Epilogue
「それで今、あの子はどうしているの?」
薄暗く、狭い部屋の中で二人は対峙していた。仄かに灯る照明に映る彼の顔は窶れ、深い疲労がくっきりと浮かび上がっていたが、その表情は意外な程に明るかった。
「もうずーっと彼につきっきり。私、やきもち焼いちゃいそうよ」
ミズキがおどけて言うと、彼は「でもそれは仕方ないね」と言って苦笑した。
月基地はメインシステムの暴走によりその機能の多くを喪失するという事態に陥った。そのすぐ後、連邦本部より調査機関が大挙して押しかけることとなり、現在大混乱に陥っている。まさに嵐のような目まぐるしさだ。
その中でも驚くべきことは、あの爆発の中月基地では怪我人はいたものの、一人の犠牲者も出さなかったということだ。これは、例の月基地トップの二人が暗躍していた結果で、二人の勇気ある行動――無茶ともいう――に驚くやら、呆れるやら、感心させられるやら。
二人して陸戦用の一番小さい戦闘機で基地施設内に強引に突入し、マーディン・レヴィラの二名までも生還させたのだから、初め聞いた時は耳を疑った。普通、いくら一般のそれと比較して大きいと言っても基地施設内部に戦闘機に機乗して押し進むなどは考え及ばない。以下に彼らが規格外であるかが身に沁みて解かった。伊達に二人は精鋭揃いの特務部隊の出身ではないということだろうか。
「僕はブランシュ――ティエラを月へ墜とすから、うまく使えと上層部に指示されていた。レヴィラはそれを知っていて、逆に利用したんだな。大事な妹を火星から逃す為に。彼は有能すぎたから、かえって疎まれてもいたんだ。火星には二人の居場所はもうどこにも、無かったんだろうね。レヴィラは、何とか妹だけでも救おうとしたんだ……」
銀色の兄妹の生い立ちを、マーディンは知っているわけではない。火星に居た頃も特に親しかったわけでもない。けれど、あの二人の関係が奇妙で、微妙な緊張感に包まれていたことを記憶している。どこか排他的で、どこか悲しい影を纏った二人の間には主従関係以外の確かな絆があるように見えたが、それが何であるか誰も気に掛けなかった。二人に関わりを持つことを躊躇させる何かが、他とを大きく隔てる溝となっていたからだ。
マーディンは連邦に亡命したことを逆に火星に利用され、大切な人を守れなかった。しかしレヴィラは守りぬいた。プログラムの解除も恐らく自分一人で出来ただろうに、自らを犠牲にして妹に実行させ、ミズキをわざわざ呼び寄せて証人にした。自分を悪人に仕立てることで妹にミズキのような味方を与えることにも成功したし、まんまと火星から脱出させることもやってのけた。その全てがマーディンには出来なかったことで、彼の口調からはやり切れなさが滲んでいるように、ミズキには思えた。
「レヴィラの容体はどう?」
「相変わらず、よ」
そう、と彼は視線を落したまま相槌を打つ。
レヴィラはショウに間一髪救出されるも、未だ意識は戻らないままだ。一時は危篤状態まで陥ったが、医療工学の処置を受けて何とか一命を取り留めた。しかし、外傷が酷く、意識が戻ったとしても元の状態には戻ることはできず、何らかの障害が残るだろうと言われていた。
「昏睡状態のままなの。だから、ティエラも離れようとしなくて。本当に困っているのよ」
大人しいのは構わないが、調査機関の出頭命令を無視し続けるのは頂けない。そのしわ寄せが全部ミズキに来るからだ。しかし、ティエラの気持ちが分からないわけではないので、困っていたのだ。
一方、あの爆発の中からエディに救出されたマーディンの方は奇跡的に大した怪我もなく基地を脱出した。現在は内務監査局に身柄を拘束されている。そのうち軍法会議に掛けられるだろうが、彼はどんな処分が下されても謹んで受けるつもりでいた。
「それにしてもあの二人には驚かされっぱなしよ。裏で何かやっていたことまでは気付いていたけど……、本当に凄いことは身に沁みてわかったわよ」
今回の件について、ミズキはどうにも置いていかれたという思いを拭えずにいた。エディがレヴィラとコンタクトを取っていたこと、ティエラの身元を掴んでいたこと、マーディンの裏切りを事前に察していたこと。そのことを事後に内々に明かされた時、ミズキはその内容に驚愕し、しばらく立ち直れずにいた。
『今回は後手に回ってしまって、済まないね』
少しも気持ちのこもっていない謝罪を残して、エディはショウと共に地球へ事情説明のために出頭してしまった。二人とて事を事前に防ぐことが出来なかった悔しさはミズキの想像以上のものかもしれないけれど、何故自分にも話してくれなかったのか、ミズキは今も思う。二人には遠く及ばないかもしれないが、それでもミズキは教えてもらえなかったことについて、自分の無力さが情けなく、悔しかったのだ。その理由がミズキを思いやったものであることが分かっていたとしても。
「……内々に処理するつもりだったのかもしれないね。情報局長にマークされているのは薄々気付いていたんだ。そのことに君やティエラを巻き込みたくなかったのかもしれない……と思う」
「それにしたって」
ミズキ自身、今更愚痴っても仕方ないことは理解している。けれど、感情はどうにも止められなかった。
「悔しいじゃない。もっと早く教えてくれていたら、私でも何かの役に立てたかもしれないのに――自惚れかもしれないけれど」
口を尖らせるミズキに、マーディンは慰めるように囁いた。そんなことない、と。
「それより、今後はどうするつもりなんだい?」
ミズキの今後について、基地内では様々な噂が飛び交っていた。マーディンのところまで届いているのだから、その範囲はミズキの予想以上のようだ。
「色々言われてて、悩んでもいるの。……まいったなぁ」
ミズキは頭を抱えたくなった。ほとんどが根も葉もない無責任な噂ばかりだからだ。
「軍にはね、残るつもりではいるの。でも思うところあって地球に帰ろうかと思っていて。その時はティエラも一緒に連れていこうと思っているのよ」
ティエラに市民コードは存在しない。調査の結果、出生時から遡って抹消されていた。戸籍上は存在しないことになっている。ミズキはエディを通じてコードの再作成を連邦に申請していた。その際は、自分の親の養女――つまり妹として引き取るつもりでいた。確かにレヴィラという実兄がいるが、敢えて面倒な手続きを行って過去のデータを戻すことより、連邦で新たに生活していくなら新しい立場を与えた方が少女の為になるのではないかと考えたからだ。
「勿論、レヴィラの容体が安定してからよ。それにティエラの意思も尊重するわ」
ミズキは今回の一件を通じて、自身の過去について一定の整理をつけることができ、自己評価として精神的にも強くなれたのではないかと思っていた。火星に対しての認識も少し変化した。家族を奪ったことに対する憎悪が無くなったわけではないが、もっと客観的に見ることが出来るようになったということだろうか。
少女との出会いを、ミズキは今は幸運だと思っていた。あれほど疎ましく思っていたのにも関わらず、だ。そしてミズキはかつて自分差しのべられた手を、今度は少女へ自分が差し出す番だと思っていた。自分が彼女を救ってあげられるなんて自惚れているわけではない。でも、少女の姿はかつての自分とどこかだぶって見える。何か、出来ないかと思ったのだ。
人間の感情は移ろいやすく不可解だ。でもそれは人間だから仕方ない。
「もう、誰かが傷つくのは見たくないの。あの子、火星ではきっと私の想像以上に悲惨な環境にいたのだと思う。だから、新しい環境を与えてあげたい。そして少しずつ、傍で心をケアしてあげることが出来たら、って考えているんだけど」
これって偽善かしら、俯くミズキにマーディンは優しく微笑んだ。
「ティエラは君がいて幸運だね」
「……うん、私も彼女に会えてよかった」
人の出会いが運命によって定められているというのなら、誰かとの出会いが運命なら、ミズキはその運命に感謝したい気持ちだった。出会いは、決して幸せなものではなかった。憎しみもあった。でも今ならその出会いを優しい気持ちで振り返れる。それなら、結果的に幸せなものと言えるだろう。
自分に多くのものをもたらしてくれた少女は白い悪魔ではなく天使だったのかもしれない。今なら――そう、思える。
「私ね、未だに感情を表現することが不自由なティエラに教えてあげたいことがたくさんあるの。例えば私はこんなにも貴女のことを大切に思っていること。そして貴女のことを大切に思ってくれてる人は他にもいっぱいいること――」
ミズキは微笑んだ、心から。
「貴女は愛されているんだって」
本編完結となります。
拙い作品でしたが、ここまで読んでいただいて、本当にありがとうございました!
また、機会があれば後日譚とか書いてみたいなぁ、と考えています。
思いだした頃に再訪頂けたら幸いです。
たくさんの感謝をこめて。
柚原 菜月 拝




