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ミズキがブランシュの保護者となってから、早くも半年が経過しようとしていた。ブランシュのことについてはミズキ自身、情報局に所属する戦術司令官としての激務を縫っての任務で、彼女にとって納得のいく成果を出す事が出来ずにいた。
すぐに明確な結果を出すことに拘りすぎる、とは月基地長官のショウ・セリザワ中佐の言葉だが、結果第一の数字の世界で生きてきたミズキにとってはそれが全てであり、ある程度は致し方ないのではないか、とは情報局長で直属の上官であるエディラント・ゼファー少佐の台詞だ。
ミズキはブランシュ以外の機械人間を知らない。
連邦では、医療工学の技術を利用した人体実験を法律で明確に禁止していたから当然なのだが、ブランシュと接することで彼女自身も学ぶことが多かったようだ。
「はじめは驚きました。これまで常識だと思っていたことが通用しないんです」
経過報告のため、長官室に出頭していたミズキはその場に居た上官――ショウとエディの二人に対してそう語った。
任務中心の生活をしてきたというブランシュの行動は、同じ年頃の少女のものとは大きく異なる。
「ブランシュには食事の仕方さえ教えなければいけませんでした。これまで火星では栄養剤や強化食品ばかり食べていたそうです。彼女曰く、『生命維持活動及び任務に支障をきたさず、なおかつ必要最低限の栄養補給を効率よく摂取できるので全く問題ない』と聞いた時は、あんまりだって、言葉も出ませんでした」
それだけではなく、物事の考え方や生活習慣の違いに戸惑うことも少なくなかった。
「意思制御装置はマーディンが何とか解除してくれたようなのですが、ブランシュの上官至上主義っていうか、上官の言葉に忠実すぎるのもどうかと思うのです。これまでにブランシュは連邦に対して問題行動は一切見られません。正直全く何事もないことが怖いくらいです。」
ミズキの保護下に置かれることを告げられても、少女の瞳には何の感情の揺れも見られなかった。ただ、与えられるものを、そのまま享受する。何の抵抗もなく、疑いもなく、そのまま受容する。その静かな様が、言いようのない不安をミズキに与えたのだ。それは今もずっと変わることなくミズキに胸の内に蟠ったままの状態が続いている。
いくら意思制御されていたといえども、立ち位置が全く裏返ってしまったことに対して何の戸惑いを見せない姿は異様に感じられた。
周囲の厳しい視線も、全く異に受けず新しい上官の指示に忠実に従う。その少女の心は空虚――どこまでも真白で、悲しい。
「私のことは新しい上官だと認識しているようで、私の言葉には素直に、忠実に従います。今は私がいるから何とかなっているのかもしれませんが、今後彼女が我々の保護下を離れた時のことが心配でなりません」
このままの状態なら、少女は新しい環境でも新しいマスターを見つけて、その命のままに動くことだろう。今の少女の心は白いままだから、導き手の与えられるもの次第で何色にも色彩を変える。それが、何よりも怖い。自分の意思による未来なら、その先にあるものが破滅であっても、冷たい言い方をすれば自己責任だ。しかし、自らの意思もないところで導かれた未来がそれなら、やり切れない。
ミズキの言葉に真摯に耳を傾けながら、エディは手にした資料に目を落とした。
「マーディンからの報告によると、彼は火星時代のブランシュと僅かではあるが面識があったらしいな。そこでの彼女は相当特殊な環境下にいたようだ。エリード博士は彼女の絶対唯一の上官で、彼以外の指示には一切従わなかったらしい。今はミズキがその立場というわけか」
「はい、初対面の第一声が『貴女が私のマスターですか?』でした」
ショウの言葉を受けて答えたミズキは困惑した表情のまま頷いた。『マスター』と呼びかける少女に『ミズキ』と呼ばせるまでに結構な根気と時間を要した。
「今のところは問題なし、だね。そう、上層部には報告しておくよ。ところでミズキ、今現在君から我々に対して何か要望はあるかな。この機会に承っておくよ」
エディからの思わぬ申し出に、ミズキは思わず唸った。
「そうですね、今度……私の休暇の際で結構ですのでブランシュを同伴して基地外への外出許可を頂きたいのですが、よろしいでしょうか?」
「それは……」
将来的に、ならともかく今は難しいだろう、そう続くエディの言葉を視線で遮って、ショウは意味深な笑みを浮かべながら頷いてみせた。エディは何か言いたげだったが、ショウの様子を横眼で窺って口を閉ざす。
「構わないよ。但し、外出に際しては事前にその行動予定を報告、また事後報告についてもレポート形式で帰還後速やかにわたしに報告すること。以上の条件を満たすなら外出を許可しよう」
「はい、了解しました」
ミズキはまさかこうもあっさり許可が出るとは思わなかったので、少し拍子抜けした様子だったが、すぐに破顔して元気よく敬礼した。
報告を終えたミズキが長官室を退出した後、エディは苦い顔をしてショウを睨んだ。
「いいのか? 何かあれば大問題だぞ。例の子を外に出すなんて、少し軽率なんじゃないのか?」
相変わらず慎重派の台詞に、ショウは大丈夫、と笑った。
「構わない。ミズキなら大丈夫だろう。彼女はアレでなかなか優秀だし、あの少女にとっても環境を変えたり刺激を与えたりすることで恐らくマイナスにはならないし。それに、いざ外出ということになれば、お前が何か動いてくれるだろう?」
にやり、と口の端を上げたショウの頭をエディが思わず小突く。その二撃目を左手で防御し、二人は顔を見合わせた。エディは諦めて溜息をついた。
「そうするだろうね。わたしは心配症だから。せいぜい期待に応えさせてもらうよ――ところでブランシュ嬢の件だけど」
エディはいつになく真剣な面持ちで一枚のディスクを手渡した。ラベルには何も書かれていないが、ショウにはその内容に心当たりがあった。
「お姫様の身元が判ったのか?」
「いや、マーディンが提出してくれたDNAサンプルからは該当する生存する人間は存在しなかった。いくら火星の市民とはいえ、彼女が推定15歳とすれば、誕生時はまだ火星も連邦の統治下にあったのだから市民データが存在しないわけはないのに」
手渡されたディスクを端末にセットし、中身のデータを引き出し、確認しながらショウは厳しい顔をして額を押さえた。
「マーディンが報告してきたように、機械人間の過去は完全に抹消してしまっているようだな。まさか連邦本局のデータベースにまで及んでいるとは……まいったな…」
ショウの隣からディスプレイを覗き込みながら、エディはショウの耳元で何かを囁きかけた。その言葉にショウが反応して瞠目する。
「残りは、そうなるか。そうか、その線で頼めるかな。しかし難しいんじゃないのか?お前の腕を信じてないわけじゃないが」
「任せなさいって。月情報部局長の実力の程を久々に見せつけてあげよう」
自信満々に語る親友を頼もしそうに眺めながら、ショウは心の裡では冷静に情報を分析し始めていた。
(……嫌な予感がする。妙な胸騒ぎがする……)
ショウはそっと目を伏せた。
杞憂であってほしい。そう祈る一方でこれまでの経験上、彼は自分の予感の的中率には大変自信があった。そうであるなら何らかの手は打たなければならない。彼はそうしなければならない立場であり、責任がある。
まずは今後の対応について、策を練らなければならないだろう。
「ショウ、どうかしたか?」
「いや、何でもない――いや、お前には伝えておくべきかな」
様子のおかしいショウを訝しむように声を掛けたエディは、ショウの返答を聞いてすぐにピンときたらしい。あからさまに顔を顰めた。どうやら親友は気付いてしまったらしい。
「実はな、エディ……――」
「ああ、またか。もう勘弁してくれ。お前の嫌な予感は大概的中するんだ。って言っても仕方ないか。そうなったなら、少しでも事態をましな方に軌道修正するしかない」
心底うんざりした顔で呻くエディの掠れた声に、ショウは目を閉じて、一呼吸してから、ふっと口元を綻ばせた。
「頼りにしてる。お前はわたしが知っている中で最強に出来る奴だから。今回もしっかり当てにさせてもらうよ」
登場人物紹介⑤
ショウ・セリザワ
月基地の責任者(長官)階級は中佐。地球出身の28歳。黒髪・蒼瞳。長身で端正な容姿、さらに家柄も良く、自身も出来る男であるので敵も味方も多い。彼本来は前線の実戦部隊へ配属を希望し続けていたが、色んな圧力やら思惑から現在の地位に納まっている。ミズキの父の部下であった時期があり、彼の死後ミズキの面倒をみるようになり、今では兄を自負している。地球に恋人がいて一応婚約中ということになっているが、お互い仕事人間であるため結婚は未定の様子。