4
本当に久々にもらった休日の静かな午後。
ここ連日激務に次ぐ激務で職場に缶詰だったミズキにとって、久々の外の空気は驚くくらいにおいしい。
基地内の宿舎に併設されているカフェテラスで、ミズキはまったりと紅茶の香りを楽しんでいた。甘い香りが、疲労の蓄積された脳髄まで沁み渡る…、とささやかながら開放的な気分になる。
ここは軍人たちの憩いの場である。オープンテラスに差し込む日差しは柔らかく、計画的に植えられた木々は心地よい影を提供してくれている。ミズキの他にも、休日や休憩時間をのんびり寛いで過ごす姿が多くみられた。
ミズキは休日を利用し、ある人物とこの場所で待ち合わせをしていた。ここの紅茶は絶品だと共通の意見を持っているため、お互い常連なのである。
二人とも超多忙なスケジュールをこなす身の上であるので、通常業務以外の話をするには休日を利用する他ない。何とかスケジュールをやりくりして休みを合わせ、都合をつけることに成功したのだ。
「遅れてごめん」
注文し、運ばれてきた紅茶がいい感じで蒸れたころに彼はやってきた。
急いできたのか、いつもしっかりと整えている前髪は少し乱れていたし、額はうっすらと汗ばんでいる。
「いいえ、大丈夫」
ミズキは微笑んで、ポットからカップに紅茶を注いだ。自分と、勿論彼――マーディンの分も。紅茶の色もいい感じだし、香りも申し分ない。それだけで幸せな気分になれるなんて自分は随分安いと、独りごちる。
ミズキとマーディンは所属が異なるため職務上ではほとんど接点がないが、紅茶にうるさいという共通項で接点を持った。勿論場所はこのカフェテラスである。お互い休みの度にこの場所で長時間寛いでいるものだから、何となく気になっていた。そして何のきっかけだったか忘れたが、紅茶のうんちく話に花が咲き、すっかり茶飲み友達になっていた。しかし残念ながら現在のところお互いに恋愛感情は全くない様子であるが。
紅茶を通じて交友を深めた二人であるが、現在は紅茶よりも重大な共通項がある。ミズキが現在保護中の少女についてであることは言うまでもない。ミズキはブランシュの件で話をしたくて、殺人的スケジュールを無理やり調整してこの場を設けるに至ったのだ。
しかし、いざマーディンと話をする段になって、ミズキは何故か自分から話を切り出せずにいた。聞きたいことが聞きづらいことであったからか、それとも連日の激務の疲労が自覚以上で脳の回転がフリーズしてしまったためなのか、自身でも判別出来ずにいた。だから、マーディンの方から先に話を切り出してくれたことに、ミズキは内心ホッとしていたのであるが。
「最近の様子はどう?」
主語を抜いた問いであるが、言わなくても主語の対象になる人物は限定されている。テーブル向かいから投げかけられた質問に、ミズキは思わず顔を顰めていた。
「ええ、多分普通だと思うんだけど」
自分の返答にマーディンが首を傾げるのを見て、ミズキは知らず、重い溜息を吐きだしていた。思いつめたような表情には疲労の影が強く、覇気がない。
「何かね、嫌な言い方なんだけど手ごたえがないっていうか、何ていうか…」
「どういう意味?」
意図が分からず、マーディンが問い返す。
「実際私の想像を超えているというか。あの子くらいの年で、今のような微妙な立場に立たされたらもっと怯えて不安がるとか、卑屈になったり反抗したりとか、あると思うの。でもそのどれでもないの。あの子と接していると、どうしようもなく不安になるのよ」
「機械人間とは、初めて接するんだよね?なら戸惑うのも仕方ないと思うよ」
いつもの前向き姿勢はどこへやら、完全に自信を無くして沈んでいる様子のミズキは、両手で包むように持ったティーカップにそっと目を落とした。そんなミズキを見て、マーディンは励ますように微笑んで見せた。その微笑みに温かいものを感じて、ミズキは心の中で蟠っていた何かを、少し解きほぐすことができたようだった。
「ねぇマーディン、先日エディから回ってきた報告書の中身。あれって全部本当のことなの? ……あ、いいえ、貴方のことを信用していないと言っているわけではないの。でも、とても信じ難くて……」
ミズキはようやく本題を切り出す事ができた。
マーディンは、ミズキが現在保護中の少女・ブランシュについて医療工学的な立場に立った所見を報告書として上層部に提出していた。その資料が参考資料としてミズキにも報告されていたのだが、その内容がミズキにとってはとても信じ難い内容であったのだ。
登場人物紹介③
マーディン・グロウム
月基地に所属する技術士官で階級は中尉。27歳。火星出身。
赤毛に蒼い瞳という典型的な火星人の色彩を持つ青年。いつも細身の眼鏡を愛用し、その神経質そうな外見から近寄りがたい印象を与えがちであるが、実際の彼の性質は至って温厚。火星からの亡命者。かのレヴィラ・エリード博士と並ぶ医療工学の技術者としての地位を確立していたが、火星の機械人間に対する政策に嫌悪し、連邦へ亡命する。ミズキとはお茶飲み友達でもある。