大きなモニターにはシュミレーションの映像が映し出されている。そこでは激しい戦闘が繰り広げられていた。
機影は二つだった。
一つはブランシュのものだろう。人を小馬鹿にするようなある意味鮮やかな動きには嫌というほど覚えがある。そしてもう一方は恐らくゼノンのものだろう。あの強引な操縦であれだけの戦果を挙げられるのは、相当な度胸が必要とされる。それが可能なのは技術的にも優秀で、加えて自分の腕にかなりの自信を持っている彼でないと、到底無理であるからだ。
「凄まじいね……実力者同士の一騎打ちとなると、かくも白熱したものになるんだね」
モニターを眺めていたマーディンが感嘆していると、ミズキはそれにすぐさま噛みついた。
「感心している場合じゃないわよ! 明らかな軍規違反だわ。早く止めさせないと……!!」
ミズキは正面モニター下のキーボードを素早く操作して、シュミレーター内部につながるスピーカーの回線を開く。そして、回線がつながったことを示す緑のランプが点灯したことを確認するなり、マイクに向かって怒鳴った。
「貴方たち、聞こえているわね!! 今すぐシュミレーション・バトルを終了してそこから出てきなさい! これは上官命令よ!!」
ミズキが叫んでいるうちに、シュミレーターでの戦闘は終了したようだ。ゼノンの機体の表示が赤に変わる。どうやら撃墜されたようだ。
「――了解しました。速やかに終了します」
敵機を撃墜したことを確認したブランシュの抑揚のない声が、スピーカーから返ってきた。
登場人物紹介⑦
ゼノン・イーリス
月基地・宙軍機動部隊のエースパイロット。階級は少尉。金星出身の22歳。いかにも軍人、といった立派な体格に強面なので近づきがたい第一印象を与えがち。真面目、融通が利かない、社交性がない、とお堅い三重苦。戦災孤児であり、実力で現在の地位まで上り詰めてきた。何かと思い詰めるふしがある。