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「分かるよ、信じられないんだろう? あの内容ではね」
マーディンは顔を曇らせた。
何かに想いを馳せているのか、彼の視線はどこか遠いところを見つめているかのようにさえ見えた。
「脳にメスを入れて記憶と感情を抹消。その代わりに知能・判断力を強化し、また運動能力の強化のために筋組織の医療工学的処置と、違法薬物の投与……完全完璧な人間兵器としてのあらゆる強化が施されている。人間の尊厳を無視した、酷い内容だわ。火星にはブランシュみたいな子が他にもいるのでしょう? 火星はそれほどまでに切迫した状況に陥っているのかしら」
現在の戦況はやや連邦軍優勢である。
これは数による戦力の問題で、もともと保守的な連邦政府の政策を嫌悪した技術者たちが多く移住した新天地・火星では優秀な技術者が多く、個々の能力では火星に分がある。数の力で何とか押し切っている感の連邦軍において、ミズキは自軍の戦力を冷静に分析した時、何かの拍子に現在の勢力が覆る可能性があると考えている。戦術司令官としては常に最悪の可能性を念頭に置く必要があるが、現段階の戦力比については均衡状態であるとの認識で、これは上司であるエディも一致している。
故に、火星政府が非人道的な手段に訴えることが信じられない。
事が明るみに出れば、市民感情を損なうことになるだろうし、政府の求心力も落ちるだろう。狂気じみた方法に訴えなければならないほどの劣勢であるとは思えないのに、何故? という疑問が拭えない。
「火星は現在孤立しているから、外からの援助が得られない以上、自前で戦力を増強しなければならない。だが、戦況や勢力の問題だけじゃない。火星はもともと連邦政府と袂を分かってきた者の多い星だ。純粋に研究の、技術の向上のために人道に反した手段を取る者がいる。その成果を、戦争で検証しようとする者も」
「何てこと……!」
マーディンはミズキからの非難するような眼差しを正面から受けて、思わず俯いてしまう。ミズキ自身そんなつもりはなかったのだが、知らず、火星出身のマーディンに思わず『火星』を重ねてしまっていた。
「ごめんなさい、貴方を責めているんじゃないの。でもそれが本当だったらこんなに酷いことはないわ」
「そうだね、まともな思考の持ち主ならそう考えて当然だ。しかし、火星も一枚岩じゃない。政府の方針に従えない者も多いから、造反する者に対する見せしめも必要だし……」
彼は重い溜息をついた。彼自身、火星からの亡命者である。火星は優秀な技術者を優遇し、その研究を支援してきたがその一方で、待遇の差も激しく、何かに秀でない者に対する扱いは酷いものである。
「それで、ブランシュとはどうだい? 人間関係とかうまくやれているの?」
重い空気から逃れるように、マーディンは唐突に話題を変えた。
「ええ、ブランシュは従順だし、言いつけもしっかり守るわよ。彼女にセットされた意思制御装置はうまく解除できているみたい。さすがはマーディン、火星においても例のエリード博士と並び称された若き天才科学者ってところかしら?」
「茶化さないでくれ」
少し調子の戻ってきたミズキに、マーディンはさも不快気に首を振った。
「そんなつもりじゃないの。でも、特定の人間――エリード博士の命令にしか従わないような意思制御装置を施しているなんて、最悪よね」
「ああ、彼は機械人間たちを自分の駒のように使っていたから、駒に意思のない方が使い勝手がよかったのだろう……全く酷い話だね」
ミズキは火星の内情に詳しいマーディンから様々な情報を得る度に、火星に――エリード博士に対する憎しみにも似た感情を募らせていた。それと同時に、機械人間にされた子供たち――ブランシュに強く同情していた。
「それで、あの子とは毎日どんな風に過ごしているんだい?」
「何とかね、ブランシュを普通の女の子に戻してあげようと思って、色々試みているわ」
ミズキは軍属として正規の任務を務めている以外の時間は、ほぼつきっきりでブランシュの世話を焼いている。勿論監視を兼ねたものであるが、ミズキが何か思うところあって件の少女を連れて精力的に動き回っているらしいことは基地内でもかなりホットな話題の一つであった。
「脳内を弄られているって言っても人間だもの、非科学的かもしれないけどどうにか心を取り戻せないかと思って。いろいろやってるんだけど。それに私の他にもゼノンとセルジスの二人がサポートに入ってくれているから、助かっているんだけども……」
「ゼノンとセルジスが?! それはまたどういった経緯でそういうことになったんだい?」
意外すぎる人物の名を聞いて、マーディンは目を丸くした。二人は共に月基地のエースパイロットで、ブランシュに対して敵対心を強く持っていたグループの筆頭ともいえる人物だったからだ。
「何故かはわからないけど、彼らから申し出てくれたの。ショウからも許可はもらっているようだし、私以外にもいろんな人と接する方があの子にとってもプラスになるんじゃないかと思って」
味方が増えたと嬉しそうに微笑むミズキの表情には、久々に彼女の本来の性質である明るさが見られ、マーディンは少し思うところがあったものの苦笑するに止めた。
「二人は、何を?」
「私が任務中とかで面倒を見れない時の監視兼話し相手かな。あの子も大人しくしているようだし」
協力者の存在はよほど嬉しかったらしい。彼女に最近失われかけていた明るい表情が取り戻されたように思えた。
「ミズキ、どうやらお茶会はここまでかな。お姫様のお出ましだ」
ミズキのちょうど背後に位置する、カフェテラスの入口にゼノンと彼に連れられたブランシュの姿を認めて、マーディンは立ち上がった。ミズキも振り返って体格の良い、いかにも叩き上げの軍人といった風貌のゼノンと、小柄で真っ白なブランシュ、二人の姿を確認した。
「そろそろ時間なのでよろしいですか?」
ブランシュの手を引いてやってきた青年は、ぶっきらぼうにそう切り出した。別にゼノンは怒っているわけではない。彼はいつもこんな感じなのだ。強面なので子供に泣かれることがあるが、感情の起伏が少ないだけで後輩の面倒見もよい青年である。
時計をみるとちょうど3時少し前、と言ったところだった。あっ、とミズキは慌てて自分の口を塞いだ。そしてしまったとばかりに自分の頭を軽く小突いてみせた。
「申し訳ない、もう交代時間だね」
「こちらこそ、すみません。もうすぐ大事なミーティングがあるので、少し早いのですが今日はこの辺で」
ゼノンは少女をミズキに引き渡して軽く会釈をすると、大股でカフェテリアを後にした。
「ゼノンと何をしていたの?」
ミズキの問いに、ブランシュは僅かに顔を上げてミズキの目を見つめ答えた。
「映画を、観ていました」
何の抑揚もない、電子音声のような口調。ブランシュの声質は高く、可愛らしいだけに、ミズキは慣れてきたとはいえ未だに違和感が拭えない。また、ブランシュは本物の天使のような美少女であるが、その体つきは貧相ではないが、気の毒なほど華奢で、人形のように整った顔立ちには能面のように無表情で感情の欠片を見つけることが出来ない。そこに、ミズキはこれまでの彼女の境遇に想いを馳せて、さらに同情を深くする。
「何の映画だったの?」
「『スペース・ミッション』です」
ブランシュの返答にミズキも、立ち去ろうとしていたマーディンも思わず足を止めて絶句した。
「ゼノンの趣味……かしら…」
ようやくそれだけを口にしたミズキであるが、マーディンはブランシュの顔を見て、そしてミズキの顔を見、渋い顔をした。
『スペース・ミッション』は連邦宇宙軍を舞台にした、対火星戦を描いた戦争映画である。裏切りに次ぐ裏切り、生々し過ぎるストーリー展開で、去年の映画界では賛否両論、話題沸騰の作品だった。エンターティメントとしては評価の高い作品ではあるが、普通に考えれば子供――ましてブランシュに見せる作品として適当なものだったかと言われれば、ミズキとしては「否」である。彼女のような立場の者に見せる映画としては不適当だ。
「ブランシュは面白かった?」
その場繋ぎのあまり意味のなさそうなミズキの問いに、それでもブランシュは生真面目に、且つ無表情で即答した。
「メインである戦闘描写が今一つリアリティに欠けます。現実の戦闘はこれよりもっと過酷で、厳しいものです」
軍属の立場からすれば、誰もが一度は思う感想であるが、年端もいかない少女の口から淡々と語られると、何だかやり切れないものを感じてしまう。
ふと、マーディンは少女の視線を感じた。
小柄な少女はマーディンをじっと見つめている。
しかし、マーディンにはブランシュの視線の先は自分の姿ではなく、自分の心の裡――心の奥を見透かされているような不安を感じ、反射的に視線を逸らした。
「マーディン、どうかした?」
ミズキが気遣わしげな表情でマーディンの顔を覗き込む。
「いや、そろそろ僕も行かないと。悪いけどここで失礼させてもらうよ。また何かあれば研究室まで連絡してくれ」
「ええ、その時はよろしくね」
「了解、じゃあ」
足早に立ち去るマーディンの後ろ姿を、ブランシュは感情のない瞳で見送った。
登場人物紹介④
エディラント・ゼファー(エディ)
月基地情報局長。階級は少佐。月出身の28歳。金髪碧眼、中性的な美形。対外的には物腰柔らかで、誰にでも優しい好青年であるが、本性は毒舌なドS。月基地長官のショウとは高校時代からの親友で、特務部隊時代はペアを組んでいた。情報工学のスペシャリスト。ミズキとは上司以上、恋人未満の仲。恋愛に関しては天然・鈍感なミズキについて、いつかどうにかしてやろうと思っているが、しばらくはこのままでもいいかなと考えている。