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マザールームはこの月基地の中枢である。それ故に、厳重なセキュリティに護られた不可侵の場所であるはずだった。普段は完全なコンピューター制御の下で管理されているので、基本は無人であるその場所に彼は、どんな手段をつかったのか、まるで当然のようにそこにいた。あの少女とともに。
室内も他の場所の例に漏れず、その損傷は甚大だった。剥き出しになったコードから電流が弾けてバチバチと嫌な音を立てている。
「マスターの命令は私の全てです。意思制御装置がどうとか関係なく」
少女は青年を庇うようにミズキの前に立ちふさがっていた。レヴィラは崩壊した機器に体の自由を奪われていた。青白い肌を伝う幾筋もの紅い流れはやがて床に血溜まりを作っている。見た目にも酷い怪我をしている彼は、只人なら正気を保っていることも困難な状況にも関わらず、むしろそんな素振りも見せずに、ただ静かな眼差しでこちらを見つめていた。
「貴女は、月基地を破壊するために来たの?」
問うた声はミズキ自身、思ったよりも冷静な声音だった――自分ですらも不思議な程に。
「私はここに侵入し、マスターを招き入れることが任務です。他の指示はありません」
「月基地を破壊しろと彼から命じられていたのではないの? 実際これは貴女の自爆用プログラムなんでしょう?」
容赦のないミズキの追及にもブランシュが動じる様子は全くなかった。
「確かにこれは私の自爆用プログラムです。私が持ちこんだようなものですが、私にこのプログラムを自分の自爆以外の用途に活用する術を知りません。信じて頂けないかもしれませんが」
少女の声はいつもよりもさらにか細い。そしていつも氷のように澄んだ瞳には言いようのない微かな感情の色が見え隠れしているように感じられた。
「――――火星も一枚岩ではないということだ」
これまで二人の様子を静観していたレヴィラがおもむろに口を開いた。彼は自らの悲惨な状況にも関わらず、冷静さを失ってはいなかった。
「悪いがこのような状況だったので已む無くこの子を此処に呼んだ。プログラムの解除方法は彼女に教えてある――ブランシュ、進度は?」
「進度95パーセントに到達しました。間もなく最終段階に進みます。マスター、プロテクト解除の最終パスワードをお願いします」
「それは知っているね? 君に教えたはずだ」
ブランシュは僅かに戸惑ったような瞳でレヴィラを見つめ返す。この間に痺れを切らしたミズキは発狂しそうになる自分をどうにか理性で制した。
「時間がないのよ、早く!」
「ブランシュ、君は知っているはずだ――私の『唯一』を」
「マスターの……『唯一』……――」
少女は目を伏せた。レヴィラの眼差しの厳しさに耐えられなかったように。レヴィラは何故か答えを教える気がないらしい。この非常事態に、とミズキは気色ばんだが、その時彼女の中に何かがかちりと音を立てて整合した、ような気がした。
「ブランシュ、貴女本当は何も失ってはいないんじゃないの? 記憶も、感情も、意思すらも! 意思制御装置も、初めからそんなものなかった。みんな嘘だったのね? どうしてそんなおかしなことをしていたの?!」
ブランシュの言動、マーディンが告げた真実、レヴィラの奇妙な態度。
白銀の髪、蒼い瞳――アイスブルーの瞳、色素のない真白い肌。
畏怖すら感じさせる整い過ぎた美貌。
どうして――?
今更ながらに、やはりと思う――二人は似すぎていた。
容姿だけでなく、その想いも、願いも、切ないほどに。
強引だとは思うが、導き出した結論が真実に近いことをミズキは何故か確信していた。
少女の顔から瞬く間に血の気が引いていく。
その様子をレヴィラが静かに見守っていた。
「嘘だなんて、そんなこと!」
「私を見くびらないで!!」
語気を強めたミズキにブランシュは大きく頭を振った。
「マスターが、苦しんだのは何もかも私のせいで……、わた、しはマスターのために……」
ブランシュの大きな瞳から、大粒の涙がボロボロとこぼれ落ちる。恐らく無意識に決壊した涙腺に恐慌状態に陥ったブランシュが懸命に拭っても拭ってもそれは止まず、見る者の胸を痛ませた。この時、ブランシュが長年被っていた無感情の仮面が、砕け散った瞬間でもあった。
火星で過去、二人の間に何があったのかミズキは何も知らない。ただ、分かるのは二人がお互いのことをとても大切に想っていたということ。だから、ブランシュは自らを機械人間としてレヴィラの道具のように振舞ってきたのだろうし、レヴィラはブランシュに生き残る力を与えた。そして任務に際してその完了報告を『直接、口頭で』行うことを義務付けたのだ。
「ブランシュ、貴女の名前は何? きっとそれがエリード博士の『唯一』なのよ!!」
少女は大きく目を見開いて恐る恐る顔を上げる。確認するような眼差しを向けると、レヴィラは今まで見たこともないような優しい顔で微笑んだ。
震える指先で、ブランシュは熱を持ったキーボードに触れた。
『――ティエラ・エリード』
何度もつっかえながら、何とか入力し終えるとブランシュ――ティエラは泣き崩れた。
メインコンピューターは暴走プログラムの緊急停止入力の実行を確認し、換わって制御プログラムが実行され始めるが、うまく作動せず暴走は止まらなかった。既に手遅れだったのか――その場に一気に緊張が走った。
「進行は食い止めたようだが、既に走り出したものを止めるには至らなかったようだね。ここももうもたないだろう。君たちは一刻も早くこの場を離れなさい」
レヴィラが静かに告げた言葉に、ティエラは弾かれたように顔を上げ、大きく頭を振った。全身で拒絶する。
「嫌です!! マスターを――兄さんを置いていけません!」
ミズキの手を振り払い、ティエラはレヴィラの下へ駆け寄った。
「いきなさい。これは命令だ」
レヴィラの優しいが否を言わせない強い口調に、ティエラは再び大きく頭を振った。
「嫌です!! もう命令なんて知りません! ミズキ、貴女は私に言ってくれましたよね? 私は機械人間なんかじゃない。だから自分の判断で行動しても構わないって。だから、私は、私の意思でここに残ります。兄さんが行けないなら、私も!」
自分にしがみついてきたティエラの頬を彼は打った。それでも少女は兄から離れようとしなかった。必死に、縋るようにその体に腕を回す。
「いきなさい。何のためにわたしが君を此処へ行かせたのか。何のためにわたしがここへ来たのか、考えなさい。そして君は私の努力を――望みを分かっているだろう?」
駄々っ子をあやすように言い含める彼の説得にも、ティエラは頑なに従おうとはしなかった。困ったようなレヴィラの視線を受けて、彼の言わんとするところを察したミズキは、少女にそっと近づいて、その首の後ろに手刀を落とした。
「この子は本当にいい人に出会えたようだ」
気を失ったティエラの体を抱え上げたミズキを見上げて、レヴィラは微笑んだ。
「貴女なら、安心だ。こんなことを頼めた義理ではないが……どうか」
懇願するような眼差しに、ミズキは大きく頷いた。彼女とて、レヴィラをどうにか此処から助け出したかったが、彼の現状を考えればどうすることもできず、そのことが何とも悔しかった。
ミズキはティエラを抱えたまま、非常用の脱出ポットへ急いだ。
色んな事が一度に起こりすぎて、頭がおかしくなってしまいそうだったが、今はこの腕の中の少女を救うことだけで必死だった。
ポットに乗り込み、非常口を開いて二人が基地の外へ脱出した瞬間、耳をつんざくような爆音が鼓膜を激しく叩いた。
ミズキはポットの窓から外を見たが、涙で曇った視界には閃光に包まれた真っ白な世界しか映らなかった。
次で本編完結です。




